第11話 西のバカブ神その11(月のない夜の戦い1)
11・月のない夜の戦い1
月の無い夜だった。
透明なガラスの半球体の中、足元の花々が囁きながら昼間吸収した太陽の光をほのかな明かりとして放出していた。
それがこの空間で唯一の灯りだった。
広いこの空間の中央には、小さな月の女神像が跪き、祈りを捧げていた。
「命ある全ての者に、月のご加護を」
鈴を転がしたような、ゆったりとした声が空気に溶け込んでいった。
女神像かと思っていたのは、月色の法衣を身につけたレビアだった。
祈りを捧げていたレビアは、ニコラス達の気配を感じるとゆっくりと立ち上がった。
「お約束の時間に遅れて、ごめんなさい」
「役者が揃えば大丈夫ですわ。
貴方の神が、今の貴方に必要とした時間なのですから」
駆け寄ったニコラスが、遅刻した事を項垂れて謝罪すると、レビアは優しく微笑んで幼い頬をそっと撫でた。
「あっ…」
レビアが右の頬を撫でると、そっとココットが左の肩越しに頬を舐めた。
ニコラスは自分の頬に涙の跡があることに気がついたが、二人が次の言葉を発する前に黒い影が動いた。
「んで? 俺様、話聞いてねーんだけど」
「あら、あら。
いつからそんな殊勝な心掛けをするように?」
レビアは青年に向かってニッコリと微笑むと、再びニコラスに向き直った。
「準備は万全ですから、貴方はいつも通りで大丈夫ですわよ。
ニコラスは私の傍に居てくださいな」
「後始末、しねーかんな」
後ろ手に手を振り、歩きながらぶっきらぼうに言った瞬間、周囲の温度が急に上がった。
同時に、レビアとニコラスの足元に月色の魔法陣が出現し、その縁、レビアの前にタイアードが、ニコラスの近くにクレフがいつの間にか立っていた。
余りにも素早く自然な動きだった。
空気が張り詰めたのを感じたが、白と銀糸の法衣を纏ったクレフが余りに美しく、ニコラスは視線を奪われた。
その顔はいつもの様に女神像のように平然としていて、眉の一つも動かなかった。
「ニコラス、貴方の力が必要ですわ」
レビアの声に、意識を引き戻された。
しかし、レビアの瞳はニコラスではなく、その視線の先は空をみていた。
球状の硝子天井の向こう、何も無い空間。
月も星も… どこまでも暗い闇に、ニコラスは自分を食べようとした闇を思い出した。
「始まります」
小さな鈴の声色が、ニコラスをこの空間に戻した。
タイアードが剣を抜き、クレフが杖を魔法陣の縁に立てると、足元の魔法陣が銀色に輝きだした。
「坊主、くるぞ」
この場の雰囲気に場違いな程楽しそうな声を合図に、それは始まった。
背に大きな黒い翼が悠々と開き、ニコラスがその翼にみとれたのは、ほんの一瞬だった。
硝子の割れる音が響き渡り、魔法陣の光を反射して落ちてきた。
しかし魔法陣のお陰か、ニコラスたちにその尖端が降り注ぐようなことはなかった。
「ココット、中に」
肩越しのココットを胸元に誘導するも、ココットは何も言わず全身の毛を逆立てながら、ニコラスの肩から動かなかった。
一瞬にしてモンスターに囲まれた。
「暑いのは嫌いなんです。
教会の時のように、燃やさないでくださいよ」
黒い影が動いた。
クレフの苦情に、態度で答えているのか、集落の教会の時のように燃やすのではなく、モンスターを引き裂いていく。
足元の花が赤黒い血に染まり、花弁が舞い上がり、まるで炎が立ち上ったようだった。
「狂犬。
… とは、よく言ったものですね」
「凄い… あっという間だ」
クレフがポツリとつぶやき、一歩下がった。
花弁の炎、壁に描かれる血の炎、立ち込め始めた異臭… ニコラスは目の前の光景に、教会での惨事を思い出し、呟きながら顔色を変えていた。
魔法陣の縁にかかった血が、音をたてて蒸発していく。
「ジャガー病に感染している血液です。
ニコラス、触れないように」
クレフに言われ、ニコラスはレビアの真横に寄った。
「月の無い夜は、ジャガー病のウイルスに感染したモノが狂喜乱舞する時間ですわ。
それは一夜の宴のはずなのですが… 時は繰り返していますの。
月の女神の目を盗み、繰り広げられる血の狂演に、私たちは幕を引かなければなりませんわ」
顔色を失ったニコラスの手をそっと取り、レビアは優しくほほ笑みかけた。
「繰り返している… 新月が続いているってことですか?
僕は、何をすればいいのですか?」
穏やかな視線を受けるも、直ぐに横を向く。
ほんのりと月色に照らされていた空間は、朱と闇が包み込んだ。
花々の息遣いは消え、一匹の獣が荒い呼吸を繰り返す。
その手は紅く、目は血走り、全身はワナワナと震え、辺りは息絶えたモンスターで埋まっていた。
ニコラスは息をすることを忘れて、その青年を見つめていた。
目を放したら、食べられてしまいそうだったからだ。
「なんか、ヤバくないか?」
青年が発する殺気交じりの闘気に、ココットは激しく身震いをした。
「相変わらず、厄介な男ですね。
本能に飲み込まれたのか、開放したのか… まったくと言って成長がない」
ため息まじりの声を残して、クレフがゆっくりと前に進み出た。
「うおおおおおおおーーーーーー!!」
近寄るクレフを見て、青年は大きく口を開けて掴みかかった。
その顔はさっきとは別人で、瞳は狂気に彩られていた。
まるで絵本の挿絵の悪魔のようだと、ニコラスは思った。
「どちらでも構いませんが、邪魔です」
瞬間、闇が動いた。
が、それはクレフの前で見えない壁によって弾かれた。
「ジャガー病との共存は、紙一重といったところですか。
教会の時より余裕が無さそうなのは、新月が数日続いたせいですかね。
精神的にも限界でしょう」
クレフは素早く手を動かすと、その背後に半透明の巨人が現れた。
「滅せよ…『神の
ポツリと言い放たれた命令を受け、その巨人は両腕を金槌に変え、男に襲いかかった。
「うわぁ…
でっかいのが出てきた…」
「死んじゃいますよ!」
「そんなにか弱くはありませんよ。
一撃食らえば、正気に戻るでしょう」
召喚獣の姿に恐れおののいたココットとニコラスの言葉に、クレフはさらりと返した。
言葉通り、青年は巨人の攻撃をかいくぐり、その腕で巨人の体を引き裂き始めた。
巨人の悲鳴が響き渡る。
両肩を引き千切られ、次は首に手をかけた。
「戻れ」
巨人の姿が消えると、クレフの白い魔法衣の背中に、ゆっくりと紅い染みが広がり始めた。
「クレフさん、背中!」
「大丈夫です…」
青年がクレフを捕まえようと伸ばした腕が、瞬時に引いた。
タイアードの剣先が二人の間にはいり、同時に青年の口の中に何かを押し込んだ。
「今は、お相手が違いますわ」
いつもと変わらないレビアの声。
タイアードは青年を見据えた後天井に顔を向け、青年は口に詰められたモノを、反射的に噛み砕き飲み込んだ。
「っち」
すっと、瞳の狂気が引いた。
興奮からくる呼吸の乱れも落ち着き、正気を取り戻した目でクレフを一瞥し、青年も天井を見上げた。
「いつまでそこに居るつもりだ。
それとも、もう終わりか?」
青年の声が発せられるのと同時に、一同の視線が天井へと集まった。
「まだですよ」
ガラガラとかすれた、耳障りな声が響いた瞬間だった。
その声が合図だったのか、クレフ達の回りで息絶えているはずのモンスターの体が浮き上がり、一ヶ所にまとまり始めた。
「僕、もうついていけません…」
二転三転する状況に、言葉通りついていけなくなったニコラスは、ただ見ることしかできなかった。
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