優越感の代償

野森ちえこ

仕事とシゴト

 ブオーン……

 上の部屋か隣の部屋か、どこから響いてくるのかわからないのは掃除機の音か。ガッコン。あ、なにかに激突したっぽい。


 ブゥ〜ン……ブゥ〜ン……

 こっちは洗濯機かな。


 ピンポーン。郵便局でーす。

 お向かいにはお届けものか。


 ブオーン


 ――うるせえ。


 ブゥ〜ン


 ――うるせえ。


 こんにちはー。ここにサインかハンコお願いしまーす。


 ――だー! もう! うるせえ!


 がばっとペラペラの掛け布団を頭までかぶって丸まる。

 体温がこもる。こもる。三十年ものの薄っぺらい布団でもいっちょまえに熱がこもる。そして息苦しい。


 はあ。

 オレはあきらめて、ゴロリと仰向けになった。

 カーテンのすきまから侵入してくるのは、オレにはまぶしすぎる春の日差し。目がしょぼしょぼする。


 世の中には一定数、真夜中に働いている人間がいる。そんな人間にとっては、太陽がのぼっている時間こそが夜中である。つまり就寝時間である。だというのに、どいつもこいつも『起きろ』とわめきたてる。

 多くの人間にとって、日中に活動することがあたりまえだ。それくらい理解している。そして、それでも問題なかったのだ。ほんの数年まえまでは。

 アパートのすぐ横で道路工事をしていようが、赤ん坊がぎゃん泣きしていようが、布団にはいればストンと眠れた。

 それが最近できなくなってきている。眠いし、疲れているのにうまく眠れない。眠れても睡眠が浅い。相棒には年のせいだといわれた。否定できないのがつらい。


 今夜はシゴトなのに。


 ☾


「うわっ、ゾンビ?」

「噛みついてやろうか」

「やめて。つーか、マジでひでえ顔色だけど。平気? なんなら今日はオレひとりで行こうか」


 結局ほとんど寝られなかったが、ここでじゃあ頼むなんて甘えてしまったら、気持ちまで老化してしまいそうである。


「問題ない」

「ほんとかよ」

「いいから、行くぞ」


 闇にまぎれてオフィスビルに侵入する。


 きっかけは夜間清掃の仕事だった。

 無人のオフィス。

 無防備なデスク。

 社外秘のハンコが押された封筒。

 これといった動機はなかった。

 社会だの人生だのに対する嫌気ならずっとむかしからさしっぱなしだし、今さらヤケになったわけでもない。

 魔がさしたとしか思えない。

 しかし、うまくいってしまった。そして、クセになった。

 個人情報、機密情報、パソコン、金庫。盗めるものはなんでも盗んだ。


 そんなある日、侵入したビルで同業者とはちあわせた。

 ――あ、どうも

 ――あ、こんばんは。

 金庫のまえにいたのは、なんだか小洒落た今どきの若者といった風体の男で、振り返ったそいつの緊張感のかけらもない挨拶に、こちらもまぬけな挨拶を返したのだが。

 いったいなにがどうなってこうなったのか。気がつけば、オレたちは盗みシゴトのパートナーとなっていた。


「冗談抜きでさ、そろそろ日勤に変えたほうがいいんじゃね?」

「……そのうちな」


 オレはずっと夜に生きてきた。

 たいていの人間が寝静まっている時間に活動しているということに、地味な優越感があった。オレはほかの人間が知らない世界を知っているのだ――と。まあ、おおいなる錯覚で勘違いでただの中二病なんだが。

 まだもうすこし、夜の住人でいたい。というか、今さら太陽の下でなんか生きられない。

 仕事もシゴトも、オレはいつだって夜と共にある。

 そして夜が明けたならまた、掃除機やら洗濯機やら、生活音に邪魔されながら眠りにつくのだ。

 そうだとも。あしたこそ寝る。必ず寝る。絶対寝る。


 ☼


 ブオーン……


 ――うるせえ。


 ブゥ〜ン……ブゥ〜ン……


 ――うるせえ。


 ピンポーン


 ――うるせえええ!!



     (おわり)


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優越感の代償 野森ちえこ @nono_chie

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