第1話 新しき世界にて

気付くと医療カプセルの中であった、四肢は緩やかに拘束され、身体の各所をセンサーが蠢く不快感を感じる、何度体験しても慣れる事が無い、立っているのか寝ているのか知覚不能な浮遊感に、目覚めて数秒であるというのにもう辟易とする、つまり実に不愉快なのであったこの医療カプセルは、何度も世話になり、何度も命を助けられた装置であるが、恐らくこれは自分に似た種族を想定して作られたものではないと、カプセルで目覚めるたびに感じるのである。

やがてキーツの視覚はぼんやりとした像を結び、緑色の覗き窓越しに数台のジルフェが忙しげに飛び回るのが把握できた。


「ジルフェ、状況説明を」


若干の頭痛を感じつつ、キーツはジルフェを呼び出す、整合の取れない思考の中で日常で最も使われた言葉が口を動かす、


「マスター、御気分ハイカガデスカ」


すぐにカプセル内のスピーカーから耳慣れた機械音声が響く、やや高音のそれが頭蓋に響きキーツは顔を顰めた、


「状況ヲ説明イタシマス、マスターノ容体ニツイテデスガ」


「悪い、その前に出してくれ、可能か?」


「ハイ、現状モニターニ不具合ハアリマセン、マスター自身ハイカガデスカ」


「問題無いと思う、やや頭痛はするが、二日酔いの感じに似ているか・・・、いや、これはカプセルが原因だ」


「ワカリマシタ、カプセル開放致シマス」


医療カプセルのロックが外れ、ゆっくりと上部がスライドすると同時にキーツに接続された諸々のセンサーが収納された。

キーツはふうと溜息を吐き上体を起こすと、カプセルの外縁を手摺に立ち上がる、しかし、軽い立ち眩みを起こしカプセルに腰掛け直した。


あぁーだるいと弱音を吐きつつ両手で顔を覆い俯くと、サイドテーブルにグラスと水差しが搬送される、


「マスター、水分ヲ摂取シテクダサイ、食事ノ摂取モ推奨イタシマス」


ジルフェの1機がキーツの側に近寄り浮揚する、


「分った、それで、現状はどうなっている」


「ハイ、マスターノ容体ニツイテデスガ、次元航行中ノアクシデントニヨリ昏倒、医療カプセルニ収容イタシマシタ、軽度ナ脳震盪ト判断シ投薬ニテ対応、4時間程度経過観察ヲイタシマシテ現状ニ至リマス」


キンキンと響く機械音が頭痛を増長させ、吐き気すら感じ始める、キーツはこれはいかんなと立ち上がり背筋を伸ばすと水差しに手を伸ばす、


「俺の身体は大丈夫だ、多分、それで艦はどういう状況・・・いや」


とキーツはグラスに半分程注いだ水に眼を落とし、ゆっくりと巡りだした思考の中から現状に至る記憶の再構成を進め、重大な問題に気付く、


「アヤコは、アヤコはどうなった」


キーツの口調は不安で震えている、


「ハイ、ミストレスハ現在行方不明トナッテオリマス、3時間前ヨリ捜索開始、本艦ヲ中心ニ」


「行方不明とはどういう事だ、ありえん」


「現状ヲ認識願イマス、本艦ハ原因不明ノワームホールニ遭遇シマシタ、ソノ影響ニヨリ未知ノ惑星ノ大気圏内ニ転送、ソノ際に船外活動中デアッタ、ミストレス、ソウヤ4番艦、ジルフェユニット3機、全テト情報リンク・識別リンク共ニ途絶、惑星ニ不時着後、安全ヲ確認シタノチ捜索作業開始シテオリマス」


「それが3時間前か」


「ハイ、転送時ノ時空ノ歪ミノ影響ト考エラレマスガ、マスターハ昏倒シマシタ、医療カプセルヘ搬送シ、緊急事態トミナシ、艦ノ制御ヲ掌握ノノチ水辺ニ不時着シテオリマス、艦ハ安定、船体ニダメージハアリマセン」


グラスを煽るとキーツはふうと溜息を吐き、人差し指でこめかみをグリグリと押さえ、


「困ったな、何をすればいいかまるででてこない」


改めてアヤコの任務上の重要性を感じ、それ以上の喪失感に翻弄される、不安と焦燥が心の中で渦巻きつつ、落ち着かない混乱がそれらをさらに冗長させていく、


「いかん」


何をすれば良いか、最初に手掛けるべきことはと思考を繰り返すも考えがまるでまとまらない、


「マスター、休息ヲ、思考パターンガ著シク乱レテオリマス」


キーツはジルフェを見上げ何度目かの溜息を吐く、


「そうだな、とりあえず、音声を女声に切り替えてくれ、落ち着いた方の声で頼む」


そういって、再び医療カプセルに腰掛け重い頭を右手で支える、


「了解しました、こちらで宜しいでしょうか」


瞬時に機械音が女声に切り替わり、その安定し抑揚の少ない声音が微かであるが思考の平穏を促したようだ、キーツは俯きながら声にならない独り言を並べ、動きの鈍い脳髄を無理矢理に回転させる、


「ジルフェ、確認する」


「はい、マスター」


「この惑星はデータベースに存在しないのか」


「はい、マスター、銀河連合に記録される可住惑星のいずれとも合致しません、より詳しい情報が必要であれば、調査衛星の打ち上げをお勧めします」


「可住惑星と言ったが、それの根拠は?」


「大気組成を検査致しました、前任務地「地球」及び母星の大気組成と近似しています、未知のエネルギー物質を検出致しましたが、概ね呼吸に関しては乗員2名に適すると判断致します、尚、艦内へは外気の流入はありません。重力に関しても同様です、母星1に対し、本惑星は0.982、地球は1.1でしたので、より快適と言えるかと考えます。恒星放射線及び対流放射線に関しても基準値以内、紫外線・赤外線共に基準値以内、周辺環境の光学調査により地表面については、地球と同等の構成物質及び動植物群で覆われていると判断できます、以上により、銀河連邦の定める「標準型知性体揺籃惑星」と規定されます」


「知性体の可能性は?」


「あります、視覚情報のみでの判断になりますが、集落又は街、幾何学的な街路を確認致しました、これにより本艦はそれらから距離を取り接触の危険性が少ない地点に着陸しております」


「文明度は分るか?」


「不明です、機械的規則性を持つ電波・電磁波は観測されておりません、集落の視覚情報から判断しますと銅器から鉄器時代程度と類推できますが、確定できません、しかしながら本艦センサー範囲内に限りますが数か所にて極小規模の空間歪曲の痕跡が存在し、次元孔の痕跡もあります、共に原因不明です、自然発生によるものとは考えられません」


「よく分らん文明度だな、銀河内の位置や恒星系の情報は」


「不明です、観測衛星の打ち上げをお勧めします」


「わかった、衛星の打ち上げを許可する、搭載してあったか?」


「はい、地球にて使用しなかった分がありますので、対応可能です。惑星全体を調査の為6基の衛星が必要と判断致します、搭載数は20基ありますので不測の事態を考慮しましても充分かと」


「わかった、大至急手配してくれ」


「コピー、調査衛星打ち上げ作業に入ります、軌道計算の後順次打ち上げ致します、固有名称がありません、名付けますか」


名付けねぇとキーツは軽く背を伸ばし、


「ショウケラで、附番は01始まりで」


「コピー、固有名「ショウケラ」に設定、打ち上げ順に01から附番致します」


「観測衛星はあったっけ?」


キーツは思い出したように問う、


「はい、観測衛星は3基搭載されております、観測精度を上げるため3基の同時運用をお勧め致します」


「分った、観測衛星も手配、固有名は」


再び軽く背を伸ばし、あらぬ方向に視線を巡らすと、


「カツラオだ、附番は同様に、母星への救難信号も中継できるよね」


「コピー、固有名「カツラオ」に設定、打ち上げ順に01から附番致します。救難信号の中継及び増幅は必要ないかと考えますが、可能です」


「必要ない?」


「はい、次元通信にて発信しております、反応はありません、次元空間内の通信及び航行の痕跡も発見できません、通常空間においても発信致しますか?」


「必要ないか、無用な電波をばら撒く必要は無いが、次元内でも痕跡無とは困ったな」


「はい、本艦は特殊な状況に置かれていると推測致します」


特殊ねぇ、とキーツは独り言ち漸く立ち上がると身体をゆっくりと伸ばし、体内の血流を活性化する、


「だいぶ、調子が戻って来た、アヤコについて分った事は」


キーツは最も重要な問題を問い掛けつつ、大きく身体を伸ばしていく、


「はい、現状不明であるとしか申し上げられません、本艦センサーの有効範囲外をハヤブサ4基にて探索中ですが目ぼしい痕跡はありません、ショウケラによる観測を待つのが宜しいかと」


「そうか、アヤコに関する事で何かあるか」


「はい、船外活動にて回収した不明物質についての分析結果の一部が辛うじて転送されております」


「ヘッドセットを、モニターへ映してくれ」


すぐさま白色のヘッドセットがサイドボードに転送され、キーツはそれを装着する、


「モニターを確認下さい、判明したのは外殻の構成組織と重量及び形状です」


モニターには構成組織の物質パターンをグラフ化したものと形状の3次元データが表示される、


「これは、何だ、物質パターンから生物?しかし生物が生成できない物質も含まれる?」


「はい、物質構成から生物であると予想できますが、宇宙空間に耐えられるよう外殻部に特殊な防護物質が含まれておるようです」


「聞いた事がないな、データベースに該当する生物は無いのか」


「3件あります」


「あるのかよ」


「しかし、知性を持つ生物ではありません、次元空間内の生物である可能性もありますが、であれば大発見です」


「その3件についてのデータを表示してくれ」


「はい、こちらになります」


モニターが切り替わり3つのカード状の画面が重ね合わされる、モニターの表面を指で捲りつつそれぞれにざっと眼を通す、


「怪しいのはこれか、LB009恒星系第9惑星生物・・・何だこれ・・・あぁ学術名か、通称スライム型3995」


「怪しいとは?」


「収監しているクリトラ夫婦の出身惑星がLB009恒星系の第2惑星だろ、出元が一緒だな、しかし・・・、ペットにしても手下にしても足りないな、いろいろと」


「はい、愛玩生物としての飼育例は殆どありません、知性もありませんので、巨大なアメーバの域を出ていない生物です」


「艦体に付着していたのだから、なんらかの意思を持っての筈だが、詳しい資料はあるか」


「いえ、データベースには以上です、勿論ですが犯罪歴及び犯罪に使用された記録もありません」


「わかった、取り合えず回収箱から出さなければ問題にはならないだろう、それを危惧するにはアヤコを見付けなければだな」


「はい、後10分でショウケラの発射作業に入ります、発射終了予定は10時間後、監視網完成は12時間後となります」


「よし、ならばだ」


とキーツはヘッドセットのモニターを格納し、


「今、出来る事をしておこう、その上で優先事項を決めて対処だ」


空元気に溢れた言葉で己を鼓舞し、


「艦内を調査する、ダメージは無いと思うが念の為だ、ついてこい」


「はい、マスター」


キーツは大股で医療室を出ると隣の自室へ向かう、ジルフェの操艦技術は卓越したもので、現地民との距離を置きつつの不時着という難題を熟した上に、艦内機関に影響を残さない見事なものであった、その証拠にキーツの部屋に飾られた安定性が極めて悪い女性の立像も、地球にて数度の地震にはまったく耐えられず転げ落ちてばかりいた代物であったが、飾り棚の上に直立したままであったのである。キーツはジルフェに賛辞の言葉を送るも、当のジルフェは当然ですと実に機械的な反応であった。


そこからキーツは自室とアヤコの部屋を廻り、地階へ降りた、犯罪者を捉えている牢獄に至り、4人の囚人に対応した8つのモニターを順次確認する、時間凍結処理下にある4つのカプセルに異常は無く、内部での障害も発生していないのを確認し、用心の為隔壁の3重障壁に新しいキーコードを設定する。同フロアーの機関制御室に入り、グリーンランプを確認、1階へ上がり格納庫へ、各兵器の固定を確認し、大型兵器の固定爪を締め直す、ソウヤ4番艦の定位置にぽっかりと空いた空間に寂しさを感じつつ、身体を動かすことを優先した。


そこから2階へ移動、兵器庫、ラボ、作業服ハンガーと細々とした部屋を廻り倉庫へ、問題が発生した状況のまま放置された倉庫内は雑然と散らかっているが、とりあえずとちらばった品々をコンテナへ放り込み茶道具のみを持って3階の食堂へ戻り、一息つくこととした。


キーツは食物用レプリケーターを操作し、アヤコオリジナルのレシピを呼び出す、幾つかの品から地球で覚えたとアヤコが嬉しそうに話していた茶色のスープと馴染みの黒パンを選択した。

調理中に茶器を洗っておこうとシンクへ向かうも見慣れない器に、はてどうやって洗うのかそもそも洗ってよいものかと思案するが、まぁ構わんかと適当に水洗いし洗浄機へ突っ込んだ。


「さてと、ジルフェ、今後の対応を検討しようか」


キーツはペーパータオルで濡れた手を拭いつつ、レプリケーターに近いテーブルに着く、


「はい、マスター」


濡れたペーパータオルでテーブルを拭いた後、丸めたそれをテーブル脇のリサイクルボックスへ放り込むと、


「まずは、アヤコの捜索救助、これだ第一だ」


「はい、マスター、異論はありません」


「アヤコがどういう状態にあるか皆目検討もつかないが・・・」


ふと最悪の状況に考えが及ぶもそれを言葉にするのに非常な不快感を感じ、言葉を詰まらせる。


「・・・アヤコであれば、どんな状況でも何とかする、絶対に」


自分に言い聞かせるように言葉を続けた、


「勿論です、マスター、ミストレスはパネェです」


「・・・何それ」


「ミストレスが教えてくれました、称賛の言葉だそうです、誉め言葉であり、半端ないの短縮語だそうです」


「あいつ、変な言葉好きだよな」


「同意致しかねます、言葉は潜入同化の最優先事項であると認識致します」


「まぁ、そうだけど」


調理終了の機械音が響きキーツは椅子に座ったままレプリケーターのトレイに手を伸ばす、水が欲しいなと周囲を見渡し結局立ち上がって飲料ボトルを手に取った、


「ちゃんと飯食えてるかな」


「その点については、ミトスレスはマスターを遥かに凌駕する技術を身に着けていると考えます」


「そうかな、うん、・・・そうだね」


キーツは席に着き、黒パンを毟り口へ運ぶ、


「美味いな、レプリの黒パンだけはお勧めだ、そう思わない?」


「食事の経験がありませんので、同意しかねます」


「うん、知ってる」


そう言って、スープへ手を伸ばし口を付けるが同時に吹き出しそうになるのを堪える、


「しまった、味噌汁はパンに合わない」


困ったなと一瞬躊躇するが、しょうがないと諦め黒パンから片付ける事にした、


「ミストレスがいれば、爆笑する所ですか?賑やかしましょうか」


「いらんよ、それよりも、捜索について・・・というか今回巻き込まれたワームホールと言ってよいと思うが、あの事象は何だと思う」


「はい、観測データと類似するデータを検索してみましたが、該当するものはありません、中央への問い合わせも試みましたが、勿論ですが返答はありません」


「推測は可能?」


「はい、推測で良ければですが、宇宙の重なり合わせ理論を構築したシュット・クライゼン教授の論文に予測として次元空間のワームホール自然発生に関する記述があります、他同様のテーマに基づく論文は2千を越えますが、現時点ではどれも実証されておりません、それらを総合的に勘案しますと、極めて稀でありますが、通常空間の干渉により次元空間内に歪みが発生、その歪みが蓄積しワームホールとしてエネルギーが発散されたのではないかと考えます」


「しかし、それでは同じような事象がもっと観測されそうなものだが」


キーツは思案を巡らす、恒星間航行から銀河内航行への技術向上の過程で、銀河連合に所属する各文化圏はほぼ必ずと言ってよいほど次元空間を活用したワープ航法を確立している、その基礎的な理論は初等教育で教えられるほど一般的な知識であり、ワープ航法を応用した次元空間の利用は、日常生活においても通信分野・運送業・惑星上の移動手段等々転用可能な分野には、それはやり過ぎだろうと思える分野にまで遍く利用されている技術である。

それを踏まえると銀河連合の規模を考えただけでも通常空間から次元空間への干渉は計測するのが難しい程膨大で、またそれに使われたエネルギーも比例していると考えられる、ジルフェの言う干渉による歪みの蓄積が原因であるなら、数刻前のあの事象が銀河連合国家群初の遭遇であるとは到底思えないし、今日まで発生しなかったのが不可解ですらある。


「データを中央のラボに送りたいな、勲章ものの大発見だよねぇ」


「はい、マスター、この事象をキーツワームホール又はアヤコワームホールと名付けたいと考えますが、如何でしょうか」


好きにしろ、とキーツは言って黒パンの残りを頬張り味噌汁で流し込んだ、うん、やはり合わない、が、慣れればいけるか等と思いつつボトルの水を追加で呷り、大きく息を吐いた。


「それでと、第二は第一を達成した上での、母星への帰還だ、第一に何らかの決着が着かない限り後回しで良いが、現在地が不明である点が最大の問題点だ、現在地に関する情報はどれだけ有る?」


「はい、現在地に関する詳細を述べますと、標準型知性体揺籃惑星と規定される点は説明致しましたが、惑星情報はデータベースに存在しません、本艦センサーによる恒星及び衛星、星の配置等々から推測致しますと我々の拠点銀河内では無い可能性が高いです、より正確な位置情報は観測衛星を待つ必要がありますが、それでも分らないという結果が得られる可能性が高いと考えます」


「・・・我が銀河連合の誇る最新型巡視艇とデータベースを持って「分らない」しか分らないとは皮肉だな」


「申し訳ありません、次元空間へのアクセスも不安定です、継続してアクセスを試しております」


「不安定とは、そんな現象は聞いた事が無い」


キーツは額に手を当て、自分の置かれた状況に顔を顰める、


「はい、次元空間内の銀河ネットワークを検出できません、次元空間へのアクセスそのものも不安定です、考えられる原因としまして、拠点銀河から離れすぎており次元空間との重ね合わせが希薄な地点であるからと推測しますが確定ではありません」


「・・・ということは・・・」


キーツはボトルを呷る、


「帰還の方法として、次元航法も通常航法も使えないという事か・・・」


「はい、どちらも現時点での解決方法としては不確定要素が多すぎます、確実な方法ではないと考えます」


「すると、母星へ戻るためにはどのような方法がある?」


「はい、遭遇したワームホールを逆に辿る方法、未知の領域を探索し拠点銀河へ戻るワームホールを発見する事、等ですがこちらもお勧めできる方法ではありません」


キーツは深いため息を吐いた、端的に言えば絶望的な状況である、明確で確実な解決方法が見付からない、こんな時にアヤコが居れば何とか知恵も出せそうであるがそれも望めない、最新鋭の機械に囲まれこれほどの閉塞感を味わうのは初めてであった。


「となると、まずは艦内の問題についてだが」


キーツは天井を仰いでテーブルにどかりと両足を投げ出した、アヤコが居たらキーキーと怒られる行為である、


「収容している容疑者について・・・、時間凍結の進度を下げるか・・・、今は標準?」


時間凍結とは収容物の時間の進み方を遅らせる処置である、それはあらゆる物質に対応可能で生物にも有効な拘束手段である、勘違いしてはならないのは遅らせる処置であって、完全に停止する事はできない、それはあらゆる物質の活動停止を意味し、素粒子レベルで崩壊させる事と同義である。


「現在は標準の1万倍設定です」


「1万ならいいか、うーんと1日が1万倍で」


「連合標準時間で対日計算ですと31年2か月です」


「充分か、ついでと言っては何だが、アヤコの部屋とアヤコのコンテナも凍結しておくか、後が怖そうだし」


「はい、ミストレスの自室は処置可能ですが、コンテナは現在倉庫Aに収容されております、凍結処置は倉庫Cでのみ可能です、コンテナを移動しますか」


「倉庫Cは殆ど使ってなかったよね、了解、移動を頼む、移動終了しだい処置を開始」


「コピー、ミストレスの自室を閉鎖の上時間凍結処置、倉庫A内のミストレス名義のコンテナを倉庫Cへ移動、移動完了後倉庫Cを時間凍結処置、標準設定にて処置します」


「それと、ラボでアヤコが何がしか実験してなかったか?」


「はい、実験中の案件としまして合成樹脂への退色実験が複数、実験が完了している案件としまして食料品の試作品が複数確認されます」


「なんだそれ、うーん、ラボも凍結しとこうか、いや、実験中か、ほっとくか」


「はい、実験中の案件に関しては経過観察を申し使っております」


「んじゃ、それは続けて貰って・・・うん・・・整理すると、第一第二共に衛星待ちか、監視体制・観測体制が準備完了したとして・・・解決策が明確になる保証は無いと」


「はい、命題とされる2点についてはその通りかと考えます」


手詰まり感に苛立ちを感じる、何かをしなければならない、やるべき事がある筈と漸く回転し始めた脳髄が動け動けとせっついて来る、天を仰いでぎゅっと眼を閉じ胸の上で組んだ両腕に強く力を込めて自身を縛り付け、目的も無く動き出そうとする衝動を抑え付けた。

しかし、何もしないという選択肢は悪手であろう、


「・・・外部映像をテーブルモニターへ」


キーツは椅子へ座り直し、食卓兼会議テーブルのモニターを起動させる、テーブルの中央部から半透明の衝立がせり上がりモニター機能が起動された。


「はい、暫定方位に従い四方をモニターへ送ります」


モニター内に四つの外景が投影された、北側と東側に青く広々とした海洋が広がり、西側と南側には重い緑色に生命を内包した広大な森林が広がっていた、キーツは既視感に囚われ軽い混乱に眩暈を覚える、


「・・・どこかで見た景色・・・だね・・・、地球かな?」


「いいえ、映像は本惑星です、標準型知性体揺籃惑星の標準的な自然環境であると規定されます」


キーツは新たな問題点に気付き、後ろ頭を掻いた、


「うーん、これは困ったな、軽々しく生身で外出が難しいか?」


「はい、生物学的調査を行い、免疫調査、検疫検査等、各種手続きを踏みませんと船外作業服を使用しない外出行動は連合規約に違反致します」


生命に溢れた惑星である、それは祝福される事で喜ばしい事であった、と同時に未知の細菌、生命体、知性体に溢れているという事であり、特に未知の細菌類・病原菌は惑星外生命体にとっては生命の危機を意味している、銀河連合の歴史に於いてもそれら見えない物質により探検隊が全滅した事実は枚挙にいとまがない。また逆の視点から論ずれば、訪問者が菌をばら撒く懸念がありそれはまさに自覚の無い生物兵器であった。


つまりは高度な技術を持った訪問者といえど所詮生物なのである、生物とはそれ単体で生命活動を維持する事は稀であり、様々な菌や細胞内異生物を無意識下で制御することにより、自己の生命活動を円滑に運用しているものである、しかしながらその菌や異生物が惑星環境を破壊する事例もまた枚挙にいとまがない、銀河連合の歴史上3つの大規模な破壊例が有り、その反省から生まれた諸々の規約は他惑星へ出向く者が最も遵守しなければならない約束事として周知されていた、キーツが対する犯罪者もその点だけは連合規約に従っている程である。


「うーん、俺の滅菌は可能として暫くはヘルメットが必要かな、ヘルメットだけで充分?」


「はい、周囲8.5km内の外出であれば、滅菌作業は標準レベルの処置で充分かと考えます、大気組成は地球のものと大差ありませんので、細菌フィルターを装備したヘルメットのみで活動可能ですがお勧めいたしません、ジェルスーツ及びいずれかの船外スーツの使用をお勧めいたします」


周囲8.5km内の規制は、事が起こった場合の焼却可能な範囲でもある。


「わかった、戦闘ユニットは・・・、やり過ぎか、一応警棒は持っていこう、それとソフトタイプの船外スーツを用意してくれ」


「はい、2Fハンガーに用意致します、外出されますか?」


キーツは、そうだなと言って勢いよく立ち上がり、


「この時間を有効に使おう、調査任務として周辺探索、生物サンプルの収集を主目的とする、範囲は本艦周囲8.5km以内、任務記録を頼む」


「はい、作業支援にジュウシを帯同致しますか」


ジュウシとは自立型支援ロボットである、用途によりサル・イヌ・キジの補助ユニットを付け替える事が可能で、ジルフェ一機を連結して使用する、


「そうだな、ユニット・サルで同行」


「コピー、調査任務として事前作業より記録開始致します、連合暦に続き001番として記録、ジュウシ起動ジルフェ接続、サルユニット装備、マスターの外出に先立ち船外へ射出待機致します」


キーツはジルフェの復唱を確認しながら、2Fハンガーへ足を運ぶ、未知の惑星探査は初体験だなと今更ながらに気付き軽い高揚感に包まれた、キーツが軍部に入る頃には銀河内の可住惑星と考えられる惑星のうち次元航法で行けるそれはほぼ全て探査が済んでおり、非可住惑星の探査は作業ロボットによるルーチンワークと化していた、半自動で情報のみを本部に送ってくる探査業務は実に味気ないもので、銀河連合内の該当部署は学者肌というより情報分析を得意とする老人が多い印象がある、銀河連合発足当時は冒険者気質の若者と様々な分野の血気盛んな学者が喧々諤々と活気があったと歴史書に書かれるほどで、今では往時の勢いは無くなったとこれまた老人の記した回顧録にて嘆きとも憂いとも取れる愚痴を流し読みした記憶がある。


確か惑星探査マニュアルがあったなとハンガー内で紫色の球体へ手を翳しつつ検索すると、策定されたのが300年も前の代物であり、最終更新でさえ50年も前であった、それほど長きに渡り惑星探査という作業そのものが為されていない事の証左でもあり、マニュアルの確実性の証左ともなるが、何か寂しいなとボソリと呟く、と同時に未知の可住惑星の発見と探索がどれほどの偉業であるかを改めて実感するに至り、先の回顧録の3分の2を占める惑星探査の記述はまさに冒険譚としてエンターテイメント性に富んだパートであったのを思い出した、やたら人が死に、病気になり、食われる、さらに当時の最新鋭である機械群も容赦なく壊れていった、その創作を遥かに凌駕する娯楽性は幾つかの演劇や空想作品の元ネタに採用されており、老若男女問わず親しまれていた。


それはつまり、未知の惑星探査は非常に危険なのである、冒険家と呼ばれる専門職の人間を持ってしても、最新鋭のAIや技術を持ってしてもである、ましてキーツの置かれた状況は決してそれに適した状況である筈も無く、キーツ自身にもその経験どころか教育訓練も施されていない、さらにアヤコの置かれた状況は輪をかけて酷いものであると考えられた、最悪の状況を考えないように務めてきたが、与えられた乏しい情報から導き出される結論は良いものにはなりえない。


球体からジェルスーツが展開され頭部から下をスッポリと覆い定着する、着衣の上に薄い膜状に張り付くジェルスーツと呼ばれるそれは液状のポリマーをナノマシーンで制御し、周辺環境から着用者を守る様々な機能を有した万能装備である、着用者にとって快適な環境を被膜一枚で構築し、無意識下に行われる発汗作用等の生理現象もストレス無く処理される、なにより重要なのが非常に処置の難しい生体表面の滅菌処理が不要である点であった、キーツの持つ細菌類がこの星の環境に影響を及ぼさない事が確認されるまでは必須の装備であると言える、開発は水生知性体の手によるもので本来は全身を覆いあらゆる環境下において水生環境を再現するものである、その利便性が認められキーツのような陸生生物用に改良された技術である。


さらにソフトスーツを着込みヘルメットを装着すると滅菌室の殺菌区画に立ち簡易殺菌を受ける、微かな機械音とガスの噴出音に包まれバイザー越しの視界が霞に沈みやがて静寂が室内を満たした。

唐突に訪れた沈黙の時間は、キーツから子供じみた高揚感を払拭する、それはようやっと仕事をする心構えになったという事でもあった、殺菌を終え減圧室兼出入口に歩み出る頃にはもう少し高揚感を楽しみたかった等と己を冷笑する、彼は本来生真面目な皮肉屋であった。


「ジルフェ、出るぞ」


キーツは外扉のキーロックに左手を翳す、全身をスキャンされロックが解除された、警告灯が赤から青に変わり壁内の閂が動く音が狭い室内を微かに揺する、やがて重く厚い扉がせりあがると仄暗い室内を自然光がゆっくりと浸食していく、キーツの顔を光線が覆いバイザー越しの薄青く着色されたそれでもキーツは思わず眼を薄めた、扉が開き切りタラップが降り始める。


キーツの眼前には陽光に光り輝く大河が広がっていた、川辺に不時着した艦の岩場の直下は緩やかな川の流れが生物の肌のような一体感をもってうねうねとその道を走っていた。


タラップが降り切る迄彼は幾度か経験した事のある独特の解放感を楽しんだ、2人で使用するには大きすぎる艦ではあるがやはり閉塞感は否めない船内生活からの解放感である、地球を立って数日も立っていないが、


「素晴らしい天気だな」


陽光に包まれる幸せが素直に口に出る。


キーツはゆっくりとタラップを降り始める、重力に違和感は無い、重すぎず軽すぎない、丁度良い重力であった、恐らく地球のそれと同等か若干弱い程度かと体感する、本星から地球へ赴任した際はその重力の強さに慣れず、さらに惑星周波数が違い過ぎて数日惑星酔いに苦しんだがこの星に対してはその心配は無さそうだ、酔い止めは準備されているが頼る必要はないだろう、タラップが終わり、岩場に至る、この惑星への第一歩を刻む、岩場であるが故に足跡は残らないだろうがそれでも記念すべき一歩であった。


「マスター、恒例行事を行いますか?」


不意にジルフェの通信が入る、


「なんの?」


「惑星探査に於ける慣例に従いますと、生命体の初到達時にはその第一歩を記念し、連合旗の掲揚と記念碑の建立、これは簡易的なものになりますが、それから非常食を大地に捧げるとあります」


「・・・聞いた事はあるが、今回は見送るよ」


キーツはそう言って岩場に降り立った、不規則な自然の造形物を足裏に感じつつ踏み締める、不動の大地の持つ独特の安定感がそこにはあった、たかが数日離れていた感触であったが根源的な安堵を感じると同時に凄まじい威圧感に襲われる、巨大すぎる何かに対する恐怖を内包したそれは惑星を訪れた際に必ず感じた、余所者である彼に対する排斥を伴った惑星の持つ純粋な自己防衛の一種なのかもしれない。


「ジルフェ、探索を開始する」


まずはとキーツは周囲を見渡す、艦が不時着した地点は岩場による広い平地である、周囲を木々が覆いそれは森林と呼べる広さを持っている様子であった、さらに一面は大きく開け大河が光り輝いている、このロケーションなら艦を隠しつつ艦の水平を保つ為の余計な仕掛けも必要無いと考えられ、いざとなれば大河への退避も容易であった、艦の隠蔽には最適な場所である、技術力の高い文明社会であれば遮蔽装置の起動も必要な所だが現状の情報内容から類推するにその必要は当面必要無いだろう、


「森に入る、南側へ、周囲に道は確認できる?」


「ハヤブサによる探査に獣道及び街路に該当する情報収集は含まれておりません、周辺地図は鳥瞰写真によるものが作成可能ですが、動体から回避行動を優先している為完全な物ではありません」


「ん、ハヤブサ展開中だったね、周辺地図を更新しつつこちらの端末へ、不完全なもので構わない、ジュウシに先行させつつ木々に分け入る」


「了解しました、ジュウシ先行させます、ヘルメット端末へ情報送りました」


バイザーに艦を中心とした鳥瞰図が映り込む、視線操作で右上にモニターを固定すると、左下の方位表示をガイドに歩き出す、艦の影より白色の人型機械が悠然と歩み寄りキーツを先導するように進み始めた、支援ロボット「ジュウシ」である、全高2m、特殊合金製の基本骨格にナノマシンを含有した液体金属で外殻が構成されている、白色に輝く現状の姿態は通常運用時のもので用途・目的により外殻を変形させる事が可能である、人型であるが浮遊移動している為足音は無く、時折ユラユラと上下動する以外は空中に静止したまま移動する為、ジュウシそのものに視点を合わせて行動すると若干クラクラする時があるのが玉に瑕である、頭部にジルフェを格納し、2本のメインマニュピレーターと人間の胸部にあたる箇所に4本のサブマニュピレーターを持つ、メインマニュピレーターは作業用、胸部のそれは工作用である、脚部は通常折り畳まれ必要によって展開される、特に重力下での力仕事は機械といえど足腰が重要なのであった、現在の装備は「サル」と名付けた調査任務用ユニットである、腹部にマニュピレーターが2基増設され胸部のそれよりもさらに細かい作業が可能となっており、背部にはサンプル収納容器、腰部には各種検査機器を装備している、基本的に武装を持たないが警備用のスタンブレードを念のため持たせていた。


「森に入ります、枝葉を落としつつ先行、動体反応計測、下生えは未処理の為足元に御注意下さい」


ジュウシの頭だけが180度回転しキーツに話掛ける、回転する必要もこちらを見る必要も皆無であるが、知性体とのコミュニケーションを円滑に図る為の工夫であるらしい、それなら首だけ回すのは如何なものかと毎回思う、外観が人型であるのも手伝ってか時々ギョッとするのである、


「了解、引き続き先行してくれ」


そう言って、森に分け入る、森の中は静かであった、知性体の手が入っていない為か原生林の趣きが強く、単一の樹木が大きく育ち太く逞しい幹を誇らせ、広く茂らせた上空の青葉は陽の光を独占していた、その為日中と言えど森の中は薄暗く、木漏れ日でも満足する低木や陽の光を厭う苔、大木に寄り添い絡みつく蔦植物等が異邦の闖入者を歓迎する、時折小動物の鳴き声が響くも木々の間を木霊し霞と消えた、豊かな森である、大型の生物は気配さえしないが小動物や昆虫類が忙しなくキーツの視界を掠めて消える、


「見た目は地球と変わらないね」


キーツは木々の間に目を凝らしつつそう言った、


「はい、視覚情報だけですと、針葉樹林によく似た植生かと考えられます」


「すると、ここら辺は寒い方なのかな?」


「比較対象が無い為、寒暖については情報不足です、年間気温の測定が必要です」


「・・・そうかい、この大木についてサンプル収集、建材として優秀そうだよね」


「コピー、サンプル収集します、この大木をスギと仮名呼称します、正式名称は後ほど名付け下さい」


「・・・もしかして、発見した動植物全てに名前を付けられる?」


「はい、DNA情報他の詳細情報を連合へ送信する必要がありますが、認められた場合マスターが発見者とされます、命名権を有しますし、独占権も認められます期間限定ですが」


「そりゃ、大変だ、惑星一個分の動植物かよ」

軽い眩暈を感じる、


「よって、近々の必要性を鑑みますと、地球で使用されている名称を仮称として使用するのが効率的と判断致します、視覚的に類似する動植物から一般名称を拝借致しましょう、惑星探査マニュアルに準じた方法です」


「わかった、それでいこう、だからスギなのね、この大木」


キーツは改めてスギと仮称された大木の表面を撫でさすり見上げた、枝葉は上方にいくほど生えているが大きな枝は無く、一本の幹が真っすぐに屹立している、下生えに積もった枯葉は細く長い、枯葉の内に大ぶりな木の実が散在し、地球のスギとはやはり違うのだと認識できた、その実がこの大木の物であればであるが。


ジュウシはサンプル収集を終え周囲を探索し始める、


「サンプル収集終えました、周辺の土壌サンプル、蔦植物、菌類の採取を始めます」


「了解、続けてくれ、ある程度採取が完了したら連絡を、俺は周囲を探索する、何かあれば連絡する」


「了解しました」


キーツは木々のやや開けた方向へ歩き出す、ジュウシの先導が無い為葉の少ない枝がバイザーを打ちソフトスーツの所々を名残惜し気に引っ掛ける、時折羽虫が纏わりつき二三度彼の頭部を周回すると興味無さげに遠ざかった、キーツは歩き易いポイントを探しつつ歩を進める、やがて若干開けた場所に出た、木々の枝葉が及ばず薄暗い森の中にあってその広場だけが太陽光の恩恵に浴していた。

50m四方程度のその広場の中心には大振りの岩が鎮座し、側には流れの少ない湖沼がある、出入りの川が見当たらず湧き水が溜り何処かへ抜けていっている様子で飲料に使うのは躊躇われる水質であった。


「ジルフェ、湧き水を発見、そちらが終わったら調査を頼む」


「了解、作業完了後合流します」


水溜まりを覗き込み軽く掻きまわすと数種の生物が慌てて泳ぎ廻りやがて一時の安住の地に留まるも、警戒を解かずじっと周囲を伺っている、地球駐在員のチュクュフさんなら歓喜して採取しまくるだろうなとほくそ笑む、彼女は生物学者兼風俗学者なのであった、彼女に比べればキーツの生物分野への探求心は微生物レベルである。


突然艦の方向から破裂音が響いた、そちらを見上げると雲が直線の筋となって天空へ伸びている、衛星の打ち上げであった、結構目立つな等と考えつつジルフェに確認すると、3度目の打ち上げであるとの事と作業は順調である旨の返答があった。


キーツは暫しロケット雲を見上げやがて風にかき消されるのを眺めると視線を落とし大岩の周囲を探索する、大岩を挟んで水溜まりの反対側に大きく開いた洞を発見した、自由に生い茂る雑草で覆い隠されているが縦横2メートル前後の開口が黒々と光を吸い込んでいる、足元には雑草で隠された獣道らしき筋が森から洞へと続いている、キーツは洞に背を向け獣道を森へと辿りつつ痕跡を観察し推理する。


地面の固さと足跡の大きさから体重50キロ程度の生物の群れ、森の中の様子から対象生物は1.5m程度の大きさ、その高さで枝葉が切り払われ、よく見ると目印のような引っ掻き傷が地面から1m程度の高さで散見される、それなりの知能を持つ生物のようであるが、人工物らしきものは無く火の跡も無い、隠蔽が上手いのか洞の中に集約しているのか現時点で定かではなかった、最も奇妙な点はその足跡の大きさである、予想される体長から考えると不釣り合いに大きかった。


キーツが森から引き返し洞の中を覗き込んでいると、ジュウシが合流する、


「マスター、発見されたのは湧き水だけではないようですね」


「あぁ、中々興味深い洞窟のようだ、恐らく知能を持つ動物の群れが此処を根城にしていると思う、予想としては中型生物、全高1.5m程度」


「なるほど、音響探査の上構造を表示します」


ジュウシは洞の前に立ち腰部に装備されたユニットセンサーを起動する、球体がジュウシの胸の高さまで浮遊し赤く点滅すると再び腰部に格納された、


「構造でました、送ります」


ジュウシは顔を180度回転させそう言った、キーツはバイザーに映る構造図に眼を走らせる、洞窟は入り口から急激な坂道となって10m程度下り、20m四方の大部屋に繋がる、そこから4つの小部屋が繋がり、1本の廊下を通じてもう一つの大部屋へと繋がっていた、入り口は眼前の洞だけ、6つの空間を持つ洞窟であるらしい。奇妙な点はその最奥の大部屋に幾つもの穴が確認される点である、深さ約2m程度の竪穴が掘られ内容物も確認できる、その詳細までは不明であるが人工物である事は間違いなかった。


「動体反応ありません、生物反応微弱です、音響探査に対する反応ありません」


「了解、恐らくここの主は外出中だ、大まかに調査して撤収しよう、ジュウシはここで待機、5km四方の動体反応チェック、湧き水の調査も可能であればすませてくれ」


「コピー、湧き水調査、後衛待機致します」


ジルフェは洞窟の入り口から湧き水へ移動し、キーツはそろそろと洞窟内に踏み込む、入り口から入る光はあっという間に途切れ洞窟内は簡単に闇へと落ちた、キーツはポーチを弄り浮遊ランタンを天井ギリギリに固定浮遊させると明るさを調整しながら歩を進める、急な坂道は湿って柔らかく壁に手を添え慎重に降りていく、やがて大部屋に至るとそこは広く乱雑として荒らされた倉庫を思い出させる空間であった、散乱した物品は多岐に渡り破れた衣服、皮革製品、錆びた鉄製の何か、割れた樽と木箱、大型動物の白骨等々、それらは他の部屋へ繋がるであろう通路を形成するように積み重ねられている、


「この惑星の文明度を測るには丁度良い貝塚だな」


キーツは足元に転がる木製の残骸を手に取る、円盤状に形成され中央付近に持ち手がついており所々鋲で補強されている、持ち手の反対側恐らく表側には大小様々な傷が有りその程度からするとこの物品は恐らくその用途に耐える代物では無くなっていた、


「円盾か、クラシックだね」


宇宙船で意図せず来訪することとなったキーツにとって、この惑星の産物はほぼ全てクラシカルな品になるのは必然である、地球に至った際も極めて同じ感想をあらゆる品々に感じたものだ、


「ジルフェ、こちらのセンサーを介して物品の情報収集を頼む」


「はい、各種センサー起動し接続します」


「できるだけ収集して欲しい、博物館に紛れ込んだ気分だ」


「コピー、対物センサー起動、スキャン開始します」


ヘルメットの側面がスライドし幾つかのセンサーが姿を表す、バイザーモニターに手にした円盾のスキャン結果が流れ始めた。


キーツは興味深げに他の品に手を伸ばす、どれもこれも破損しその用を為すとは思えなかったが、材質、加工方法、用途等技術度を測る上で重要な情報を手にする事ができた。


「ジルフェ、スキャンを続けたままにしてくれ、他の部屋に入る」


了解と簡単な返答を耳に受けつつ小部屋へ向かう、扉のような仕切りは無く腰程度の高さの開口部を屈んで潜る、大部屋に比べ物品は少なく泥と何かに汚れた皮か布らしきものが不規則に並べられていた、これがこの洞窟の主の寝所なのであろうか、その汚れたベッドには対になるように桶や割れた土瓶に水が溜められており、それらが個体毎に設えられている様子である、ベッドは50cm四方で極めて小さい。キーツが予想する1.5m程度の体長ではこのベッドでは小さいだろうと訝しむが、予想が外れている可能性もあり、洞窟の主の生態に俄然興味が湧いてくる、他の小部屋も同様のしつらえであったが、一部湧き水が壁面から滴り落ち小さな水溜まりを形成している部屋があり、その側に並べられた毛皮は他の寝所とは異なり大振りで、キーツでも充分に横になれる広さである、ここがボス格の私的空間なのであろうか、その小部屋のみ入り口と天井が高く壁面にはなにやら壁画めいた文様が彫られ、描かれる際に用いたと思われる棒切れや塗料替わりの壁面の土とは明らかに違う色の土塊等が散乱している。


「ジルフェ、この文様の分析を頼む」


キーツは文様をなぞる様に視線を動かす、


「はい、考古データベースより類似文様を検索します」


ややあって、


「マスター、類似文様は多種に渡ります、意味合いも様々で推定される文章だけでも2千を越えます、言語データベース、紋章データベースの検索も有効かと考えますが、如何致しますか?」


珍しく困惑した声が返ってきた、それはきついなとキーツは苦笑いを浮かべ記録しておいてくれと指示を出し大部屋に戻ると、奥の部屋へと足を向けた。


最奥の部屋は構造図で見た通りに幾つもの穴が掘られており、大部屋と同規模の空間であった、しかし天井は低くキーツが直立できる程の高さは無い、この部屋の主たる目的はこの穴にあるのだろう、穴は直径2m程度深さは個々で違う様子である、手近な一つを覗き込むとその醜悪さに言葉を失った。


穴の中は肉溜りとなっていた、生物の死骸であろう肉塊が乱雑に放り込まれ惹き付けられた小動物がその表面を蠢き貪る、主を失った眼球が虚ろに空を睨み、乱暴に引き千切られた四肢が力無く死骸の坩堝るつぼに横たわる、キーツは一瞬不覚に陥るも頭を振って意識を保つ、


「マスター、御注意をメタンガスを検出しております、大気内の細菌類も劇的に上昇しております」


ジルフェの注意喚起を切っ掛けに大きく深呼吸をし、静かに穴の中を観察すると、


「ありがとう、原因は判明している、この穴の中をスキャンしてくれ、生物サンプルとして活用できないか?」


キーツは変わらぬ声音で語りかける、


「了解、C型スキャン体を投下願います、映像情報から数種の野生動物と推測されますが、穴の底で動体反応もあります、その点も御注意下さい」


「わかった、C型スキャン投下、操作頼む」


キーツはヘルメットの側頭部から銀色の立方体をを取り出し穴へ投下した、肉塊の上にポトリと落ちたそれは蠢く小動物に翻弄されながら起動する、正方形のスキャン体は瞬時に肉塊の表層を霧状に散開し静かに沈降していった。


「スキャン開始します、お待ち下さい」


ジルフェの声を受けキーツはその場を離れ他の穴を確認する、どの穴も内容物は変わらなかったが奥に行くほど新鮮なものであるらしかった、膝立ちで不安定な足元を移動する労苦に根を上げ始めた頃最も奥の穴に辿り着く、その穴には明らかに人と思われる頭部と四肢が確認できた、金色の髪が泥と血に塗れ絡み合い苦悶に引き攣った表情のまま血の気の失せた皮膚がテラテラとランタンの光を照り返す、詳しい調査が必要ではあるが数日以内に遺棄されたものであろう、頭部は視認できるだけで4つ、キーツは暫し思案し逡巡しながらその一つに手を伸ばした、


「マスター、スキャン結果でました、モニターへ映します」


頭部に指が触れるか触れないかでジルフェの通信が入る、そこで手を止めジルフェへ返答する、


「結果は?」


「はい、死骸から6種のDNAを検出、残存骨格から10体分の残骸であると推測できます、他生存する小動物が13種、中型生物の幼体と思われる生物が1種15匹確認できました」


「幼体?」


「はい、中型生物は底部にて活動しております、死骸から栄養を接収し生息している様子です」


「すると、この穴は巣穴?」


「より正確には育児穴と呼称できるかと考えます、同様の生態を持つ生物としてはユグナス惑星系ヨルノ星に生息するリックイ種、マルホ連星系キュレン7号星に生息するニュマンダ種等があります、これらの生物は土中に胚と栄養となる食物を埋めます、胚が成長し幼体になるとその食物を摂取し成体になります」


「なるほど、するとこの穴全てにその生物の幼体が収められていると」


キーツは振り返り室内を見渡した、


「では、こちらも確認してくれ、人の頭部に見えるがどう思う」


キーツは伸ばした手を戻しつつジルフェに問い掛ける、


「はい、人体の頭部に酷似しております、標準的知性体として認定可能な容姿であると考えますが、頭部のみでそれを判断できません」


「回収して調査しよう、比較的新しいから脳内データも劣化が少なそうだ」


キーツは思い出した様に手を合わせて黙祷する、地球で身につけた鎮魂の礼であった、それから手の届く範囲で頭部のみを拾い上げる、視認できた4つと埋もれていた2つを慎重に取り上げそっと床に置いた、一つ一つの苦しげに見開いた瞳を閉じ口元の汚れを拭う、遺体は頭部と四肢が胴体から切り離され、胴体は胸部と腹部に切断されている、切断面は刃物を用いた綺麗なものから力任せに千切られたものもある、それらが乱雑に放り込まれているように思えたが胴体部が下層へそれ以外が上層へと恣意的に積まれているようにも見える、それらは皆裸体であり、遺体の一部には入れ墨も確認できた。入れ墨は単純な文様で、手首に2重の輪を黒色で掘られている、これも文化を示す貴重な情報であると思い立ちその腕も回収する事とした、キーツは腰部ポシェットから回収袋を取り出すと慎重に収集物を収めその部屋を後にする。


ジルフェへ帰還の意思を伝えキーツは来た道を引き返した、洞穴を抜けると陽が陰り始め、森の切れ間にあるこの広場は完全に木々の影に埋没していた、


「ジルフェ、作業報告を」


「はい、水場の調査を終了、サンプル収集致しました、他異常無し、周囲に動体反応微小、小型動物のみ反応がありました」


「了解、こちらは頭部を採取ついでに入れ墨入りの腕も回収した、艦に持ち帰ろう」


回収袋をジュウシへ渡すと、


「マスター、提案があります、マスターの調査した穴の遺伝子調査の結果、獣と思われる生物の中に知性体が含まれる可能性があります」


キーツはジュウシの頭部を見詰め、


「獣型知性体?・・・しかし、あの穴の死骸は古すぎると思うぞ回収しようにもなんともなぁ」


「左様でしたか、マスターの意向に沿います、個体記憶のデータも調査したい所ですが」


「それは、取り合えずその袋分で済ませよう、出来れば言語データが欲しい所だが、まずは戻ろう、久しぶりのヘルメットが鬱陶しくなってきた、それにこんな自然環境の中でノーマルスーツまで着こんでいるのがなんか違和感ありすぎて」


そういいつつ浮遊ランタンを回収しヘルメットの照明ボタンを入れる、照射型の灯りが足元を照らした瞬間、


「マスター、動体反応確認、南東5km、中型生物群、数35、こちらへ接近しています」


ジルフェはやや早口に警告を発する、


「洞窟の主か?」


「不明です、が・・・」


「が?」


「マスターの予想された生物と体長が一致しております」


「分った、ジュウシを艦の方向へ退避、どのような生物か興味がある、観察しよう」


キーツはそう言って周囲を確認する、


「森の出口付近にスキャナーを設置、俺は岩場の影に隠れる」


「コピー、ジュウシ退避します、スキャナー設置致します」


ジュウシの頭部からジルフェが射出されると森の出口へ向かい飛翔する、ジュウシは艦の方へ移動し、キーツは岩場の影へ潜むと身を屈め照明を落とした、ジルフェはそれから周囲を浮遊しキーツの側へ来ると、


「設置完了、退避完了しました、相対距離約4.5km」


「了解、君も退避していてくれ、相対距離の報告を継続、俯瞰地図をバイザーへ俺を中心に対象を光点表示」


「了解しました」


キーツはバイザーを暗視モードに切り替える、まだ夕刻であるが森内は漆黒に染まり視認できるものは少なくなっていた、念のためにと腰に下げた警棒を確認し有効範囲と威力を調整する、有効範囲は10m威力は最弱の麻痺に設定した。

静かに時は流れる、森の静けさの中に時折響く鳥獣の声、スーツのお陰で寒さは感じないが恐らく気温も下がっているだろう、


「相対距離2.5km、時速5km程度で接近しています」


ジルフェの報告が入り、バイザーモニターの俯瞰地図に対象が光点として表示される、森の中を毎時5kmで歩行するとは中々の速度である、キーツのような体格の2足歩行生物が平地で歩くのと変わらない速度で森の中を進行しているということは、この道が余程慣れたものか森林生活に特化した生物かのどちらかであると思われる。

キーツが息を潜めていると艦の方向から再び破裂音が響いた、衛星の打ち上げである、闇に落ち行く森の中にそれは思いの他響き渡った、


「やばいかな」


思わずキーツは独り言ちモニターを注視する、やはり対象も反応したらしい、縦列で進んでいた群れがややあって移動を止め円陣となる、


「・・・待ちだな」


キーツは意味が無い事は知りつつさらに身を屈め岩を背に縮こまる。


5分10分と時間が過ぎ対象はやっと移動を始めた、警戒は解いておらず円陣のまま移動している、先程よりも慎重に動いているのかその歩みは明らかに鈍化している、


「相対距離1km、時速1km程度で接近しています、スキャン範囲に入り次第情報収集始めます」


了解とキーツは答え、ふぅーっと一つ息を吐いた、戦闘行為に至る事は無いと思うが身を潜め対象を待つという行為はそれなりに高揚する、それは良くない、まだ張り込みの段階で、それは冷静で狡猾でなければならない、キーツはそう自制して暗闇に落ちた森を暗視バイザー越しに睨み直してさらに自制する、強い視線は感の良い対象に気付かれる、まして対象がどういった生物かも分らない状態では何も発してはいけない、二度三度大きく呼吸し険を落とした、茫洋とした瞳になる、アヤコはそれを眠たそうと評していた。


「対象、スキャン範囲に確認、スキャン開始します」


「了解、詳細は?」


「中型生物群、動体35、生命体反応39、うち4体は行動を制限されている様子です、暗視映像、昼光フィルター処理にて送ります」


バイザーモニターに森の中を一群となって進む集団の映像が映る、それはみすぼらしい外観の異形の生物群であった、本能的に嫌悪感を受ける容姿である、暗い緑色の肌色、細く薄い胸部とそれを強調するように肥大した腹部、腕部脚部はともに細く節くれ立ちそれらに比して不釣り合いに巨大な手足とこれも不格好に肥大した頭部が目を惹いた、手に手にこれまた不釣り合いな武器を構え辛うじて形の残る不揃いの鎧兜に身を包んでいる、それは彼らの為に制作されたもので無いのは明らかでその特異な身体にまったく対応できていないようであった。

集団は2体の巨大な個体とそれに続く荷物を担いだ4体を中心に円陣が組まれており、巨大な個体は周囲を警戒しつつ歩を進め、小さな頭部に対し巨大な両目から強い威嚇の意思を発しつつ視線はそぞろに動きまくっていた。


「会話は聞き取れる?」


「音声は確認されません、拘束体も沈黙しております、拘束体の健康状態は不明です」


「音声が無い?」


「はい、呼吸音、呻き声は確認されますが会話は交わされていないようです」


「その割には」


とモニターを覗く、意思を持ち組織立った行軍に見える、中心の2体が周囲の個体に指示を出しているように伺えた、


「・・・、テレパスの可能性は?」


「はい、その可能性はあります、しかし現時点で未知の生物です、それらのテレパスは解析が必要です、観察期間と適切な施設を頂ければと考えます」


「うーーん、連合最新装備も形無しか」


「すいません、弁解させて頂ければ・・・」


「後で纏めて聞かせてくれ、こちらからも視認可能になった」


集団は森の切れ間で一瞬立ち止まると円陣の個体が巣穴の周囲に散開しつつ中央の6体は速足で巣穴の入り口に至り、巨大な個体は2体共に大岩の上に駆け上がると周囲を威嚇するように睥睨する、荷物を担いだ4体はやれやれと言わんばかりに乱暴に荷を下ろすと手足を屈伸させている、運動能力の低い知性体が重労働の後に見せる柔軟運動と何ら変わらない動きであった。


集団の一部がキーツの目の前を通りすぎる、裸眼で確認できたその生物は、生物としてどこか歪んでいた、銀河連合に於いて何万もの生物に触れた経験のあるキーツにとって、姿形の異形さはさして驚くべき点ではなかったし、良く似た知性体が確か上司の一人に居たな等と思い出したりもしたが、その生物から感じられたのは酷い歪みであった、キーツは少し思案し、何かが足りない、そして、何かが多いのかと、結論付ける、そう感じそう結論付けた理由はあくまで感覚から来るものであったが。


暫くして2体のボスは警戒を解いたようであった、一足飛びに大岩から降り立ち周囲の個体も集結する、その彼らの興味の先は拘束された四つの獲物へ向いていた、おもむろにボスの一体が獲物の一つを掴み上げ猿轡を毟り取る、途端獲物から悲鳴が上がり静寂が支配していた森の間を虚しく木霊した、続いて獲物は何事か意思のある言葉を叫び続ける、


「・・・ジルフェ」


「確認しております、言語として記録、分析開始します」


獲物を周する生物群はその叫び声を興味無さげに聞き流し、初めて声を発した、それは声と呼ぶより雄叫びであった、獲物の叫び声を掻き消すそれは濁声だみごえのカラスが連想され、すぐにもその声は合唱となって木々に囲まれた広場を圧し、その広場の主の本性を闇の中に顕現させる。


周囲の雑草を震わせ長く重く響き渡る不愉快な騒音は、その酷く醜い容貌と相まって彼らがまごうこと無き獣である証だとキーツは断じた。


「ジルフェ、彼らを救出する」


「マスター、未確認生物への攻撃行動は慎重を要します」


「分っている、が」


とキーツは警棒を確認し握り直した、


「囚われている生物の方が知性体であると俺は思う、・・・少なくとも言葉は通じるようになるだろう?」


「はい、さきほどの音声を解析中です、さらにデータがあればより言語分析は進みます」


「であれば、今、我々に必要なのは彼らであって奴らではない」


「了解致しました、対応案を献策致しますか」


「あぁ・・・いや、そこまでのものではないよ、警棒で充分と思う、駄目そうだったら限定重圧弾を俺を中心にして射出してくれ、効果時間は30カウント」


「わかりました、重圧弾準備致します、ジュウシ発射可能地点へ移動開始」


「主目的は拘束された4体の救出、敵対生物は可能な限り麻痺処分」


と、対応策を指示している間に集団へ変化が生じた、雄叫びが静まり掴み上げられた獲物の片腕が捩じ上げられる、再び獲物の声にならない叫び声が響くが、ボスは固定された腕を中心にして胴体を回転させ力任せにその腕を引き千切った、さらに獲物から発せられた言葉にならない叫び声が周囲を圧する、ボスはなお沈黙を守りつつ一体の部下へその千切った腕を捧げ渡す、その部下は一番最初に叫び声を上げた個体のように見えたが、恭しくその戦果を両手で受け取ると蹲り何か作業を始めた、キーツの潜む岩陰からはその詳細は伺えなかったが予想していた咀嚼音等は聞こえず、音程の外れた嬌声が薄っすらと響き渡りその声が収まると小躍りしながら巣穴へ入っていった、


「・・・いまのは一体?」


「不明です、対象の生態観察を進言します」


「それはまた今度、出るぞ」


「はい、ソフトスーツ着用である事をお忘れなきよう」


「あぁ、そうだな」


そう言い捨てるとキーツは岩陰からのそりと這い出し集団へ一歩一歩近づいていく、ワザとらしく下生えを蹴りつけ足音を立てた、物音に気付いた数体がこちらを睨み、やがて集団全ての視線がキーツを捉えた、暗闇の中少ない光を照り返す幾つもの野獣の瞳がキーツを無遠慮に観察し、やがてこの場に相応しくない異物である事を認識したと同時に手前の数匹が得物を構えキーツに相対すると腰を低くしその容貌に相応しい獣じみた警戒音を発する、


「まずは効果測定」


キーツは警棒が最低威力の麻痺設定である事を指先で再確認し、


「手前の5体、左の5体、後は流れで」


そう独り言ち警棒を構え一閃する、警棒の先から緑色の光刃が音もなく暗闇を切り裂き音もなく消失する。


警棒と呼称しているキーツの振う得物は、全長45cm程度のボタンとトリガーのついた握り易い太さの棒である、手元のトリガーを引きながら振る事で10m程度の光刃が発生し対象を攻撃する鎮圧用途の武器である、その光刃の色により効果が変わり現在は緑色である為、効果は麻痺である、整備士曰く刃そのものを横から見ても見ることは出来ないが、使用者の安全面を考えわざわざ光刃に色を付けているそうである、ましてその着色の技術の方が本来用途の技術より高度であるらしい、刑事仲間でこの武器を好んで使用する者は少なく、キーツは時折変わり者呼ばわりされていた、本人も自覚しており、その点を指摘されると射撃が苦手だと適当に返していたものである。


集団はその一瞬を理解できずに佇むのみであったが、警戒音が無くなりやがてドサリと数体の対象が崩れ落ちた、立ち上がる気配は無い、


「効果有り、設定を記録、レベル1麻痺、範囲10」


「記録します、マルチ警棒、レベル1麻痺、範囲10、大気内、他観測記録に準じる」


ジルフェが復唱すると同時に、


「制圧開始」


キーツはそう言って対象へ向かって大地を蹴り一息に彼我の距離を詰め光刃を振う、集団は逃げることはおろかキーツに背を向ける事も出来ぬまま次々とその場に倒れ、当たり所の悪かった個体は崩れ落ちたままビクビクと痙攣している、


「左5体、沈黙、対象に動き無し、このまま押し切る」


キーツはそのまま集団の中心部へ躍り出ると自身を軸にクルリと舞った、稚拙な舞いである、舞踏等と呼べる代物ではないが彼を彩った緑色の光の帯は、無粋な作業スーツで身を包む男を刹那の間スポットライトの当たる舞台役者へと変貌させた。

数十秒の出来事である、敵対生物と仮定したそれらは皆無残に倒れ伏していた、


「制圧完了、対象を保護する」


キーツは足元に転がる3体を確認する、3体共に手枷と足枷を嵌められ血に汚れた布切れで顔を覆われていた、意識はある様子だが視界を奪われている状態では状況把握は出来ないであろう、ふと、キーツはそこで手を止めた、暫く彼らを観察しジルフェを呼び出す、


「ジルフェ、保護対象も麻痺処理をした上で救出する」


「何か問題がありましたかマスター」


「いや、何か奇妙だと感じてね、」


とキーツは警棒を一閃し3体の意識を奪うと、もう1体へ近づく、こちらはリーダー格に捕らわれ片腕を無くした個体である、2体の大型のそれも他と同様地に伏しており、対象はそのそばで呻いていた、


「無事か?」


キーツは彼を抱き起こし無駄とは知りつつも声を掛ける、彼は何事か言葉を発するがキーツにとっては意味を為さない、視線は弱弱しくもはっきりとキーツを認識し、残った右腕には充分な力が感じられた、


「止血する、ジルフェ、制御を頼む」


ジルフェからの返答を待たずキーツは治療ジェルを取り出すとドクドクと体液を流し続ける肩部へそれを塗り付ける、


「治療開始します、止血、切断面保護、殺菌処理」


ジェルが一瞬黄色く発光し活動開始を告げた、


「麻酔も頼む、彼らと同様眠らせた上で調査対象とする」


キーツはそう言って優しく横たえた、やがて彼の瞼はゆっくりと落ち吐息が安定する、


「さて、後始末はどうするか」


そう言って周囲を見渡そうと立ち上がった刹那、キーツの視界の端に影が差したかと思った瞬間、全身に強い衝撃を受けキーツは宙を舞った、湿った地面を2度3度転がりうつ伏せの状態で静止する、


「グハッ」


衝撃により圧迫された肺から大気が押し出された、間抜けな音だ等と場違いな事を思いつつ身体を確認する、四肢には力が入る骨折箇所は無い、内臓も無事なようだ、しかし若干の打撲は覚悟する必要があるかなと思いつつ、半身を上げ衝撃の元凶を探る、が視界には何も映らない、ただ真っ黒な闇の中に幾つかの筋が走るのみである、


「マスター」


ジルフェの声が響き無事だと一言伝えそれ以後の通信を封じた、モニターが死んでいたのだ、キーツは素早くヘルメットを脱ぎ捨てると改めて周囲を確認する、裸眼で捉える森の闇は深かった、ランタンをと思うが戦闘中に展開できる代物ではない、投光照明をと右肩に手を伸ばし一旦止めた、闇の中に影が確認できる、自分が居たであろう空間に2体の雄々しい影が屹立するのを視認できた、ボス格の2体であろう、さらに小型の一体が確認できる、巣穴に戻っていた個体であった、キーツはそういやいたな等と呑気に眺めてしまう、彼らは麻痺の影響と状況の確認の為かそれぞれ次の行動に映らずその場を動けないでいた、僥倖である、キーツは素早く身を起こし警棒を探る、こちらも幸いにも足元に転がっていた、黄色の警告灯が点滅している、設定された個人の手元を離れると点灯する機構である、そのまま放置するとロックされ使用不能になりやがて自壊する。


「マスター」


再度の呼び出しである、こちらの身体状況は逐一把握している筈なので、分っていると言を制して警棒を拾い上げつつ2体の影へ走り込んだ、


「レベル3、麻痺、範囲4」


ジルフェに伝えつつ手前の一体へ切りかかる、近くで見るとその影はやはり巨大であった、キーツの身長でも肩部程度迄しか届かない。


キーツは走り込みざま大きく跳躍し巨大な頭部から脊椎、身体の中央部を縦に光刃を走らせた、緑色の閃光が走り一瞬周囲を照らし出す、視界の端には未だ状況を理解していない小型の一体、奥の大型の一体は得物を振り回さんと大きく構え、こちらに向き直る、と切りつけられた一体が大の字に倒れ込みもう一体への遮蔽物が無くなった、


「有効、但し要経過観察」


倒れた一体を足場にもう一体へ切りかかる、先程の衝撃の元となった個体であろう、巨大な棍棒を両手で構え完全にこちらへ正対している、が、


「遅い」


キーツの光刃が再び暗闇を照らし、まばたきの間で闇が戻った。やがて巨大な影が倒れ落ちそれを確認したキーツはふっと肺の空気を押し出すと、警棒の設定を変更しつつ自身を中心に緑の円陣を描く、森は再び静寂を取り戻すがやがて小型の一体が倒れる音が微かに響き戦闘は終了した。


「状況終了、確認頼む」


「了解、状況終了、動体反応確認、生命反応確認、ジュウシの待機を解除します」


ふぅーっと大きく息を吐く、露出した頬を柔らかく湿った風が通り過ぎヘルメットを外した事を思い出すと、途端に顔を顰めてしまう、様々な臭気がキーツを襲っていた、森林特有の浄化された大気、強い獣臭、僅かな酸化鉄、堆積し腐った落ち葉、生命力に溢れたそれらの臭気はキーツに初めて地球に降りた時の事を思い出させた。


それは地球に降りた際にもやはり顰めっ面を崩さないキーツに駐在員のユユタンはやがてここの空気が安らぎになるよと、人目を避けた森の中で母艦からの転送後実体化してすぐに言われた言葉であった、自己紹介の前の初めての会話でもあった。

しかしてその言葉は真実となり、地球で暮らし始めて数か月後にはキーツは一人湖の見える森の中でのキャンプを何よりも癒しと思える様になっていたのであるが、


「うん、森の空気は変わらないものだな」


そう懐かし気に言葉にすると、大きく深呼吸をした、地球のそれと変わらない味であった、獣臭さは気になったが、


「マスター、後始末は如何致しますか」


気付くとジュウシが姿を表し周辺を警戒している、


「対象者を救出、保護、他はどうしようか・・・、巣穴に放り込んで入口を土砂で埋めようか、暫くは出てこれなくなるんでないかな」


「はい、生物保護の観点からも宜しいかと考えます」


「人手が足りなさそうだね、ジュウシをもう一機、ダンゴはすぐ動けるよね、装備は任せる」


ダンゴとはアヤコ専用のジュウシと同型の支援機である、他に個別名の無い支援機が2機配備されているが通常利用していたのはジュウシとダンゴの2機だけであった、何故アヤコの命名が「ダンゴ」であるかは今持って不明である。


「了解しました、対象者の保護を優先、敵対生物は巣穴へ投棄、その後出入口を封鎖致します、封鎖作業は一任下さいますか?」


「一任する、出来るだけ自然に見えるように、俺は敵対生物の処理から始める、対象者の保護を頼む」


「了解しました」


キーツはジルフェの声を背後に聞きながら巣穴の入口へ足を向けた、最後に倒した一体が俯せに倒れている、


「ジルフェ、灯りを、あ、いいや」


そういって右肩の投光照明を起動し、改めて敵対生物と仮称した生物を観察する。


光の輪の中のそれはやはり醜悪な容姿であった、肌の色は暗い緑色で体毛は薄く浮腫のような瘤が全身に認められる、大きな頭部は草食動物のように前方に細長く、その巨大さに不釣り合いな小さな目と耳、その野蛮性を強調する大きく裂けた口元とそこに並ぶ黄色く逞しい牙、この個体もその身体には不釣り合いな皮鎧を身に着けているが所々締め付けが強すぎるのか肉を挟んで痛々しく見えた、


「ジルフェ、この生物のサンプルを回収できるか?」


「少々お待ちをそちらへ参ります」


ややあって4体の敵対生物を抱えたジュウシがキーツの側に立つ、


「参りました、サンプルの件ですが、遺伝子等基礎情報は収集済みとなります、生態情報等も収集が必要と判断されるのであれば長期的な遠隔監視が有効と思いますが」


「うーん、そこまではどうだろう、生態情報は現地民から聞いたほうが早そうだけど」


と救出対象者へ目を向ける、ただ、と言葉を続け、


「なんか、不自然なんだよ、この生物・・・」


足元の生物を見下ろし、本能的な違和感を言葉にしようとして口籠った、


「不自然ですか?基礎情報を見る限り特殊な生物である点は否めません、ラボにて解析が必要と判断します」


「ん、ではもろもろ頼む」


「了解しました」


こういった調査業務はアヤコに丸投げしていたな等と考えながらキーツは救出対象者へ足を向けた。

その刹那である、全身から力が抜け思考が途切れた、ゆっくりと踏み荒らされた叢が近づき全身を打ち付け、呼吸が苦しいと思った瞬間に意識が遠ざかる、ジルフェの悲鳴に似た警告が辛うじて認識できたがやがてそれも聞こえなくなり、その意識を失った。



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