第4話
賊たちに侵入されてはじまりはさんざんとなったが、今日はひさしぶりの丸一日休みなのだ。シャオは軽く仮眠を取り、遅めの朝食を済ませると隠し通路を通り、ダイダムの部屋に向かう。ここで落ち合うことを約束していた。
「よう、来たか」
部屋にいい香りがただよっている。ダイダムは薬缶から湯呑に湯を注いだ。
「いいにおいだな」
シャオは鼻先をひくつかせる。なにかが香ばしく焦げたような、酸味のあるにおいがする。
「舶来の珈琲でいいのが手に入ったんだ」
ダイダムが淹れたての珈琲をシャオのほうに差し出す。
「そういや、珈琲ってどこ原産なんだ? そもそも茶なのか、これは?」
「豆茶の一種だな。原料の豆は、はるか南のもっと暑い国で栽培されていると聞いている。それが交易路を通ってヴァルネイからこっちに入ってくるんだ」
豆からこんな黒い汁が出るのか。シャオは黒い液体を不思議そうに見つめた。
ダイダムが珈琲の入った陶器の杯を手に取る。
「じゃあ、一次試験の突破を祝って乾杯」
シャオとダイダムは杯をかちりと合わせる。試験突破の祝いと、二人で力を合わせて賊を撃退した慰労会も兼ねていた。また、次の試験に向けた作戦会議でもある。
「演目はわかったか?」
「ああ。予想どおり『鳳凰花月伝』だった」
ダイダムが懐から台本を取り出す。シャオは手に取りぱらぱらとめくった。
「おまえ、歌謡と舞踊はどうなんだ。うまくやれるのか?」
ダイダムが気遣わしげにたずねる。
「たぶん問題ない」
シャオは自信ありげにうなずく。花月伝は娼館でもよく演じられていた出し物で、歌詞とふりつけがなんとなく頭に入っている。
「なら、よし。俺からの忠告だ。鳳凰役と皇帝役はぜったいに選ぶな」
「どうして」
「採点基準が違う。鳳凰と皇帝を選んだ者にはより厳しい評価が下されるんだ」
シャオはおどろき、切れ長の目を見開く。
「本当か。ほかの役も基準が違うのか?」
「いや、あとは一律同じだ。鳳凰と皇帝は物語の主役だからな。目立つから試験官の注目を集めやすく有利になる。そのぶん、採点が辛めになるんだ。歌と踊りに相当、自信があるものと見なされる。目立つ役柄を選んだからには責任を取り、おのれの実力を証明せよという意図が暗に隠れている」
神妙な顔をしてシャオはうなずいた。
これぞ、ダイダムと通じていることの意義だ。通常では知りえない情報が入り、試験が有利に進められる。ただしいかにダイダムが試験の情報を流してやれるとしても、実際の試験にのぞむのはシャオだ。どれだけ有利に事を運べるかはシャオの実力次第となる。
「俺はトウファの面倒を見ながらだからなあ。気が重い」
あの不器用のことが思いやられる。池のほとりで縫物の最中に聴いたトウファの歌は、さほど音痴ではなかったので問題は踊りのほうか。
「おいおい。ほかのやつの手助けをするなとは言わないが、それで自分が足元をすくわれるなよ。協力している以上、おまえに勝ち進んでもらえないと困るんだから」
ダイダムがどこかあきれた様子だ。
「う、わかってるっての」
発破をかけられてシャオはばつが悪そうだ。
「それにしてもトウファという娘。やけに入れ込んでいるな。そんなに仲良くなったのか」
「あのなかだったら一番仲がいいっていうのもあるけど。……妹に似ているんだ」
シャオは珈琲をすする。豆のいい香りが鼻腔に広がる。
「本当は手助けなんかする必要ないって、俺だってわかってる。でもどうしてもほうっておけなくて」
ダイダムがほう、と短く息を漏らす。
「言われてみればたしかに、どこかおまえに顔立ちが似ているところがあるな、あの娘は」
それはドゥグアロイとダイダムのように、指摘されてはじめて気がつくという程度のかすかな相似なのだろう。
「話は変わるけど、ダイダムは普段なにをしているんだ? 仕事は試験の手伝いだけじゃないんだろう?」
シャオは胸に湧いた疑問をたずねた。娘たちの様子を観察するため、たまに後宮をうろつくダイダムだが、あとの時間はなにをしているのか。まさかずっと宮中をふらついているわけもないだろう。
「まあ、幅広く兄貴の手伝いだな。各県から上がってきた報告を兄にまとめて伝えたり、祭りに式典なんかの年間行事の準備をしたり」
「へえ。ちゃんと王族らしいこと、してるんだな」
「といってもフォン国は平和だからな。たまに作物が不作の地域にどう食料を配分するとか、道路整備なんかの公共事業について予算を決めるとかの決め事があるくらいで、深刻な問題はそう多くはない。そういう意味だといま一番、頭が痛いのはタロ海峡の警備だな」
タロ海峡は隣国、ヴァルネイとの玄関口だ。ヴァルネイはフォン国と唯一、交易があり、船で六時間ほどかかる。一番近くにある外国だ。国防のため、日頃は鳳凰が祈りの力で海峡に渦潮を巻き起こし、通行証のない船が発着できないようにしている。通行証のある船が通るときだけ、渦潮が一時的に止まる。
「鳳凰不在のいま、海峡の渦潮が消えている。代わりに警備兵を置いて二十四時間、港を警備しているんだが、宮中の警備に割く人員との配分が悩ましい。後宮を手薄にすると昨日みたいな事件も起こるし、こちらとしては反省しきりだ」
「なるほど」
生活のなかで人々はたしかに鳳凰の力を実感する機会がある。後宮に秘匿されていても鳳凰が篤く崇拝されるのはこんなところからだ。ヴァルネイの交易船も鳳凰の力をおそれ、いかに港の役人と顔見知りであっても、通行証の割り符なしでは決してフォン国に入ることはない。割り符を忘れると鳳凰の怒りをおそれて、タロの港が目前であってもわざわざ自国へ引き返すほどだ。鳳凰の力は隣国にまで轟いている。
「珈琲うまかったよ。またいいのが入ったら淹れてくれ」
遅くならないうちにシャオは席を立つ。
「そうだ。二次試験、びっくりする知らせがあるらしいぞ」
ダイダムがにやりと笑う。
「え、なんだよ。いま教えてくれないのか?」
ただでさえ緊張を強いられる生活だ。余計な心理的負荷をかけるな、とシャオは文句を言いたくなる。
「明日発表がある。まあ楽しみに待っておくんだな」
ダイダムがなにを隠しているのか。訝りつつ、シャオは後宮へと戻った。
休み明けの翌日、朝食が終わると少女たちは教室に集められる。今日から第二次試験の準備がはじまるのだ。歌謡と舞踊は講師が変わる。アンシュヤ先生が登壇した。
五日後に全員でひとつの演目を披露する。一次試験で残った三十五人が、五人ずつ七つの組に分けられ、ひと組ごとに一場面を割り振るのだ。
組ごとの挑戦でも、評価されるのはあくまで個人の出来栄えとなる。組の評価は合否には直接つながらないまでも、できの悪い仲間に脚を引っ張られると自分まで印象が悪くなる可能性があり、連帯責任の側面があるのがつらいところだ。さいわい、シャオはトウファと一緒の組だった。また事前情報どおり、演目は『鳳凰花月伝』だ。
花月伝の舞台はいまからさかのぼること数百年前。第十代皇帝ザムセイの治世だ。まだこのころフォン国は諸外国とさかんに交易をしており、外国人の自由な流入を許していた。そのため、豊かな国土と鉱物資源を狙った敵に攻め入られることも多かった。当時の皇帝とつがいになった鳳凰ラムトゥが、身を挺して皇帝の命を救い、最後は燃え尽きて命を落とすさまが花月伝では描かれている。鳳凰の皇帝に対する愛と忠義を題材に、史実に創作も混ぜて美談に仕立て上げられている。
ダイダムの言っていたお楽しみの正体はすぐに判明した。
「みんなに朗報。試験当日はなんと、ドゥグアロイさまも演目をご覧にいらっしゃるわよ!」
そうアンシュヤが明かすと、わあーっとおどろきと興奮で少女たちが湧いた。
「みなさんのがんばりを直接見届けたいと、皇帝が配慮をしてくださったの。また最優秀賞を陛下に選んでいただくことになっているから、ぜひ選ばれるようがんばってね」
裁縫に続いて歌謡と舞踊でも一番出来がよかった者が選ばれる。最優秀賞に選ばれたところで加点があるわけではないが、皇帝の印象には残りやすくなり、のちの試験で有利に働く可能性がある。
講師からもたらされた情報で、俄然はりきったのはオウカだった。
この日から座学以外の時間はすべて歌謡と舞踊の練習に当てられる。夕刻、オウカは部屋に戻ろうとする少女たちを呼び止めると檀上に立ち、こう宣言した。
「いいこと? 皇帝に演劇を見ていただけるなど、一生に一度もない誉れですわよ。試験のことはいまは頭の片隅に置いて、皇帝にお見せするのに恥ずかしくないものになるよう、一丸となって仕上げていきましょう!」
少女たちの顔がはっとする。
そうか。そうだ。皇帝に歌と踊りを披露するなど、普通では考えられない僥倖だ。またドゥグアロイ帝にお目見えできる。最優秀になれば褒めてもらえるかもしれない。
熱い興奮が少女たちの胸にみなぎり、顔が輝きだす。誘惑の術の効果もあり、皇帝に傾倒する少女たちの胸がかつてないほどの気合で充溢していくのをシャオはまざまざと感じていた。
「このあと、残って今日の復習をしていきますわよ」
有無を言わさないオウカの号令で少女たちは机を端によけはじめる。オウカの偉いところは威張って人に指図をしつつも、自ら率先して動くところだ。人よりも多くの机を運んでいる。
頭を張ろうとするだけはあり、オウカの歌と舞は見事なものだった。幼いころから演劇に親しみ、稽古ごととしていたのだという。表情や仕草のひとつひとつが決まっており、自分の美貌の魅せ方がじゅうぶんにわかっている所作だった。
「ちょっと、トウファ! またあなた一人遅れていてよ!」
オウカの怒声で調子を取っていた手拍子が一旦止む。
「ご、ごめんなさい……」
オウカに注意されてトウファはしゅんとした。
「いいこと? 二拍目が聞こえたらすかさず、まえの人について舞台に登場して。隙間が空くと変なのよ」
「わかったわ」
今回はオウカが遅れがちなトウファの指導をしてくれるので、シャオとしては助かるばかりだ。
「まったく。あなた、歌は悪くないのにねえ」
腰に手を当てた監督オウカはため息を吐きだす。
たしかにトウファの歌の出来栄えは悪くなかった。悪くないどころか、上から数えたほうが早いくらいにうまい。
「いいこと? 歌は全力でやりなさい。でも踊りはそんなにはりきらなくていいわ。一人だけ遅れて違和感がないように動きなさい」
「わ、わかったわ……!」
オウカの指導は続く。
「じゃあ、いまの第三幕の最初から、四幕まで通すわよ!」
高いところで二つに結った髪の毛を教鞭のようにふるい、オウカは少女たちを導く。
発表当日までは、また睡眠時間を削り、練習に明け暮れる日々となる。
「みなさん、すごい! たくさん自主練習したのね」
翌日の通し稽古が終わり、アンシュヤが感嘆の声を上げる。
オウカの熱烈指導のおかげで、三日目にして早くも演劇として成り立っている。まだ振り付けや台詞が少々あやしい場面はあるものの、入退場の順番や立ち位置などの基本的な事項を間違える者はおらず、劇として最低限必要な一連の流れがある。アンシュヤはその完成度におどろいていた。
それもそのはず。授業後の居残り練習だけでは飽き足らず、入浴後に再び教室に集まり、時計の針が十二時近くなるまで練習。朝食後に、授業がはじまるまえの時間を利用してまた昨日の復習。オウカは少女たちに余暇を許さず、少女たちも懸命に食らいついていった。試験の合否がかかっているという損得勘定は軽く凌駕しており、すべては皇帝に満足してもらいたいという奉仕の精神からだった。
「オウカのやつ、気合入ってるよなあ」
四日目の朝食。白玉団子を味わいながらシャオはトウファに話を向ける。食事の席でもオウカは、演出上で気になった点を取り巻きの少女たちに熱く語っており、いいものに仕上げようとぎりぎりまで腐心している。
「ええ。でも、オウカさんのおかげで全体的に覚えるのが早かったし、すごくよくなったわ。教え方が的確だからだめなところがすぐ直せるの」
踊りについていけていなかったトウファが遅れを取らないまでに成長した辣腕ぶりだ。今回はオウカに感謝だなとシャオは思う。
朝食には甘味がたくさん出る。いかにも女子どもの好きそうな飯だ、とはじめは小馬鹿にするような気持ちだったシャオだが、いまでは人の倍は食べる。なかに豆の餡を入れて餅の皮で包み、甘く煮たしょうが汁をかけた白玉団子が特にお気に入りだ。舌に爽やかな苦みのある蓮茶で流し込み、ほうーっと満足のため息をつく。またいくらでも食べられそうな気がしてくる。
「シャオは本当にお団子が好きなのねえ」
トウファに笑われた。
「う、いいだろ、べつに……」
甘味の幸福に相好をくずしていたシャオはあわてて顔を引き締める。
「いいのよ。なんだかこのごろのシャオはすてきだわ。もちろん最初からすてきだけれど、雰囲気がやわらかく、話しかけやすくなった気がする」
暴力が日常的で絶えず緊張感にさらされていた、一座での生活から解放されたところが大きいのかもしれない。
だが一番の理由はダイダムだ。あの晩、駆けつけて一緒に賊を蹴散らしたダイダムのことをこの上なく頼もしい存在に感じはじめている。これまで一人ぼっちで世間を渡ってきたシャオの心の支えとなりつつある。彼がいれば、たとえ鳳凰の試験に失敗したとしてもなんとかなるのではないか。ありえない期待を抱いてしまうほどだ。
ダイダムに期待し、甘えるところがあるのにシャオ自身が気がついている。だが現実の苦さを知っているだけに、安易な考えに流されそうになるのに抗う。
油断するなよ、俺。シャオは気を引き締める。トウファでも気がつくほど、気のゆるみが外に出ていたということだ。鳳凰選抜に敗れたら自分に待つのは死だけだ。危機意識を欠き、目的を見失ってはいけないと自分を叱咤する。残る練習期間は今日を入れてあと二日しかないのだ。
二日はあっという間に過ぎ、発表の日が翌日に迫って来る。
授業のあと、夕食までの時間を使い少女たちが自主練習に励んでいたところにダイダムが訪ねてきた。
「よう。いよいよ明日だな。出来栄えはどうだ?」
皇子の訪問を受けて、連日の寝不足でくたびれていた少女たちの顔がいっせいに輝きだす。
「ダイダムさま!」
口々に名を呼び、訪問をよろこぶ。
「ダイダムさま、よかったら通しでご覧になってくださいませ」
「そうですわ。出来の悪いところがあったらどうぞご指摘を」
ダイダムはあっという間に少女たちに取り囲まれている。
少女たちが心を寄せるドゥグアロイの弟だということで、ダイダムも好感を呼ぶ。加えて、本人の魅力もあるだろう。はるか遠い未来を見通すかのように泰然とした凛々しい瞳の整った顔立ちと、胸板の厚く張った立派な体躯だ。なにより、ダイダムにはどこか野性味がただよっており、年頃の娘が魅力的に感じる雄の色気がある。
「では、ここで見学させてもらおう」
ダイダムは教室の壁に背中でもたれかかる。
「言っておくが、俺は演劇にはちょっとうるさいぞ。たまに街に出て、仲間たちと観劇するのが趣味だからな」
あいつ、余暇にはそんなお忍び訪問をして、街の連中にまぎれて遊んでいたのか。ダイダムがどうにも皇子らしからぬ雰囲気を発している理由がよくわかるシャオだった。
七幕を通して演じきり、舞台に見立てた場所に佇立した少女たちは、どきどきとしながら講評を待つ。
「よくできているじゃないか。この短期間でよくぞここまで仕上げたな」
お世辞を抜きにして、ダイダムは感心した様子だった。少女たちがよろこびあうささめきの声が広がる。
「だが、もっとよくなるところがある」
ダイダムはつかつかと歩み出る。
「鳳凰役だが……。もっと全身を使って、皇帝に惚れぬいているさまを表現したほうがいい」
ダイダムはきょろきょろと視線を這わせる。端のほうにいたシャオの腕を引っ張り、中央へと連れて来た。
「な、なにをなさるのです……?」
娘たちのまえなので遠慮して、弱々しく抵抗するシャオのことなど気に留めない。
「ほら、もっと俺にくっついてみろ。こうしてよりかかって」
少女たちが注目するなかでダイダムと密着させられる羽目になり、シャオの頬がかーっと火照っていく。
「な? こうしたほうがより鳳凰が皇帝に心を預けているように見えるだろう?」
ダイダムの直接指導を受けた少女たちは真剣な顔をしてうなずいている。
「それ以外は特にこれと言って、俺がなにを言うこともない。自信を持って挑めば大丈夫だ」
少女たちを励ますと、ダイダムは教室を出て行った。
娘たちがいっせいに、シャオに群がる。
「ちょっとシャオメイ! うらやましいわよー!」
「ダイダムさまに抱かれた心地はいかがでしたの?」
かん高い鳥のさえずりがシャオを質問攻めにする。
「どうもなにも……」
うらやましがられるようなものではないとシャオはむっとする。
「ねえ、シャオ。ダイダムさま、あなたのことを相当気に入っているのではなくって?」
オウカがそう指摘する。
「もともと、かなり仲がよろしかったようですし。陛下に知れたらきっと、嫉妬されてしまいますわね。なーんて」
口調がかなり嫌味な感じだ。実演の相手として中心にいた自分ではなく、ダイダムがわざわざ端のほうにいたシャオを選んだのをやっかんでいるのだ。
「そういえば、そうよね……」
「暴漢に襲われた夜の連携も抜群でしたし。まるで長年の友人同士みたいでしたわ」
オウカのひと言をきっかけに、娘たちにも疑念が広がっていく。
皇帝に密告でもされたら大変だ。シャオが本当にダイダムに心を移しているのだと誤解されて、鳳凰の資格なしと烙印を押されるかもしれない。まずい、とシャオはあせる。
「そんなことはない。密着するので、私なら遠慮なくやりやすいと思っただけだろう。逆に、私のことなどなんとも思っていない証拠だ。誤解されるようなことはするなと、ちょっと話をしてくる。兄上ににらまれるようなことがあったら彼も困るだろうから」
言い訳めいたことを口にしながらシャオは教室を出て、ダイダムを追う。
「ダイダム!」
回廊の途中で呼び止めた。
「ああ、シャオ。どうした?」
つい先ほどまで娘たちに噂されていたことなど露知らず。のんきな顔でダイダムは振り返った。
「……あのさ。妙な誤解を招くようなことはするな」
「誤解って?」
とぼけているわけではないらしい。本気できょとんとした顔をしている。
「だから、安易に俺に抱きついて、親し気なところを見せるな。ずいぶんと気安い仲なんだなと娘たちに邪推されて困っているんだ」
なんだそんなことか、とダイダムの目が虚空を見上げる。
「事実だから仕方がない。俺たちは親しいし、俺はおまえのことを気に入っている」
「は……はあっ⁉」
絶叫しないようにつとめながら、シャオは抗議の声を上げる。
「後宮に一人、乗り込んできた度胸を俺は買っている。おまえみたいな豪胆で腕っぷしの強いやつと組みたいとずっと思っていたし。俺はおまえが気に入っている」
それが友情から来るものであれ、ダイダムは照れることもなくシャオへの好意を口にする。シャオはひるみっぱなしだった。
「よく恥ずかしげもなくそんなことが言えるな」
「どうして恥ずかしいんだ? 互いを認め合うのはすばらしいことだろう」
羞恥を感じる境界線の違いにシャオは頭がくらくらしそうだ。
「皇帝にチクられでもしたらどうする」
シャオは夫の陰におびえながら間男に忠告をうながす人妻のような口ぶりになっている。
「ああ。ドゥグなら大丈夫だ。俺に嫉妬なんかしない」
ダイダムはまったく深刻に受け止めていない。
「なぜわかる」
自分はこれほどまでに神経を使っているというのに。緊張感を欠いた様子のダイダムに苛立ち、シャオは軽くにらむ。
「あいつはな、皇位継承者として子どものころから特別待遇で育てられてきた。欲しいものは欲しいと思うまえになんでも手に入ったし、優秀だからなにをやらせても人より抜きんでている。だから、自分にないものを持っている人をねたむという感覚がないんだよ。むしろ、持たざる者には分け与えることこそが皇帝の役割と心得てさえいるから、あいつにばれたところで俺におまえを貸してやっているくらいの感覚でしかないだろう」
生粋の王者は常人とは感覚が異なるのだ。貸し借りをされる物扱いされるのはいけ好かないうえに、ダイダムの説明にも完全に納得したわけではないが、肉親の弁なのでそれが真実なのだろうとシャオは渋々引き下がる。
「明日がんばれよ。ああ、がんばらなくていいから、今日みたいに目立たず、無難にこなせ」
「……そのつもりだ」
なぜかダイダムに翻弄されている感じがして、おもしろくない。むっつりとしたシャオは、後宮を去る青き衣の背中を見送った。
少女たちの顔に浮かぶ疲労の色が、化粧できれいに隠れていく。
五日間の練習期間が終わり、いよいよ今日は皇帝陛下のまえで『鳳凰花月伝』のお披露目となる。少女たちは衣装に着替えて、目がさらに大きく見えるよう、目の周りを墨で縁どり、頬紅を入れ、薄く紅をさす。
準備が終わると少女たちは宦官に付き添われて後宮を出て、紅玉殿を目指した。紅玉殿の玉座のあるほうを客席に、そのまえの開けた空間を舞台に見立てて演目を披露する。殿ではすでに役人、官女が居並んでいた。生演奏のため弦楽器や太鼓をたずさえた音楽隊も控えている。すばやく視線を這わせ、端のほうにダイダムがいるのをシャオは確認した。
少女たちが緊張した面持ちで立っているなか、ドゥグアロイ帝が入殿してきた。家臣に少女たちがいっせいにかしずくなか、皇帝は長い髪をゆらしながら悠然と歩み、玉座へ向かう。
王族は決して、急ぐことはしない。高貴な人物にとって予定は合わせるものではなく、予定こそが自分たちの都合に合わせられるものなのだ。そして待つことも、自分に尽くす者たちのよろこびのひとつと心得ている。たっぷりと時間をかけて檀上に上がると、薄青い召し物の皇帝は玉座に腰かけた。
「みな、ひさしぶりだね。ここまで残ってくれてうれしく思うよ」
顔を上げることを許され、少女たちが久方ぶりとなる皇帝の姿を拝む。皇帝は魅惑的な笑みを浮かべて少女たち一人ひとりに慈愛に満ちた視線を向ける。
「すごく練習をしたと聞いているよ。本日の演目、楽しみにしているね」
少女たちは眼前で着物の袖を合わせて顔を伏せ、簡易的な敬礼をする。
声は発せられないまでも、御意という大きな声が殿に響き渡るのが聞こえるような気さえした。そんな少女たちの一体感をシャオは冷めた目で見つめている。どうせまた誘惑の術をかけたのだろう。手のうちを知っているだけに、皇帝の笑顔がどこか白々しく感じられる。
アンシュヤの指示で少女たちは一度、殿の外にはけた。殿の出入り口から入退場をして、外を舞台裏として使う。
笛と弦楽器の導入ののち、ひと組目が入場してきた。
史実に基づいた物語の舞台は、第十代ザムネイ皇帝の治世。ザムネイは皇位継承すると、鳳凰に選ばれた少女ラムトゥと恋に落ちる。形ばかりの側室として扱うのではなく、ザムネイはたしかな愛をラムトゥに誓い、ラムトゥはよろこびで天を駆けまわる。羽に見立てた少女の着物の裾が空気で広がり、回転すると本当に鳥が舞っているかのように風雅な光景だ。
史実に伝説も混ざっているので、こうした嘘の場面も描かれる。鳳凰は人間だ。実際には空を飛びまわることはない。
場面ごとに組が変わる。ひと組に一人ずつ、鳳凰役と皇帝役の少女がいて、あとの者は宮廷の役人や街の人々など場面に応じてさまざまな役を演じる。
ザムネイとラムトゥは仲睦まじく、国を盛り立てていく。皇帝は後宮にこもるラムトゥのもとを訪れ、愛を注ぐ。愛を注ぐというのは性行為の比喩的な表現ではなく、ただ鳳凰を抱きしめいつくしみ、皇帝から鳳凰への愛を実感させることを指している。注がれた愛を力に変え、鳳凰は国を守るための祈りを捧げるのだ。
ところがこのザムネイという皇帝は移り気な男で、あるとき街で見かけた貴族の少女にひと目惚れをしてしまい、急遽、正室に迎えることを決める。心変わりを知ったラムトゥは悲しみに満たされるが、それでも皇帝への愛を貫くことを決める。
やがて、外国の艦隊が攻めて来る。タロの海域を敵の艦隊が埋め尽くす。国には兵士が入り込み、かつて宮殿のあった場所は焼かれ、ザムネイは皇后を連れて臣下とともに逃げるが、途中で捕らわれ、捕虜として敵船へと連れて行かれる。
場面は進み、いよいよ最後の七幕目だ。
廃墟も同然に破壊しつくされた宮廷から、一羽の鳥が飛び立つ。鳥の正体は翼を生やした鳳凰だ。タロ海峡を目指し、飛翔する。タロ海峡では居並ぶ敵の艦隊の間を飛び回り、翼から発せられる炎で船を焼き払い、体当たりで兵士たちを海へと突き落とす。
七幕目で鳳凰を演じたのはオウカだ。両翼を大きく広げ猛然と戦いぬく壮絶なさまを、見事な舞と歌で表現していた。
敵兵の矢で撃たれ投石を食らい、自らの炎で体が焼かれ、空中できりもみしながらも、捕虜となった皇帝を救い出そうと必死に飛びまわる。その凄絶なうつくしさは、演劇の素人がわずかに数日間練習しただけのものとは信じられないほどすばらしい出来栄えで、観劇している者たちの心を打ち、官女のなかには涙ぐむものまで出はじめるほどだった。
やがて敵をすべて薙ぎ払うと、力を使い果たしたラムトゥは命尽き、炎のなかに消える。身を挺したラムトゥの働きぶりに心を打たれた皇帝ザムネイは改心し、国を次期皇帝と鳳凰に受け継ぐ準備を整えると、当代最後の政策として鎖国を決める。ザムネイ以降、フォンは閉じた国になったのだ。敵に攻め入られた苦い経験をもとに、タロ海峡に渦潮を発生させる国防もこのころからはじまったと言われている。帝位を退いたザムネイはラムトゥを祀る廟を建て、そのすぐ近くに、宮殿とは比較にならないほどつつましやかな自分の住まいを建て、そこでラムトゥをしのびながら余生を終える。
終幕すると、紅玉殿はおおーっという歓声と拍手に包まれた。無事に終わったことで少女たちはよろこびあい、お互いの健闘をたたえ合った。
感動と興奮が殿内に満ちるなか、くだらないなとシャオはどこか醒めた頭でいる。
たしかにオウカの演技は玄人はだしのすばらしいものだった。だが物語の内容が気に食わない。こんなもの、結局は洗脳教育と一緒じゃないかとシャオは思う。浮気者の皇帝を最後まで守り命を落とした鳳凰。鳳凰から皇帝への愛は絶対で、そこには疑いの余地が混ざらない。鳳凰が無条件で皇帝に忠義を誓うさまが美談として語られ、これから鳳凰となるべき少女たちに献身はすばらしいことなのだと価値観を植えつける。皇帝も最後には改心したとはいえ、裏を返すとひと目惚れした妃をほっぽり出して、今度はラムトゥに心を移しただけのことだ。この男は根本的にはなにも変わってはいない。
そんなふうに思ってしまうのは、自分が男だからだろうか。あるいは、本当の愛を知らないからだろうか。
家族への愛が、シャオの知る唯一の愛だ。その愛をなくしてしまって久しい。取りもどそうと必死になっている。
損得なしの愛情が信じられるようになればザムネイとラムトゥの物語も、すっと心に入ってくるようになるのだろうか。シャオはそんなことを考える。
話を大きく見せるための創作や、ご都合主義の矛盾をはらみつつも、ザムネイとラムトゥの物語はいまも多くの人々の心をとらえている。人は勇気ある献身の物語を愛するものなのだ。またラムトゥの一途な愛が最後にようやく報われたころには、皇帝はもはやラムトゥに会うことはできない。結末が切ないほど、心を打たれるものなのだ。
「すばらしかったよ。みんな短期間でよくここまでがんばったね」
ドゥグアロイが立ち上がり、少女たちに拍手を送る。皇帝の拍手を契機に、紅玉殿にわーっと割れんばかりの拍手が鳴り響いた。少女たちはかしこまり、床にうずくまって礼をする。
「面を上げて。みんなすばらしかったけれど、特に印象に残ったのは……」
ドゥグアロイは、演技の興奮冷めやらぬ少女たちの顔を見まわす。
「オウカだ」
名指しされたオウカは「あっ」と短く叫び、あわてて口もとを押さえていた。
「タロ海峡の乱での見事な舞、とてもすてきだったよ」
皇帝から直接、お褒めの言葉を授かったオウカは、顔を赤くして気絶せんばかりに高揚している。もう顔を上げていられず、床に額づいた。
「このなかで何人が残るのかな。でも、不合格だとしてもきみたちの演技はこの先もずっと、私の心に残り続けるだろう。そのことを忘れないで」
皇帝が少女たち全員をねぎらう言葉をかける。少女たちは感極まり、床にひれ伏した。誰もなにも言わない。呼吸音すらひそめている。おのれを滅して皇帝に全神経を注いでいる。
ドゥグアロイは満足そうにほほえんで立ち上がると、髪をゆらして奥へと消えて行った。
午後の授業は休みの予定だ。少女たちは連日、動きまわった体を休める。翌朝は教室で選抜結果の発表がある。シャオはまた事前にダイダムから、シャオとトウファは残ったことを知らされていた。大船に乗った気持ちで結果発表を聞き、おどろきよろこぶふりをするだけだ。
三十五人中、十五人が去ることになった。残る少女は二十人。第二次試験にして早くも、はじめの五十人から半分以上が減らされることになった。
結果発表日とその翌日は休みになる。羽を伸ばした少女たちは薄物の衣をまとって池のほとりで水遊びをしたり、部屋で札遊びに興じたりと思い思いに過ごす。
シャオはこっそりと後宮を抜け出して、秘密の通路からダイダムに会いに行く。次の試験に向けた作戦会議のためだ。
「次はどんな試験なんだ? これまでは芸事が続いた」
隠し部屋で極限まで気をゆるめ、椅子にふんぞり返り足を組んだシャオがたずねる。ダイダムがふーむとうなった。
「次からはそういう才能だけでは乗り切れなくなってくる。第三次試験は、前鳳凰の持ち物を当てる試験だ」
ここから試験は鳳凰選抜らしい神秘性を帯びてくる。
「試験会場には生前、母が好きで使っていた装飾品や、そのほかの日用品が置かれている。なかにはいくつか偽物も混ぜられている。候補者たちは一人ずつ入室して、本物はどれかを当てるんだ。すべてではなく、ひとつ正解を当てるだけでいい」
「適当にやって当たるものなのか?」
ダイダムは首をふる。
「偽物の数のほうが多い。まず無理だろうな」
シャオは鼻白んだ。
「ここまでがんばってきたのに、そんなくじ引きみたいな試験があるのかよ」
はーっとため息が出た。せっかくダイダムとつるんでもらった情報がなんの役にも立たないではないか。
「まあ、そうあせるな。三次試験は鳳凰候補の秘められた力を試すものだ。鳳凰たる資質を持つ者ならば、持ち物に宿った前鳳凰の力を嗅ぎ分けられるだろうというのが、試験の趣旨だ」
「そんなことがあるのか」
「ああ、ある。俺も調べるうちにわかったんだが、鳳凰選抜は毎回内容が決められている。この持ち物当ての試験も必ず組み込まれているものだ。歴代鳳凰となった者は前鳳凰の力に感応する。なんだか持ち物が光っているような気がして、わかるんだそうだ」
「なにか秘策はないのか」
第六感を試されるのではどうしようもない。とりあえずダイダムに、スホが好んで使っていた品々の特徴をなるべく多く聞いておくしかないかとシャオは思う。
「これならいけるというものがある。母は、自分の私物に印をつけていた。蛙の文様を刻んでいたんだ。はた目にはわからないくらい小さくな」
「蛙を?」
あまり女性が好む題材には思えなかった。
「母はもとをたどればコンエク族の出身なんだ。蛙は民族を象徴する生き物。母は出自にちなんだ文様を大切にしていた。その印を探すんだ」
シャオの源流であるモウドン族が蓮を重んじるのと同じだ。少数民族は民族由来の記号を大事にする。
「わかった」
頼りないが手がかりは得られた。限られた時間内で、不審に思われないよう精一杯やるしかない。
「それから、続く第四次試験のほうがおまえにとっては試練かもしれないな」
いやな知らせにシャオの顔がくもる。
「次はなにをさせられるんだ?」
「皇帝と一夜をともにする」
シャオは仰天する。椅子から飛び上がり、天井に突き刺さりそうになった。
「本当か、それ……⁉ まずいな……」
冷や汗をかく。ここに来て皇帝との閨事が発生するとは思わなかった。皇帝と鳳凰は精神的な連帯で結ばれるものだとばかり思っていたのに。候補者全員と寝ようとするとは。
「あわてるな。本当に枕を共有するわけじゃない。ただ皇帝と語り合いながら一夜を明かす。語らいのなかで鳳凰候補との相性を見極めるんだそうだ。監視役もいるし、性行為は禁止されている」
監視役はむしろ、魅惑の皇帝に傾倒する少女たちに皇帝が襲われないようにするための見張りらしい。
「厄介なのは第四次試験だ。こっちはさすがに俺も、選考の基準がよくわからない」
ダイダムがため息を吐く。
「性行為は要求されないとはいえ、部屋で皇帝と二人きりになるのか。そんな至近距離だと最悪、俺が男だって気づかれる可能性があるな」
不安になり、シャオは薄い胸を押さえる。
「皇帝の気分ひとつで合否が左右されるのか。まいったな。おまえの兄貴、どんな女が好みなんだ?」
「いや、兄の好みも多少は反映されるだろうが……。あくまで選ぶのは鳳凰として適正のある者だ。好みを知ったところでどうにもならない」
ダイダムが首をふる。
「それに兄貴の好みの女なんて知らない。俺に対してもいつもあのにこにこ笑顔で、女にうつつを抜かしているところなんて見たこともない。感情を荒げているのすら見たことがないし。隙がなくてなにを考えているのかさっぱりわからないんだ」
生まれながらにして王たる資質を持つ者を兄に持つ人の苦悩を、ダイダムは眉間ににじませる。
「なにはともあれ、まずは第三次試験だな。万が一、印がわからなかったときの備えで、母君の使っていた品物の特徴をできる限り教えておいてくれないか?」
「いいぞ。まずは――」
シャオとダイダムの作戦会議は、太陽が翳りはじめるまで続いた。
とても時間が足りず、シャオは食事の時間に一度、後宮に戻ることにした。後宮内は広いので誰がどこでなにをしているかを詮索されることはないが、さすがに晩餐で空席を作ると、娘たちにあやしまれかねない。
「シャオはどちらに行っていましたの?」
食事の席で、長い不在を訝るというよりは単純な興味としてトウファが問う。
「後宮内を散歩したり、部屋で昼寝をしたり、いろいろしていた。トウファは?」
「わたくしはオウカさんたちと池で船遊びをしておりましたの」
シャオがいなくともトウファはちゃんと仲間に混ざれていたようだ。それでもシャオの姿が見えるとすかさずそばに来てくれることを、シャオはうれしく感じる。
後宮に入ってわかったことだが、朝昼晩の食事につき、品目の組み合わせは変われど、一定の周期で同じものが出されている。だが季節ごとの入れ替えなのか、今日の夕食では見慣れない品が運ばれてきた。蓮の実の蒸しご飯に、楕円形をして膨らんだ赤い実が混ざっている。身の大きさはシャオの手のひらの半分くらいだ。
「鳳仙花の実です。いまの季節になると出まわり、美容にとてもいい栄養が詰まっているんですよ」
給仕係の官女が食卓に料理を置いてまわりながらそう説明している。
シャオは特に疑うことなく口にした。やや甘酸っぱく、炊き込みご飯の素朴な味わいと合っている。
その裏である謀略が巡っていたのだとは、このときは気がつかなかった。
風呂を終えて部屋に戻ると、本格的にシャオの体がおかしくなっていた。
実は食後からかすかな違和感を覚えていたのだ。体が熱っぽい。風邪でも引いたかと思う寒気もやってきた。風呂に浸かって気分を変えたらよくなるだろうとかと思ったが、あまり効果はない。寒気は消えたが、体の熱がどんどん高まっている。心拍数が早く、なにかの発作でも起こしているのではないかと思われた。
医師を呼んだほうがいいのかと思ったが、それはできない。先ほどからシャオの中心が萌しているからだ。特段、いやらしいことを考えたり刺激を与えたりしたわけではない。なぜか男の象徴に血液が集まり、凝固しはじめている。診察されたら間違いなく男だとばれてしまう。
ばくばくと心臓が脈打つ。食事になにか毒物が混ぜられていたのか。
一人ではどうにもならず、寝台のまわりを覆いで囲んで、ただじっと耐えていることしかできない。体の中心はすっかり熱くなり、激しくしごきたい衝動が突き上げて来る。だが布越しにほかの娘たちがいる環境ではそんな大それたこともできない。発射されたもののにおいで不審がられてしまうかもしれない。
「シャオ、シャオ? もう眠ってしまったの?」
外からトウファに呼びかけられる。
「大丈夫? 湯あたりを起こしてしまったの?」
部屋に戻るなり寝台に倒れ、ひと言も発しなくなったシャオを心配している。
「開けますわね」
小さく声がして、わずかに開いた布の隙間からトウファが顔をのぞかせた。
「トウファ……」
いいところに来てくれたと思った。自分では動けない。彼女に助けを求めるしかない。相手の事情を慮るやさしい娘だ。トウファなら変に騒ぎ立てることなく、自分の頼みを聞いてくれるだろう。
「頼む、トウファ。ちょっと具合が悪いから厠に連れて行ってくれないか? みんなには気づかれないように」
「ええ、わかりましたわ」
余計なことを訊かず、すんなりと事情を飲みこんだトウファの体を支えにして立ち上がる。前かがみになり、腰の下で膨らんだものが目立たないようにした。
「あら、トウファにシャオ? もうすぐ消灯の時間よ」
寝台の上でリーリオ、ラアカイと札遊びに興じていたオウカに呼び止められる。
「シャオに御手水についてきてもらうの。外が暗いから、怖くって」
にっこりと笑顔でトウファはそう嘘をつく。ほかの娘に事情を詮索されたくないシャオの意を汲んでくれたのだろう。
「大丈夫? わたくしたちもついて行きましょうか?」
「いいえ、すぐに戻りますから。シャオ一人で大丈夫よ」
一瞬、三人に厠までついてこられるのではないかと戦々恐々としたが、トウファがことわってくれてシャオは安堵した。
部屋を出て、厠とは真逆を指示する。
「こちらでいいの? 厠は反対方向よ」
「いい。こっちでいいんだ」
トウファに肩を借りながら、シャオはなんとか自力で歩む。角を曲がると、目指す後宮の出入り口が見えてきた。
「トウファ、ありがとう。ここでいい」
「ええ、でも……」
ここは回廊の途中だ。
「宦官の詰所に行くの? だったらわたくし、そこまでついて行く……」
「いい、いいんだ。もう大丈夫。湯あたりを起こしたみたいだ。すこし涼めば大丈夫」
近くの壁にもたれながらシャオは首をふる。
「ここは寒いし、あまり遅くなると明日に響く。おまえはもう戻れ」
トウファはまだ気遣わしげにしつつも、納得して部屋に引き返そうとする。
「このこと、みんなには言わないでいてくれるか? 余計な心配をかけたくないから」
「ええ、わかったわ。すこし頭を冷やしたいみたいだからって言っておきますわね」
「助かる」
トウファの姿が回廊の角に消えるのを確認して、シャオは歩みを進める。壁をつたいながらなめくじの動きで、なんとか隠し通路までたどり着いた。移動装置に乗り込むと乱雑な手つきで碁石を操作して取っ手を引く。
亀の歩みで隠し部屋への階段を上がりきるなり、シャオはどおっと床に倒れた。
「……⁉ シャオ⁉ どうした?」
珈琲を片手に本を読み、シャオを待っていたダイダムが駆け寄ってくる。シャオはダイダムに抱き起こされた。下半身は床に寝そべったまま、上半身だけをダイダムのたくましい胸に預ける。
「わか……らない……。食い物になにかまずいものが入っていたみたいだ……。食ったあとから体がおかしい……」
「気分が悪いのか。吐きそうか?」
「いや……。その……。か、体の一部が萌したまま、もとに戻らなくて困ってるんだ」
恥を忍んでシャオは下半身の屹立が収まらないことを訴える。
服をわずかに押し上げる立体物を確認すると、ダイダムはおどろき目を瞠った。
「今日の晩飯にはなにが出た? 普段は出されないものがなかったか?」
シャオは苦し気に閉じていた目をうっすらと開く。
「あった……。鳳仙花の実。あれ、食べたらまずかったのか? ほかの娘たちは平気そうだったのに」
体が受けつけない食材で候補たちの体に異変をきたさないよう、後宮の食事は組み合わせを変化させつつも、品目を限定しているのはそのためだ。
「鳳仙花……! ほかにはなにが出た?」
シャオは食べた物の内容を思い出し、ダイダムに伝える。ダイダムの顔色が変わった。
「まずいな……。鳳仙花と金銀ほおずきを一緒に食べたのか」
「だめなのか?」
「ああ、最悪の食べ合わせだ」
シャオの顔が青ざめる。
「毒なのか? 俺はどうなる?」
口にしたものが毒だと確定すると息がますます上がり、苦しくなるような気がした。
「鳳仙花と金銀ほおずきの汁を合わせると、ある薬効が得られる。女にとっては口にしてもなんともないものだ。けど男にとっては強力な催淫剤になる。男の体を女のようにする猛毒だ」
「は……?」
予想外の答えにシャオは面食らう。
「厄介なもんを食ったな、シャオ」
ダイダムに抱え上げられ、シャオは寝台へと運ばれる。
「へえ……。さすが、シェンドーの皇子さんは博識なんだな」
ろくでもない知識を有するダイダムに、シャオは嫌味のつもりで口にした。だが語勢に覇気がなく、威力はいまいちだった。
「母の持っていた毒草学の本に書いてあった。古の知識をいまに伝える本だ。かつて、男娼たちの体を仕込むために使われていた秘薬らしいが、あまりに効能が激しいので禁止された。いまじゃ、医者のなかにも調合方法を知っている人はほとんどいない」
「親子そろって、ろくでもない本を……」
精一杯の嫌味を口にするシャオは寝台に横たえられた。
「後宮で習わなかったか? 毒と薬は表裏一体なのだと。俺の母は薬剤師としてもすぐれていて、父にいろいろと処方してやっていた。勉強のためにありとあらゆる本を読んでいたよ」
ダイダムはいちいち、律儀に応じる。
「解毒方法はないのか? ただ時間が経つのを待つしかないか?」
「ある。男の精液を体内に取り込むことだ」
「は……?」
シャオは言葉を失った。
男の精液が解毒剤。では男とやれということか。せめて口から取り込むのではだめなのか。だが口からだってそんなものを飲むのはごめんだ。
さまざまな想像を巡らせて混乱するシャオの隣でダイダムは着物の帯を解き、上着を脱いでいく。
「俺が解毒する。こうなった以上は仕方がないから、覚悟を決めろ」
また予想外のことを言われてシャオは面食らった。
「お、まえがって……! ば、馬鹿か……⁉」
あわてるシャオにとりあわず、ダイダムはもう上半身が裸だ。軽く隆起した胸板と割れた腹があらわになる。
「ほかに方法がない。この薬は効果が長引くから、朝になっても回復しないぞ。そのまま戻ったら後宮で娘たちに不審がられる」
そう言われるとシャオは黙るしかない。
「この薬は体内に精液を取り込むまで収まらない。それで望まない相手に飲ませて、強制的に体を開かせる輩が続出したことから禁薬となったんだ」
ダイダムの片膝が寝台に乗り上げた。
男に刺し貫かれる。男にいいように扱われる。自分は弱い。自分は女になったんだ。
侵入した賊たちに無理やり手籠めにされそうになったときの恐怖がよみがえる。屈辱でシャオは震えた。
「シャオ……?」
ダイダムが気遣わしげに、うつむいたシャオの顔をのぞきこむ。
「こんなの、あんまりだろ……。おまえだって、いやだろうし……」
目に涙が浮かんでいた。
「シャオ」
ダイダムに頭をなでられる。ダイダムは愛嬌に満ちた子猫の頭をなでまわすように、いつくしむ手つきでシャオをなでた。その手の心地よさにシャオはわずかに落ち着きを取り戻す。
「おまえはつらいだろうが耐えろよ。これもすべて鳳凰選抜のためだ」
シャオはわずかにうなずく。
「俺はいやではないぞ。おまえをかわいいと思うことがある」
思いがけないことを口にしてダイダムはシャオの頬をなでる。シャオは面食らった。
「かわいいって……。そんなに気を遣わなくても、いい。損な役回りをさせてしまって本当にすまないな」
男との交接など嫌悪感をもよおすだけだろう。ダイダムは、そのことを自分に気取らせないように気を遣ってくれただけだとシャオは思った。
「だから、いやではないと言っているだろう?」
ダイダムの指がシャオの髪をなでる。指は髪の房の間を幾度もすべる。
「おまえはかわいいよ。いとおしいと思うことがある」
「だから……。なにを馬鹿な……」
「かわいいさ。鳳凰たるうつくしさを備えているのに、中身は粗野な野良猫そのものだ」
「う……」
かあっとシャオの頬が赤くなる。
「態度はぶっきらぼうなのに、おまえはやさしいな。妹思いだ。それから、トウファのことも気にかけている」
「やさしくなんか、ない」
「やさしいさ。すなおに認めないところがまたかわいい」
ダイダムに口説かれて本格的にシャオは照れた。
「へえ、ふうん。おまえってそうやって女のことを口説くんだな」
「そこはぼやかしておく。だが、俺が宮殿でおとなしくしているような男に見えるか?」
宮殿内をふらつくように、ダイダムはふらりと近くの街に出て遊んでいる。ダイダムが街の女たちと寝ているさまを思い描くと、なぜかシャオの胸がちくりと痛んだ。
シャオは寝台に押し倒された。
「よく見ると本当にうつくしいな、おまえは。男か女かわからない。神のようだ」
ダイダムはシャオのこめかみに、首筋に、何度も口づけを落とす。
「その……、おかしな口説き文句をやめろ。解毒に徹してくれればいい」
これほど褒めそやされるのははじめてのことで、シャオはひたすら体がむずがゆくなる。
「どうせするのは同じことだ。だったら俺流のやり方でもいいだろう?」
頬を、肩を、腰をやさしい手つきでなでられてシャオの熱が体を駆け巡る。
「普段のおまえがどんなふうに遊んでいるのか、よくわかるな」
シャオはじとっとした目で嫌味を口にする。ダイダムは意外そうな顔をした。
「なんだ、シャオ。やきもちか? 俺がほかの女をどうやって抱いているか、余計なことは考えるな。いまは目のまえの俺を全力で愛せよ」
ダイダムはシャオの腕を取り、自らの首にまわさせる。近づいた額同士が触れ合った。
「愛するなんて、馬鹿なことを言うな」
ぷいっとシャオはそっぽを向く。
「いいだろう? たとえひと晩だけの関係でも、俺は目のまえの相手を全力で愛する。それが俺の主義だ」
そう言われてもシャオには響かない。
シャオにとって愛はむなしいものだ。娼館で一夜の愛を請う男女のばかばかしさを散々、目にしてきた。なじみの客が心変わりをしたと嘆く娼婦。人気の娼婦に長時間、待ちぼうけを食らう客。疑似恋愛のふりをした本気の思いは空回りをする。
愛は残酷だ。愛はむなしい。愛は望んでも、手に入らないものだ。手に入らないのならば、はじめから望まない。これまでシャオは、誰かに心を寄せることを頑なに拒んできた。
ダイダムに抱きついたまま、一方的な愛撫を受ける。シャオの全身がぎこちない。そのぎこちなさは触れ合った肌を通してダイダムにも伝わった。
「経験がないのか、おまえは」
「……ない」
「女ともか?」
「……ないよ」
ダイダムはすこし目を丸くする。
「そうか。すれているところがあるからとっくに経験済みかと思っていた」
「すれているって……! 失礼なやつだな」
未経験なのが発覚した恥ずかしさもあり、シャオはへそを曲げる。
「そう怒るな。そうか、おまえはまだ、愛のなんたるかを知らないんだな」
偉そうに。得意げなダイダムの口調が憎らしい。
「愛なら知っている。俺はいまでもトーアを愛している」
「それは家族に対する愛情だ。恋愛感情とはすこし違う」
「違わない。相手をいとおしいと思うこと。相手からも同じだけの気持ちが返ってくること。それが愛だ」
シャオは食い下がる。
シャオにとっては家族との愛が唯一、信じられるものだった。だが血を分け、愛で結ばれたはずの家族とさえ、こうして離れ離れになる。愛のなんと心もとないことか。ましてやなんのつながりもない赤の他人と心を通わすなどと、おそろしいことはできない。よりどころにできるものがなにもない。
「こんな一夜の……」
愛の交歓の真似事ですらない。単なる医療行為だ。
「一夜の愛が信じられないのか、おまえは? 時の長さは関係ない。相手をどれほど思うかが大事だ」
どれほど強く思っても、夜が明けたら消えてしまう程度の思いだ。
「そんなの、一時的なものだ。まがいものだ」
持続されない愛など必要ないのだ。そんなものは、さびしさを一時的にまぎらわすだけのまやかしに過ぎない。シャオが欲しているのは完全なる愛だ。裏切られる心配など必要なく、望んだだけ永続的に注がれるものだ。
シャオはいつもさびしいのだ。かつての愛を失った。失った愛を埋め合わせるための、完全な愛を常に欲している。シャオにとってそれは、トーアとの再会にほかならない。
「まがいものでも一時のさびしさをやわらげてくれて、いい思いができる。その思いを胸に、また次の愛を探せばいい。そしたら、いつかは本当の愛に巡り合える」
ダイダムはシャオとはまるで違う立ち位置にいる。刹那の愛を数珠つなぎにするむなしさを感じないのは、心にぽっかりと虚ができるほど大きななにかを喪失しても、一時の愛を虚に詰め合わせて、健全な心を取りもどす強さに満ちているからだ。
「俺がわからせてやる。一時の愛でも、真剣ならまやかしじゃない」
シャオにことわると、ダイダムの唇がシャオの唇をふさいだ。それほどの軽い刺激でも、ぴり、とシャオの下半身がしびれる。ダイダムは震えるシャオを抱き、唇を合わせ舌を絡めた。
「ふっ……。あ……」
シャオの息継ぎの間に、あえかな声が早くも混じる。口づけがこれほどの感覚とは。粘膜同士が直接触れ合う心地よさに陶然とした。
「目がとろんとしてきた。まだ口づけだけだぞ。この先、大変なことになりそうだな」
狙ったとおりの反応を返すシャオに対し、ダイダムが楽しそうに笑う。笑いながらシャオの着物を脱がせた。下着まで取り払われると、屹立して涙をこぼし続けるシャオ自身があらわになる。
「あ……。見るな……」
雄の象徴をシャオは手で覆い隠した。
「なぜ隠す?」
ダイダムはやんわりとその手をどける。
「だって……。おまえ、さすがに男とは経験ないんだろう? ブツを見たら余計に萎える」
ダイダムは下履きを脱いだ。大きな肉の塊が、下着を盛り上げている。
「見たが、萎えない」
堂々とした欲情の宣言にシャオはうっと喉を詰まらせた。大きさにおののいたこともある。下着を下げると、立派に育った陽根がはずむように飛び出してきた。
「シャオ」
いとおしそうに名前を呼び、ダイダムは乳首を口に含む。舌でなぞりやわらかく吸う。
「ん……、そ……んなところ……。舐めるな……」
吸われる心地よさで陶然としながらシャオは口だけで抵抗する。全身からはぐったりと力が抜け、ダイダムにされるがままだ。
「舐めたら気持ちがいいだろう?」
熱い舌が丸くふくらんだ赤い実を転がすと、シャオの体がぴくぴく痙攣した。
「ああっ、あっ……」
手に力が入らず、抵抗したいのにむしろダイダムの頭を抱え込む格好になる。
「細いな。こんな体のどこにあれほどの力があるんだ? 自分の体躯をよく心得て、効率的な体の動かし方がわかっている証拠だな」
手がやさしくシャオの肌をすべる。
「あん……、やだ……。へんなふうに、触るな……」
媚びるように体をくねらせつつ、シャオは拒絶を口にする。
「シャオ」
咎めるようなダイダムの声だ。
「先ほどからいやいやばかりだ。いいか? これは真剣勝負なんだぞ。お互いに真剣にぶつかり合えば、ひと晩の愛でもむなしくないと証明するための。おまえにも真剣にやってもらわないと困る。全身で俺を愛せ」
ダイダムは無茶なことを要求する。
「そんなこと言われても……。俺は……」
シャオは恋を知らない。誰かを慕う気持ちをどう表現したらいいのかわからない。
「嘘でもいい。嘘でもいいから俺を好きだと言え。抱きついて甘えろ」
雄の印を握り込まれてシャオは大きく体を震わせた。
「ひあっ……!」
手は肉を収める筒となる。あたたかな手は若木のようにはつらつとした雄芯を握り込み、上下にこすりはじめた。
「ああっ、あっ、あっ……!」
媚薬のおかげでいつもより感度が良好だ。普段、自分でしごくのとは比べ物にならないほどの刺激を感じる。娘たちがいるので、このごろろくに自分で処理するひまもなかった。溜まっていたから余計に、解放を求めた情欲が内側からせり上がってくる。
「よさそうだな。俺にこうされるのが好きか?」
間欠的にあえぐ最中に、シャオはかろうじてうなずきを返す。
「いい子だな。すなおなおまえは余計にかわいらしい」
ダイダムが蠱惑的に笑う。薬の熱に浮かされているせいか、その顔をこの上なく魅力的に感じる。シャオの心臓がきゅっと絞られた。
どうもいつもの自分ではない。屹立から涙をこぼし続ける敏感な体質も、不覚にもダイダムにときめいてしまうのも。
「ダイ……ダム……。俺、俺、変だ……。いつもはこんなにならないのに……」
「気持ちいいからだろう? だから変じゃない」
さほど時間が経過していないのに、ダイダムの手に導かれて早くも精を放ちそうになっている。
「俺が好きか? シャオ。だったらそう言え。安心して体をゆだねろ」
「好き、だなんて……」
「言えないか? だったら態度で示してくれ。教室で教えてやっただろう?」
鳳凰が皇帝に寄り添うのを真似て、シャオはダイダムに身を寄せた。
「後ろもすごいことになっているな」
「なに……」
快感に目を閉じていたシャオはうっすらと目を開ける。ダイダムの指が尻のあわいに差し入れられた。
「濡れている。媚薬の効果で男でも穴が濡れるようになるんだ」
シャオの秘められた場所から、粘り気のある液体が滲出している。ダイダムの指が秘所をなぞっただけで、シャオの体は大きく痙攣した。
「ひゃ、あっ」
指は静かに内部へと進む。さほど抵抗なく、まず第一関節ほどまで埋められた。緩慢な動作が蕾をほころばせていく。
「はあ、あ、あああっ……!」
「声、抑えなくていいぞ。ここには誰も来ないから」
そう言われると遠慮がなくなってしまう。ダイダムの指のまさぐりにシャオは呼応した。
やがて中指が根本まで濡れた所に埋められ、本格的に内部をほぐされる。指の腹がしこったところをこすり上げると、シャオの眼前で光が明滅した。
「ああっ、あっ、あああー……っ!」
すかさず指の数が増やされて執拗に責められると、体の一点から全身に広がる甘美な猛毒を享受し、シャオは悶絶した。
「ダイダムっ、な、んだ、これっ……」
「痛みがないようでよかった。男が一番感じる場所だ」
「だから、おまえっ……」
どうしてろくでもないことばかり知っているんだとシャオは問いかけろれつがまわらない。たくみな指に翻弄され、あとはあえぎ続けることしかできなかった。
「入れるぞ、シャオ。入れて、俺のをなかで出す」
ダイダムがおのれの屹立をこすりながら、シャオに宣言した。シャオを愛撫している間も陽根は一向に力を失わず、天に向かって敢然と立ちあがったままだった。
「そしたら熱が引く。だからもうすこしだけ耐えろ」
涙目のシャオは静かにうなずき、ダイダムを受け入れることを示した。全身をくすぐられ続けたあとのように体がぐったりとして火照っている。挿入も果たしていないというのにこれほどの快感を得る自分の体は一体どうなってしまったのか。そしてこれからどうなるのか。心もとなさから、ダイダムの頼もしい体にすがりつきたいと本気で思った。
「入るぞ。力を抜いていろ」
あくまでもやさしく、ダイダムはシャオを諭す。熱い血流の集合体が、静かに進入した。
「ああんっ、あああっ」
やわらかな内側をこすられ、シャオは背中をくねらせた。
「は……。被せ物がなにもないと、さすがにすごいな」
内部の熱ととろけた感触を直接、肌で味わいダイダムも気持ちよさそうに息を吐く。律動が開始され、ダイダムに組み敷かれたシャオは軽くゆさぶられながら、必死に目のまえの体にすがりついた。その様子にダイダムは感じ入ったようで、うっとりと目を細める。
「かわいいな。普段の威勢のよさが嘘みたいだ」
「あ……ん……。ダイダム……」
「もっと鳴け。嘘でもいいから俺を愛せ。そうしたらもっと気持ちよくなる」
体のなかで熱が滞留し、出口を求めている。さらなる愉悦を求めてしまう。ダイダムも情熱を込めて何度もシャオの体を穿つ。
「シャオ、シャオ。おまえはかわいい。俺の愛撫で震えて、いとおしく感じる」
吐息まじりにねっとりと腰をふるダイダムの首筋にシャオはすがりつき、甘えた。抱き合うと、本当にダイダムに愛されているのだと錯覚を起こしそうになる。勘違いをしてはいけないと必死に自分を律しているにもかかわらず、媚薬の熱と、直接触れ合う肌の熱さと、相手を内側に招き入れた背徳とで、シャオはかつて味わったことのない陶酔感のただなかにおり、理性が役に立たない。
「ああ、ダイダム……。もっと、してくれ……。きもちいい……。もう、出したい……」
求めに応えて律動が速まった。ずっと互いを探し求めていた魂の片割れ同士のように、シャオとダイダムはぴたりと身を寄せ、抱きしめ合う。
誰にも晒したことのない場所にダイダムを受け入れて、むさぼっている。ダイダムに愛されているだけでなく、シャオもまたダイダムを愛しているかのだと誤解をしそうになる。困窮していたシャオをあたたかく包み込み、安心させてくれる相手へのいとおしさで胸が満たされていく。
「ああんっ、あっ、あああーっ」
シャオの熱がはじけ、屹立から白いものがほとばしり出た。
「ああ、あああああ」
とろけた声が止まらない。放出しながら内部をえぐられると、脳天に突き上げる快感が襲ってくるのだ。
「俺を受け止めてくれ」
甘い声でダイダムはささやき、シャオの内部に熱い精を注ぎ込んだ。
一度ではシャオの熱は収まらなかった。その後も二度、三度とダイダムを求め、ダイダムは求めに応じた。
猥雑な街の様子にも似た、渦巻く快感に頭を支配されて我を失ったシャオは、徐々に大胆になった。仰臥したダイダムの上に乗っかり、はしたなく腰をふることさえした。踊るように腰をゆらし、自己を解放するシャオをダイダムは楽しそうに眺める。
夜が更け、時計の針が日付をまたぐまで、二人の饗宴は続いた。
すべてが終わるとダイダムの肩枕を借り、シャオはぐったりと横になった。激しい運動を終えて二人とも汗だくだ。
「ダイダム、ありがとう。体が楽になった」
燃えるような体の熱がすっと引いている。体温が正常に戻りつつあるのをシャオは感じた。
「どういたしまして。大事にならなくてよかったな」
「これを大事と言わないのならな」
ダイダムの肩の上でシャオはむくれる。淡い友情を抱きはじめた男と段階をいくつも飛び越えて、交接する羽目になるとは思わなかった。
「ずいぶん気持ちよさそうだったから、むしろ得をしたと思えばいい。どうだった? 一夜の愛でも信じられるようになったか?」
「いや、それはないな」
抱かれている間中、ダイダムを独占したい気持ちに支配されていたことをシャオは頭の片隅に追いやる。独占欲は目のまえの誰かを真剣に愛する気持ちに直結していそうで、認めるのがこわかった。
「媚薬の効果はたしかにすさまじかったな。俺は普段、淡泊なのに」
シャオはぽつりと顧みる。自らをなぐさめるときには二度、三度と際限なく欲しがったりしない。そんなシャオに薬の効果なしで付き合ったダイダムの精力の強さは感心ものだ。
「たしかに発情したのは薬がきっかけだが……。あの媚薬には感度を良好にする効果まではないぞ」
シャオは目を丸くする。
「媚薬には飲んだ者を発熱させ、潤滑油をにじませるくらいの効果しかない。気持ちよくてむさぼり求めたんだとしたら、それはおまえ自身の感覚だな」
ダイダムがにやにやと笑いながらシャオをからかう。
嘘だ、とシャオは思う。自分はあんなにはしたなくはない。快楽を追求したりしない。男に貫かれる嫌悪感は早々に忘れ、警戒心やおそれを放棄して身をゆだねてしまった。それも、相手がダイダムだったからか。
「俺もよかったし。俺たち、体の相性も抜群だな」
「体の相性もって、なんだよ」
シャオはかーっと耳まで火照る。
「決めた。おまえ、俺の伴侶になれ」
ダイダムの発言に耳を疑う。
「はあっ? なに言ってんだ、おまえ」
「ふざけているわけじゃないぞ。俺はずっと、気概のあるやつが伴侶になってくれたらいいと思っていた。その点、おまえは理想的だ。体の相性もよかったし、なにも問題ない」
「あるだろう、おおいに。仮にもシェンドーの皇子が馬鹿なことを言ってるんじゃない。いずれ、やんごとない身分の娘と目合うことになるんだからな」
むくれて体を離しかけるシャオをダイダムは引き寄せ、腕枕に収める。
「まあ聞け。皇子といっても、俺には皇位継承権なんかない。仮に子どもを作ったところで、その子にも権利はない。王家の存続問題はドゥグに任せておけばいいんだ。俺は俺で好きにやる」
「勝手に決めるなよ」
「いや、決めた。おまえが納得するまで口説き続けるからそのつもりでいてくれ」
皇子らしからぬ人物と思っていたが、その逆でいかにも皇子らしいところもある。自分が本気で動けば、たいていのことは意のままになると信じて疑わない。
「ばかばかしい。そんなのは夢のまた夢の話だ」
男でありながら鳳凰選抜に闖入した罪を赦され、フンテオ一座に追いかけられる懊悩からも逃れて、ここでダイダムと暮らす。非現実的な夢だ。
「ああ、夢だ。だが俺たちは危ない橋を渡っているんだ。その先に希望がないとやっていけないだろう?」
現実的な案ではないことなど、ダイダム自身もよくわかっている。わかっていながら、シャオとおのれを勇気づけるためにあえて口にした。ダイダムは、たとえ叶う望みが薄いことでも希望をつなぎ、自らを鼓舞しながら未踏の地へと渡って行ける強い男だ。その強さはシャオにはない。シャオは自分にはない性質を持つ彼を好ましく思った。
「俺の印をつけておこう」
ダイダムは提灯の明かりで針をあぶり、それでシャオの左の耳たぶを突いた。
「あ、ちょっと、こら。なにするんだよ」
ダイダムは自分の装着していた耳飾りを開いた穴に通す。
「おまえなあ……」
まだ体が回復せず、シャオはろくに抵抗できなかった。相手の意志を無視してとんでもないことをする男だと、あきれて物も言えない。シャオは耳飾りに触れた。宝玉を使い、小さな丸い輪を留めている。宝玉は環の隙間にぴたりとはまり、はずし方がよくわからない。
「いいだろう? 刀鍛冶に作ってもらった。風呂に入ったときにちゃんと洗っておけば膿まない」
左の耳たぶが熱を持ち、じんじんしている。
「こんなものを付けて……。親しそうなところを見せるなと、さっき忠告したばかりだろう」
「大丈夫。娘たちがなんと言おうが、兄は気にしない」
すこしは俺の立場気にしろと文句を言いかけ、シャオは口をつぐんだ。言うだけ無駄だ。ダイダムには慎重なところがあるかと思えば、信じられないほど大胆なところがある。
「おまえ、誰かに謀られたってことはないか? 後宮で出る食事には注意が払われている。にもかかわらずこの失態だ。なにか違和感がある」
「……そういえば」
後宮で鳳仙花の実が取れたのだと、娘たちが給仕に差し入れたらしい。給仕は娘の一人にせがまれおおよろこびで、鳳仙花を今宵の食材として使うことにしたのだと料理を運びまわる官女が説明していた。
「誰かが薬学の知識を持っていて、わざと食べ合わせが悪くなるように仕向けたのか?」
女の体にはいっさい影響のない薬。だが男の体にとっては猛毒となる。娘のなかの誰かがそのことを知っていたと仮定すると、導き出される答えがある。
「まさか、俺が男だって疑われてるのか? だからわざと薬を仕込んで、体調に異変が生じないか観察しようとした……?」
「偶然にしてはできすぎているから、たぶんそうなんだろう。誰か心当たりはないか? そういう薬学の知識を持っていそうな」
ふと医者の娘の顔が頭に浮かぶ。
「オウカ……。まさかな。でも、今後も用心するに越したことはないか」
今度は一体なにを仕込まれるのかと、食事の時間が恐怖の時間になりそうだ。
「予定されていない食材を勝手に出さないように注意しろと、俺からも厨房係に言っておく」
「頼む」
ダイダムに体をあずけたまま、シャオは脱力する。気を抜いているとそのまま眠りに落ちてしまいそうだった。半分閉じかけた目をこじあげて、体を清め、着衣を正す。
「朝まで同衾してくれないのか?」
「また阿呆なことを言う」
寝台に半身を起こし、頭の後ろで手を組み、にやにやとしたダイダムが冗談を口にしたことはわかっている。身支度をしながらシャオはわずかに頬を持ち上げる笑みを見せた。
日付がまわり、シャオは深夜のうちにそっと後宮へと戻った。数時間、泥のように眠る。
「シャオ」
まだ陽が上がらない早朝。小さな声で隣の寝台から呼びかけられた。覆いの布がわずかに開く。トウファが顔を出した。
「戻りましたのね」
「ああ」
視線で、トウファに寝台に上がるように誘導する。
「大丈夫でしたの?」
「うん。涼んでいたらめまいが治ったので、戻ってきた。私が不在にしていることをあやしまれなかったか?」
「うーん……」
トウファの返事が歯切れが悪い。まだほかの三人は眠っている。トウファはいっそう、声をひそめた。
「実はオウカさんが、みんなでシャオを探しに行こうと言い出したの。すぐ戻ってくるだろうからって言ったら渋々、部屋に戻ってくれましたけど」
ほかの娘たちを叩き起こして見まわりをはじめようとするオウカと、それを必死に止めるトウファとの攻防が目に浮かぶ。
「そうか。すまなかったな」
「ううん、いいの。シャオが無事ならよかった」
トウファは垂れ眉をますます下げて笑う。気のいい娘の笑顔に安堵してシャオはそっとその手をひと撫でした。
「あら、シャオ。いつの間に」
一時間のちにオウカが目覚めた。寝起きのためかいつもの威勢のよさが半減している。
「おはよう、オウカ。あなたたちが寝てから戻って来たよ」
「そう……」
にこやかに朝の挨拶を寄越すシャオに対し、じっとなにかを確認するような目線をオウカは送る。すっきりと目覚めたシャオは、花弁のはりはりと新鮮な蓮の花ように爽やかだ。
昨日はたしかに体調がおかしいようだった。だが後宮の外には出られない。媚薬のせいで体に変調をきたしても、精を作れない宦官に女官ではシャオを助けられない。ではやはり、昨晩の不調は媚薬とは無関係だったのか。
男ではないかというシャオへの疑惑は、わずかに尾を引きつつも一旦は晴れた。
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