第5話 董卓は三国志において最強の武将だった。武力100、間違いない。

 董卓の弓場とは、文字通り、董卓が弓矢の稽古をする場所である。


 さて、デブッとした肥満体で傲慢な顔つきをした董卓をイメージする読者の皆様は、

「董卓が弓矢の稽古なんてするのか? 」

 と疑問に思われるかもしれません。

 そうお考えだったとしたら、大変嘆かわしい話でありまして、如何に、三国志演義、あるいは正史三国志が罪深い書物か、ということでございます。

 正史三国志を著した陳寿とかいう輩は、打狗棒で袋叩きにされてもまだ足りないほどのくず野郎でありますが、こやつの書物を焚書せずにおけるのは、董卓を正しく記した箇所がたった一つだけあるからであります。

 こやつの書物には、こう書かれています。

「董卓は生まれつき武芸に秀で、たぐいまれな腕力を有しており、二つの弓袋を身につけ、馬を疾駆させながら、左右から弓を射た云々」

 この意味はお判りでしょうか?

 皆様が弓矢を射るとしたら、多くの方は、弓を左手に持ち、矢を右手に持って弦につがえて射るでしょう。では、その逆、弓を右手に持ち、矢を左手に持って弦につがえて射ることはできるでしょうか?

 おそらく、多くの方は難しいと思います。

 董卓は、それができたということであります。

 これができるということは、戦場において、とりわけ騎射するときに、大きな利点となるわけです。

 弓を左手に持つ人は、馬上では、主に進行方向の左側の敵しか射ることができません。敵が、進行方向の右側に回った場合は、弓矢が使えません。馬の向きを変えなければなりませんが、馬はそこまで器用に動き回ることはできません。

 ところが、董卓のように左右どちらにも射ることができる人は、弓を持ち替えるだけで、馬の進行方向を変えずに、即座に射ることができる。ということです。

 董卓のすごさがお判りいただけましたでしょうか?

 董卓のような弓の使い手をこの物語では、『双弓』の使い手と呼ぶことにいたします。閑話休題。

 では、物語を続けるとしましょう。


 董卓の弓場は、常人が有している弓場の三倍の広さがあった。董卓の屋敷の中で一番広い場所は、このただ広い弓場である。

 この意味は、董卓は、常人の三倍の距離の的を射ることができ、また、常人の三倍の弓力の弓を射ることができるということである。

「呂布よ。そなたは、七日余り、ここには来ておらぬが、腕は鈍っておらぬであろうな? 」

 董卓に厳しい眼差しを向けられて、呂布は慌てて跪いた。

「師父、申し訳ありません。七日も練習をさぼってしまいました」

 師父とは、中国の武術界――武林――において、弟子が師匠に対して呼びかける時の呼称である。

 呂布は董卓の弟子なのである。そう、弓術の。

 呂布は董卓と初めて会ったとき、董卓の弓術のすさまじさに驚いた。呂布自身も、北方騎馬民族と境界を接する地域で生まれ育ったことから、それなりに、弓術、騎射ができるつもりだった。

 だが、董卓の弓術を目にして、

「井の中の蛙大海を知らず」

 の状態だったと、打ちのめされ、同時に、董卓に対する深い敬意を抱いたのである。

 呂布は即座に、董卓に、

「弟子入りさせてください」

 と頼み込んだ。

 弓術の師父としての董卓は、普段の慈父たる董卓とは、別人のように厳しかった。

「では、わしの弓を使って射てみよ」

 そう言って、渡された董卓の剛弓は、当時、呂布が使っていた弓の三倍の弓力があった。

 とても射れたものではない。

「その程度の弓も使えぬようでは、弟子入りは無理だ。あきらめよ」

 そう断られたが、呂布はあきらめなかった。

 董卓に認められるよう、猛特訓して、董卓の弓場に通い続けた。

 そして、ようやく、

「そなた、なかなか見込みがある。では、弟子入りの試験を受けてみるか? 」

「はい! ありがとうございます! 師父! 」

「まだ、師父ではない。試験に合格しなければ、弟子入りは認めんのだぞ。果たして、そなたに成し遂げられるか」

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