第21話 少年ニコラスその4(女神とリンゴ)
4・女神とリンゴ
「それで、私に召喚獣を飛ばせと?」
手元に落ちる明かりは、ランプの揺らめき。
その細く白い指は、分厚くまとめられた薄い羊皮紙を一枚一枚めくっていく。
真新しい木造の神殿はとても小さく質素で、独特の木の香が充満していた。
祈りの間は、中央に少年の姿をした神像が祀られ、それをぐるりと囲うように数脚の木の椅子が並べられていた。
そんな祈りの間の端、一番出入り口に遠い窓際で、絵画の女神が抜け出たのではないかと思わせる人物が、本を読んでいた。
その人物は、年端もいかない少年の深夜の帰宅に、苦言の一つどころか、眉を寄せることもしなかった。
「と、言いますかぁ…
あの、僕なりに、ちょっと気になりまして」
タップリとした白い魔法衣の上からでも、その細さは分かった。
腰まで伸びた真っ直ぐの銀髪に縁取られた顔はとても細く白く、小さな唇が血を塗ったように赤く光っていた。
「その…
クレフさんに召喚獣との契約の仕方を教えて頂きたいなぁ…
と、思いまして」
その美しさに気後れしてしまい、ニコラスは真っ直ぐクレフを見れないでいた。
それに、クレフとの距離感にも戸惑っていた。
数日前まで、クレフは『保護者』だった。
しかし、城がなくなり、代わりにこの神殿が瞬く間に出来てからは、自分とクレフの関係がどんなものであるのか、自分はどこに身を置けばよいのか分からなかった。
ただ、レビアの『お使い』があるだけ良かったと思っていた。
やることがあれば、ここ数日のうちに自分の身に起こった数々のことに潰されなくてすむ。
そう、ニコラスは思っていた。
「その、『気になること』によっては、首を立てに振りましょうか?」
視線を本に落としたまま、ページをめくる指で、自分の前の空間を勧めた。
とりあえず話は聞いてもらえると、ニコラスは少し安心して近くの椅子をクレフの前に持っていき、腰を落とした。
「今お話したマークさんが言っていた『隣の村』なんですが、僕の記憶ではもう人が住んでいなかったはずなんです。
実際、行ったことはないんですけれど、去年からこの国では、この季節に林檎は取れないんです」
「なんで?」
ニコラスの胸元から出てきたココットは、膝の上で丸くなると、小さな口をめいいっぱい開けて欠伸をしながら聞いた。
チラリとクレフを見て。
「僕、二週間に一回ぐらいは買い物で集落を出ていたんだ。
あの集落で作れる野菜は限られてたし、薬の原材料や日常品とか、あの集落の人達は…
みんな病人だったから」
ふと、集落での生活を思い出した。
が、ココットの視線を感じて、いびつな笑顔を取り繕った。
「顔見知りになったお店の主人が、いつからかお駄賃にって、林檎をくれていたんだけど、去年…
『この国で唯一林檎が採れる村が、火災で村丸々一つ潰れたうえに、林檎の樹も全滅したんだよ』
って、教えてくれたんだよ。
ちなみに、その時からお駄賃は焼き菓子になったよ。
万が一にも、生き残った林檎の樹があるのかもしれないんだけど、この林檎、なんだか…」
ニコラスは腰に下げた袋から、マークから貰った林檎を取り出した。
すると、視線を本に落としたままのクレフが、スッと手を出した。
ニコラスは少し戸惑いながらもその手の平に、そっと林檎を乗せた。
「いつもみたいに、夢で誰かの目を通して見ることが出来れば良いんですが…
人や場所を選ぶことができなくて」
ニコラスは、夢で世界を渡る事ができる。
目をつぶると、ニコラスの意識は体を離れて、名前も顔も知らない誰かの意識の中に入り込む。
その人の目を通して、ニコラスは色々な事を見る。
見るだけで、嗅覚・触覚・味覚・聴覚はなく、自分の意志でその人を動かすことは出来ない。
夢ではないけれど、集落と隣の街しか知らないニコラスにとって、それは絵本や図鑑の挿絵を見ているような感覚だった。
少し前までは。
「… 頂いたのは、この一つですか?
食べましたか?」
ようやく、クレフの薄い青紫の瞳が活字から放れ、林檎を映した。
「はい、この一つです。
何というか、違和感があって…
食べないほうが良いかなぁって」
「正解ですね」
まぁ、あの男なら…
そんな呟きに気が付くことはなく、ニコラスは眉をハの字にして上目遣いでクレフを見た。
「西の柱が復活する少し前から今でも、国全体に結界が張ってあります。
あの戦いの最中、召喚や呪文の威力がだいぶ削られていました。
レビアの魔力の邪魔にはならなかったようですが、私には大いに邪魔でした。
さらにあの戦いの後は、魔力を使おうとすると、神経を逆撫でされている感じがします。
… 今は仕事が無いので気にしなければ良いのでしょうが、レビアがまだ寝ていますからね。
万が一を想定しておくのが懸命でしょう。
結界については探りを入れては居るのですが、結界とは別の力が邪魔をしていますね。
それが、私の今の状態です。
なので、今後の事で私の動きに期待はしないでください」
クレフは林檎を見つめたまま、何の抑揚もなくサラリと話した。
「つまり、二重に邪魔をされている状態なんですね。
凄いですね、クレフさんの邪魔を出来るなんて。
でも、威力を削られていて、あの威力なんですか!!」
純粋に、凄いと思った。
邪魔をされ、威力を削られた状態での魔力の効果は、ニコラスの心を鷲掴みにした。
「クレフさん凄いです!!
どうすれば、強くなれますか?
やっぱり、練習あるのみですか?」
純粋な瞳は宝石のように輝き、クレフの返答を待っていた。
「魔法も剣術も、練習や勉強は元より…
その者にとって素質があるかどうかです」
「素質ですか…」
自分には、魔法と剣術、どっちの素質があるのだろう?
どうやって、見極めればいいのだろう?
そう思いながら、ニコラスは自分の両手を見つめた。
相変わらず、クレフの視線は林檎に向いたままだった。
「なぁなぁ… オレッちもう限界。
早く寝ようよぉ、ニコラス」
そんなニコラスの手を、ココットの小さな肉球がフニフニと押した。
「そうだね、ごめんね、ココット。
… 姫様は、いつまで眠っているんですかね?」
クレフが話を聞いてくれた、話をしてくれた事が嬉しくって、ニコラスはココットに言われるまで眠気を感じていなかったことに気が付いた。
そして、レビアを心配して、奥へと続くドアに視線を移した。
レビアはこの小さな神殿の一番奥で、タイアードに見守られながら眠っていた。
その眠りはとても深く、未だ目覚める気配はなかった。
「いつもの事ですよ。
大きな力を使った後は、生命エネルギーを必要最小限にして魔力の回復に務めるのです。
いつもでしたら、直ぐに眠るのですが、貴方の事が心配だったのでしょう。
貴方が目を覚ますまで、頑張って起きていたようですね。
タイアードは、番犬といったところですね。
良いでしょう。
明日、新しい召喚獣と契約しましょう。
それぐらいの手伝いでしたら、たいして気にはなりませんから。
おやすみなさい」
林檎を窓際に置くと、クレフの視線はスッと本に戻った。
抑揚のないいつものクレフの言葉に、ニコラスは嬉しそうに返事を返し、小走りに割り当てられた部屋へと向かった。
そんなニコラスの足音が聞こえなくなると、クレフは静かに本を閉じ、音もなく立ち上がった。
「それに、邪魔をされたままというのも、癪に障りますからね」
窓際に置かれた林檎に白い手が乗った。
まっ赤に熟した林檎は、一瞬にして凍りつき、砂のようにサラサラと崩れ去った。
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