長安城奪還特殊作戦
第44話 漢中太守呂布曰く「数日、漢中を留守にしても問題あるまい。陽平関を視察しておくか」
そのころ、漢中では、戦後処理を終えた董卓が、腰を落ち着ける間もなく、蜀を攻略するために剣閣に出陣していた。
戦後処理と言ってもやるべきことはほとんどない。
捕虜となった劉焉については、ひとまず、漢中の牢獄に閉じ込めておき、蜀を攻略した後で、長安に護送して献帝の裁可を仰ぐ形となったし、張魯らについても同様である。
彼らのこの先について先に語ってしまうと、劉焉は牢獄に閉じ込められたまま、程なくして病死。張魯らについては、米賊であるものの漢中に善政を敷いていた功績を評価し、死罪を減じて追放処分とする形となる。そのために張魯の子孫は、この後も道教の集団として生き残り続けることになる。
そうした手配を終えた後で、董卓は、呂布を漢中太守に留め、自ら、剣閣に出陣したのだった。
漢中の太守となった呂布は、漢中の軍備増強と内政にいそしんでいた。と言うべきであろうが、呂布自身がやるべきことはほとんどない。
軍事については、かねてからの手配通り、張遼が中心となって行っており、呂布は彼らから報告を受けるだけでよかった。
内政についても、細かい案件については、孟達が太守代行の立場で、取り仕切っていたし、法正も軍師の立場で、様々な指示を行っている。呂布自身は、内政に関しては得手ではなかったため、報告は受けるものの、ほぼ、孟達と法正に任せっきりであった。
というわけで、呂布は太守の椅子に座っていても、やることはほとんどない。
「数日、漢中を留守にしても問題あるまい。陽平関を視察しておくか。陽平関も漢中の管轄だし」
ということになった。
妻にして、副官の立場にある貂蝉のみを連れて、陽平関へ出向いたのである。
秋は深まり、北の秦嶺山脈も南の大巴山脈も紅葉で彩られていた。
冬の到来にはまだ早く、風も心地よい。漢中は、盆地に位置しているため、夏は蒸し暑いが、北からの寒風が秦嶺山脈によってさえぎられているため、冬の到来は遅く、本格的な冬でも、それほど寒くはならないのである。
草原を馬で駆けながら、貂蝉が秦嶺山脈の紅葉に目を細める。
「漢中は、どこを見渡しても美しい場所ですね。私が生まれた西域の砂漠とは全然違います」
貂蝉は、西域の敦煌の出身だという。ブドウの生産に関わる富農の家に生まれた貂蝉は、幼いころから、馬で草原や砂漠をかけることが好きな活発な少女だった。弓が使えるのも、
「近所に、李広将軍の末裔を称するおじいさんがいて、その方から、弓術を教わったからです」
とのこと。
李広と言えば、前漢時代に匈奴征伐で功があり、特に弓術と馬術に優れていた。飛将軍の異名を持ち、呂布が董卓から授かった飛将の由来である。
李広の末裔から直接、弓術を教わったと聞いた時、呂布はうらやましく思った。もっとも、呂布の師父である董卓の弓術も、元は李広の弓術流派から出ているというから、どちらの流派も似たようなものであろうかとも考えたのだった。
「ただ、私は、そのおじいさんに正式に弟子入りしたわけではありません。ちょっと習っただけですから、やっぱり、正式な師父と言えるのは、董卓様だけです」
と、貂蝉は言う。
さりげない話であるが、これは重要なことである。
武林においては、一旦、拝師して弟子入りした場合は、師父から破門されでもしない限り、他の流派に弟子入りすることは認められないというルールがあった。これを破った場合は、前の流派の師父から裏切り者として、命を狙われても文句は言えないのである。
李広の末裔にちょっと習っただけで、貂蝉の弓の腕前は、並みの武将をはるかに凌駕しているわけだから、それだけ、李広の末裔が伝える弓術が優れているか、あるいは、貂蝉がもとより天賦の才を有していたということだろうか。
呂布は、おそらく、その両方だろうなと思うのであった。
「奉先様の故郷も、草原のような場所ですよね」
呂布は貂蝉に訊ねられてうなずいた。
「ああ。俺の生まれ故郷の并州五原郡も、厳しい気候の土地だ。夏は暑く雨も結構降るが、冬は乾燥して極端に寒いな。今頃の時期はもう、凍える寒さになっている。馬で駆ける時、こんな軽装ではいられない」
呂布も貂蝉ももちろん、今は、鎧を着ていない。貂蝉は弓矢を持つだけだし、呂布も七星剣と弓矢は持っているが、方天画戟は、漢中の城においてきた。
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