第9話 漁村とオーガ

オークの一件から6日が過ぎた、旅は表面上は順調でタンガ川の河口に至り海にでる事が出来た、エルステとフリンダは海は初見であった様子でその雄大さに大はしゃぎしあやうく崖から落ちかけたりもした、旅程としては七割は消化した形となる。


旅程が順調なのはゴブリンやオーク、カバといった外敵の存在が当然の脅威として一行の意識を変えた事もあるが、ジュウシの有効活用に彼等が気付いた点も大きかった、当初テインの足と荷馬としてのみ機能していたジュウシであったが今ではフリンダがジュウシの頭の上に跨り、テインの背に自分の背を密着させてエルステが騎乗してその側をキーツが歩く旅姿が一行の基本形態として定着していた、子供達が静かでいいのと危なっかしい彼等の姿をいちいち監視しなければならない労苦から開放された上距離も稼げるのだから何も問題は無いのだが、キーツは何とも解せないなと感じる所ではある。


この6日の間、エルステとフリンダの間に問題は無くなったように見える、エルステの傷はあっという間に塞がり包帯はおろか薬草も使用していない、その傷跡は知っているものがあるものとして確認しなければ認識出来ない程に治癒されている、獣人族の野性の力強さが発揮された様子であった。

二人の関係については主にフリンダがエルステを認めたようでありキーツやテインに対する態度も若干軟化したようであった、といっても相変わらずテインにはべったりだがキーツにはよそよそしくエルステには悪態を吐いている、傷を負わせた事もまるで当然のような態度であった為、表だった問題が見えないだけで根本原因は解決されていないのだろうかとキーツは考えるがまぁ暴力的な諍いが無くなっただけでも進歩であると思う事とした、半面エルステとテインはキーツに対する態度があからさまに変化していた、エルステはキーツをより慕うようになったが、テインとは若干の距離を感じるようになった。


テインは警戒しているのである、オークの一件をフリンダとエルステは興奮してしゃべりまくったのだがその内容が進むにつれ怒りを超えて恐れの念を頂いたらしい、彼女からすればオーク3体を相手に大立ち回り等言語道断であり、その上子供二人と共に生存しているのである、さらに傷一つ無く平気な顔をしているのであるからその感情を想像するとむべなるかなといった所であろうか。

折角無力な旅人を演じていたつもりのキーツであったが、その仮面はあっさりと剥がれ落ちたという事である、キーツの経験上これほど被保護者との距離が近くさらに長期間に渡って行動を共にする事が無かった、その上組織の陰ながらの助勢も無い、この状況で彼の本質を隠し続ける事は例え相手が未開人でも不可能な事であったのだ、キーツは何とは無しに自身の仮面をどう繕うかを思案しながら旅程を進んでいた。


特にテインに対しては頭の痛い所であった、時折テインの冷たい視線がキーツの背に刺さる事が多くなり、キーツに頼るよりもフリンダやエルステに頼る事が多くなっている、キーツはまるで気にしていないように振舞ってはいたが彼女からすれば察しろとでも思っているのであろうか、しかし彼女の中には旅の当初に感じた生汚さは確実に存在し、それは生命活動の当然の発露ではあるのだが、その本能に従うようにこの一行の維持を最優先として彼女は自身を機能させていると感じられた。

取り合えず今は彼女の意思に乗って韜晦しておくこととした。


「海沿いはより慎重に進む必要があると思います」

海に至って最初の夜にテインは深刻そうに話し始めた、フリンダとエルステは海の魚に歓喜し貝と格闘しつつその身を胃に収めた後、焚火を真ん中にして丸くなって寝そべっている、麻袋に入った黒い毛玉が二つ、とても愛らしい光景ではあった、そんな彼等を見詰めながら静かにその言は発せられ、二人はその声にピクリと耳をそばだたせキーツは沈黙でもってその先を待つ、

「確か野人の集落が二つあったと記憶しています、南側にも幾つか・・・できればですが、私達の姿は見せない方が都合が良いのではないかと考えます」

慎重に言葉を選んでいるなとキーツは感じる、

「それを過ぎれば我々の里になりますが、ここで捕縛されては元も子も無いです」

テインはすっとキーツに視線を向ける、キーツの意見を待っているようであった、


「そうだね、せっかくここまで来たんだ、彼等に見つからないで行ければ最良であろうね」


「はい、しかし現状では難しいかと思いますが」

テインは言って焚火を見る、彼女の横顔を焚火の炎がテラテラと舐める様に照らし複雑な陰影を投射させる、少し痩せたかとその顔を見てキーツは思った、元来痩せ型である彼女の頬はやや落ち窪み疲れからかその眼光は鈍くなっているように感じる、恐らく疲労が溜っているのであろう、ジュウシに乗った移動である為、他3人と比べればその労力は各段に少ないとはいえ、慣れない馬に乗って道無き道を揺られ続けているのである、疲労しない方がおかしい。

幸いにも獣人二人にはそういった疲れは見えないように思える、単に彼等の表面的な変化が分かりにくいという事もあるが元気の良さだけは間違いないので健康面での不安は無いとして良いかと思う、オークの一件で彼等の溜め込まれた何かを発散させたのも結果的には良かったのかもなと考える。

しかしテインは日に日に言葉少なくなってもいて関係性の変化から来るものもあるであろうがここに来て健康面と精神面での不安も考慮しなければならないなと感じた。

無論ジルフェを使って健康を診断し寝ている間に薬剤で栄養補給が最も簡単ではあるが、それはそれで安易すぎるとも思う、それは最後の手段として留保しつつ場合によっては彼等の死も利用可能ではあるのだがと丸まって眠ったふりをしている二人を見た、それなりに情が沸いて来ている自分もいて、下衆な考えは捨て去ろう、高潔に生きねば背骨が腐れて落ちるなと自分に言い聞かせた。


「確かに、・・・どうしたものか」

薪を弄りつつキーツは考える、


「・・・何か案はありますか?」

テインは外套を纏い直しつつ問い掛ける、寒い夜ではないがテインの身に着けているのは麻袋である、結局移動を優先し彼等の衣服は改善されていない。


身を隠して先へ進む方法とテインの健康と衣服、今後旅を続ける上で重要な問題点であった、さらに環境の変化も憂慮すべきであろう、海へ出た辺りから森は少なくなり林が点在する荒野へと周辺の景色は変化している、身を隠す場所は無いし逃げるにしても相手が騎馬であれば易々と捕縛されてしまう。

しかしその荒野の景観は格別で地球の日本では見た事の無い地平線は海よりも感動的であった、食事の際にその話をしたのだが誰にも同意を得られず随分険しい所に住んでいただの砂漠はどうだっただのと会話の方向性を変に変えたに過ぎなかった。

戦術面で考えればこの荒野の見晴らしの良さは外敵を発見する上で大変都合が良いと感じたがこれは相手にも同様なのである、ましてこの荒野において狩りをする連中からすればその環境に適した身の隠し方と狩猟方法というものもあるであろう、今までのように外敵と接触した際は逃げれば良いとはいかない可能性が多いにあった。


キーツはやっと口を開き、

「その集落に行ってみようか」


「・・・どういう事ですか?」


「うん、どう考えても色々足りないと思うんだよ、そこでその集落で何か・・・手に入らないかなと思って」


「何かですか」


「そう、何か、まぁその何か次第かな」

キーツはそう言ってテインに微笑んだ、


「先に寝て、疲れた顔してるよ、折角の美人さんが台無しだ」

テインはその言葉に軽く頷き外套にくるまって横になる、美人さんは否定しないんだな、それほど疲れているのかなとキーツは考えつつ薪をくべた。


翌々日の夕刻、テインの言う集落を望む高台に着いた、そこ迄の旅程はややその進みを遅くし警戒しながらの道行となった、集落は漁村で砂浜に幾艘もの小舟が並び漁を終えたであろう野人が数人なんらかの作業をこなしているのが見える、建物は50棟以上あり浜から離れた中心部を起点に街路が形成されていた、村から外れ南の方へは田畑が広がりその中にも建物が点在して見える、

「この規模の集落であれば雑貨屋くらいならあると思いますが」

テインによれば村の規模によってその生活様式は大きく変わり、小さい村などは自給自足が当然で商店のような施設は望むべくも無いそうである、幸いにも眼下の村はそれなりに人手があり周辺環境を考えれば小さいながらも通商の中心にはなっているのであろうと予測される。

一行は高台から下り集落からやや距離を置いた林の中で夜を明かした、翌日になってキーツとジュウシで集落へ向かうこととなり、三人は一部の荷と共に林の中へ身を隠す事とした。


「では、行って来る、夕方迄には戻ると思う」


「気を付けて・・・というのは違いますね、お待ちしております」

不安気なテインとその足にしがみ付くフリンダ、エルステもいつも以上に静かである、


「うん、君達の方が心配だよ、フリンダとエルステはテインの言う事をちゃんと聞くんだよ、無理は絶対にしないように」


キーツはそう言い含めてジュウシを伴い林から街道へ向かった、ジルフェに三人と林全体の監視を指示する、三人は暫くキーツの背を見送っていたようだがやがて林の中で身を潜めている様子である。

街道は轍が薄く刻まれた幅の狭いもので周囲は田畑が広がり実に長閑である、遠くに農作業に従事する人影が見え、植えたばかリであろう農作物は青い葉を陽光の中で輝かせ、小さな動物や野鳥が飛び交い生命を謳歌している。

キーツの趣味の一つが家庭菜園である、農作物そのものも彼の興味の対象であった、田畑に植えられたそれらは彼の知識からすると穀物が中心で畑によっては根菜類であろうか、数種類の農作物を育てているらしい、果樹園と思しき同種の樹木が規則的に並んだ区域も点在している、キーツはその目的を忘れ歩を止めてそれらを一つ一つ遠目に眺め楽しくなっていた。


豊かな文化社会がそこには存在していた、ここ10日以上森の端でテインやエルステの話だけで社会勉強をしていたが、彼等が野人といって恐れると同時に少なく無い程度で依存している文明はキーツの予想を遥かに超えた技術程度と社会的多様性を育んでいるらしい、ギャエルの側に付いていたらよりそちらの社会に潜り込めたのであろうが、見渡す限り続く田園風景には豊かさはあれど悲壮感は感じられなかった。


集落に近付くにつれ人影が多くなっていく、大概の人は何らかの作業に従事しておりキーツに気付いた者は顔を上げて彼を視認するが、すぐに興味を無くして作業へ戻っている様子であった、キーツの外観に関しては同化に成功していると考えて良いようである、実際テインらには特に指摘される事は無かったし、ギャエルにも夜の内であったとはいえ何ら疑問は持たれなかった、また彼等の反応から他所から来た人への警戒感が薄いという事も類推できた、当初の読み通りこの集落は周辺住人の交流拠点とされている事は確信して良いかと判断できる、恐らく僻地にある集落としては大変都合の良い場所に出くわしたと思って良いだろう。

さらに歩を進め住居の合間を通る街路に入り中央広場と思しき場所へ出た、やや広い平地で土は固く踏み均され雑草は端へと追いやられ盗むように夏の陽を浴びている、人影も多くその種類も多様となった、乳飲み子を背負った少女が大きな籠を抱えて歩き去り、老人は荷馬車から荷を下ろすと茣蓙を拡げ店支度をしている、剣を吊るした数人の若者が談笑しているかと思えば、大量の魚を積んだ荷車を押す女性が広場を通り細道に消えた。


キーツはその場にたむろしている若者に宿と店を聞く、若者達は胡散臭そうにキーツを見るが、雑貨屋ならあると言って広場の反対側にある一つの建物を差した、その他は店というよりも市が立つか、あれだなと老人の露天商を顎で示す、礼を言ってキーツは雑貨屋へ向かう、雑貨屋は扉の上に看板がありやや間口が大きいかなと思える程度で他の建物との違いが明瞭では無かった、看板には魚と小さな壺、ナイフが2本描かれていた。


店の前の杭にジュウシを繋ぐ振りをして恐る恐るとその扉を叩く、やってるよと快活な女性の声が聞こえキーツはやっと安心して扉を開けた、内部は陽の光が入っているにも関わらず薄暗く若干の埃臭さを感じる、奥に広い作りであるらしく手前の空間は両壁の棚に雑然と商品が置かれた商店となっており、中程に厨房件会計、奥に食堂があるらしい、食堂側にも扉が有りそちら側は開け放されていた、食堂では数名の客が食事をしているようで籠った会話が響いている、

「いらっしゃい」

厨房内から明るい声が響き恰幅の良い女性が顔を出す、この店の女将であろうか、キーツは商品棚を眺めながら彼女に近付いた、


「見ない顔だね、何か、お探しかい」

会計台に手を付いて女性は親し気に話しかけてくる、柔和な眼差しと丸々とした体形から安心感が醸し出され、笑い皺の刻まれた顔は対面商売を生業として来た人間特有の開放的な明け透け感でキーツを迎え入れる、厨房の奥にはこの女性の夫であろうか男性が一人鍋を前に奮闘し、食堂にはめんどくさそうに床掃除をする若者と数人の剣を下げた男が食事をしていた、


「あぁ、いろいろと」


「南の訛りだね、行商かなにか?」

たった二語で訛りが分かるのかとキーツは関心しつつ話を合わせる、


「確かに南だが、良く分かったね」


「そりゃ、わかるよ、慣れたもんだ、で、何用だい、飯?それとも仕入れ?」


「うーん、取り合えず色々かなぁ、隊商とはぐれてしまってね、どうしたもんかと右往左往してたら此処に辿り着いたんだ、宿はある?」


「宿はないよ、隊商宿舎なら泊まれると思うけど、あそこは泊まれるだけだから、飯はうちで済ませていきな、まだ午前様だけどさ」


「そうか、ところで此処は何て村なんだ?」


「ヌゲーヌだよ、知らないだろ」

女将は当然のように答える、


「・・・確かに聞いた事ないな」

キーツは大袈裟に知らないふりをした、知らないのは事実であるがそれがさも疑問である事を強調する、


「だろうね、どこの領主にも属してない独立集落だよ、まぁいつまで持つかは分からないけどね」


「なるほど、軍がそこまで来てるし?」


「そうそう、獣狼と山猫を駆逐しているんだろ、今度は蜥蜴だって?その次はエルフかねぇ、いやお陰で畑が荒らされたりもしててさ、エルフの土地に獣狼と山猫が避難しているらしいんだよ、道中で悪さするんだろうね、そりゃ焼け出された避難民じゃしょうがないさねぇ」


「へぇ、エルフの土地にねぇ、此処は通り道ど真ん中になるのかな?」

キーツは女将の長話に合わせて答えた、しかし心中では良い情報を得たとほくそ笑む、テインの主張の通りエルフの土地にエルステとフリンダの同族も避難しているらしい、この旅の目的は正しかった様だ、確信を得た事により不安の一つが解消された。


「地理的には多分ね、あんまり地理は詳しく無くてさ、取り合えず東に行けばエルフの土地、西に行けば獣人の土地、ってその程度だよ私は」

そう言って女将はカラカラと笑う、


「まぁ、運が良いだけなのか、向うが怖がっているのか、直接この集落が襲われる事は無いんだけどさ、今まではよ、今後はどうなるか、実際襲われたらさ、自警団もいるけど、やっぱり本職の軍か冒険者っての?あぁいう手合が欲しくなるさ、そしたら此処も何処かの領主様の庇護に入らないとね、何されるか分かったもんじゃない、といってもここだとルチル公爵様になるんだろうけどねぇ」


「そうか、いや、独立集落ってのも珍しいとは思うけど、大変そうだなぁ」


「そうでもないよ、税金も無いし、胡散臭い聖母教会も無いし良いことづくめだよ、魔物退治くらいじゃないかい、面倒くさいのは、最近増えてきたしね、勿論獣人は悩みの種にはなるけど軍が頑張っている間は大丈夫そうだしね」


「そうなんだよ、俺も魔物にやられちまってね、安心だと聞いたからこっちに来たのにさ、隊商がゴブリン?オーク?だかに襲われてこの様なんだ、まったくどうしたもんだか」

キーツは肩を竦めかぶりを振る、


「ふーん、情報があれば自警団に伝えておくよ、あぁ、丁度隊長さんが飯食ってるし、隊長さん、魔物の情報だって」

女将は食堂の方へ声を掛ける、隊長と呼ばれた男がこちらを見ると立ち上がりのっそりと近寄ってきた、


「なんだ、行商人か、どこで何に襲われたんだ?」

酷くめんどくさそうに聞いて来る、


「隊長さん、しっかりしてよ、夜勤明けだっていってもさ、折角のお客様なんだから」


「いや、俺の客じゃねぇよ、あぁ、んな顔すんなよ、わかったよ」

隊長と呼ばれた男は女将の非難がましい目に右手を振り、後ろ頭を掻きながらキーツを見ると、


「飯食いながら聞かせてくれ、それから女将、エールか昼ワインか出してくれ、他に何か食いたかったら頼んでくれよ、そっちは自腹な」

隊長は銅貨を1枚女将に投げるとキーツを伴って食堂に移り自席に着いた、その食卓には他に二人の男が座っており、こちらも覇気の無い目でキーツを迎える、キーツは空いた席に座ると取り合えず自己紹介をした、


「それで行商人のキーツ様はどこで魔物に遭遇したんで?」

隊長は胡乱な目でキーツを見る、


「あ、はい、此処から南へ2日程度の所だと思います、多分ゴブリンで20匹は居たかなと」

キーツは自信なさげに答える、


「2日?徒歩で?」


「いや、馬です、外に繋いでます」


「なら分かるかな、ルチル伯領の端あたりか、要塞に行く途中?ってことは奴隷商人かい?」

要塞とはギャエルの言っていた要塞の事であろう、


「いえいえ、でもまぁ見習いです、はい」


「見習いでもなんでも商人は商人で、奴隷商人は奴隷商人だろうが」

隊長はキーツの態度に眉間に皺を寄せて凄んで来る、


「すいません、はい、その通りです」

キーツはさらに縮こまり俯いて答えた、


「隊長、なに怒ってるのさ」

女将が昼ワインだよといってカップをキーツの前に置いた、


「盗み聞きして悪いけど、腹も減ってるんじゃないのかい、適当に持ってくるよ」

女将は気を利かしてか話しかけてくる、


「では、お勧めを、お金はありますんで、はい」

はいよと女将は明るく答え厨房へ消えた、


「まぁ、呑みな、美味くはないが不味くもねぇよ」

隊長は顎でカップを差し自身も手にしたカップをあおった、頂きますとキーツは答えカップを手にして軽くあおる、中身は薄いワインであった、昼ワインと呼んでいたが恐らくワインを水で割ったものであろう、確かに美味くも無いが不味くも無かった、酔えるほどの濃さも無く気軽に飲むには丁度良い塩梅である。


「で、その隊商はどうなった?」


「はい、私が逃げ出した時には、その・・・皆散り散りになっていて、乗ってた馬でそのまま後ろも見ずに、はい、それで迷って道に出ましてそのままこの村へ」


訥々と語るキーツを睨み付けながら隊長はその話を吟味している様子で、

「ふむ、そうか、ま、そんなもんだよな」

と言って立ち上がると同席した二人も立ち上がった、


「一応、情報として話は回しておく、しかし、ルチル伯領の問題で俺らは何ともできん、命があっただけ良かったと思いな、じゃあな」

そう言って連れ立って戸口へ向かった、


「隊長、それだけかい?」

女将が料理を手にして顔を出した、


「何ともならんよ、それよりはぐれオーガの方が大事なんだわ」

また来るよといって三人は外に出る、


「まったく、適当だねぇ」

ぶつくさと言いながら女将はキーツの前にパンと焼き魚、茹でた野菜とナイフを並べる、


「お代は先払いね、締めて7枚」


キーツは慌てて革袋を出し慣れない手付きで銅貨を7枚テーブルに置いた、女将は確かにといって銅貨を確認し、


「ボルジア貨幣が入ってるよ、キオ貨幣で払っとくれ」

と2枚の銅貨をキーツへ押し返す、キーツは事前情報にあった貨幣の価値の差異を思い出し改めて革袋の中を確認しつつキオ銅貨を2枚女将に手渡すと、


「正直な店だね、ボルジア貨幣の方が価値はあるだろう」

と女将を見上げて訊ねる、


「ふん、お褒め頂きありがとう、この店はね誠実さとタタソースでもってるんだよ、婆様からの伝統さ」

腰に手を当て胸を張り、満面の笑顔を浮かべる、キーツは女将の笑顔につられて笑顔になった、しかし疑問が一つ浮かびすぐに口に出す、


「タタソース?」


「そう、タタソース、その野菜に添えた白いクリーム、美味いよ」


女将は隊長達の皿を片付けながらごゆっくりと言って厨房へ戻った、キーツはふぅと吐息を付き並べられた料理に視線を落す、林で待つ三人には悪いがなりゆきだから仕方がないよなとパンを千切って口へ運んだ。

それは固く乾燥した味気の無いものでこれが標準的なパンだとするとキーツの用意した乾パンが如何に美味であったかがよく分かる代物であった、テインが気にするのも納得できる、今口にしているパンは小麦かそれに類するものを練って焼いただけの純粋なパンなのであろう、栄養価を考え添加物がドッサリ入り味も調整された連合謹製の乾パンと比べてはいけない代物であった。

口に残ったパンを昼ワインで流し込み焼き魚に手をつける、与えられた食器は小ぶりのナイフのみであった、まぁ丸かじりで良いかと手を伸ばす、内蔵を抜き干物にした魚である肉厚でその表面には薄っすらと油が浮いている、一口噛り付くとその旨味に驚かされた、塩味が絶妙で身はイワシに似た味であった、獣人に配慮して塩も振らない焼き魚を主食としてきたここ数日の食生活に比して、味があるというだけで軽い感動を覚えてしまう。


「美味いね、この魚」

思わず口にした、


「そりゃ良かった」

耳聡い女将がヒョイと顔だけ出してニンマリしている、キーツはあっという間に魚を平らげ茹で野菜とタタソースとやらに手を伸ばす、ナイフの先に野菜を突き刺しタタソースを軽く付けて口へ運んだ、実に美味い、茹で野菜のみずみずしさと柔らかさにタタソースの濃厚な味と風味が加味され見事な料理として完成していた、


「これは凄いね」

モゴモゴと口を動かしつつ感嘆の声を上げる、女将はニヤニヤと言葉も無くこちらをみている、ゴクリと飲み込んで改めて美味さを伝えた。


「だろ、美味いんだよ、婆様直伝の味さ」

なるほどと良く分からないが納得して茹で野菜を完食した、残ったパンを千切りつつ昼ワインで流し込みしっかりと触れた腹をさすっていると、


「で、これからどうするんだい」


女将は生来面倒見が良い人間なのであろう、柔和な瞳にうっすらと翳りを見せつつキーツに問うた、


「そうですね、取り合えず私も商人の端くれです、各地で何か仕入れつつ要塞に向かおうかと考えてました」


「一人でかい?」


「えぇ、一人の方が襲われにくいかと、此処に来る迄も無事でしたし」

キーツは曖昧に微笑む、


「そんなもんかねぇ」

女将はあからさまに呆れている、


「ついては、このタタソース、売ってくれません?」

キーツは薄く残ったソースを指で掬って口に運ぶ、ソースだけでも独特の香りと酸味、口当たりの良さが程良く美味である、


「そう来ると思ったよ」

女将は笑う、

「でもね、日持ちしないんだよ、作るのも手間掛るし」


「日持ちはどれくらい?」


「冬場で十五日、夏場で七日、持てば良い方かな、実際売りたいって言ってくれる人は多いし、大量に売った事もあったけど次は無かったね」


「そうですか、うーん、女将がそう言うならしょうがないでしょうか、なら」

とキーツは代案を出そうとした瞬間、


「作り方は教えないよ、絶対ね」

女将は絶妙に機先を制する、キーツは言葉を無くしそうですかと苦笑いを浮かべた、


「干物なら大量にあるよ、工房も教えられるけど?」


「確かにこの干物も美味しかった、何か特別な事を?」


「さぁねぇ、それも教えられないかな、うちのは一手間加えているから」

再びニヤリと笑みを浮かべる、


「分かりました、では、干物を何枚かそれとやはりタタソース、これを少しでも分けて頂けませんか、商品というよりも道中に食べたいかなと思いまして、それと」

キーツは立ち上がり店内の商店側へ向かう、

「いろいろと雑貨が欲しいですね、服はあります?」


「服?都会じゃどうか分からないけど、ここらじゃ服は自分で縫うもんだよ、服用の布ならそこに、若干高いよ」

女将は商店の一角を指差す、確かに反物が何種類か重ねて置かれている、キーツは屈みこんで反物をいくつか手にすると会計台に置き、他にはと店内を物色する、乱雑に置かれた商品は照明の無い暗い店内のお陰でその用途が分かりにくいものが多くいちいち女将に確認しながら商品を会計台に持っていく、その中に獣人用のブラシもあった、戦争前にはエルフの行商人が獣人相手に販売していたそうで毛繕いには必須の商品であるという、その通商が絶たれた為に大量に売れ残っているそうだ、


「であれば要塞で売れるかな、奴隷用に」

台詞のような言葉を発し箱ごと仕入れる事にした。


「そうかい、なら、これも引き取っておくれよ」

女将は小さい巾着袋が並んだ底の浅い箱を取り出す、


「それは?」


「獣人用のノミ・シラミ除去剤、こいつも売れ残ってね」


キーツは興味深げに一つを取り上げ開けてみる、確かに薬剤と思われる白い粉が詰まっていた、

「どうやって使うの?」


「毛繕いの時に一緒に使うって聞いたかな?直接毛に振り掛けてブラシで梳いてあげるのよ」

多分ねと女将は笑う、


「適当だねぇ、安くしてくれれば貰っていくよ」

キーツはニヤリと笑う、女将はしょうがないねそいつは半額でいいよと分かりやすく溜息を吐いた。


「これは?」

商品棚の手前、最も手が届きやすい所に乾燥させた長く大きな葉を束にしたものが積まれている、


「トウキビの葉だよ、南では使わないのかい?」

南の話題を振られると大変困るなぁと思いながら沈黙で答えとすると、


「便利だよ、食材を包んでよし、加工して籠を作ってもよし、用を足した後にもね」


あぁ、とキーツは納得して、

「そうだよね、いや、俺の故郷では家で作るもので、売っているのを見たのは始めてだと思うよ、まるで印象が変わるもんだね、なるほど、なるほど」

さも見当違いをしていた風を装った、確かに便利だと続け数束を手に取る。


「ちょっとあんた、買ってくれるのは嬉しいけどさ、どうやって持っていくの?」


女将の一言にハタと手を止める、

「・・・考えてなかった」

キーツは何とも間抜けな事を言う、だろうねぇと女将は呆れて言った、どうしようかとキーツは考え、


「荷車は・・・売ってないよね」

何とも情けない言葉で伺うと、


「馬はあるんだろう?荷馬車なら譲ってもいいものがあるけどどうする?」

是非見せてくれとキーツは嬉々として答え、女将に食堂側の出入口から裏の納屋へ通された、かなり広い納屋でその横には鳥が飼われておりその臭気は酷くまた鳴き声もなかなかの騒音である、女将はそれらを意に介さずに納屋の戸を開けた、その中もまた雑然としているが入り口付近はまだ整頓されており奥の方に件の荷馬車が置かれていた、


「一頭立ての荷馬車だからね、それほど荷は詰めないが今のあんたには丁度良かろう」

女将は言いながら荷馬車に乗せられた箱をどかし全体像をキーツに見せる、こじんまりとした木製の荷馬車で所々に傷が有り見た目はかなりみすぼらしいものであった、


「見た目は気にしないでよ、頑丈だしまだまだ現役さ」

女将は荷台を何度か叩いて見せる、その度に埃が舞ったが確かに頑丈そうではあった、


「まぁ、背に腹は代えられないよ、いくら?」

キーツは見た目だけで判断し値段を確認する、正直な所キーツにこの類の目利き等出来はしないのだが、精一杯の強がりを言葉に乗せたつもりであった、


「銀貨5枚かな、7か10は欲しいけど」

女将は前掛けに付いた埃を払いつつキーツの顔を伺う、ここが勝負所かとキーツは渋い顔をしつつ、あらためて荷馬車を観察する、商売人の振りをする事が今の自分には必要で、商売人とは相手の足元を探り合うものだと大いに偏見を含んだ持論をキーツは持っている、当たらずとも遠からずの持論であるがこの文化社会においてはその偏見はより冗長させた方が商売人らしかろうと考えた。

たっぷりと時間をかけて吟味すると、ではとキーツは口を開く、


「そこの木箱は何?それだけ綺麗だよね」


「目ざといね、見るかい去年取れた果物だ」

女将は口元を歪ませつつ入り口のすぐ隣に積まれた箱の一つを床に下ろし蓋を外す、やや埃っぽいが確かに果物で拳二つ分程度の赤い実がギッシリと詰まっていた、林檎に似た果物である、


「ここらへんの特産なの?」


「まぁね、エルフの里の果物らしいよ、これも婆様からの伝統だね、美味いよ」


「女将の美味いよは本当だからな、こうしよう、これを2箱付けて5枚でどうだ?」

その来歴を聞いてキーツは僥倖であると自分を褒めたくなった、テインへの手土産に丁度よさそうである。


「うーん、銀5、銅20、これ以上は勘弁してくれよ、言っただろう誠実さがうちの伝統だって」

女将は演技臭い困った顔をしてみせる、下手な交渉を続けて御破算になるよりもとキーツは手を打つこととする、


「よしそれで、あまり女将を困らせちゃぁな、助けてくれているんだし、荷馬車出せる?」

と素直に言って、荷馬車に手を掛ける、


「あぁ待っとき、商品は綺麗にして渡すもんだ、うちの小僧にやらせるよ、あんたは店で待ちな、他にも買ってくれるんだろう、荷馬車も手に入ったし」

と柔和に笑うと納屋から出て店に一声かける、キーツはそういえばと硬貨の入った革袋を開け中を確認する、大量に複製したはいいが彼女の言うキオ貨幣がどれ程入っているのかまでは把握しておらず少々不安になったのだ、中の硬貨をザラザラと掻きまわしつつ硬貨に関する情報を再確認した。


この社会では3種類の貨幣が流通している、キオ貨幣、ボルジア貨幣、ボルド貨幣である、その他にテインの社会で流通しているベルグ貨幣というものもあるらしいがそちらはギャエルは所持していなかった。

キオ貨幣は現帝国が発行している貨幣であり最も流通量が多く一般的に使用されている貨幣となる、硬貨の裏表共に皇帝とされる人物の横顔が鋳造されておりその鋳造技術は最も高いとされるが、各貨幣と比べて主金属の含有量は最も低いらしい、その為貨幣価値としては他2種に及ばないとされている。

ボルジア貨幣は南方連合国家発行の貨幣となっておりボルジア公国が鋳造している為その名で呼ばれている、本来であれば連合国家貨幣とでも呼ぶべきなのであろうか、こちらは表に鉱山裏には鋳造所が表されている、キオ貨幣より価値は高く現在のレートだと1:1.25だそうである、これはギャエルから得た情報でこのレートはここ10年は変動していないそうである。

ボルド貨幣は最も価値の高い貨幣とされている、前帝国が発行した貨幣となり表に歴代皇帝の顔、裏面は鋳造施設が表されている、細かく査定した場合歴代皇帝毎にその価値は変動するそうで、これは主金属の含有率が変動している為であるが、現在はその多くが回収されキオ貨幣に鋳造し直されているそうである、その為含有率の問題もあるがその希少性もあいまって最も価値が高くキオ貨幣に対し1:2と同じ硬貨でも2倍の価値を有していた。

硬貨も3種類、単純に金貨、銀貨、銅貨である、金貨1枚辺りの価値はキオ貨幣を例にとると銀貨150枚銅貨7500枚である、こちらは発行量等から価値が変動するらしくギャエルは2度改定を経験しているらしい。

各硬貨の市場価値のおおよその目安として、銀貨1枚で兵士又は書記官の最低等級の1日分の給与、これは前帝国時代から変わらない、他に金貨2枚で奴隷が1人、こちらは奴隷によって大幅に値段は変わるが金貨1枚以上4枚迄と上下限が決められている、また銅貨一枚で大型のパン1本である。

恐らくであるがこのパンの市場価格を軸に硬貨の流通量を制御していると思われ、金融政策の指標はパンと銅貨と言ってもよさそうであった。

これらはギャエルから引き出した情報である、彼はそれなりに勉強家であり為政者の感覚をしっかりと持った貴族らしい貴族と言って良い人物であった。


革袋の中はまぁなんとかなるかといった量のキオ銀貨とキオ銅貨を確認出来た、ボルジア硬貨も多く入っておりギャエルの生活圏内では二つの貨幣が均等に流通しているのであろう事が想像される、また金貨も多く入っており、場合によっては金貨1枚で全ての支払いを纏めてしまおうかとも思ったが行商人はそんな事は絶対にしないであろうと思い直し、めんどくさがってはいけないなと自分を戒めた。


そうこうしていると食堂の掃除をしていた若者を連れ女将が戻ってきた、いかにも嫌そうな顔をする若者をけしかけて荷馬車の清掃の指示を出すと、


「店に戻るかい、良い客にはサービスしなきゃね」

と顎で店舗を差す、キーツは素直に従って店に戻り商品の選定を始めた。


キーツはこの店で荷馬車以外に魚の干物、燻製肉、パン、小麦粉、服飾用途の布、なめし革、獣人用ブラシ、ノミ・シラミ除去剤、乾燥させた葉の束、石鹸、果物、野人用の爪切り、獣人用の爪やすり、包帯用途の布、裁縫道具一式、革製の鞄、革製のベルト、ロープそれにタタソースの小甕と岩塩、ワイン酢の甕、獣脂、オリーブオイル、小型の革製サンダル、それから小さめのワイン樽とかなり大量の物資になり木箱を幾つか無料で分けてもらう事として言い値で購入する事とした、


「久しぶりの大商いだったよ」

会計しながらホクホク顔の女将に1商材毎に支払いを済ませていく、どうやら検品を兼ねての作業であるらしいが単に集計しての支払いが出来ないだけのようであった、支払いが終った商品は異常に無口な御主人が箱詰めしていき、それから常にふてくされた顔をしている恐らく息子であろう若者が表にまわした荷馬車へ積み込んでいった、最後に荷馬車の代金を支払うと総額で銀貨12枚銅貨45枚の支払いとなった。


「ありがとね、正直に言うと在庫もはけて嬉しい限りさ」

女将は臆面も無く笑って言った、


「別に、転売先に当てがあるもんでね、上手くいったらまた来るさ」

と適当に返答をして、最も大事な事を思い出した、

「ところでさ、アヤコって女こっちに来なかった?」


「アヤコ?聞かないね、珍しい名前だけど」

キーツはアヤコの容姿を伝えるもまるでピンと来ない様子であった、


「この集落に来たのであれば、大体は私の耳に入るもんなんだけど、そんな目立つ感じの女性は聞かないねぇ、外からの客自体あんたが久しぶりだったしねぇ」

女将は天を仰いで熟考するも思い当たる事は無いらしい、


「いや、悪かったよ、そうだな、もしそれっぽい人が来たら俺の名を伝えてくれ」

そう言って革袋を締めると懐に入れる、


「また来てくれよ、道中気をつけてな」

店先へ見送りに出た女将と主人に手を振ると中央広場の数人が珍しそうにキーツを見ていた、見送りには不愛想な息子は出てきておらず、まぁそんなもんだろうとジュウシを引いて来た道を戻る、陽は高く中天にかかっていない、おそらくあの食堂もこれからが書き入れ時になるであろう時間帯で林で待つ三人を考えるといくらかでも速く戻るべきかと自然と気がはやってしまう、集落の外れに至って荷馬車に乗り込むとジュウシに仕入れた商品を一通り調査するよう指示を出し、自身はいかにものんびりとした風情を醸しながら街道を進んだ。


あっという間にジュウシの調査は終わりデータ作成の完了を告げられる、キーツがタタソースの成分を聞くと鳥類の卵とオリーブオイルそれから塩等の調味料であるとの事であった、その成分であの形状であるという事は地球で食したマヨネーズに近い製品であると思われるが、風味といい味といいまるで別ものの感触であった、さらにマヨネーズの製法はかなり手間の掛かるもので女将が門外不出を貫くのも理解できるし、確かにそう言っていたなとも思い出す。

タタソースについては栄養不足気味のテインに良いかと思い付くがあの娘ははて卵を食せるのだろうかと疑問を持った、異種族の食生活程厄介な物はないなと改めて思い知らされる、キーツにとっては野人の食文化で満足できる為その点だけでも望外の僥倖であると思わざるを得ない、もしこの惑星がまるで食の概念の異なる知性体が支配している社会であるとしたら、糧として摂取できる動植物が皆無の惑星であったとしたら、キーツは全く手も足も出ない状況に陥った事だろう、少なくとも浸透同化のような真似は決してできない筈だ、まして頼りない装備でどこかに不時着しているであろうアヤコを考えると仮定とはいえ背筋がうすら寒くなった。


「マスター、集落より武装した追跡者がおります、数5、距離300」

ジルフェの報告が唐突に入ったのは集落からだいぶ離れ三人が隠れた林へ向かおうと道を外れる寸前であった、


「集落からというのは確かか?」


「はい、間違いないかと、集落を出てから一定距離を保ちつつ追跡されております」


「武装はどの程度?」


「長剣、弓、斧等です、服装も統一されておりません」


「分かった、となると現地知性体の恐らくチンピラかな、自警団は武装揃ってたし」

キーツは隊長と呼ばれた男とその2名の部下を思い出す、終始眠そうな顔であったのは夜警上がりであったのだろうか、彼らは統一された革鎧と長剣を身に着けていたと思う。


「目的は、まぁ金と荷か、こっちは1人だと思われてるし分かりやすい武装もしてないしなぁ、どこにでもいるもんだよね無駄に元気な連中・・・」

キーツは大きく溜息を吐き、街道を林へ折れずに直進する事とした、


「現地知性体相手に殴る蹴るは嫌だなぁ、・・・簡単に騙そうか、そうしよう」

ポンと膝を叩くとキーツは指示を出す、それは極めて簡単でジルフェに身代わりとなってもらうそれだけであった、ジルフェの空間投影装置を使用しキーツと荷馬車の映像を投影して追手を曳き付けつつキーツ自身は林に戻って身を隠すという作戦である、策とも言えぬ計画であるがこういった手品は手間が少ないほど成功の確立は高い。


「うん、じゃ、宜しく」

キーツの指示により荷馬車の後方に荷馬車とそれを操るキーツの映像が投影される、それを確認したキーツは出来の良し悪しよりも映像であるとはいえ自分と全く同じ姿を見るのはどうにも気持ち悪いなぁと感じてしまう、その上投影されたキーツ自身を良く見ると不精髭を生やし垢臭そうな茶色の不潔な肌をして薄汚れた外套を纏った何とも精彩の無い男であった、野宿生活で鏡を見る事も無く、風呂には入らず水浴びで済ませていた為でもあるが、その姿はしっかりとした現地民であり、自身が持つ自身の印象からかけ離れたその姿は何とも侘しく感じられた。

これではチンピラに狙われるのもしょうがないし、アヤコが見ても俺とは解らないかもなと寂しくなった、早いとこテインらを故郷に返して母艦に戻らなければなと切実に感じてしまう、いや、取り合えずはこのままの外観で良いのだろう、集落で見掛けた人々も似たり寄ったりの印象であったのだから。


「映像は充分だね、では追手を中心にして疑似遮蔽を展開してくれ」

疑似遮蔽とは対象物の前方にある映像を後方に写す事により対象物を一定の視角から遮蔽する装置である、この場合キーツと荷馬車を追手の視角から隠蔽する為に使用する事となり、追手の目にはジルフェが映し出している荷馬車と疑似遮蔽により作り出したキーツ本体を透過した風景が視認できる状態となる、視覚情報以外は隠蔽できない中途半端な装置であるが、実際に使用してみると実に使える代物で地球での捜査時にも良く利用した装置である。


「やっぱり、装備を使えるのは楽でいいよ」

キーツは溜息交じりにそう言うとゆっくりと道を外れ林へ向かうようジュウシに指示を出す、やや遠回りに進み追手の姿を確認しておくこととして、投影された荷馬車には追手から攻撃されるまで街道を進むよう指示を出す、ある程度距離を稼いだら適当な時機を見て帰還させる事とした。


「追手との距離30、投影体と追手との距離300、追手に不審な挙動無し」

彼等の詳細が視認できる距離に近付くとジルフェから報告が入った、街道を外れ荒れた草原の中を林へ向かいつつその姿を確認すると皆若い男であった、そこで面識のある顔を3つ発見しキーツはより大きな溜息を吐いてしまう、2つは中央広場でたむろしていた雑貨屋の場所を聞いた若者で、1つはその雑貨屋で不承不承に仕事をしていた息子である。

彼等の並び順を観察すればその力関係も推測できた、中央を歩くのは初見の男であるが他の若者より若干年上のようで体格も良い、その隣りにこれも初見の男であるが大型の長剣を背負った無骨な若者が続いている、この二人が中心人物であると思われ、その後ろを周囲に怯えながら件の3人が追従している。

先を歩く二人はチンピラ特有のどこか夢想に耽っている現実を直視できていない目付きで遠くを進む荷馬車から視線を外さずに歩を進めている、あぁやっぱりチンピラかとキーツは確信する、やはり直接相手をしないで正解であったようだ、この手合は関わるだけ不愉快な連中である、特に頭目と思われる男はその顔も身体も傷一つ無い実に綺麗な肌であり、着ている服もあの集落では上質な物なのではないだろうか土埃も無くまして繕った後も無い服装である、その隣りの男もまた苦労知らずの顔をしていた。


充分かなとキーツは街道から離れ林へ急ぐ事とした、場合によっては今夜の宿営をより離れた場所にする必要があるかなと思いつつ歩を進める、ジルフェの監視はあるが無用な災難は避けるに越したことはない。


林に着き偽装遮蔽を解くと街道から隠れる様に林の裏手に回り込んだ、この辺りで待機しているはずと林の中を窺う、しかし彼等の姿は無い、上手に隠れているのだろうと馬車を降り林に歩み寄るとすぐそばの藪からエルステが飛び掛かってきた、見事な体当たりを受けキーツは転げてしまう、


「キーツ、待ってた」

馬乗りになったエルステは満面の笑顔でキーツを迎える、


「出迎え御苦労、エルステ、元気あり余ってるな」

苦笑いで笑顔に答えると、エルステの後ろにテインの姿を見付け、


「テイン、問題は無かった?」

と視線を向ける、


「早かったですね、こちらは何も、大丈夫です」


「フリンダは?」


テインはニコリと柔らかく笑顔になって樹上を指差す、そこには酷くだらしない恰好で昼寝をしているフリンダの姿があった、太い枝の上で今にも落ちそうになっているその姿に確かに問題は無かった様だと安心する。


「別れてからずっと、見張るって言ってあそこで頑張ってたんですけど、長閑すぎたんでしょうね」


「良かった、ではどうしようか、役に立ちそうな物と馬車が手に入ってね、大分楽になると思うよ」


「えぇ、荷馬車が見えたので奥に隠れたのです、エルステそろそろ離してあげないと」

テインは馬乗りになったままのエルステの肩に触れた、わかったと明瞭な返事の後エルステはその拘束を解き、キーツはやれやれと腰を上げる、


「荷馬車を引き込もう、場合によっては街道から少し離れた方がいいかもしれないけど暫くは大丈夫と思う」

3人は荷馬車を林に引き込み、倒木と藪でその跡を偽装した。

ちょっとした作業を終えてもフリンダは起きる様子が無く、三人は彼女を見上げてどうしようかと思案する、大声を上げるのは問題がありかと言ってこのままにして置くのは彼女の性格を考えると後々禍根を残しそうだ、しょうがないとキーツは足元の小石を拾って木の枝を狙って投げつける、フリンダの跨る枝に当たったがフリンダは小さく耳と尻尾を動かしただけであった、


「これは手強いか?」

呆れたように楽しそうに微笑む、


「では私が」

テインは両手を蕾みを作るように合わせると親指と親指の間で作り出した小さな空間に何事か呟き始める、両目を閉じて集中し静かに目を開けフリンダを見つめると両手を掲げ蕾みを開いた、緑色の靄のような塊がスーッとフリンダに近付きユラユラと揺れる尻尾に近付くと音もなく拡散する、途端奇妙な呻き声を発してフリンダは飛び起きた。


テインは魔法を使ったのである、どのような性質でどのような効果を齎すかは実際に見ただけでは判断のしようがなかった、少なくとも寝た子を起こすだけの効果はあるが、それだけで無い事は想像できる、テインがフリンダに対して使用している時点で攻撃的なものでは無い事も分かるが、日常生活で気軽に使用できる程魔法という技術は多種多様であり応用がきくという事も興味深いなとキーツは再確認した。


「おはようフリンダ」

寝ぼけた様子で周囲をキョロキョロと見渡す彼女に声を掛けると、フニャと可愛らしい声を上げてフリンダはキーツを見た、そして安心したように大きくあくびをして再び寝そべる、


「フリンダ、起きて、キーツ、戻ったの」

結局テインは大声を上げてしまう、その声に悠揚と顔を上げ眠そうな顔のまま彼女は地上に降り立って、もう一度あくびをするとテインの足にすがりついた、


「あまえているの?」

あまりにだらしない彼女の姿態に率直な感想が口をつく、


「んにゃ、眠い、キーツ、早い、駄目」

テインの服に顔面を押し付けて良く分からない事を言う、三人は笑ってフリンダを伴うと馬車の元へ戻った。


まずはとキーツは揉み手をしながら木箱の一つを開ける、

「サンダルと裁縫道具になめし皮と布だね、テイン履いてみて、エルステとフリンダのもあるけどどうする」

小型の革製サンダルを手渡す、野人用であるがテインはサイズが合えば履けるはずだし、子供らは必要かどうかは本人らに任せる事とした、


「ありがとうございます、よかった、ちょっと大きいけど締め付ければ良い感じです」

さっそく履いたテインは嬉しそうに笑った、エルステも履いて軽く跳躍してみせる、フリンダはまるで興味が無さそうに両手に嵌めて遊んでいた、


「履物は文明の利器だね」

キーツは笑う、


「?、文明ってなんですか?」

テインは不思議そうにそういった、翻訳が上手くいってないのかと不安になるが、彼女達の言語には無い単語であったようでキーツは慌てて適当に誤魔化す事にする、


「あぁ、それより、服も探したんだけど商店自体が一件しか無くてね、取り合えず使えそうな布やら何やら、これだけあれば麻袋よりはマシな服を作れるかと思うんだけど」

両手一杯の清潔な布地を見せる、


「確かに、でも時間が掛ります」


「そうだね、でも、作った方がいいよ、良い情報を聞けたんだ」

大袈裟に声を顰めて三人の関心を惹き付ける、しっかりと目を覚ましたフリンダは玩んでいたサンダルをキーツに突き返しつつ真剣な顔で耳をキーツへ向けている、


「テインの言う通りエルフの土地に獣狼と山猫が集まっているらしい、このまま目的地に着ければ取り合えず何とかなりそうだ」


キーツを見つめる三人はその言葉の意味をすぐに理解しお互いを見て歓声を上げた、


「こら、静かに」

キーツが自制を促すほどの歓喜で抱き合っている、しょうがないなと落ち着くのを待つと、まずエルステがキーツに抱き付き、フリンダも恐らく初めて自らキーツに近付くとその腕に抱き付く、テインは涙を流して俯いていた、三人共に言葉を無くしていた。


「だから、ほら、そんな恰好では恥ずかしいでしょ、特にテインは、折角の美形が台無しだよ、それにフリンダもエルステもテインに服を作ってもらおうよ時間は掛るとは思うけど、同胞に会えるんだよ、そんな恰好じゃ笑われるぞ」

キーツの言葉はやや湿り気を帯び始め、何とか言い終える頃には三人の嬉し涙が移ったらしく涙声で鼻を啜り上げる破目になった。


「わかりました、私、頑張ります、二人も協力してね」

涙を拭ったテインは震える声でそう言って顔を上げる、充血した目と上気した頬が真っ赤に染まっているがその声には希望が溢れ晴れやかな笑みが口元を飾っていた、


「うん、では、次ね、これは二人にだなぁ」

フリンダとエルステが側に来たので丁度良いかと、ブラシと薬剤の入った木箱を開ける、ブラシを手に取るとエルステは逃げてフリンダは歓声を上げた、


「キーツ、偉い、ブラシ、好き、やって、やって」

フリンダは小躍りしてキーツの手からブラシを奪うとテインに駆け寄った、あぁそりゃそうだよねとキーツはやや落ち込んでエルステを見ると、こちらは心底嫌そうにキーツを見ている、


「お気にめさない?」

ブラシを取り出して見せると、


「駄目、嫌、いいえ」

どうやらエルステはこのブラシを嫌悪しているようである、歯を剥き出しにして両手を地面に付けてしまった、しかし尻尾は腹の下に収めている所を見ると威嚇よりも怯えている状態なのであろうか、


「分かった、ごめんて、無理にはしないから」

ブラシを箱に戻して代わりに薬剤を取り出す、


「使い方分かる?ノミ取り?シラミ取り?って聞いたんだけど」

小さな布袋をテインに見せると、その懐で心地良さそうにブラシを受けているフリンダが露骨に反応し、


「それ、痛い、気持いい、でも、痛い」

理解できない事を言う、


「解ります、多分ですけど、その薬はよっぽどの時だけって言ってましたね姉弟子は」

テインはブラシの手を休めずにそう言った、その手元を見るとあっと言う間に大量の毛玉が精製されていた、低くゴロゴロと唸る音が響き始め、フリンダの発する音だと気付いてあまりの微笑ましさに羨ましさすら感じてしまった。


「では、これも箱であるからお好きにどうぞ、それとー」

と言いつつ木箱を順に開けていく、果物の箱を開けるとテインが歓喜の声を上げ、干し肉を取り出すとエルステが抱き付いてきた、


「マスター、誘導作業撤収致します、なお対象の監視を継続致します」

唐突にジルフェの通信が入る、キーツは特に反応はせずせっせと箱を開けていった、


「こんなもんかな、お昼は過ぎてるけど食事はどうする?」

そう聞くと三人は揃って空腹であったらしく、賛成の声が木霊し、早速焚火を用意すると仕入れた品で簡単な昼食となった、干物を焼きパンを温め調味料をテインに渡す、


「これは何ですか?油?」

小瓶の中身を見て不思議そうにしている、さしものテインもタタソースは初見であったらしい、


「タタソースって言うらしいよ、あの集落の名物、いやあの商店兼食堂の名物かな、ちょっと舐めてみて」


テインは素直に小指を使って少量を取ると口に運んだ、途端ウーンと何とも満足げな声を上げる、

「これは、美味しいですね、不思議な味です、深みがありつつ芳醇で素晴らしい」

絶賛の声を上げる、フリンダとエルステも興味深々でテインに近付き同じように舐めてみるが、二人には不評であった、


「違う」

これはエルステの評で、


「無駄」

これはフリンダの評である、


「無駄って、どういうこと?」

テインが苦笑いしつつその理由を聞くと、卵の無駄という意味らしかった、フリンダは一舐めで材料の一つを判別したらしい、


「そうだね、卵を使っているみたいだけれど」

とキーツが相槌を打つがハタとここで気付いた点があった、

「テインは卵、大丈夫?」

恐る恐るテインに聞いてみる、


「卵は好きですよ、勿論大丈夫です」

と嬉しそうにタタソースを舐めている、


「卵は良いんだ、でも肉は駄目?」


「肉というよりも魂の抜け殻が駄目なのです、卵は魂が入る前です」

そういうものなのとキーツは怪訝な顔をする、そういうものですとテインは胸を張った、


「まぁいいや、お気に入ってくれたようで何より、茹で野菜につけると美味しかったよ」


「それは、良いですね、これパドメの民に売れますよ、絶対に」

そう言いながらも手は休み無くソースに伸びていた、


「うん、俺もそう思って聞いてみたらさ、日持ちが悪いらしくて商売にならなかったんだって、作り方も教えてくれなかったんだけど、多分・・・、作り方は分かるかなぁ」


「本当ですか、是非、教えてください」

テインの目は大きく開かれその真剣さが眩しい程であるが小指を咥えたままであった為、絶妙な可愛らしさが醸し出されている、テインのこんな顔は初めて見るなぁとキーツは思いつつ、


「わかったよ、全く同じものにはならないと思うし、かなり手間が掛る作業だけれど落ち着いたら一緒に作ってみよう」


「本当ですね、約束ですよ、必ずですよ」

テインがこれ程の熱意を見せたのは初めての事であり、彼女を見守る三人は少しばかり呆気にとられつつ簡単に食事を済ませた、それからテインは衣服を作る事となり、キーツは周囲を散策しつつより宿営に都合の良い場所を探すことにする、獣人二人にはテインの安全を確保するよう厳命した、二人は張り切ってその任に就く。


ジュウシを連れて林から出て暫く歩く、高台に立って周囲を確認すると西に大河と広大な森、東と南に肥沃な平原が広がり林が点在している、北は大洋となっていた、東へ向かう事を考えると身を隠しながらの旅程は難事であると思われ、女将が言っていた獣狼や山猫がどういった経路を通ってエルフの土地へ至るのか疑問に思う、彼等が避難民である事は確実でそうなると脆弱な女子供が多いものと推測されるが、森の中であれば何とでもなりそうであるとフリンダとエルステを見て確信できるが、この平原に於いては困難が多そうだと思われた。

恐らく夜の内に林と林を繋ぐように移動しているのであろう、女将の言を信じれば直接的な接触は無く、その影響が農作物を荒らす程度であるとすれば避難民は見事に統制されているであろう事が予想される、数が少ないのもしれないなとも考えられた。

そうなると宿営を現在の林から移動させるのも難しいかと思い立つ、避難民の群れに遭遇した場合、エルステやフリンダ、テインは何とかなるであろうがキーツ自身の身は微妙な立場になる事が予想される、無用な騒ぎは出来るだけ避けた上でテインの里に辿り着くのが最上であり、その上で自身の身の振り方を考えるべきとキーツは考えていた、そういえば、その後はどのように諸々の問題を解決しようかと思案の方向性が変わってくる。


ジルフェから定期的に簡潔な報告は受けており、ここ十数日の成果はほぼ無しと言って差し障りの無いものであった、アヤコの存在を示す痕跡は発見されず、各所に散在する次元口の謎もそのまま、母星へ戻る方法等以ての外である、ジルフェの調査能力の限界であると認識しているが、未踏の宇宙のど真ん中にあっては連合最新の巡視艇であっても手も足も出ないのは当然であると言えた、キーツの乗る船は巡視艇であって探査艇でも調査船団でも無いのである、新しい宇宙域の探索等キーツの職能にもジルフェの対応機能にも無いといって間違いではなかった、それはアヤコにとっても同じである。


キーツは延々と続く地平線を眺めながら強い手詰まり感に舌打ちをした、キーツの行動力とジルフェの持つ知識があればこの世界で出来る事は数限りない事を3人との交流で身に染みて理解できたが、それが正しい事なのかどこまでが許容されるのか、甚だ疑問であった、できうるだけ韜晦しつつ現地民に馴染み乍らアヤコの捜索を続けるのが最良であると思われるが、その気になればこの地上を灰にするほどの能力をキーツは有してはいる。


だから何だと自問し、この惑星に降りた意味を知りたいと考えるが、恐らくそんなものに意味は無い、銀河連合を構成する様々な種族の哲学書、宗教書に共通して存在する大命題の一つとして、自身が何者で何故存在するかの問いは、結局何者も普遍の解を出せずに命題として有り続けている、つまり、思考する事が出来るようになった知性体は数多存在するが、何故そうなったかを思考する事によって導き出せていないのだ。


翻ってキーツの薄い経験と少ない知識から導き出される解は常に一定である、為すべきことを為す、考えるだけ無駄、生きている以上それを全うするべき。


では今は、俺は何を為すべきか、アヤコの捜索と母星への帰還、それから・・・とキーツは思い、まずはあの可愛らしい連れを安全に暮らせる場所へか、と大きく深呼吸をし、薄暗くなりつつあった思考を吐き出した、


「為すべき事を一つ一つと・・・」

そう口にすると、両肩を大きく廻し首を左右に二三度振った、


「なるようになるし、なるようにするか」

取り合えず宿営は現在の位置で良かろうと結論付ける、集落に近い為獣人の避難民が近寄る事はないであろうし、街道から外れている為野人も近付かないであろう、テインの作業に合わせて暫くの間はこの林で滞在可能であると結論付けた、水と食料の懸念があるがその時はエルステと遠出する事にして高台から下り林へ戻ろうとした時、


「マスター、監視対象が接敵、外見よりオーガと呼称される生物との戦闘状態に入ります」

ジルフェから突然の報告が入る、


「監視対象?あの五人組か、場所は?」


「現在地点より南へ13500、街道上です」


キーツは一切の緊張感を持たずオーガってなんだっけと記憶を探る、ギャエルとテインの知識から文言のみで伝えられた情報はやはり不明瞭であり、ジルフェが報告する以上それなりの脅威である筈だなと思い至って仔細をジルフェに確認する、


「オークより巨体であり強力であるとされているようです、外見は頭部に角質の突起物が2~5本、二足歩行、行動様式は3~10体の群れを形成、野人を含む他種族への敵対行動が問題とされ、最小構成単位で小さな集落を殲滅する事もあるとの事です」

伝聞での説明口調が多く要領を得ない回答であった、


「追加情報としまして、接敵したオーガは一体、周囲には野人が五体、ケイネス族三体、内、野人四体、ケイネス族二体の生死不明であります」

恐らくであるがこの場合の生死不明とはほぼ死である、


「すると、あのチンピラ五人組はオーガに対峙していた同族とケイネスの争いに巻き込まれたという事でいいのかな?」


「そのように判断して間違いないと考えます」

ジルフェは簡潔に肯定の意を伝える、


「オーガに興味はあるが・・・ケイネス族か、エルステの種族だよね、それと恐らくは自警団、あぁ、はぐれオーガとはこの事か」

キーツは額に手を当てブツブツと呟くように現状を分析する、

「生死不明はきついなぁ、あの五人組では対処できないだろうね、後の事を考えるとケイネス族とは仲良くしておきたいとも思えるが、エルステの力にはなってくれるかなそのケイネス族は、まぁ、生きていればの事だけど・・・」


キーツは沈思し厭らしい損得勘定に思いを馳せる、首を捻り集落の方角を一瞥すると、


「女将には世話になったしな、行くか」

そう言ってジュウシに跨った、


「現場へ行く、所要時間は?」


「約3mカウントです」


「それでいい、シールド展開、簡易遮蔽展開、浮遊制御任せる、進発」


「シールド展開、簡易遮蔽展開、浮遊制御任されました、進発します」

命令の復唱が終るとジュウシの周囲に黄色に輝く円錐形の力場が発生した、シールドである、同時にジュウシは浮遊し天架ける白馬となって現場へ直進した。


「原着、慣性制御、着陸致します」

流れる景色を愉しむ間も無くキーツは現場に到着し街道の中央部にその姿を表した、周囲には人影は無くやや離れた場所に巨大な傷だらけの生物とその周囲を囲む複数人を見止めた、キーツはジュウシから降り警棒を構えるとゆっくりと集団へ近付いて行った、近付くにつれ獣の威嚇音が不愉快に鳴り響きその声に隠れる様に若者達の悲鳴とも罵声ともとれる叫び声が認識できた。


現場は凄惨な状況であった、一体の巨大な生物に五人の若者が対峙しており、やや離れた林の側に血みどろになった野人と獣人と思われる肢体が転がっている、オーガと呼ばれるその巨大な生物の左手には野人が握られておりその手足には力が無くだらしなく垂れさがっていた。

オーガはオークよりも畏怖される存在である事は一目で理解できた、オークよりも巨大な体躯は筋骨隆々として陽の光を受け赤銅色に輝き、大木を思わせる四肢は長く太い、頭部には3本の角が生え厳めしい顔は野人のそれに似通っているが知性の代わりに凶暴性のみを増した面相をしている、武器は持っていない、手にした獣人を振り回し新たに現れたチンピラ達を牽制している。

幸運な点はオーガは既に手負いであった事である、先に倒れた警備兵と獣人によって身体の各所に傷を負い背中には数本の矢が刺さったままであった。


対してチンピラ達は実に腰の抜けた様相であった、キーツの見立てでは首領格であろう二人がオーガから最も遠い場所に位置し、手下の三人がそれぞれの武器を構えオークの前に立っているが完全にオークの意気に飲まれ手足を震わせ泣き顔であった。


キーツは状況を確認し、どう対応すべきかを決定した、生きている者と戦う者を助ける、単純で良い。分かり易いのが一番だ、そう決心し二度大きく息を吸い、両足と下腹に力を籠めると、オーガを圧倒する雄叫びを上げた、場を圧倒する声量と地を轟かす振動にオーガは威嚇音を止め若者達は仰天し背後を振り返る、


「・・・あっ、あんた」

キーツに近い首領格の一人が呆気にとられた顔でそれだけを言葉にする、


「戦うぞ、いいか」

キーツは続けざまに叫んだ、若者達は呆然とキーツを見ていたがその言葉の意味を理解しあらためてオーガに向かう、


「戦うぞ、いいか」

さらにキーツは叫ぶ、しかし返答は無い、


「気概で負けるな、返事が無い、戦うぞ、いいか」

さらに叫んだ、前衛の三人から囁くような声が聞こえる、


「聞こえん、戦うぞ、いいか」


「は、はい」

やっと返答がある、女将の息子の声であった、


「聞こえん、もう一度、戦うぞ、いいか」


「はい」

前衛の三人から聞こえる程度の返答がある、


「足りん、腹から声を出せ、敵を圧しろ、戦うぞ、いいか」

キーツはさらに叫ぶ、


「はい」

やっと気迫の乗った声が響いた、


「足りん、もう一度、戦うぞ、いいか」


「はい」

キーツには及ばないまでも気迫の一歩先、圧が感じられる声量となる、


「足りん、相手を殺す意を籠めろ、殺意を見せろ、強者であると胸を張れ、叩き潰す気概を見せろ、いくぞ、戦うぞ、いいか」


「はい」

三人の声は見事に雄叫びとなりオーガを圧した、彼等の震えは収まり四肢に力が漲ってくる、逆に首領格の二人は完全にその場に呑まれあわあわとキーツとオーガそれと前衛の三人をキョロキョロと見比べるだけになってしまう。


「指揮を取る、弓持ち五歩下がれ、剣持ちオーガの向かって右側を牽制、近付きすぎるな注意を向けさせろ、斧持ちオーガの足を狙え」

キーツは指示を飛ばしつつ戦場に踏み込んでいく、三人は指示に従いその立ち位置を変えた、


「お前ら二人はいらん」

キーツは役に立たないと踏んだ二人の顔面を警棒で殴りつける、突然の暴力に二人はなすすべもなくそのまま意識を失い後方へ倒れ伏した、キーツはそのままずかずかとオーガへ近寄っていく、


「弓持ち、矢は何本だ?」


「15です」


「10迄好きに撃って良い、目を狙え」


「はい」

実に明瞭な返答がある、


「剣持ち、牽制を続けろ、斧持ち突っ込むぞ足を狙え、俺は腕だ獣人を助ける」


「はい」

返答を待たずにキーツは走り込む、


「レベル10、麻痺、距離0」

警棒のダイヤルを確認する、


完全に意を呑まれたオーガは左側へ注意を取られていた、キーツは走り込みつつ跳躍し向かって左腕の肘関節部を狙って警棒を打ち下ろす、鈍い音が響きオーガは声にならない叫び声を上げ打たれた右腕を抱え込んだ、捕らわれた獣人が投げ出される、


「斧持ち、いまだ、足へ叩き込め」


「おうさ」

大きく振り被った斧の一撃が足の甲に突き刺さった、キーツは獣人を助け起こしつつオーガの背後へ走り抜ける、オーガは足への衝撃に雄叫びを上げ蹲った、斧はオーガに突き刺さったまま突き刺した若者は転がるようにオーガの腕を掻い潜る、


「斧持ち、逃げろ、弓持ち目を狙え」

キーツは振り向きざま指示を飛ばしつつ獣人の身を草原に横たえた、まだ息はあるが消耗が激しい様子であった、


「待っていろ、助けるからな」

キーツはテインの言葉で優しく話しかける、獣人は辛うじて頷いて見せた、キーツは足元に転がる長剣を掴むと武器を無くした若者へ投げ渡す、

「これを使え」


「はい」

大きく気の籠った返答である、


「もう一本の腕を狙う、剣持ち二人は牽制」

キーツは警棒を構え直しオーガの残った腕を目掛けて走り込んだ、しかしオーガも頑健である、ゆらりと立ち上がると残った腕を大きく振り回し外敵から距離を取ると大きく咆哮した、大気を震わせるその振動は四人の足を止めるのに充分なものであり、さすがのキーツも内蔵からこみ上げる恐怖を感じてしまう、戦闘に慣れていない若者達はすっかりその覇気を挫かれたようであった、


「すげぇ、確かにオークとは違うな」

キーツはニヤリと笑う、出来ればオークの首を若者達に取らせてやりたいと考えていたが無理はしない方が良いかなと考え始める、


「おっさん、指示をくれ」

弱気になっていたキーツに向かって女将の息子が声を掛ける、


「そうだ、どうする」


「まだ10本はあります、どうしますか」

若者はそれぞれにやる気のようであった、そのやや甲高い声を受けキーツは苦笑いを浮かべた、


「よし、やるぞ、剣持ち二人とも動かない腕を狙え、動く方を俺が叩く」

了解の意を待たずにキーツは走り出しオーガの大きく振り被った左腕の真下に入り込む、


「おっさん、あぶねぇぞ」


「知ってるよ」

キーツはそう言ってオーガの一撃を紙一重で躱すと、その一撃により舞い上がった土埃の中から再び肘関節を狙った一撃を叩き込んだ、オーガは再び言葉にならない呻き声を上げる、今度は両腕をだらりと力無く下げ両膝を着いてしまった、オーガの動きは完全に停止しその口元からは大量の涎が滴り落ちている、次の瞬間オーガの顔面は大きく仰け反った、


「やっと、当たった」

弓持ちが歓声を上げる、オーガの片目には深々と矢が刺さっていた、


「剣持ち、今だ胸を貫け」

キーツがそう言った瞬間、


「勿論だ」

「おうよ」

威勢の良い叫び声が二つ響き土埃の中に二つの影が走り込みオーガの巨大な胸に2本の剣が突き刺さった、


「どうだ」

剣持ち二人はすぐさまその場を離れ肩で大きく息をしながらオーガの様子を伺う、オーガは不動であった、突き刺さった2本の剣から体液が染み出し始めゆっくりとオーガの下半身を染めていく、しかしその鼓動は止まる事が無く、天を仰いだその口からゆっくりと黒い煙のような蒸気が発生していた、


「あの煙?なんだ?」

キーツは素直に疑問を口にする、


「わからねぇ、おっさん知らねぇのか」

若者たちは口々に未知である事を表明する、


「なんだかわからんがやばそうだ、逃げろ」

女将の息子の声が切っ掛けとなり四人は散開した、キーツは助けた獣人の元へ走りその身を林の中へ移す、それを見た三人も近場の警備兵や獣人、倒れた二人の仲間を物陰に移した、その作業が終るか否かの瞬間、轟音を伴って巨大な炎の柱がオーガの口から天へ向かって放たれた、


「うお、熱い」

火の粉が飛散し、衝撃波が周囲を圧する、轟音は続きキーツは木の陰で獣人に覆い被さるように時を待った、やがて音は止み恐る恐るオーガを見るとそこには頭部と両腕、胸から上の部分を無くしたオーガの亡骸が佇んでいるばかリであった。


「オーガブレスだよ」

キーツに組み敷かれた獣人が弱弱しく言った、


「凄いね、どういう事だあれ」


「オーガの最後っ屁さ、オーガを殺る時は首を落すんだよ、知らなかったのか?」


「あぁ、初めて戦った、今後気を付けるよ」

キーツが笑って見せると獣人も微かに笑ったようであった。


熱気が収まったオーガの死体に近付くと、林の中、街道の端に隠れていた若者達もキーツの元へ集まってきた、三人に怪我は無く土埃に塗れた顔は上気しており笑顔である、


「おっさん、すげえな、いや、俺達がすげぇのか、まさかオーガを倒すなんてな」

「おお、どうなるかと思ったが俺達生きてるぜ」

「オーガはやっぱ怖ぇえな、なんだよ最後のはよ」

そういって死体に蹴りを入れる、しかしその一撃にもオーガの遺体はビクリともせずその場に鎮座したままであった、キーツはその行為に眉根を寄せる、


「こいつどうするよ、オーガを倒した証っての?何かないかな」

「こいつを村に持ってって広場に飾るってのは?」

「どうやって持っていくんだよ」

彼等は彼等らしくこの勝利を喜んでいるが、どうしようもなく敬意が感じられなかった、キーツは若者達の背を見ながら鼻息を荒くし、


「なめんなガキ共」

と一喝した、突然の怒声に若者達は振り返りキーツの顔に浮かぶ怒気を察して押し黙る、


「お前ら、一体何をしに此処まで来た?」

キーツは一人一人を舐める様に睨み詰問する、


「何をしにと言われても・・・」

女将の息子が口籠る、


「魂胆は分かっている、金を持った商人一人何とでもなると思ったか」


「いや、そういうわけでは」

「なぁ、俺達はただあいつらに誘われて」

「あぁそうだ、別に俺達はなにも」

それぞれに言い訳めいた文言を並べながら顔を見合わせる、彼等の言うあいつらとはキーツが始めに排斥した二人の事であるらしい、三人はあの二人に責任を被せるつもりのようであった。


「寝ぼけるな、貴様らがやろうとした事は強盗だ、そしてそれを実行した場合どうなったと思う?」

キーツはそれぞれの顔を睨み付ける、


「俺は確実にお前らを殺していた、こいつのように」

顎でオーガの死体を差す、


「そこまでにしといてくれるか」

キーツの背後から疲れ切った声が掛る、見ると自警団の生き残りが剣を杖替わりに立っていた、


「目的や仮定はどうあれオーガを倒したんだ、大したもんだよあんた達は」

彼は埃に塗れた顔を歪めるように笑みを浮かべた、


「手負いでした、貴方方の功績の方が大きい」

キーツは彼に向き直り素直な評価を伝える、


「そうかな、俺達よりもケイネスの奴等だな、一人は生きているか?やはり大した戦士だよ、彼等は」

そう言いながらオーガの死体に近付く、そしてそっとその肉体に触れ目を閉じた、何事か文言を唱えスッと立ち上がると若者に向き直る、


「敵への敬意を失ったら、死んだ戦友は浮かばれない、せめて敬意を知れ、わかるかガキンチョ」

そう言って三人を睨む、三人は言葉を無くし俯いていた、


「さて、事後処理は任せて良いかな」

キーツは自警団に問うた、


「助力に感謝する、できれば村で歓待したい所なのだが」


「そんな暇は無いよ、早い所要塞に向かわないとな、それとケイネス族の生き残りは俺が引き取る」


自警団は怪訝そうな顔をする、


「俺は奴隷商人だ、そう言えば理解されるか?」

キーツは嫌らしい笑みを浮かべて見せる、自警団は眉根を寄せ溜息を吐いた、


「理解できたが、これだから商人は」


「そういう事だ、ただ働きはしない主義でね」

キーツはそう言って、ケイネスの遺体も貰うぞと付け加える、


「好きにしろ、こちらはこちらで対応するよ、若いのお前村に走って荷馬車を手配してくれ、それから自警団長も呼んで来い、それと・・・」

自警団員は三人に次々と指示を飛ばしていった、キーツはそれを横に見ながら林の中のケイネス族の元へ戻る、獣人は意識を失っている様子であったが死んではいない、ジュウシを呼ぶと力任せに担ぎあげ、二つの遺体も無理矢理にジュウシに乗せると自警団に退去の挨拶をして来た道を戻る事とした、


「ジルフェ、オーガの調査は出来ているか?」

ふと、指示を出していなかったなと思い出し確認する、


「はい、マスター規定通りの調査を終えております、体液サンプルと細胞サンプルも取得致しました、報告書を確認致しますか?」


「ありがとう、報告書は後でいい」

キーツはそこでやっと苦笑いを浮かべた。

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