第12話 西のバカブ神その12(月のない夜の戦い2)

12・月のない夜の戦い2


 一体のモンスターがこの空間を占領した。


 砕けた天井から頭を出し、ゆっくりと辺りを見渡していた。

体はそこかしこがウゾウゾとうごめき、いたるところに口と思わしきものがあり、肉体の蠢きと共に液体が吐かれ、苦しげな呼吸が聞こえた。

今まで足下で息絶えていたモンスターたちが集まり、一体の巨大な塊となった。

全体から腕や足が生え、いたるところに牙を剥き出した口や目があった。


「あら~、随分と悪趣味ですわ~」


「再生呪文と、異質同体呪文を合わせたものでしょうか?

術のセンスはともかく、視覚的センスはイマイチですね」


 炎で熱されていた空気が変わった。

 巨大な塊の幾つのも口が吐き出す臭気が、形や大きさにばらつきのある目が殺気を放ち、それらがねっとりと体中にまとわりついてきた。


 しかし、レビアのおっとりとした口調や、クレフのサラッとした口調は変わらなかったが、ニコラスやココットは言葉もなく立っているのがやっとだった。

 ニコラスも、ビリビリと殺気のような空気を肌で感じた瞬間、幾つもの野太いモンスターの咆哮が辺に響いた。


「いい加減に逝っちまえ!

『黒きはねほむらばく』」


 ニコラスが腰を抜かした瞬間、低い爆発音と咆哮と共に、モンスターの向こう側で幾筋もの火柱が立った。

それは、闇に慣れた目にはとても眩しく、熱風が渦を巻いて部屋中のモノを襲い始めた。


「熱い…」


「オレっち、毛皮脱ぎたい」


 ニコラスとココットは思わずつぶやいた。

一気に身体中から汗が吹き出し、温められた空気が呼吸をするたびに喉を焼いた。

それでも魔法陣の中に入っているから少しはマシなようで、魔法陣の外は花が焼かれ、部屋の壁には大小の亀裂が蜘蛛の巣のように走っていた。


 熱気で視界が歪む。


 モンスターの表面が焼けて、ポロポロと細胞が落ちていく。

炎に焼かれ、一つの体になったものが、叫び声を上げながら再び『個』へと戻っていく。

炎のゆらめきに踊らされながら落ちるその様は、本の挿絵で見た地獄のようだと、ニコラスは思った。


「ココット、これを」


 ニコラスは自分の右手首に巻かれた赤いリボンを、ココットの首に巻いた。


「僕の大事なものだから、燃えないようにしてね」


 ニッコリとほほ笑んで、人差し指で自分の胸元を指さした。


「おう! まかせとけ」


 ココットはスルリとニコラスの胸元に入り込み、頭だけ出した。

室温はどんどん上昇していき、ニコラスの意識が朦朧とし始めた。

そんなニコラスの状態を知ってか、結界の中に雨が降ってきた。


「結界内に雨を呼びました。

もう少しでレビアの術が完成します。

それまで頑張りなさい」


 意識が一気にハッキリとしたものの、周囲の酸素が薄くすぐに眩暈がした。

自分は何をすればいいのか分からないニコラスは、ただ地べたに腰を落としているだけだった。


「ニコ、大丈夫か?」


自分の命は自分だけじゃない。

ココットと運命共同体なんだから。


 と、ココットの心配する声に、確りしなきゃとニコラスは顔を上げた。

見ると、次の術に入ったクレフも、祈り続けるレビアも、雨で濡れた衣服は瞬時に乾き、代わりに大量の汗が髪や衣服を肌に張り付かせていた。


 苦しげなモンスターの雄叫びは大地を、壁を大きく揺さぶり、大きな音を立てて微かに残っていた天井や壁が崩れた。

籠っていた熱気が一気に開放され、空気が冷たく感じるようになった。

同時に新鮮な空気が入ったせいで、火力が一気に増した。


「とても好ましい。

どうですか? 私と手を組んで、ジャガー神を復活させませんか?」


 耳障りなあの声がすると、燃え盛るモンスターの肩に人が一人乗った。


「そこの貴方。

ジャガー病と共存できているなんて、素晴らしい」


 答えは早かった。


 ニコラスの目の前で、モンスターの中央部分が急に膨らんだかと思ったら、炎と肉片を弾いて頭から男が出てきた。

瞬時に、魔法陣の外にいたタイアードとクレフと青年が中に入った。


「隠されし我が半身よ、我が声の導きのもと、暗黒の世界より出よ。

我が名は月の女神アル・メティス」


 鈴の音が転がった瞬間、世界が白銀に輝いた。

ニコラスは思わず目をつぶった。


「レオン神父、人間であることを捨てるのですか?」


 レビアの言葉に、ニコラスは無理矢理目を開いた。

チカチカとした視界は、次第に夜の闇を吸収していった。


 弓のように細い月の下で、悲しげな声をあげ、燃えて崩れていく巨大なモンスター。

ボロボロと細胞が剥がれ落ちるように、再び命を失った個々のモンスターは、地面に落ちて跡形も無く消えていった。


 広がる熱風に、草花たちは燃えあがった。

壁という囲いを失った炎は、小さな舌をチロチロと四方八方へと伸ばし、城の壁を登り始めた。

きな臭い煙は炎の先から空へと登っていく。


「姫様、貴方には感謝していますよ。

貴方のおかげで、偉大なる研究ができた」


 燃えて崩れゆくモンスターを背に、ニコラス達に向かって歩いてくる人影があった。


「神父様…」


 ニコラスは喉の渇きを覚えた。

心臓が、今までにないぐらい五月蠅かった。

とても見知ったその顔は、ニコラスの心をざわつかせた。

 魔法陣の手前でその歩みは止まった。


「お久しぶりですね、ニコラス。

とっくに死んだものだとばかり思っていましたよ」


 顔は確かにレオンだが、太陽のように輝いていた髪も瞳も夜の闇のように黒くなり、伸びていた背筋は、老人の様に曲がっていた。


「アニス、貴方の母親だった女はどうしました?」


 そして、その声はザラザラとしわがれていて、数日前のレオンのものとは、似てもにつかなかった。

ニコラスの中にある、思い出のレオンに、幾つもの大きな亀裂が入った。


「あの女には、研究の総てを注ぎこんだんですよ。

あの女は、私の長年の成果そのものです。

年寄りは駄目でした。

相対するウイルスを入れると、直ぐに精神崩壊を起こしたり、満月でも発病してしまう。

まあ、発病ならまだいいですよ、データが取れますから。

しかし、中には破裂してしまった者もいました」


 何を言っているのか、ニコラスは理解できなかった。

ただ、ニコラスの中のレオンは、卵の殻の様にポロポロと亀裂から剥がれ落ち、青年の目を通して見た、モンスターを瞬殺したレオンが現れ始めた。


「しかし、アニスは違った」


 教会の地下室が脳裏に甦った。


自分の心臓の音が煩い。

荒らされた書庫に薬品庫…


「三種類ものウイルスを留めておけた」


おびただしい数の檻に、その中で絶命していた人たち…


 視界は、レオンを映していない。


耳の奥で血の流れる音がやけに大きく聞こえ、呼吸が浅く早くなった。

今までとは違う、じっとりとした脂汗が出始めた。

目の前が暗くなり始め、息苦しい。


「ただし、月の石を通常の倍以上、投与しなくてはならなかったんですがね」


カーテンの奥…


「それでも母親のふりをして、貴方の世話をしていたのだから、本当にたいした女でした」


 目の前のレオンに、苦しむアニスが重なった。


苦しんで…


「俺が殺した」


 ス…っと、二人の間に青年が入った。


 ニコラスの視ていた幻影のアニスが、力なく笑った。

あの時も、この背中を見ていたと、ぼんやりと心の隅みで思った。 


「せっかくあそこまで育てたのに、勿体無いことを」


「次は、お前だよ。

逝け」


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