第20話 少年ニコラスその3(国と城と城下町とリンゴ)
3.国と城と城下町とリンゴ
食堂は暖かく、今夜の夕飯だろうか?数種類の野菜が煮える香りが漂っていた。
大きめの暖炉、四人掛けのテーブルと椅子のセットが五つ。
それぞれ色違いのテーブルクロスがかかり、中央には黄色い花が飾られていた。
「はい、どうぞ」
そのテーブルの一つ、大きな窓際の椅子に座ったニコラスは、差し出されたお茶に視線を落としながらお礼を言った。
「この傷が気になるわよね。
私は見られることに慣れているから、大丈夫よ。
顔を上げて、貴方の顔を見せてくれないかしら?
貴方の顔を見て、お話ししたいわ」
明るい声に、その言葉に、ニコラスはおずおずと顔を上げた。
「あんなに沢山のキャンディをありがとう。
子ども達、とても喜んでいるわ」
濃い茶色の瞳の下にある傷は少し黒ずみ、時間の経過を思わせた。
アンナはニッコリと笑っているのだろうが、その傷が左側の皮膚を引っ張っていた。
「いえ、僕はただお使いで来ただけで…」
「毎月、月頭に姫様から頂いていたのだけれど、ほら、お城があんな事になってしまったでしょう?
姫様お忙しいだろうから、こちらまでは… って、子ども達に言い聞かせていたの」
「姫様が、侍女の方にメモと事付を頼んでいてくれたらしくて… すみません、遅くなってしまって。
もう少し早く、お昼すぎぐらいにはつく予定だったんですが…」
メモと一緒に渡された地図を、見間違えて迷子になっていたのだ。
申し訳なさそうに、ニコラスは肩をすぼめた。
「お夕飯前に失礼しました」
退出しようと腰を浮かしたニコラスの前で、アンナはテーブルを二回程、指で鳴らした。
「せっかく入れたのだから、飲んでいって。
それに、お夕飯も誘いたいのだけれど?」
「でも…」
戸惑うニコラスに、アンナは食堂の出入り口を指さして見せた。
そこには先程の少女の他に、幼い子ども達の姿があった。
皆痩せていて、浮き出した目の大きさが印象的だった。
その大きな目で、じっとドアの影からニコラスを覗き見ていた。
「… い、頂きます」
あまりにも静かな眼差しに、ニコラスは息を呑みこんで再び座った。
「ほら、皆、お食事にしましょう。
お手伝いをして」
アンナの言葉に、ドアの影からゾロゾロと子ども達が姿を表した。
年齢はバラバラで、上はアンナに似た背格好の十代後半ぐらいの女の子から、下はオシメも取れていないヨチヨチ歩きの子までいた。
子ども達はニコラスが見ている中、会話らしい会話もないが、お互いに手を貸しあいながら、各テーブルの準備を済ませた。
「お兄さん、姫様のお使いの人?」
あちらこちらに跳ねた茶色の髪が縁取っているのは、肉付きの悪い顔だった。
門で出会った少年だ。
血色は悪いものの、太い眉は存在感があり、大きめな黒い瞳は警戒心に溢れていた。
「はい。
ニコラスと申します」
「ふぅぅん…
オレはカリフ…」
テーブルの準備をしながらニコラスに話かけた少年を押しのけるようにして、外で出会った少女が話しかけてきた。
「ニコラスさんは、姫様の部下なの?
剣を持っているけれど、剣士さんなの?
タイアードさんの部下?
強いの?
胸にいる動物は何?
今夜の夕飯は豚肉なの!
今日は月に一回のご馳走なんだよ!
ニコラスさんは豚肉好き?
私は甘いお菓子の方が好きなんだけれど、ママ先生はなかなか買ってくれなくて。
だから、姫様が毎月くれるキャンディは、皆嬉しいの。
姫様、そんなに体調悪いの?
タイアード様は?」
「キルラ、そんなに矢継ぎ早だと、ニコラスさんが答えられないわ。
それに、お夕飯の支度も進んでいないわよ」
少女、キルラの勢いに押されていたニコラスを、アンナが呆れた声で助けに入った。
「でもママ先生、皆さっきから気になってしょうがないの」
そっと周囲に視線を走らせると、キルラの言う通り、皆テーブルの支度をしながらも、視線はニコラスに集まっていた。
「ああ… はい… そのぉ…」
「とりあえず、お料理を並べなさい。
温かいうちに食べましょう」
アンナに促され、子ども達はニコラスをチラチラ見ながら準備を進めた。
並べられた食事は、ニコラスには馴染み深いものばかりで、けれど、量は少なかった。
しかしそれを囲む子ども達は皆笑顔で… ニコラスは心が暖かくなる感じを覚えた。
それでも、だからこそ、その心の片隅に小さな黒い穴が開くのが分かった。
「お口に合わないかしら?」
雑穀のスープを前に、スプーンを持ったまま止まっているニコラスに、アンナが心配そうに声をかけた。
「あ… いえ…」
視線を上げると、アンナだけではなく、子ども達の微妙な視線も感じた。
「お城のお料理とは違うもんね」
「でも、姫様とタイアード様は美味しいって言ってくれるよ」
「バッカだなぁ~そんなの、気を使ってくれてるからに決まってんじゃん」
「いいなぁ~、お城のご馳走、一度食べてみたいなぁ~」
「私、ここの料理、結構好きだけど?」
「そうよ。
ちゃんと食べられるんだから、贅沢言っちゃだめよ」
子ども達は口々に料理について言い始めた。
「ほら、皆…」
それを収めようと、アンナが手を叩きながら声を上げると同時に、ニコラスが口を開いた。
「僕は、国の端の名前もない集落で育ちました。
僕にとって、目の前にあるこの料理はいつも口にしていたものです。
でも… 料理を、こんなに多くの人達で囲んだことがなくって…」
いつも一人か、母や神父のレオン、時に教会に居る人たちとの食卓だった。
集落を出てからはクレフが一緒だったが、あの人はお茶ばかりで食べ物を口にするのは少量だったと思いだした。
今朝、真新しいキッチンに立ち、二人分の朝食を作った。
しかし、朝食の席に着いたのはココットとニコラスで、クレフは窓際で本を読んでいた。
「こんなに大勢で食事をするのは初めてで… なんだか、温かい感じがして」
熱いものが揉み上げてきて、それは次の一言と同時に瞳からポロッと溢れてしまいそうで、ニコラスはキュッと唇を噛み締めた。
静まり返った食堂の中心に、スープとパンを持ったカリフが胡座をかいて座った。
それを見て、他の子ども達もテーブルをずらし、円を書くように床に座って食べ始めた。
「お兄ちゃんも、一緒に食べよう」
びっくりしているニコラスの手を、ニコラスよりずっと幼い少女が握った。
「お行儀が悪いけれど… まぁ、今日は大目に見ましょう」
アンナは優しくニコラスの頭を撫でてウインクした。
「アンナさん」
食堂の入り口で、小さくアンナを呼ぶものがいた。
「皆、喧嘩せずに食べるのよ」
ニコラスが子ども達の輪の中に入って食べ始めたのを見て、アンナは静かに食堂を出た。
■
今夜の月は、雲に隠されていた。
よく磨かれた窓ガラスに映るのは、室内をほんのりと照らすランプと、それに照らされた裏庭の一部だった。
「君は、姫様のお使いだったんだね」
ベッドの上で上半身を起こした青年が、ニコラスに優しく微笑みかけた。
「先程は、本当にすみませんでした」
夕食後、食器洗いを手伝っていたニコラスは、ここの住人が帰宅して玄関で倒れたと聞いて、微力ながらも手伝いをかって出た。
が、その顔を見て驚いた。
キャンディの店の外でぶつかった青年だった。
倒れた原因が、さっき自分がぶつかったせいではないかと責任を感じたニコラスは、青年が目を覚ますまで、その枕元で大人しく座っていた。
「あれは、僕も不注意だったんだよ。
それに、今こうしているのは君のせいじゃないよ。
最近、体調不良でね、夕方になると熱が上がってしまうんだ」
肉付きが悪く細身だが、随分と身長が高いせいでベッドがとても窮屈そうだった。
髪も瞳も黒い青年の口の左端に、小さな黒子があった。
「夕飯は終わってしまって、生憎これしか残っていなかったわ」
ノックの後、一息置いてアンナがスープを持って入ってきた。
「子どもたちのお腹の足しになったのなら、いいんだ。
食欲もないし、これで十分だよ、ありがとう」
青年はスープを受け取り、その温もりを両手で感じていた。
青年の不調の原因の一つは、栄養不足もあるだろう。
それは、幼いニコラスにも分かった。
「あの…
失礼ですが、ここは…」
ゆっくりとスープを啜る男とアンナを見比べながら、ニコラスは恐る恐る聞いた。
「ここは、研究城の城下町にある保護施設… 孤児院です」
「研究城… 保護施設、孤児院…」
「あら、知らなかった?姫様のお使いだと言うから、てっきり」
「すみません。
僕、自分が住んでいた集落がどういった所だったのか知ったのも、つい最近で…」
「貴方も、迷子なのね」
そう言って寂しげにほほ笑むと、アンナはニコラスに椅子を勧めた。
「先日全壊した城は国のものじゃないのよ。
姫様のお城で、ジャガー病の研究所。
周りからは『研究城』と呼ばれていたわ。
あのお城にはジャガー病に感染していたり、まだ感染しているかどうか分からない人達や、身内に感染者が出て周りから迫害を受けそのまま生活が出来なくなった人達、そんな人達が次の住処を決めるまで、住み込みで働いていたのよ。
そんなお城の城下町であるここは、感染はしていないものの、身内に感染者や発病者が出て、自身は感染していなくても周りから迫害を受けて、保護された人達の七割が生活しているの。
この城下町の孤児院はここだけ。
ジャガー病で保護者を失った子ども達は、ここで生活しているのよ」
ちゃんと食べられるんだから…
あの言葉の意味を、ニコラスは理解した。
「両親の顔を覚えることもなく、ここに来た子も少なくないのよ。
同じ様に迫害を受けた人達の中で、創造女を信仰する方たちは、創造女神殿で、月の女神を信仰している方たちは月神殿でと、それぞれの信仰する神殿で生活をしているわ。
ニコラスが住んでいた集落は、『終の住み家』ね。
感染した老人が心安らかに終わりを迎える集落と聞いているわ」
心安らかに終りを迎える… それは表向きだ。
そう、ニコラスは心の中で呟いた。
あの、教会の地下室の光景が蘇り、ニコラスの表情に影を落とした。
「ニコ…」
薄暗い室内で、ニコラスの変化に気がついたココットは、そっと呟やいて頬をひと舐めした。
そんなココットに、ニコラスは悲しそうに微笑んだ。
「孤児院… だから貴女は、皆から『ママ先生』と呼ばれているんですね。
皆明るくて… 僕、兄弟がいないから分からないんですけれど、兄弟って、あんな感じなんですか?」
母と言う存在は居た。
しかし、兄弟と言う存在はなかった。
もし、姉が『母』としてではなく『姉』として、自分と暮らしていたら…先ほど見た光景の様だったのだろうか?
「そうね… 年齢が近いし、境遇も同じだから。
兄弟に近いかしら。
ここにいる殆どの子どもたちは、『その時』は稚すぎて、記憶にないままここに来た子がほとんど。
この街の殆どの方たちも境遇は同じ。
いつも過ごしていた『日常』がある日突然なくなって、右も左も分からず誰も信用できなくなる。
そんな非日常から、新しい『日常』を得られたのよ。
この国に住んでいる人たちは。
… 迫害を受けず普通に生活ができるだけでも違うわ」
ニコラスも『普通』や『いつも』は、いとも簡単になくなるのを知った。
「記憶がある子どもたちは?」
「保護されて、時間が経てばそれなりに。
私も、夫と幼い一人娘をジャガー病に取られたわ」
そう言って、アンナは頬の傷をそっと撫でた。
皆、そうなんだ。
自分だけじゃないんだ。
いや、自分は『日常』は失ったが、迫害はされていない。
それどころか、ずっと守られている。
姫様は、僕を守る様に皆も守っているんだ…。
「この小さな国が、特化した国産品を持たなくても他国と渡り合えるのは、こうした人々を保護するのと同時に、迫害され命を落としたかもしれない人々の持っている技術や、稀な歴史を一緒に救っているからだと僕は思うんだ」
青年は半分程スープを飲み終えると、そっと皿をアンナに差し出した。
「僕の名前はマーク・ビンセント。
僕も恋人がジャガー病を発症し… どう逃げたのか分からないのですが、気がついたらこの国にたどり着いてました。
この国は、僕のような他国の者でも保護してくれるのでありがたいです。
僕を拾ってくださったのは隣町の林檎売りを生業とする老夫婦で、僕はお二人の仕事の手伝いをしていたのですが、去年お二人とも亡くなられて…。
林檎を育てていたんですが、二ヶ月前程からここの先生をやっています。
林檎を売りながらね」
マークは肉付きの悪い頬を、ニコラスに向かってそっと緩めた。
「あ… 僕の名前は、ニコラス・タルボットと言います。
今はレビア姫のお手伝いをしています」
ペコリと、ニコラスは慌てて頭を下げた。
「マークの教え方はとても分かりやすいと、子どもたちに好評なのよ。
もし、時間があるなら、皆と一緒に勉強してはどうかしら?」
「それはいい案だね。
ぜひそうすればいい」
アンナの申し出に慌てたニコラスだったが、マークはニコニコと賛成した。
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