第13話 西のバカブ神その13(月のない夜の戦い3)

13・月のない夜の戦い3


 レオンが燃えた。


 炎のはずみで、レオンの体が大きく横にずれ、ニコラスの視界にその姿が入った。

青年の炎で、レオンは音を立てて燃えあがった。

熱く、城をも壊す炎の中、その顔は笑っていた。


「随分と温い炎だ」


 炎に焼かれ、レオンの皮膚が小さい音を立てて捲れて、炎が空へ舞って行った。

ゆらゆらと炎が舞い踊り、全てを飲み込み、無へと還して行く。

ゴウゴウと炎が歌い、全てを飲み込み天へと還して行く。


 ニコラスたちの前には、一匹の獣がいた。


「素晴らしいでしょう。

この躰にジャガー神を降ろすのです。

私が神になるのですよ」


 炎を纏った獣だ。

大きく湾曲した体は、それでも二本の足で立っていた。

伸びた両腕を前方へと垂らし、鋭く伸びた爪をカチャカチャと鳴らしていた。

顔は狼のように目はギラギラとして、耳まで裂けた口からは鋭い牙がのぞいていた。

細く長い尻尾が、まるで悪魔のように見えた。


「愚かな」


 クレフが、更に攻撃しようとした青年を片手で制し、レオンの視界から隠すようにニコラスの前に立った。


「ジャガー神を降ろすなど、無理なこと…」


「無理? それは物事を最初から諦めている者の言い訳ですよ。

知っていますか? なぜジャガー病がこの世界に存在するのか?」


「ジャガー病は多く有る病の一つです。

病は地上に存在する『命』あるもの全てに降り注ぐ災害ですよ」


「違う、違う。

呪いですよ。

ジャガー病はジャガー神の呪いですよ」


 ニヤリと笑ったのだろう。

表情が微かに崩れ、紫の舌がちらりと覗いた。


「何を呪うというのですか?」


「産んだ母、創造女神。

命を奪おうとした父、創造男神。

神々の愛と加護を受ける人間たち」


「生んだ者と殺そうとした者は分からなくもないですが、人間たちは八つ当たりもいいところですね。

もう少し、熟考してはいかがです?」


 小馬鹿にしたように、クレフは小さなため息をついた。

そんなレオンとクレフのやり取りを尻目に、レビアがそっとニコラスの手を取った。


「私と呼吸を合わせてくださいな」


「でも…」


 ニコラスの中のレオンは壊れた。

優しかったレオンは、醜い獣となった。

幼い心は、淡い思い出を握りつぶされ、いまにも崩れそうだった。


「ニコラス、貴方の『神父様』を思い出し、信じてくださいな」


「神父… 様…」


「そう、神父様」


 レビアはニッコリ微笑むと、小さな手をキュっと握りしめた。


「目をつぶって、ゆっくりと呼吸してくださいな。

ゆっくり… ゆっくり…」


 二人は手を取り合い向き合うと、レビアにつられるようにして、ニコラスは瞳をとじた。

レビアの呼吸音が微かに聞こえ、つないだ手から温もりとともに鼓動が感じられた。


「八つ当たりじゃないさ。

生まれただけで、神々の愛と加護を当たり前のように受け、堕落する人間への罰さ。

私は神になり、人間たちを裁く側となる。

ああ、研究の成果はこれだけじゃないですよ」


 レオンの悪魔の尻尾が、激しく大地を弾いた。

合図を待っていたかのように、大地が割れ、モンスターが溢れ出し、魔方陣の回りを囲んだ。

皆、レオンの様な姿をしていた。


「集落から逃げたあと研究を続け、旅人を使って完成させたモンスターですよ。

これらに勝ったら、私の、神の下僕にしてあげましょう!」


 再び尻尾が大地を弾くと、回りのモンスターが魔方陣に襲いかかってきた。


「その思い上がりこそ、神々への冒涜です。

スヴャートスチ聖なる・ドラゴン召喚」


「月よ…」


 炎で赤く染まった空を、白銀の光が矢のように幾筋も降り注いだ。

鼓膜を揺さぶる雄叫び。

白銀の光は束になり、龍神の姿になると、周囲の炎とモンスターをその息で消し始め、それから免れたモンスターは長い体で絡み取り始めた。


 レビアが体勢をそのままにつぶやくと、龍神やニコラス達を援護するように、満月まで太った月の光が周囲を照らしていった。


 勇ましい雄叫びとともに、タイアードがレオンに切り込んだ。


「あくまでも私に逆らいますか」


 タイアードの剣を腕で受けたレオンは、もう片方の腕を伸ばした。

レオンの腕が甲冑に届く前にタイアードは後ろへ、クレフの前に飛び退いた。


「貴方のご自慢の下僕たちも、たいしたことないようですね。

あの男の餌になっていますよ」


 クレフの言葉通り、湧き出たモンスターは龍神に絡み取られ、青年の腕や口で引き裂かれていた。

 返り血を浴びて叫ぶその姿は、まるで血に酔っているようだ。


「満月の下であの力、やはり欲しい」


 その雄叫びにニコラスは集中力を切らし、思わずそっちらへと顔を向けた瞬間、その視界が朱色に染まった。

生臭さが鼻をつき、鉄の味が口に広がった。


「あ…うあぁぁぁぁ…」


 拭っても拭っても、視界は紅い。

口内に充満した鉄の味に、吐き気を覚えて膝をついた。


「大丈夫、ニコラス。

落ち着いて、落ち着いて」


 ココットが、その小さい舌でニコラスの顔についた血を舐め取っていく。


「オレッちがいるから、大丈夫」


「… うん。

ありがとう、ココット」


 一回吐いてしまうと、口内も落ち着いた。

しかし、戻った視界に飛び込んできた光景に、血の気が引き、思わず声が上がった。


「クレフさん!

タイアードさん!」


 ニコラスの前にいた二人の体から、幾つもの黒い矢が生えていた。

鈍い音と共に黒い矢が引き抜かれると、一本の尻尾へと戻った。


「大丈夫です」


 いつもの表情のまま、クレフは立っていた。


「で、でも… クレフさん…」


「ここで、力の無い奴は邪魔なんだよ」


 視界を遮るように現れた青年は機嫌の悪さを全面に出し、ニコラスの襟首をがっしりと掴んで自分の目の高さまで引き上げた。


「お前の母親は、人間だった。

お前の神父様も人間だった。

二人は、あの集落で死んだんだ。

俺が、殺したんだ。

戯言に惑わされずに、臍下へそしたに力入れて、確り立っとけ!」


 青年は顔色を無くし、恐怖と困惑で震えているニコラスの瞳をのぞき込み、苛ついた声を投げつけ、レビアの前に落とした。


「来ますよ」


 そんな様子を見つつ、クレフは呆れた声をかけながら手は印を組み始めた。

悪魔のような背中と、女神のような背中が並び、ニコラスへの壁となった。

それを見て、ニコラスの心は冷静さを取り戻してきた。

まだ怖いし不安だけれど、レオンを見て立つことができた。


「『黒き雨』」


 レオンの背中に黒い翼が現れた瞬間、羽根が刃となってニコラスたちに向かって放たれた。

豪雨のように降り注ぐ羽根は、ニコラスたちの頭上で青年の炎で一気に炎上した。

すかさず龍神がレオンに巻き付き、タイアードが切りかかった。


「さぁ、今のうちです。

もう一度、私と呼吸を合わせてください」


「でも、僕…」


「これは、貴方にしか出来ないことですわ。

そして、今一番必要なことですのよ」


 おっとりと優しく諭され、再度レビアに手を取られ、ニコラスは自分の身の置き場に不満を覚えた。


「今、一番必要なこと?」


 レビアは優しく微笑み何処からともなくひと振りの剣を出した。

それは、家を出る時にアニスから渡された自身の剣で、いつの間にか忘れていたものだった。


「これは…」


「クレフから預かりました。

封印は解いてありますわ。

本当に貴方の剣ならば、必ず貴方を助けてくれます。

さあ、手を…」


 取った手は、さっきよりも暖かだった。

目を瞑ると、不思議と音が聞こえなくなった。

燃え盛る炎の音も熱も、剣の耳障りな音も、モンスターの断末魔も、その空間には何もなかった。


ただただ、温かい空気に包まれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る