第10話  西のバカブ神その10(闇と炎を纏う男再び)

10・闇と炎を纏う男再び


 ニコラスの『視界』は夕刻の空を飛んでいた。


 城は瞬く間に近づき、一つの窓で止まった。

窓の向こうでは、クレフが床に書いた魔法陣の中で何かをしていた。

その何かを見極める前に、視界は一気に下がって、地面を歩き始めた。


 少し歩くと、小さな、夕刻色に染められた建物が目に入った。

その建物の角を曲がると、木に寄りかかって寝ている『自分』が視界に入った。

 大きな浅黒い手が、自分の顔にぬうっと伸び、小さな鼻をつまんだ。


「うっ… ぷあっ!」


 ブツリと『視界』が切れ、同時に余りの息苦しさに、ニコラスは目を覚ました。


「よう。

生きてたか」


 そう言ってニヤリと笑ったのは、浅黒い肌をした青年だった。

ニコラスを映す黒い瞳は、とても挑戦的だった。


「あ… 貴方は教会で…」


 瞬間、ニコラスの体がすくんだ。

ココットは瞬時にニコラスの胸元に避難すると、大きな目でじっと青年を見た。


「あん時は良かったな、俺様がいて。

命拾いしたろう?」


 その青年は再度ニコラスの鼻をつまんで、今度は左右に振った。


「うごご… 痛いです! 急に何するんですか!」


 その手を払いのけ、赤くなった自分の鼻をさすった。


「痛みを感じるのは、生きてる証拠だ。

感謝しろよ~」


「…貴方にですか?」


「そうだ」


 教会で会った時は闇を纏っていたせいか、とても怖い印象だった。

しかし今、目の前にいるこの青年は雰囲気も悪くなく、ただの悪戯好きな人物にしか見えなかった。


 あまりの印象の違いに、ニコラスは戸惑いを隠せなかった。


「えっ… あの、今、空からきましたよね?」


 そして、自分の意識がこの男に入っていた事を思い出し、改めて目の前の青年を凝視した。


 浅黒い肌に、目付きの悪い黒い瞳、裾の伸びた固そうな黒い短髪、服はもともと黒いのか汚れて黒いのか判断が出来ない。

全身から漂う異臭が、ニコラスの鼻を刺激した。


「飛べたら、女の着替え覗く」


「今さっき、クレフさんの部屋、覗いてましたよね?」


 あの時あった黒い翼がない。

そんな事を思いながら、自分の言葉に引っかかりを覚えた。


「もしかして… クレフさんが泉に入ってたのも覗きました?

僕の集落で、神父様がモンスターを倒した時も…

もしかして、集落のモンスターを…」


 教会で倒されたモンスターたちは、直ぐに火に焼かれた。

今まで視てきた夢がパズルのように繋がり始め、目の前の男の姿が浮かびあがった。


「お前、夢で渡ったな」


 唇の片端がグイッとあがり、凶悪な笑顔がニコラスを覗き込んだ。

力強い瞳に真っ直ぐに覗き込まれ、ニコラスは自分の頭の血管がドクドクと波打つ音を聞いた。


 さらに今までの夢が一気に駆け巡り、破裂しそうだ。


「まっ、覗きはお前も同罪だな。

泉の事は、言うなよ。

で、忘れろ。

あれを視るのは俺様だけだ。

まぁ、ただで、とは言わないぜ。

俺様はケチじゃないからな。

ほら、これやるから、言われた通りにしろよ」


 そう言って、男はニコラスの右手首に真っ赤なリボンを結んだ。

その端は、少し焼け焦げていた。


「こ、これは!」


覚えている。

違えるはずがない。


 リボンの裾に白い糸で刺繍されている『A』のイニシャルが、ニコラスの記憶の正しさを示していた。

 ニコラスは巻かれたリボンを左手でギュッと握り、男を見た。

その小さな唇に、男は人差し指を立て、口の端を釣り上げて『内緒』と言う意味で、シッと小さく息を吐いた。


「おら、来たぜ」


 ポンと力強く肩を叩かれ、ニコラスの視界は少し揺れた。

そして、此方に向かって来るクレフを映した。

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