第8話  西のバカブ神その8(夢から覚めたら)

8・夢から覚めたら


  夢を観ている僕の『目』となったその人は、線の様に細くなった月と、微かに瞬く星の輝きを背にし、手入れの行き届いた広い庭を、迷うことなく歩く。


 大きな出窓の前に来ると、そっと窓を開け、スルリと室内に入った。

窓の割に室内はそれほど広くなく、中央に置いてあるリング状のベッドがその部屋の唯一の物だった。

 ベッドには高い天井から幾重にも薄い布が下がっていて、ベッドをスッポリと覆い隠していた。


 その布をくぐりぬけると…長い黒髪の少女が眠っていた。

 その人は、その少女の髪を優しく撫でた。

何度も何度も、まるで愛しい子を撫でるように。

しばらくそうしていたあと、最後に頬を撫でた。

 少女の枕元に、小さな鉢植えが置かれた。

まだ蕾もつけていない鉢植え。

それを置いて、その人は窓から出て行った。




 このアルジェニアには、二つの城があった。

 三方を険しい山々に囲まれたこの国は、唯一山の障害なく隣国ヘと行けるのが南の道であり、その左右の山の間に高い城壁と第一の城が建っていた。


 その反対側となる国の一番奥、北側には険しい山があり、その麓に第二の城があった。

 三人と一匹を乗せた白馬は、国のほぼ真ん中にある町から半日で、このアルジェニアの第二の城まで戻ってきた。

 

 入城すると、クレフはいつの間にか姿を消し、それについてタイアードが触れることはなかった。


 心身ともに疲れ切ったニコラスは一つの部屋へと通されると、目の前に広がったベッドにその小さな体と意識を沈めた。


 目覚めても頭や四肢は重さを感じていた。

 どこだったろうと、記憶を呼び戻すために周囲を見渡すと、質素な調度品が確認できた。

部屋の調度品は町の宿屋と代り映えしないようだったが、質は断然良かった。

隣には風呂とトイレも付いていて、汗と汚れを洗い流すと、いつの間にか真新しい洋服がタオルに上に用意されていた。

城という安全な場所に居るのに、ニコラスの気持ちは落ち着いていなかった。


 目覚めたばかりの目をこすり、窓際に椅子を引っ張りだし、眼下の景色を眺めた。


「おはよ。

嫌な夢でも見た?」


 そんなニコラスの気持ちを察して、ベッドから元気な声がかけられた。


「おはよう。

…今日は、嫌な夢じゃなかったよ。

そうだなぁ…なんだか、切ない感じかな?」


 寝ている少女を撫でる。

それだけの行為が、今のニコラスにとっては切なく感じられた。


「血生臭い場所よりはいいんだけど、なんだか落ち着かなくって…」


 この数日で、小さな毛玉の召喚獣の定位置は、ニコラスの胸元に決まったようだ。

当たり前のようにニコラスの胸元に潜り込むと、頭だけひょっこりと出した。


「ここ、良い匂いもするし、綺麗だもんな」


そうだね。


 と寂しそうに笑って、窓から下をのぞき込んだ。

庭らしき場所で、数人の兵士が剣の稽古をしていた。


「…僕もあんなふうに、ちゃんと稽古したら強くなれるかな? そうしたら、また戦闘になっても、ガタガタ震えなくてすむよね。

 …まだ、戦闘の感覚が残ってるんだ。

よく洗ったつもりだけど、血生臭い気がするんだ…母さんを守るつもりで始めた剣の稽古なのにね…」


 稽古する兵士達を見たまま、静かに両手を握りしめた。


「石鹸の臭いがする。

あと…ニコラスは乳臭い」


 言われてニコラスは胸元に視線を落とした。


「乳臭いって…僕がまだ幼いって言いたいの?

君なんか、ずっと僕の胸元で眠ってたじゃない。

君の方が…」


「オレっちの方がなんだ?」


「…君の名前、決めてないや。

いつまでも君って呼ぶのも不便だよね」


 そこまで言って、召喚獣の小さな顔をジッと見た。


「おう、ちゃっちゃと決めてくれ」


「そうだなぁ…君の毛の色、ココットみたいだから、ココットで」


「ココット? 食べもん?」


「うん。

大きな木で、雪が溶ける頃になると大きな実がなるんだ。

君の毛並みみたいな色の薄い皮で、皮ごと食べられて、甘酸っぱくってとっても美味しいんだよ。」


「ニコラスは、それが好きなのか?」


「うん。

そのままでも美味しいし、ジャムやドライフルーツにしても美味しいんだ。

…嫌かな?」


 心配そうにのぞき込むニコラスの指を、小さな舌がひと舐めした。


「気に入った。

今度、食わせて」


「ココットは、何でも食べるの?」


「美味しいものは、食べるよ。

あ、でも、ニコラスは何でも食べちゃダメだぞ。

変なもの食べて具合悪くなったりしたら、オレっちも具合悪くなるからな」


「はいはい、覚えておきます。

こう見えても、料理は得意なんだよ。

薬草とかも、そこそこ知ってるし」


「じゃあ、あの草は食えるのか?」


 ココットはニコラスの胸元から飛び降りると、テーブルの上に飾られた小さな鉢植えに手を置いた。

丈は二十センチもなく、茎もヒョロリと心ともない。

その代わり、四枚ある葉はどれも薄く大きい。

先端の蕾みは白く小さく、固く閉ざされていた。


「この花、知らないなぁ」


ニコラスの手が、そっと小さな蕾みに触れた瞬間、蕾みは大きく膨らみ、ポンと小さく音を立てて花開いた。


「咲いちゃった…」


 それは満月色に輝き、微かに甘い匂いを放っていた。


 見計らったかのように部屋のドアがノックされ、返事を返す間もなく早々に開けられた。

白い甲冑と白いマントを身に付けたタイアードは、ニコラスの手元で咲く花を凝視した。


「ああ、あの、これは…今、咲きました…」


 タイアードの視線を受けて、ニコラスは一気に緊張した。

それが伝わったのか、ココットは素早くニコラスの胸元に隠れた。


「本来、この花は第三世界では咲かないと言われているんですの。

こんなにも綺麗な花でしたのね」


 鈴が転がるような可愛らしく澄んだ声が、おっとりと感想を述べた。

声の主は、ヒョッコリとタイアードの影から姿を表し、ドアの前で一礼してタイアードの隣に立った。


「初めまして。

私はレビア・メロウと申します」


「レビア・メロウ…メロウって…この国のお姫様! し、失礼しました」


ニコラスは慌てて膝まずき、頭を下げた。


「そんなに畏まらないでくださいな、ニコラス。

楽にしてください。

どうせ、タイアードが何も言ってなかったのでしょうから。

さぁ、顔を上げてくださいな」


 優しくおっとりとした声にそう言われ、ニコラスは恐る恐る顔をあげた。


 乳白色のキメ細やかな肌に、小さな顔。

金色の大きな瞳は少し垂れていて、とっても優しい印象だった。

簡単にまとめた長い髪は軽いウェーブがあり、優しい月色に輝いていた。

そんな姿に、ニコラスは月の女神像を思い浮かべた。

女神像よりはるかに細身ではあったが。



「ニコラス、短い間に色々な事が起こって、大変だったでしょうね」


 レビアは何のためらいもなく膝を床に付け、ニコラスの手を取った。


「ひ、姫様、ドレスが、手が汚れてしまいます」


 レビアの手は今まで握ってきた誰の手より小さく、誰の肌よりスベスベしていて柔らかく、クレフより暖かった。

そんな手の感触に、アニスの荒れた手を思い出した。


「村の事は、クレフから聞きましたわ。

貴方のお母様に今回の仕事をお願いしたのは、私です。

このような事になって、本当に申し訳ありません」


「あ、あの…今回の仕事って…」


 床に膝を付き、ニコラスの手を取ったまま、レビアは続けた。


「貴方の集落は、我が国や近隣の国でジャガー病に感染した人が暮らす村でしたわ。

昔は感染者だけが暮らしていましたが、この病をそのままにするわけにもいかず、他国と協力して病の研究を始めましたの。

 研究を始めて十五年程した頃です…集落の前神父が感染・発病し、代わりの神父を捜していた時、どこからいらっしゃったのか、レオン神父があの集落に入り研究を引き継いでくれましたわ。

 そのタイミングで、この国のジャガー病に関する研究の全責任を、父である王から私が引き継ぎましたの。

 始めはきちんと研究報告がありましたが、この一年程、報告が度々怠るようになったので、看護師をしていた貴方のお母様に内情を調べて、研究内容の総てを報告してくれるようにお願いしましたの」


 レビアの話に、ニコラスは引っかかりを覚えた。

それが何か、はっきりとは分からなかったが、確かな違和感はあった。


「お母様から預かった物はお持ちですか?」


「あ、はい」


「有り難うございます」


 慌てて腰の袋から取り出された卵を受け取ると、レビアは立ち上がり、タイアードに手渡した。


「我、汝の主なり」


 レビアは懐から金細工の施された細身の短刀を抜き、その刃を人差し指にあてた。

プクッと朱色の珠が出来ると、それで卵に文字をかいた。

すると卵は瞬時に月色に輝き、乾いた音を立てて卵が割れ始め、青い羽根が見え始めた瞬間…


バサバサバサバサ…


 それは青い小鳥で勢いよく舞い上がり、翼を動かすたびに羽根は抜け、鳥の形も崩れていき、落ちながら紙へと姿をかえ、レビアの手元に収まる時には一冊の本になっていた。


「…すごい…」


驚くニコラスの前で、レビアはゆっくりとページを捲っていく。


「こちらの予想以上ですわね。

…タイアード、クレフにこちらに来てもらってくださいな。

そうですわね…三〇分後にでも」


 そっと本を閉じると、レビアはニコラスの手をとり、悲しそうに微笑んだ。

おっとりとした口調と、その表情は正反対の印象だった。


「城内は好きに歩いて頂いて構いませんわ。

あと、こちらは貴方宛のお手紙ですわ。

一時間後、城の中心にある建物へお越しくださいな。

 貴方のお母様に、アニスに感謝いたしますわ」


 レビアは若草色の手紙をニコラスに手渡し、深々とお辞儀をすると、タイアードと共に部屋を出ていった。


「ココット、これから何が起きるんだろう…」


 レビアの悲しそうな微笑みが気になった。


「さあ、オレっちにも分かんない。

たださ、ニコラスが死んじゃったら、オレっちも道連れになっちゃうから、無理だけはしないでくれよ。

オレっち、まだまだ冒険したいし、美味しいものいっぱい食べたいから、頼んだよ」


「…君は、助けてくれないの?」


「オレっち、生まれたてよ。

ニコラスが強くなればオレっちも強くなる。

ってか、オレっち弱いから、確り守れよな」


 そういうものなのか…と、どこかまだ納得しきれなかったが、取りあえず頷いてみせた。


「ニコラス、何か食べたい。

さすがに三日間も寝てるだけじゃ、腹ペコだよ」


 そう言われて、ニコラスは急に空腹感を感じた。


「え、ちょっとまって。

僕、丸三日も寝ていたの?」


「体調も本調子じゃなかったんだから、しょうがないさ。

たまに、お城の人やさっきの姫さんが様子を見に来てたよ」


「え~…起こしてよ、ココット」


「だから、体調が戻ってなかったんだから、良いんだよ寝てて。

ここは安全に寝れる所なんだから」


そうだけれど…と口もごりながらも、三日も寝ていれば体が怠いのも頷けた。


「そんな事より、飯」


「はいはい…」


と、部屋を見渡しても、食べ物らしきものはなかったので、厨房で何か貰おうと部屋を出た。


「城っていう所は、人気がないんだな」


 ニコラスの胸元から頭を出し、そのつぶらな目で場内を見回していたココットが、誰にも合わずに中庭らしき場所まで出てしまったので、感想を呟いた。


「本に出てくるお城はとっても豪華で、働いている人もいっぱい居るって書いてあったよ。

豪華な家具が沢山あって、着飾った人たちがその中で暮らしているんだって。

挿絵にもたくさんの色が使われていたよ」


「ここは、寂しいな」


ニコラスの話を聞きながら、ココットは今までの城内を思い出した。


「ん〜…王様のお考えなんじゃないのかな? 姫様、ドレス姿で綺麗だったけれど、本に出てくる『お姫様』みたいに着飾ってはいなかったよね。

僕は自分の集落と隣村しか知らなかったし、本や聞いた話や絵でしか知らないことが多いいから、この数日は何もかもが刺激的だよ」


 胸元のココットに微笑みかけ、厨房のドアをノックした。

理由を話すと、すぐにサンドウィッチとお茶が差し出された。

それをありがたく受け取ると、『おすすめだよ』と教えてもらった裏庭へと足を進めた。


 裏庭と呼ばれている場所は、青々とした芝に、中央に実をつけた木が二本、その少し奥は腰の高さぐらいの低木が鬱蒼としていた。

 その少し奥には高い木々が生え、それらの影で薄暗くなって奥が見えなかった。

その森を進んでいくと、国の北を守る山の麓に付くのだが、ニコラスは知るはずもなかった。


 ニコラスは一本の木の下に腰を落ち着かせると、貰ったサンドウィッチを膝の上に広げて、ココットと一緒に食べ始めた。


「お城のご飯のお味はどう?」


 ニコラスの嗅覚も味覚も、なにも感じていなかった。

それを悟られないかのように、ニコラスは明るく振る舞った。


「美味しいよ」


「ニコラスは料理できるのか?」


「出来るよ。

家事は母さんと交代だったから」


ピタッと、食べる手が止まった。


「母さんと一緒に料理することもあったし、忙しくても毎日一食は一緒に食べていたし…

教会の皆と食べることもあったし…」


 それは、ほんの数日前まで当たり前の日常だった。

数日前まで、その日常が無くなるとは想像にもしていなかった。


「ニコラスは、なんで泣くのを我慢してるんだ?」


 頬をサンドウィッチでパンパンにしたまま、ココットはニコラスの膝に前足を乗せた。


「泣くのを我慢?」


「心の奥底で泣いているのに、なんでそれに蓋をしてるんだ?」


「…ココットの言っていること、分からないよ」


 ニコラスの視線はココットに向けられていたが、そこにココットは映っていない。

みているのは、幻のアニスだ。


「ここ、オレっちしか居ないよ」


 ココットはニコラスの瞳が曇ったのが分かった。


「…分からないよ」


 フワフワとした感触が、ニコラスの手に触れた。

ココットの言葉が、ニコラスの心に触れた。


「なぁ、姫さんからもらった手紙、読もう」


「手紙…」


「多分、今読んだ方がいいんだと思うんだ。

だから、さっき渡したんじゃないのか?」


 ココットは器用に、ニコラスの腰帯に下げた袋の口に頭をねじ込み開けると、折りたたんだ手紙を加えて取り出した。


「今、読もう」


 手の上にポトンと落とされると、ニコラスは恐る恐る広げて読み始めた。

今となっては懐かしいアニスの字を見て、そこにアニスの面影を見た。

ポロ…っと一粒涙がこぼれると、それは次から次へと溢れ出した。

激しく嗚咽するニコラスの頬を、ココットは何も言わずに優しく舐めていた。


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