第5話 西のバカブ神その5(近衛隊隊長は無口である)
5・近衛隊隊長は無口である
高い天井に広く長い廊下。
採光用の窓には、色とりどりのステンドグラスが惜しみなく使われていた。
磨きあげられた床は、カツカツと二人の靴音を響かせるだけではなく、姿さえも映していた。
「まさしく、神殿! って感じですね」
雰囲気に飲み込まれたニコラスは気持ち身を縮め、いつもと変わらぬクレフにヒソヒソと話しかけた。
「分かりやすく言えば、ここは創造女神の総本山です」
説明するクレフの声は、静かながらにもパイプオルガンのように廊下に響いた。
「総本山ですかぁ… でも、いいんですか?」
「何がです?」
「最高責任者の方がお留守なのに、勝手に入ってしまって」
「貴方の集落の教会では、神父様が不在の時、お祈りは出来なかったのですか?」
「いいえ。
ただ僕、ここまで立派な所は初めてで…
なんだか萎縮しちゃいます」
「信条ある者の前に、教会や神像の大きさは関係ありませんよ。
たとえ祈りの場が戦場だとしても、神はその心を汲んでくださいます。
それに、貴方が信仰している月の女神は、創造女神の娘です。
系列は同じです。
大雑把な説明ですが」
クレフの足がピタリと止まった。
二人の前に、大きく真っ白なドアが現れた。
「では…」
クレフが扉に手をかけた瞬間、ガラスの割れる音が響き渡り、二人の頭上に割れたステンドグラスが降りかかった。
色とりどりの光を吸い取り、乱反射させながら落ちてくるそれは、
まるで蝶だ…
大小群れなす蝶…
そうニコラスが見とれていたのは、ほんの一瞬だった。
夢のような光景は、すぐに白い布で覆われた。
「なんて大胆不敵な」
舞散るステンドグラスからニコラスを守ったのは、クレフの白いマントだった。
異様な気配に、マントは早々に払いのけられた。
スっと立ち上がったクレフに釣られるようにして、ニコラスも立ち上がった。
「なんで、こんなところに?」
侵入してきたのは狼のようなモンスターで、バラバラと十体程現れた。
「モンスターにも信仰心ってあるんでしょうか?」
「あるとしても、行儀はよくないですね」
答えながらも、クレフは指先を動かした。
騒を聞き付け、廊下の左右から数人の女官が姿を表し、現状を認識すると次々に悲鳴をあげた。
それと同時に圧縮した空気が抜けるような音がして、女官を襲おうとしたモンスターが、見えない壁に跳ね返えされた。
「結界をはりました。
早く安全な所へ」
それを聞くと、女官たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
モンスターに人間の言葉は通じない。
しかし、自分たちの邪魔をしているのが、自分たちが手を出せる獲物が目の前の二人だと言うことは、理解したようだ。
理解すると同時に、モンスターは一気に二人に襲いかかってきた。
ニコラスにとっての三度目の戦闘は、こうして始まった。
剣を構え、向かってくる敵を切った。
何度も何度も思い描きながら練習したように、腕を体を動かした。
息苦しくて、剣を構えた腕が痛みを覚えた頃には、何体のモンスターを切ったのか、分からなかった。
磨きあげられた床は、血とモンスターの死骸で見るも無惨になっていた。
むせかえる程の血と脂の匂いに、頭が痺れていく。
ニコラスの集中力は恐怖心でもっていたが、時間が進むにつれ恐怖が勝った。
「ここまでですね」
ニコラスの視界が揺れた瞬間だった。
残っていたモンスターたちが 瞬時に氷像へと姿を変え、消えていった。
「たいした上達ですよ、ニコラス。
調達したての剣の割には、使い勝手も悪くなさそうですね。
… ニコラス」
クレフに軽く肩を叩かれ、ニコラスは構えたままの剣を手から落とし、体は膝から崩れた。
耳障りな音を立てて、剣が転がったのを見ながら、
ああ… 終わったんだ
と確信した。
「ハハハ… 三度目の正直、と言ったとこでしょうか?」
「いままでの練習が、無駄ではなかった。
と言うことですよ」
「はぁ…」
返事なのか溜め息なのか、分からない息を吐きながら、ニコラスは自分の胸元を確認した。
小さな召喚獣がスヤスヤと眠っているのを確かめると、今度ははっきりと溜息をついた。
そして左の人差し指と中指を胸の中心に置き、そこから頭上を通過する円を書いて祈りを捧げた。
命を奪ったモンスターのために。
そんなニコラスの耳に、近づいてくる足音が聞こえた。
足音のする方を見ると、大きな男が見えた。
その男は、硬い焦茶色の髪をベリーショートにし、黒い三泊瞳に、筋肉のついた大きな体を色あせた甲冑に収めていた。
「珍しいですね、貴方がお迎えとは。
いいのですか? 姫の側を離れても」
パチンと、クレフが結界を解いた音が小さく響いた。
男は無愛想のまま、首を軽く後ろに向け、合図を出した。
「この町で、一泊の予定なのですが」
嫌そうなクレフの声に表情を変えることなく、男はニコラスを見るやいな、懐から出した小瓶の中身を頭からバシャバシャとかけだした。
五本もかけられると、頭から爪先までしっかり濡れ、ニコラスは気持ち情けなさそうな顔でクレフを見上げた。
「聖水ですよ」
頭が付いていかないニコラスに、クレフはため息まじりに説明した。
「ニコラス、こちらの方は我が国の姫に仕える近衛隊隊長、タイアード・アーシュ殿。
タイアード、この子が件の集落の子供で…」
「ニコラス・タルボットと申します」
まだ完全に状況が飲み込めないままに名乗ったニコラスの前に、スっとタイアードが手を出した。
「あ、よ、よろしくお願いします」
ニコラスは握手のつもりだった。
しかし、タイアードは握った手をそのまま自分の方に引きつけ、その小さな体を肩にかつぎ上げた。
「えっ! わっ! わわわ…」
慌てふためくニコラスの声と、ひときわ大きいクレフのため息が、廊下に響いた。
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