第49話 賈詡曰く「董旻は、ベストタイミングで斬らねばならない。今はまだ、その時ではない」

 朝議の後、李傕、郭汜、賈詡の三人は、董卓が使っていた執務室に陣取って密議をかわしていた。

「張温なんかを丞相にしていいのか。李傕、お前が丞相になるべきだったのではないか」

 郭汜の言葉を、李傕は鼻で笑う。

「お前はバカだな。俺が、いきなり、丞相になったら、俺たちが朝政を簒奪したように見えるだろうが」

「バカとはなんだ! 大体、さっきは、俺を殴ったりして、恥をかかせやがって! 」

「軽く小突いただけだろ。なのに大袈裟に倒れやがって。それに、棒罰だって食らわなかったんだからいいだろうが」

「あれで、軽く小突いただと! 一瞬、頭が真っ白になったわ! お前のことも一回殴らせろ! 」

 郭汜が李傕につかみかかろうとするのを賈詡が一喝する。

「ガキみたいな喧嘩はやめよ! 」

 上座に座るのは、李傕。その次が郭汜で、賈詡は末席であったが、実際には、話のほとんどは、賈詡が主導し、李傕、郭汜の二人は生徒役と言った風情である。

 実際そのとおりで、今回の陰謀の大半は、賈詡が立案し、李傕、郭汜の二人はその指示に従って動いているという面があった。

 賈詡が言葉を続ける。

「張温は、形だけの丞相で何の権限もない。実際の政治は我らが動かすのだ。張温は、何かあった時に、すべての責任をかぶって死んでもらうための、いわば、生贄だ」

「そのとおりだ。俺が生贄になるのはごめんだからな」

 李傕も同調する。

「董旻はいつ、斬るんだ? あの野郎、野放しにしておくと、次から次へとくだらねえ要求をしてきて、うっとおしいわ」

 郭汜の質問に、賈詡は答える。

「董旻も、ベストタイミングで斬らねばならない。今はまだ、その時ではない」


 李傕たちが、長安を制圧した際、董旻が担った役は二つである。

 一つは、長安城の城門を内側から攻撃して、李傕らの軍勢の突入に寄与したこと。

 もう一つは、長安の宮城になだれ込んで、謀叛を起こしたふりを演じることである。

 日頃から、鼻つまみ者として衛兵にすら、軽蔑されていた董旻は、そのうっぷんを晴らそうとばかりに、長安の宮城内において、大暴れした。

 一時は、献帝のいた執務室にまで、押し寄せようかという勢いで、宮城は大混乱に陥った。

 そうして、董旻が大暴れしたところで、李傕らの軍勢が、弘農から援軍として駆けつけたという体裁を装って、宮城に押し入った。董旻を捕らえるという名目で、宮城を完全に制圧したのである。

 もちろん、李傕たちは、董旻と共謀関係にあるわけで、董旻を捕らえてはいない。

 董旻は、今日も長安城の色街の一角にある妓楼「妖妹楼」の奥にあの肥満体を横たわらせて、妓女を抱き、酒におぼれている。

 ただ、李傕たちの配下が、厳重に妓楼を固めて、何人の出入りも許していないので、董旻は実質的に軟禁状態に置かれているといってよい。

 そんな中にあって、董旻は、

「皇帝が着る黄色い着物を持ってこい! 俺は皇帝だ! お前ら全員跪け! 」

 などと喚き散らしているようである。酒に浸りに浸り、もはや、まともな判断能力も有していない。

 董旻が、その幻想から覚めることはないであろう。騙されたと気づいた時には、董旻の首と胴体が離れているはずである。


「まあ、董旻の処置は後で考えることとして、目下ところ問題なのは、漢中を制圧した董卓軍への対応だ。董卓軍が、長安に引き返してきた時、どう迎え撃つのかだな」

 李傕の言葉に、賈詡は即答する。

「私のところに入った情報によると、董卓軍は、漢中を制圧した後、休む間もなく、益州攻略に乗り出したようだ。今、董卓軍の本隊は、剣閣を攻めているところだ」

「すると、董卓は、俺たちが、長安を乗っ取ったことに気付いていないというわけか」

 郭汜の問いかけに、賈詡は首を横に振る。

「いや。そうではない。我らが弘農に残してきたスパイの報告によると、弘農を占領した皇甫嵩らが漢中に早馬を走らせたそうだ。使者となったのは、張繍だ。張繍は、子午道から漢中に向かったそうだ」

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