第4話 ファーストコンタクト

キーツは浸透同化に向けて準備を進めた、彼等の言語、周辺地域の固有名、一般常識とされる知識はジルフェを通じてキーツの環境対応装置に入力した、本来キーツの業務においては二~三カ月かけて学習し習得するものであるが現状でそれは叶わないと判断し機械による対応を取らざるを得なかった、入力された言語は三種類、腕を無くした兵士が主に使用する言語が二つ、拘束されていた少女が主に使用する言語が一つである、少女が日常的に使用する言語に兵士の持つそれが一つ含まれていた、獣人型二種類の言語はキーツには発声も理解も出来ないとのジルフェの判断で入力されてはいない、但し彼等は兵士の使用する言語に関しては理解し発声も可能であろうとの見解付きである。


浸透同化の手始めにジュウシを現地の馬に相当する動物へ偽装させる、ジルフェの格納庫三か所も内蔵した、この家畜と共に旅をしているという身分を偽装する、彼等の馴染みの薄い南方の人間である事とし人を探して北方へ渡ってきたという物語を作成する、探し人はアヤコとしこれは嘘では無かったが、戦乱の中奴隷にされた許嫁を探し宛も無く各国を彷徨っている旅人であるとした。

この地の社会構造を考えれば恐らくありそうでなさそうな境遇の物語として良い塩梅であろうと考えたのである。


次に彼等の文化に相当する服装を作成し兵士の持っていた硬貨を大量に複製した、金銀銅貨の三種類になるが金貨は貯蓄用で店先で使用されるものでは無いらしい、兵士の懐具合を鑑みると彼は相応の地位を持つ事が推測された。旅をする上で必要とされると考えられるものも同様に地球の民族資料と巣穴の塵を参考に作成する、それらをジュウシに積み込み、馬具も文化相当のものを作成し備え付ける。護身用として巣穴にあった刀剣類を参考にナイフ三本、長剣を二本作成した、武具に関しては使用する事は殆ど無いとは思ったが旅の真実性とこれまた文化的背景を考えれば必要であろうと考え作成し、鎧等もと思ったが仰々しすぎるかと断念する、尤もナイフに関しては普段使いが可能な代物であるが。


それらの品に経年劣化と汚れの偽装を施し自身の見た目も作り変える、頭髪は一旦乱雑にし外套のフードで癖を付け、髭は不精髭のまま、土弄りで爪を汚した。


彼等を覚醒させる準備として、巡視艇を崖の中腹程度に浮遊させ遮蔽装置で姿を隠し、環境制御装置を回収するとキャンプの利便性を考え大河へ注ぐ川の近くへ四人を運びそこで焚火を起こす、彼等を助け此処へ運んだように見せかけるのである、食事の準備として川から魚を数匹捕らえると捌いて下準備し、遭難時用の乾パンを布袋へ移し適当に砕いて見栄えを悪くする、お湯を沸かす準備をした上で時間を調整する事とした。


彼等を助けたのが陽が落ちてから数刻程度、となればそれからさらに数刻として真夜中に彼等を覚醒させるのが適当かとジルフェに確認する、丁度現時刻がその程度の時刻ですとジルフェの声が右耳に直接響く。


キーツはあまり好きでは無かったがジルフェとの交信はキーツの体内に埋め込まれた環境対応装置越しに行われていた、この装置を使用すればジルフェとの交信を他者に聞かれる事は無い、しかし慣れない、地球では使用していなかったし軍でも同様であった、装置は銀河連合に入隊した時点で埋め込まれていてその際に試験的に使用したのみで常用した経験は無い、便利な通信手段の一つである事は理解しているが、全ての思考がジルフェに洩れているのである、恐らく夢の内容迄、意識してジルフェに呼び掛けない限り応答は無いしジルフェに思考の全てを知られるのはかまわないのであるが、それらを逐一記録する事も可能な訳で何とも落ち着かない。さらに思考しながらの会話が成立しないのが不自由であった、こちらの思考に対してのジルフェの返答が速過ぎる場合がある、無論思考速度において生身の自分がジルフェの思考速度に敵うわけが無く、なによりも慣れだよとこの装置を常用している上官が笑っていたが、慣れるしかないのかと諦めて使用に至っていた。


状況は整え下準備はまぁ充分とキーツは四人を覚醒させた、ジルフェに命じそれぞれに覚醒薬を嗅がせる、その作業を見ながら水を火に掛け魚を炙り始めた。


先に覚醒したのは兵士である、彼が朦朧としている間に他の三人も順次覚醒し皆同様に亡とした表情で焚火を見詰め、その対岸にいるキーツを見詰めた。


キーツが彼等の回復を待っていると真っ先に兵士が口を開く、それは叫び声であった、唯一彼は戦闘時の光景を目にし、なにより片腕を失っているのである、傷口は修復しわざとらしく布包帯を大袈裟に巻きつけてあるがかといってその事実を嘆くのは当然の事とも思う。その声に怯えたのか二匹の獣人は縮み上がりその身を同じ襤褸を着る少女に摺り寄せる、少女はそっと二人を抱いて兵士とキーツを交互に睨み付けた、


「落ち着いて、怪我は治療してあります、出血が激しかったからあまり興奮しないで」

キーツは恐る恐るゆっくりとした口調でそう話し掛ける、環境対応装置が上手い事翻訳してくれる事を確認しながらの発声であった、兵士は無くした腕の跡に残った腕を宛がってキーツを睨んだ、


「・・・治療だと、くそ、俺の腕はどうした、ゴブリンどもに喰われたのか?何てことだ」

ゴブリンとは彼等を襲っていた生物の名称である、翻訳は上手く機能しているようだ、兵士の言葉は流れる様にキーツに伝わりキーツの言葉もまた伝わっているようだ、


「そうですね、すいません、私が遭遇した時にはもう」

キーツはそう言って言葉を濁す、


「貴様は、いや、そうか」

兵士はそう言って少し落ち着いた様子で、


「先に礼を言わねばならないかな、命を救ってくれたのは貴方で良いのか?」

キーツを見詰めそう尋ねる、片腕を無くしたばかりであると言うのに異常な冷静さを保っている、もっと絶望とか怒りとかを面に表すものかと思っていたが、四肢の欠損が日常なのであろうか、想定される彼らの文明社会はキーツの経験したそれらよりも血生臭いであろう事は想像していたが、自身の腕を無くしてそうかで済む生物は想像を超えたものだ、


「礼等結構ですが、大丈夫ですか?片腕を無くされているのですよ」

キーツは思わずそう問い掛ける、兵士は少し呆けたような顔をして眉根を寄せて俯いた、暫く静かに焚火を見詰め思い出すように静かに言葉を選んでいく、


「ゴブリンに担がれて森を往く間に覚悟は出来ていた、腕を千切られる痛みも覚えている、当然だ、もう自分は死んだものと思っていた・・・、しかし、ゴブリンが次々に倒れ伏すのが微かに見えた、緑色の閃光が闇の中を飛んでいた、そして、気付けば、こうだ」

とキーツを見詰める、


「既に覚悟は決まっていた、生きているだけで・・・、いや、生きているよな俺は、ここが地獄の入り口だというならそう言ってくれ」

そう言って口の端を上げる、いいえ生きていますよとキーツが返すと、


「であれば、受け入れるしか無し、それがボアルネ家門の生き様だ」

今度は大きく口を開けて乾いた笑いを上げる、無理矢理に捻りだしたその声は返すものも無く森の中に消えていった。


「それよりもだ、その緑色の光も気になるのだが、貴方が救い主でよいのか」

兵士はわざとらしく大仰に振舞う、


「そうなるかと思いますが、ゴブリンを排除したのは私ではないのです」


「?・・・ではどうやって、いや、確かにあの数のゴブリンをどうにかできる訳もないが」

兵士は静かにそう問うた、キーツは分かりませんと答える、


「分かりません?そんな答えがあるものか」


「申し訳ないのですが、まず私の話を聞いて頂きたい」


それからキーツの作り話が始まった、ゴブリンが彼等を運んでいるのを発見した事、その後を追って森に入った事、森の中で手をこまねいていると冒険者の集団がゴブリンを襲った事、冒険者は捕らわれていた彼等を自分に託してゴブリンの残党を追っていった事、出来るだけ大まかに思い出した事のように口調を調整する。


「・・・冒険者が?奴等がそんな事をする理由が無いと思うが」


兵士は訝し気に考え込んだ、キーツはありゃ違ったかと薄っすらと汗を掻く、


「すいません、なにぶん暗がりでしたので、冒険者かとお見受けしましたが、それに私も出来るだけ隠れるようにとの指示でしたし、その・・・現場を直接は見てはいないのです」


キーツは恐縮してそう付け加える、重要な事物、特に対象の要求物は知らない事にするのが嘘の得策である、無知である事は無知であるとし、嘘に嘘を重ねてはならない。


少女は会話を続ける二人を睨み続けていた、キーツはそちらの三人をチラチラと視界に捕らえているが表情迄は読み取れない、有難い事に誰も恐慌状態にならずこの場から去ろうとしなかった、ゴブリンに襲われ気を失ったかと思ったら焚火の側で目を覚ましたのである、状況を考えれば不必要に騒ぎだす者があっても不思議では無いが彼等は冷静であった、


「しかしだ、先程腕を千切られたばかリで、既に痛みも無いんだぞ、教会の治療師でもこんな鮮やかな手技は行えないだろう、まして冒険者が報酬も無しにここまで・・・」

兵士はぶつぶつと呟き続ける、キーツはあぁ包帯は私が巻きました、血止めや治療はその人達でしたけどと言い添える。


「あ、あの・・・、命を救ってくださった事に御礼を申します」

涼やかな声が蚊の鳴くような音で聞こえる、少女の声であった、二人を抱き締めたまましっかりとキーツを見詰めそう言った、抱かれた二人もその大きな瞳を四つキーツに向けており、それは焚火の光を爛乱と照り返していた。


「よかった、そう言って頂けると嬉しいです」

キーツはそう言って彼女に向き直るも、


「奴隷は黙っていろ」

キーツの態度に眉根を寄せつつ兵士は一喝する、


「私を置いて奴隷と会話する等失礼千万だ、貴様何処の生まれだ」

と続けキーツを睨みつける、


「あれらは軍の所有物だ、よって今は私がその管理者である、直接話す等双方にとって良い事はないぞ」

兵士の言葉に再び三人は身を竦め縮こまる、奴隷の扱い迄は環境対応装置には入ってないなぁ等と考えながらキーツは言葉を選ぶ、


「申し訳ありません、騎士様、今夜は私にとっても慣れない事続きでして・・・」

御容赦をと続け柔らかく微笑んだ、兵士は不愉快そうな態度は崩さなかったがフンと一息吐いてまぁいいと残った手を大袈裟に振った、


「お前にしてもその冒険者にしても不可解な事ばかりだが、助けてもらった事には違いない、確かに先に礼を述べるべきであったな、改めて私と我が軍の資産を守ってくれた事に感謝する」

兵士はそう言ってキーツに向かい右腕を胸に当て一礼した、


「礼は不要と申したはずですが、恐縮です」

とキーツは返し、頭を下げ照れたような微笑みを浮かべる、


「名も名乗っていなかった、ギャエル・ギャル・ボアルネと申す、ボアルネ家門ギャル男爵家のものだ」

慇懃に言い放つ、キーツは御丁寧にありがとうございますと答え、私の事はキーツとお呼び下さいとだけ言った、


「家門を持たないのか?」


「いろいろありまして、家門は捨てました」

キーツはわざとらしく俯いて見せる、


「・・・そうか、まぁいい、ではキーツ、私の事はギャエルと呼んで構わない、それからそっちの奴隷共にはまだ名が無い、正式な売買契約が未締結でなそういう事にしておいてくれ」


はぁとキーツは答え三人を伺うと少女は悔しそうにギャエルを睨むだけであった、キーツは魚の焼き加減を見つつポットのお湯を確認する、丁度よさそうだと沸かしたお湯を木製の杯に注ぎギャエルを通じて全員に杯を回す、少女は嫌そうにギャエルから杯を受け取った。


恐らくはとキーツが考えた通りの作法があるらしい、この場合奴隷は主人から下げ渡された物しか受け取らないし口にもしない、出来ないと表現するのが正しいか、奴隷と呼ばれた彼等がどう考えていようとギャエルが主人である事を主張している以上その形を保った方が事は無難に進みそうだとキーツは考える、


「少し熱いですが、身体を温めましょう」

キーツはそう言って先に口を付ける、ただの白湯であるが肌寒く感じる月夜の下ではとても美味しく感じた、


「なにからなにまですまない」

そういってギャエルは杯に口を付け、三人もそれに倣うが獣人二人には熱すぎたようでペロペロと舌先で杯を舐めている、それでも乾いた身体には染み渡っている様子で、四苦八苦しながら懸命に舐め続けていた。


「いえいえ、何か腹に入れば落ち着きますし、力もでます」

キーツはそう言って、魚の焼き加減を確認する、


「魚の方ももう少しですね、塩を持ってきましょう」

ではと立ち上がるとジュウシの側に歩み寄る、


「馬がいたのか、気付かなんだ、名はなんという?」

ギャエルがキーツの背に問い掛ける、


「ジュウシといいます、大事な友人です」

キーツは答え塩の瓶を携え席に戻った、


「珍しい名前だな」


「あぁ、私生まれは南の方でして、向うの言葉で召使とか、従卒とかそんな意味です」


「ほう、では砂漠の向うか半島か」


「えぇ、そんな所です」

キーツは誤魔化しつつ焼けた魚を取り上げて塩の瓶と共にギャエルに渡す、こちらもギャエル経由で全員に手渡された、ギャエルは再び感謝の言葉を述べつつ塩を振り掛け上手そうに口に運ぶ、獣人は塩を振らず少女も塩を振って齧り付いている、獣人はやはりその熱さに閉口しているようだが空腹には勝てないようで一心不乱に魚と格闘していた。


そんな四人の様子を見て、体調は充分だとキーツは判断し、

「まだ、あります、足りない方はどうぞ」

と大き目の葉に焼き終えた魚を並べギャエルの前に置いた、


「貴様は良いのか?」

と魚に手を付けないキーツを見詰めた、


「私は充分です、夜は食べない事にしているもので」

と適当にはぐらかすと、


「うむ、では頂こう、貴様等も感謝して頂くのだぞ」

興味や警戒心より空腹感が勝ったのか言葉少なに渡された魚を食べきると葉の上の大振りの一匹を取り、残りを三人の前へ置く。


暫く会話は途切れ、焚火の周りは咀嚼音と鼻を啜る音が続く、焚火に薪をくべながらさてどうしたものかとキーツは思案する。


彼等を助けた時に感じた違和感はやはり正解であった、兵士が貴族階級である事は薄々感づいていたが、残り三人の地位は著しく下か捕虜かと勘ぐったが大凡おおよそ当たっていた様子である、こうなるとこのままこの兵士の言いなりに事を進めるべきか、奴隷と呼ばれた三人を味方につけるべきか、それともより良い案はあるだろうか。


浸透同化としては兵士に付いて行った方が得策と考える、恐らくこの地域の有力な軍隊に侵入可能であり、そうなれば彼等の社会を実地で体験できる、浸透同化としてはこれ以上無い状況ではある、しかしその場合三人は奴隷として扱われるのが明らかだ。


では三人側につく方法はどのようにすれば良いか、現時点で彼等からは何も引き出せていない、兵士のお陰で彼等との会話は著しく制限されている、獣人との会話は難しそうだが、少女は会話が可能である、単純に趣味に走れば少女を助けたいと思うし、獣人との交友も捨て難い。


自分としては奴隷に対して良い思いは無いし良い思い出も無い、様々な社会体制、文化、経済、政治を連合で学んだが、奴隷制度はそれらの過渡期に於いて必ずと言っていいほど採用され一部を残し衰退していた、若しくは経済に組み込まれたと考えるのが正しいか。自分の故郷である地球でさえ形態は違えど奴隷制度は複数存在していた、恐らくこの惑星でもそれぞれの社会で奴隷制度が運用されているのであろう、それを否定する事は自分には出来ないが、嫌う事はできる、それは自分やアヤコの生い立ちに関する諸問題の大事な一要素であり、なによりも自分もそうであった事が嫌悪の原因であった。あの頃の記憶は大分薄れているが、権力を背景にした人格の剥奪に暴力を見せびらかした服従は振う側とその社会は容認するのであろうが、される側にとってはその社会的理屈が理解できない限りは到底受け入れる事はできなかった、あの頃の不条理と怒りとひもじさを忘れる事は難しい。


焚火の奥に座る小さな三つの影を見詰める、兵士のいう奴隷制度が自分が体験した奴隷制度とは異なっているのは明らかなようである、より高潔といって良いのかもしれない、食事を与え生活を保全し労働力とする、しかし意思決定は出来ず恐らくは自身の生殺与奪は権利者の物、より彼等の社会を知る必要があるが重要な資産として運用されているとすれば、全てを否定する事は出来ない、しかし、このような子供を奴隷扱いするのは実に、不愉快だ。


ならばとキーツは思う、彼等をせめてその立場から開放する事は出来まいかと。

方法としては簡単であろう、ギャエルと名乗るこの男を排除すれば良いのだ、存在の排除は難しく無い、ましてキーツが手を出さなければ既に亡き人であったのだから、物理的にキーツに抗う能力はこの男にはないであろう、単純で分かりやすく最も速い方法である、暴力とは時に何にもまして有効な問題解決の手段である事をキーツは身を以て知っていた、しかし、その手段を選んだ場合助けようとしている三人は恐らくキーツを信用する事は無い、キーツの目の届かぬ時に逃げ出して森で死ぬか再び奴隷になるかであろう、この場合暴力での解決は良い回答ではない。


では彼等の社会的に正当な手段を行使するのはどうであろう、詳細は不明だが契約云々をギャエルは口にしていた、正当な方法で奴隷売買をすれば彼等はキーツの所有物となるのである、この場合ギャエルの元からキーツの元へ所有権は移り、自然ギャエルはこちらの関係性に口出しはできなくなる、その後キーツの所有物をどう扱おうがそれはキーツの自由になるのだ、奴隷として使役しても良いし開放する事も可能である、なにより実に平和的な解決策である。

ではどうやって売買を持ちかけるか、キーツは薪をくべながらギャエルを伺う。


ギャエルは魚を平らげ残った骨を焚火に投げ入れると杯を呷った、獣人を見るとどうやら頭から骨、尻尾の先まで綺麗に胃に収めたようでその食習慣の違いが垣間見えた、少女はあまり食が進まないのか最初に渡した魚に少々手を付けた状態で何とも悲し気に魚を見詰めている、


「これほど美味いトリイトは初めてだ」

ギャエルは大きなゲップと共に感嘆の吐息を漏らす、それは良かったとキーツは微笑む、


「腹も膨れた、武器はあるか?」


「武器ですか?お渡しできるのは長剣があるかと思いますが」


「重ね重ね申し訳ないがそれを頂けないだろうか、早々に原隊へ復帰したいのだ」

キーツは少々驚いた顔をして、


「まだ、夜中ですよ、行動するのは陽が出てからでも」


「そういう訳にはいかんのだ、私の任務は奴隷運搬の護衛であった、その隊が壊滅した事を早急に報告しなければならないし、ゴブリンは蹴散らしたと聞いたがあの規模のゴブリンが存在するという事はこの森に他のゴブリンが群れを成している可能性が高い、そちらの対応も急がれる」


キーツはギャエルの杯に白湯を注ぐ、ギャエルはその杯を傾けながら続けた、

「恐らくだが、この数年この辺の自警団にしろ街道警備隊にしろ自衛が精一杯で森の中迄は手が回らなかったのだろう、それに奴隷狩りの隊は北の方へいっている、そちらから逃れた魔物が南へ下った可能性もある、どちらにせよ森の街道は重要な交通路だ、東へ向かうのにはあそこしかないからな」


確かにとキーツは答えた、キーツは続けて彼等の杯も頂けますかとギャエルに伺うと、あぁお前ら有難く頂けと鷹揚に返答がある、ギャエルに顎で指図された少女は不安気に立ち上がるとキーツから直接ポットを預かり自席に戻った、すぐさま獣人の杯と自分の杯に白湯を注ぐ、ギャエルはその行為には難癖を付ける事無く言葉を続ける。


「戦争が長引いているからな、まぁ、我が軍としては戦争と呼ぶのもおこがましい程簡単な相手だが、そうとしても周辺環境への影響はあるだろう、現戦況で推移するとなれば後三年程度で落ち着くとは思うが、今までのつけが形になったのだ、これは軍としても放置はできない」


ギャエルは高揚して言を連ねる、死の縁から生還した事と腹が満ちた事が重なって興奮状態にあるのかもしれない、

「しかしだ、我が隊は五人の精鋭でもって護衛に当たっていたのにも関わらず有様だ、ゴブリン共の数も問題であったが、こちらの練度にも問題はあったと思う、冬が開けて気が抜けていただけならば言い訳もたつが、いや言い訳も何もないなゴブリン程度に四人も殺られるとは・・・不甲斐ない、挙句俺はこの様だ、これ以上の恥の上塗りは俺の矜持が許さない」


随分と明け透けに自分語りをするものだとキーツは思う、貴族とはこういうものなのか、彼がそういう人間なのか、ギャエルは暫し焚火を見詰め残った手でガシガシと頭を掻いた。


「いや、すまない、貴殿には関係の無い事だな」


「そうでもないです、街道や森が安全になれば私も旅をしやすいですし」


「そうだな、それが平民には最も大事で、帝国の安定にも繋がる、市民を活かせぬ国家等棒で叩いて砕いて捨てろ・・・我がボアルネ伯爵家の初代の言葉だ」


「それは何とも素晴らしい、とても暴力的ですが」

にこやかに受け止めた、


「力こそだよ、どれほど才があろうと領地を持とうと言葉に長けていても力には負ける、力無くして帝国は生まれなかった、力無くして魔族には勝てなかった、皇帝陛下はそれをその身で証明してみせた素晴らしい人だ、俺はそう思っている」


やや熱い言葉を吐き出してギャエルは一息吐く、

「しかし、この腕ではな、身の振り方も考えねばらん・・・では、行くか」


ギャエルはすっくと立ち上がる、しかしあっという間に尻餅をついて座り込んでしまった、キーツは慌てて近寄りその背を支える、


「だから、言わない事ではないですよ、腕を無くしているのです、そんなすぐには動けないでしょう」


ギャエルは乾いた笑みを浮かべそれもそうだと弱弱しく答えるも再び全身に力を籠めて立ち上がる、今度はややふらつきながらも直立した、膝に手を当て軽い屈伸運動を繰り返し、


「うむ、万全とは言えぬが充分ではある」

とキーツをやんわりと遠ざけると三人に声を掛ける、


「行くぞ、立て」

三人はそれぞれ顔を見合わせ少女はふるふると顔を横に振る、拒絶の仕草である、


「何だそれは、立て、行くぞ」

癇に障ったのかギャエルは大声を出す、


「ギャエル殿、落ち着いて下さい、本気で闇夜の森に入るつもりですか」

キーツは止めに入った、


「あぁそうだ、何が悪い私は戻らねばならんのだ、一刻も早くな」

焚火が彼を下から照らす、影の指したその顔に浮かぶ双眸は正気ではあっても何か胡乱に見えた。

やばいかなとキーツは感じ懐の電磁警棒に手を伸ばしたが、より温厚な方法で解決を試みる事とする。


「ギャエル殿、ではせめて剣をお持ち下さい」

キーツはジュウシに走り寄り脇に指した長剣の一本を抜き取る、ギャエルもその背を追って焚火を離れた、これをとすぐ背後に迫ったギャエルに手渡すと彼は満足そうに受け取り長剣を片手で構え二度三度虚空を切りつける、やはり足元はふらつき腰が入っていない、体幹の均衡が取れていないのだ、彼にはもう暫くの養生と片腕を無くしたリハビリが必要だろうと判断する、


「なかなか良い剣だ、礼を言おう」

ギャエルは上機嫌となる、その場を動かない三人はまさに刃物を持った狂人を見る目で二人を見詰める。


「今回の諸々の功績に対して何らかの返礼を与えなければならないが、如何せん現状では何ともしようがない、原隊に復帰の後何らかの褒賞を考えたいと思うが」


ギャエルは雄弁に話しつつ剣を鞘に収めた、少々きつかった様だが綺麗にそれは納まる、

「やはり、剣の重みが在ると腰の落ち着きが違うな」


そう独り言ちて腰を二度叩く、

「それで褒賞の件だが」


「今、頂く事は出来ますでしょうか」

キーツは賭けにでる事とした、この交渉が上手くいかなれば力づくも難しく無いのは確認出来た、むしろそちらの方が楽ではあるが、当初の予定通り平和的解決を優先しよう。


「今?だからそれが難しいと言っているではないか」


「いいえ、難しくはありません、貴方が所有している物があるではないですか」

キーツは焚火の側で縮こまる三人を見る、視線の先を追ったギャエルの眉間に皺が寄る、


「・・・そういう事か、それもまた一つだが・・・」

ギャエルは難しい顔を崩さず思案に暮れている、キーツは彼の思考を邪魔しないよう沈黙を維持しつつその顔色を伺う、


「知ってはいるだろうが、奴隷売買には厳しい約定がある、契約書と事務官の立ち合いが必須だ」


「勿論、存じています、しかし、彼等がこのままギャエル殿に付いていくとは思えません」

そこでとキーツは畳み掛ける、


「ギャエル殿の何らかのお墨付きが欲しいのです、証文と言うべきですか、彼等を軍に返還した際に何らかの礼を頂戴するという内容で、そうすれば後程彼等を軍に引き渡した際に私は礼を受け取り、失礼ですがギャエル殿は面目を保つことができましょう、さらに軍はその資産を担保でき、ギャエル殿は今すぐに行動に移れます、何よりその方が彼等にとっても貴方にとっても安全ではないですか」

如何でしょうとキーツはその言を締めた、ギャエルは渋面を崩さぬまま思案を続けるが一度三人に視線を合わせ溜息を吐く、


「貴方の言う通りかもしれんな」

そう言って腰のポーチから小さな羊皮紙を一枚それと金属片を苦労して取り出すと、焚火に戻りドカッと胡坐をかいて座りキーツにそこに座る様に視線で誘導する、キーツが従い彼の側に座ると、


「この羊皮紙はギャル家専用のものだ紋章が入っているのが分かるな」

羊皮紙を焚火に透かしその紋章を確認させる丸い和の中に獅子と羊が描かれている、


「おっと、蝋が溶けるぞ気を付けろ」

ギャエルはそう言ってキーツの手から羊皮紙をふんだくると、


「証文として軍配下の奴隷三人を一時的に預ける事、軍へ返還の際にはその市場価格の半分を受け取る権利を有する事、期間は20日間としその期間を過ぎた場合この証文は無効である事、他には何か必要か?」

焚火の明りがあるとは言え難儀しながら小さい羊皮紙に書き込んでいく、金属片は黒鉛であった、ギャエルの右手は徐々に黒く染まっていくが彼はそれをさして気にしていない様子である、


「はい、ギャエル殿の良きにして頂ければ」

キーツは当たり障りなくそう答える、


「では、以上だ、これとその三人を共に北方要塞に連れてくれば報酬を支払おう、事務官にはその旨通知しておく」

すっと紙片をキーツの前に差し出す、キーツはそれを恭しく受け取り、


「ありがとうございます、路銀も心許なかったもので」

と下卑た笑みを浮かべる、ギャエルはふんっと憤り結局金かと吐き捨てる、


「それから、先も言ったが奴隷売買は厳密に行われる、決して裏に流すような事はするな、それと売春行為も厳禁だ、知ってはいると思うがな」


「はい、勿論でございます」

キーツはそういって深く頭を下げた、


「では、これで良いな、要塞で会うのを楽しみにしているぞ」

ギャエルはそう言って立ち上がる、今度はしっかりとした足取りのまま屹立した、


「お前らはキーツ殿に従え、無駄死にするなよせっかく助かった命だ」

自分の事は棚に上げて何を言っているのかとキーツは思うもそれを口にする事はせず、この川にそって森を往けば街道に出られますと助言する、


「そうだな、ありがとう、ではな」

ギャエルは離別の言葉も簡単に踵を返すと森に入っていった、キーツはすぐさまジルフェを呼び出すと彼を監視するよう命令する、彼がこちらへ戻ってこないようにする事とせめて要塞までは見守ってやろうとの考えからであった、といっても何かあったとして助けに行く気はさらさら無かったが。


雄弁な貴族の去った後、焚火を囲む四人は沈黙の中にあった、三人がキーツへの警戒感を解くことは無く六つの目が爛乱とキーツを射貫く、それではとキーツは立ち上がりジュウシから布袋を携えて戻った、


「お嬢さん、お嬢さんで良かったかな?」

キーツはまず少女に話し掛ける、少女は尚無言であったが、


「こちらを試してみて」

布袋から乾パンを二欠片程取り出すと自分の口へ運んだ、固く乾いたそれに口中の水分を持っていかれるも独特の甘味と歯ごたえが心地良くとても美味しい。


どうぞと布袋をそのまま彼等に押しやると少女は渋々受け取り袋を覗く、一欠片を手にし焚火に翳し確認すると安心したように口にした、

「・・・美味しい・・・」

彼女はそっと呟くと隣の二人にも分け与える、


「良かった、魚は苦手だったかな?」

キーツはそう言って微笑んだ、彼女の魚は何時の間にか獣人の腹に納まったらしい、その姿を確認する事は出来なかったが無駄にならなかったのであればそれで良いとも思う。


三人は乾パンを貪りつつ杯を呷り続けた、

「待って、慌てないでお湯沸かすからポットを頂戴」


楽しそうにそう言ってポットを受け取り川から水を汲む、焚火に戻るとやや落ち着いたのか獣人の二人はその手を止めており、少女は食事を続けていた。


「さてと、まずはどうしようか」

キーツはポットを火に掛け少女を見詰める、言葉を変えて彼女の言語で語り掛けてみた、少女は驚いた顔でこちらを見返し獣人二人も同様に大きな瞳でこちらを見ている、


「私達の言葉がしゃべれるのですか?」

少女はやっと会話に応じてくれたようだ、


「良かった、通じたみたいだね、随分昔に習ったものだから」

変じゃない?と微笑んで見せる、


「いえ、どこも変ではないです、でも」

と少女は口籠り、


「変でないのが変です」

と続ける、その言葉に再び冷や汗を掻いた、恐らくやり過ぎたのである上手過ぎたのだ、訛りや抑揚の付け方を調整すれば良かったか、


「そ、そう?そんなに上手だった?嬉しいなぁ、昔結構頑張ったのよね」

慌てて誤魔化そうとするが難しいようであった、少女の怪しむ目はその眼光を鋭くし口元に咥えた乾パンもそれ以上口中に送り込もうとしない、キーツはどうやって取り繕うかと思案するも冷や汗が吹き出るばかりであたふたとポットの様子を確認したり薪を追加したりと行動まで不審になる。


「どのようにお呼びすればよいですか」

少女はキーツの内心を知ってか知らずか静かにそう問い掛ける、キーツはその言葉を受け一切の動作を止め少女の瞳を伺った、その瞳には様々な感情が表れていたがその言葉の意味する事は彼女は自分の立場を受け入れているという事であった、否、それは言葉だけのようである、キーツが伺うその瞳の奥には静かな反抗心が灯りこの瞬間にも思考が渦巻き続けその一挙手一投足はおろか髪の毛の先、睫毛の先端迄をも生存という一事に掛ける思念が表出している、今彼女はその全霊を持って生き残る事にしたのだ。


キーツは心中で見事と快哉を叫びたくなった、地球で何人もの被害者を救ったがこれ程迄に生に貪欲で雄々しい意思を感じた事は無かった、地球での被害者は打ちひしがれ弱った上にその存在を抹消するようにキーツに懇願するものまで居たのだ、奴隷という立場に置いてなお全力で己を確固するその意思の強さと行き汚さはこの時代故か彼女の本質か、いずれにしろ助けて良かったとキーツは心底感じる。


「キーツでかまわない、敬称はいらないよ」

キーツは本来の笑みを浮かべる、ギャエルの前で見せた演技はもう必要では無かった、


「では、私達に名付けを、一時的とは言え主従であると思います」


「その件だが」

とキーツは懐からナイフを取り出すと柄を少女に向ける、


「その首輪を落としなさい・・・、この意味は分かる?」

突然の申し出に少女は躊躇いキーツの真意を測りかねている様子であった、


「どういう事?」

獣人の一人が少女に問い掛ける、少女の言語であった、やはり獣人は彼女の言葉を理解し発声する事が可能らしい、キーツには判断できなかったがある程度の訛りはあるのであろうが、


「奴隷の身分を解くという事です・・・、と思います」

少女は獣人にそう告げた、キーツはそのつもりだとその言を受ける、


「しかし、それでは貴方に利がありません」

少女は理を説く、利という単語にこの社会もそうなのだなとキーツは感じ入る、


「目的が分かりませんし道理が通らないと思いますが」

キーツは少々思案して、


「では、私の考えを説明すれば良いのかな」

手にしたナイフを地面に突き刺すと三人を見渡す、彼等は警戒しつつも関心を示している様子である、そこでキーツは訥々と嘘を並べた、ギャエルに語った内容に加え奴隷に対する嫌悪感を話すそれらは少女の言語を用いてより情緒的に物語られた、最後に探し人がその立場になっているとすれば自分は決して許さないと締め括る。


「許さないからといって貴方に出来る事は少ないでしょう」

少女は辛辣に断言する、


「少なくても、出来る事はあるんだろ」

キーツはそう返した、少女は黙り込む、キーツは柔らかく微笑んで、


「そこで、君達についてはその首輪を外した上で、君達の安全に暮らせる地まで送り届けたいと思う、先も言ったが私は旅人でこの辺の土地は不案内でね、戦争のお陰でいろいろ不安定な様子だし、君達ならある程度土地勘もあるだろうから案内を兼ねて・・・と考えたわけだ」

キーツは言葉を切り三人を観察する、その表情に変化は無いが少しは警戒感は薄れたようだ、キーツは如何かなと彼等に問い掛ける。


ややあって少女は口を開く、

「よく考えれば、貴方は命の恩人です」


獣人二人に視線を移す、その目は慈愛に満ち優し気であった、


「奴隷の契約の有無に関わらず、またそれがあったとしても恩人に対する礼が私には足りなかったようです、我々パドメの民とケイネスの民、レオパルディの民が不義理な蛮族と思われるのは沽券に関わります」

少女はキーツに視線を移す、何かしらの覚悟を決めたようだ、


「さらに我々の行く末も案じて頂ける事に深く感謝致します、キーツ様どうか暫くの間この身と友人の身をお預け致します、我々に出来うる事はどうぞ御指示下さい、全力で報いる事をお約束します、また命を救っていただいた事、食事を供して頂いた事、重ねて御礼を申し上げます」


胸に手を当て頭を垂れる、金色に輝く髪がその顔をキーツの視線から隠し、獣人もやや遅れて頭を垂れる、慣れない礼の仕方であったのだろう少女の方を伺いながら何とか似せるように努力していた。


キーツはその姿に取り合えずほっと一息吐く、浸透同化に於いては現地での協力員はどうしても必要であったしせっかく助けた彼等に自暴自棄になられても困る、


「こちらこそ、宜しくお願いしたい、取り合えず俺の事はキーツで良いよ様は要らない、君達は何と呼べばいい?・・・あぁ、それから畏まらないで、肩が凝るからね」

キーツは努めて明るい声を出す、少女は顔を上げ不思議そうな顔をする、後で聞いたところによると肩が凝るの意味が分らなかったらしい、


「・・・では、私からシェシュティン・ウーパドメ・ラーゲルレーブと申します、テインとお呼び下さい」

改めての自己紹介はどこか気恥ずかしいものがある、彼女もそのようで先程の活舌の良さは失われていた。

続いてテインは隣の獣人を促す、


「エルステ、言います」

言葉少なにペコリと頭を下げる、獣人の顔の長い狼顔の男子である。


「フリンダ」

その隣の獣人はやや食い気味にそう言って頭を下げた、獣人の猫顔の少女である。


「よろしく、テイン、エルステ、フリンダ」

キーツはそれぞれの顔を見詰め微笑むと、


「あらためて宜しくね、お腹はいっぱい?食べ足りなかったら言ってね」

と腰を上げようとする、


「あ、いえ、充分です」

とテインは恐縮する、エルステとフリンダも充分な様子で首を左右に振っていた、


「なら良かった」

キーツは座り直しそれでと話を続ける、


「さっきも話した通り、君達の安全に暮らせる所まで行きたいと思うのだけど・・・、心当たりは有る?」


「はい、私の故郷であれば、離れて長いですが安全は安全と思います、噂ではケイネスとレオパルディの難民もそちらへ流れているようですし、同族に合流するのがこの二人の為にも良いかと思います」


「なるほど、戦争が始まって長いのだよね、難民も生まれるか」


「そうですね、考えられるのはそこしかないかと思います」

獣人二人も同意のようであった、


「ではそこを目指そうか、道は分かる?」


「はい、大凡は但し・・・」

とテインは言葉を詰まらせ暫し俯き、


「そこまでの距離がかなりあります、街道を使えば7日程度、街道以外だとそれ以上だと思いますが、これも馬車を使った場合ですね、徒歩ではどうでしょう、それに街道を行きますと村と街を通る事になります、その場合、私達は捕まるでしょうか・・・」

不安気に視線を落とす。


テインの杞憂は彼等の身分にあった、目の前の人物によってその身を開放される事が確実であるとはいえ視点を変えればそれは逃亡奴隷である、軍に限らず捕まれば再び奴隷となりさらに罰も与えられるだろう。

キーツはなるようになるだろうなぁと簡単に考えている、キーツがその気になればテインの故郷迄ひとっ飛びも可能ではある、しかし敢えてその手というか過ぎた技術は使わないに越した事は無いなと自らを戒めた。


「街道以外はどうだろう?」

キーツはジルフェが作成した現地図を思い出しながらテインの思考を誘導する、


「すいません、街道以外を通った事は無いです、危険ですので」

誘導は失敗のようである、危険であるとの言葉もそりゃそうかと納得した、ではとキーツは一計を案じ、


「川沿いか川を下るのはどう?」

その案にテインは眉根を寄せ考え込む、


「タンガ川を下さるのは難しいと思います、川沿いであればまぁ・・・迷う事は無いですが恐らく険しいですよ、そう聞いています」


タンガ川とはすぐ側の大河の事である、地図上では西に流れ大海に注ぎ込んでいた、

「優雅に川下りは無理かぁ」


優雅ですかとテインはその言葉尻を掴んで鼻白むも、

「タズ川であれば下りも上りも可能だと聞いた事があります、しかし、遠いですね」

タズ川とはタンガ川より北方を流れる大河である、しかしテインの言葉通りその川迄は距離があった、二人が知恵を絞っている間獣人二人はやけに静かにしていた、キーツがそちらを伺うと二人共に瞼を重くしている、彼等の時間経過と経緯を考えれば緊張の糸がやっと切れた状態なのであろう、空腹も満たし眠くなるのも必定であげく今は暁も見ない夜なのである。


「考えるのは少し休んでからにしようか」

そうキーツは提案しつつ獣人二人を指差す、テインは二人を伺いそうですねと同意した、何か掛けるものを持ってくるよとキーツはジュウシから薄汚れたマントを二枚持ってくるとテインに渡す、

「何から何までありがとうございます」

テインはそう言って初めて微笑んだ、その言動から大人びているなと感じるがその微笑みはとても愛らしく子供のようであった。


「先に寝て、火の番は俺が」

それは悪いですとテインは言う、


「今日だけ特別な、明日からは交代で」

とキーツは無理矢理にテインを休ませる、キーツにとっては見張り等ジュウシとジルフェに任せれば良い事なのだがそう言ってもテインは理解してはくれないだろう。


テインは獣人二人にマントを掛け自分もその身を包むと横になる、眠れないかもしれないが身体を温めて休む事は生きる上で重要な事である。


さてととキーツは今後の対応について思案する、ギャエルの反応は予想外であったが三人との関係性は理想的であると考える、及第点と言って良いだろう、このまま彼等を送りつつ現地の情報を取得しながらアヤコの探索と帰還方法を探る、やってる事が刑事というよりも諜報だなと思いつつ、テインの意を汲みながら彼女の故郷迄どう向かうかが問題か、それは朝を迎えてから改めてで良いだろう。

三人を伺うと微かな吐息が聞こえる、テインもまた疲労が溜っていたのであろう吐息はやがて三重奏となっていた。

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