第11話 諸君!フェイクニュースに惑わされるな!「反董卓連合軍」こそ逆賊である!
袁紹や曹操らが発した「フェイクニュース」はまだまだ続いた。
反董卓連合軍が結成されたのを機に、軍事的に劣勢に立たされ、少帝や献帝の身に危険が及ぶことを恐れた董卓は、長安への遷都を決意する。
そもそも、董卓は、都をやたらと動かすべきではなく、洛陽を死守するべし。という立場だったが、王允の他、皇甫嵩、盧植、蔡邕といった、漢王朝に仕える高官の多くが、
「皇上が、逆賊どもに奪われてから後悔しても遅い。長安に遷都して、皇上の身の安全を図るべきだ」
と意見したのである。
その意見が大半だったために、董卓も折れて、長安への遷都やむなし。となったのである。
ところが、袁紹や曹操らは、全く逆の「フェイクニュース」を作り上げた。
漢王朝に仕える高官の大半が、遷都に反対したのに、董卓が遷都を強行したという話にひっくり返してしまったのである。
遷都に当たっては、洛陽の民衆に事前に知らせた。
当時、洛陽は、董卓の指揮する部隊によって、治安がこれまでにないほどに回復しており、
「これもすべて董卓様のおかげだ」
と民衆の間から歓喜の声が上がっていた。
その董卓軍が長安に引き上げるとなると、その後、反逆者どもがなだれ込んで、洛陽の都がどのような有様になるか知れたものではない。
「我らも、董卓様に従って、長安へ移住しますぞ」
多くの民衆はそう言って、自主的に荷物をまとめて、董卓の軍勢に従ったのである。
呂布は、この時すでに、董卓軍最強の親衛隊『飛龍騎』を組織しており、張遼、高順らと共に、殿軍となって、袁紹や曹操らの追撃軍に対して、痛手を与えた。
袁紹や曹操らが、洛陽に入ってみれば、皇上どころか、人がほとんどいなく、物資もほとんどない。
おまけに、董卓軍の殿軍の『飛龍騎』はやたらと強く、将や兵を損耗するばかりである。
やけっぱちになった袁紹や曹操らは、またも、「フェイクニュース」をばら撒いて憂さ晴らしした。
「董卓が少帝を毒殺した。董卓は、既に、献帝に譲位させていたが、少帝が我らに担がれることを恐れて、李儒の入れ知恵により毒殺したのだ」
「董卓は陵墓をことごとく暴いて、宝物を奪ったうえで、洛陽の宮殿に火を放った。さらに、民家も襲撃して財物を奪い、住民を長安に強制連行した」
こんな話である。
もちろん、漢王朝に忠実に仕える董卓は、陵墓を暴きもしなければ、宝物を奪いもしていないし、洛陽の宮殿に火を放ってもいない。これらはすべて、袁紹や曹操らがやったことである。
特に、袁術という名門の出身らしからぬ強盗根性丸出しの男が、真っ先に陵墓を暴きにかかって、盗掘した宝物を独り占めしようとした。それを機に、諸侯の間で宝物の奪い合いが始まり、もろくも崩壊したというのが「反董卓連合軍」の実体だった。
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