第4話 西のバカブ神その4(召喚獣は運命共同体)

4・召喚獣は運命共同体


 アニスは集落一番の働き者で、若くしてニコラスの母だった。

村の皆に好かれ、息子のニコラスから見ても、とても可愛らしい人だった。

いつも優しい声でニコラスの名前を呼び、いつも優しい心でニコラスに接していた。

働き者のアニスの手はいつも荒れていて、小さな指輪の一つもしていなかった。

指輪どころか、年相応に着飾ることも、化粧をした顔もニコラスは見たことがなかった。

色とりどりの花が咲く春を好み、春の優しい陽射しが好きなアニスは、とても優しく微笑み、それはまるで春そのものだった。


「大好きよ、私のニコラス」


 ニコラスを心から愛し、暖かい心で包んでくれる人。


「ニコラス、貴方は違うのだから…」


 なのに、なぜそんな悲しそうな顔で自分を見つめるのか、ニコラスには分からなかった。

遠くに行ってしまいそうで、必死に抱き着いた。


「貴方は生きるのよ」


なぜ泣いているの?

なぜそんなに白い顔をしているの?

なぜ握った手がこんなに冷たいの?

…ああ、あの時、母さんから逃げたいと思ったことを怒っているんだ。

だから、こんなにもいつもと様子が違うんだ。


ごめんなさい、あの時はどうしても怖くて…

ごめんなさい。

ごめんなさい。

剣の腕も、心も弱くって…


 必死に謝ると、アニスに笑顔が戻った。


許してくれたの?

体が暖かくなって…


 ホッとしたニコラスの目前で、アニスの体は瞬時に炎に包まれた。


「貴方が生きていてくれれば、私はいいのよ」


火が!

火が!

火が!

燃えちゃう!

母さんが燃えちゃう!

母さん!


 手を握りしめたまま、ニコラスは燃えるアニスにしがみついていることしか出来ず、不思議とその炎はニコラスを焼くことはなかった。


「お前は違うだろう」


 黒い男が現れ、燃えるアニスをニコラスから引き離し抱きしめた。

自分の体と一緒に、燃えるアニスをマントに包むと、その体は羽根のように宙を舞った。


「お前は違うだろう」


 どこに連れて行くのかと問うニコラスの叫びに、男は淡々と答え、その背中には翼が生えていた。

それは黒く、とても大きな翼だった。


母さんを連れていかないで!


「お前は違うだろう」


何が違うの?

僕は僕だよ!

僕は母さんと同じだよ!

連れて行かないで!


 どんなに声を張り上げても、どんどんどんどん男は白い空へと上がっていく。


なんで僕には翼がないんだろう?

なんで僕は母さんが守れないんだろう?

あんなに、毎日毎日、剣を振って練習していたのに…

毎日毎日、難しい本を読んで、勉強していたのに…

僕には、何も残ってない。


 そう、ニコラスは落胆し、空を見上げたまま膝をついた。

もう、男は見えなかった。

 ニコラスは一人、光のない闇の中に立っていた。

たった一人で。


「そろそろ起きない?」


 不意に、耳もとで子どもの声がした。


「オレっち、退屈」


 ニコラスの頬を、何か柔らかな感触のものが触った。

その感触に目が覚めると、嫌な汗をかいていた。

視覚がハッキリすると、感覚も戻ってきた。

小さくリズムよく、たまに大きく揺れたりするここは、大きめの乗合馬車の中だ。

 一緒に乗り込んだ六人は、いつの間にか居なくなっていて、正面にクレフが座り分厚い本を読んでいた。


 現状を確認すると、ニコラスは膝の上にある存在に視線を落として頬を緩めた。


「なんだ、自分だって寝てるじゃないか」


 それは小さな動物のようなものだった。

金色にも見える薄茶色い毛玉…


 教会の地下で気を失い、次に目覚めた時には知らない町の宿屋のベッドの上だった。

たまたま居合わせたと云うシンに再び診察をしてもらい、薬までもらった。

薬が合ったのか若さか、ニコラスの体調はすぐに回復し、目を覚ました二日後にはその町を離れることが出来た。

今度は、クレフが見つけた馬車にのって。


 ニコラスは額の汗を拭い、自分の膝の上で眠るモノを撫でた。

町の宿屋で目覚めた時、これはニコラスにその小さな体をなすりつけていた。


「あの騒の中で孵っていたようですが… 怖かったようですね。

ずっと貴方の胸元に隠れていたようですよ」


 大きなクリクリとした瞳に、口からのぞく長めの二本の前歯。

ウサギのように長い耳に、リスのように長く太いしっぽ。

クレフは、この小動物が召喚獣だと言った。

 この召喚獣は召喚主の血を貰って孵った子だから、召喚主と命を共にする。

餌は主の魔力。

主が死んでしまうと、自分も死んでしまうので、必要以上の魔力は取らない。

主の具合が悪いと、召喚獣も具合が悪くなる。

そう、クレフから説明を受けた。

ただ、どんな能力を持っているのか、クレフにも分からなかった。


「気分はいかがですか?」


 分厚い本に視線を落としたまま、クレフが声をかけた。


「はい、嫌な… 嫌な夢をみました。

けれど、この子が起こしてくれたので、大丈夫です」


 あの日から、毎日見る夢。


「そうですか」


「あ、あの、クレフさん、ありがとうございました」


 そのまま読書に戻られるのが何となく嫌で、ニコラスは慌てて言葉を続けた。


「何がです?」


「あの町まで運んでもらって、シンさんまで呼んでいただいて。

目が覚めたら手の怪我もすっかり良くなっていて」


「貴方が気にする事ではありません。

城の姫に届けものをするまで、私が貴方の保護者です。

それに…」


クレフはス… っと、視線を窓の外へと向けた。


「情けないことですが、私も気がついた時には集落の結界の外でした。

呪文で一番近いあの町に飛んだら、シンさんが町の入口に立っていたのですよ」


 それは、馬車の振動に消されてしまいそうなトーンだった。


「見計らったかのように…」


 これ以上聞いてはいけないと思い、ニコラスはなるべく明るい声で問いかけた。

だから、クレフの一言を聞き逃していた。


「じゃあ、その呪文をもう一回使って、目的地に飛んじゃえば…」


「邪魔されています。

ここ数日、魔力を使おうとしても本来の八割程はかき消されています。

特に移動系の呪文はことごとく弾かれてしまっていますね。

おかげで、貴方を迎えに行くのに時間がかかりました。

集落からあの町まで飛べたのも、奇跡ですよ。

探っても、私自身に術がかけられているのか、それともこの国自体なのか、分からないのです」


「じゃぁ、地道にと言うことですね。

…クレフさん、僕、城下町に行くの初めてなんですけど、どんな所ですか?」


 クレフは小さいため息をつくと、視線を本へと戻した。


「今まで通ってきたどの町より、大きいところですよ。

迷子にならないでくださいね。

次の町で宿を取りましょう。

まだ半日以上はかかりますから」


「あと半日以上ですか… さすがに、お尻が痛いです」


「馬よりはマシだと思いますよ。

貴方は、どんなことに興味があるのですか?」


 話をしながらもしっかり読めているのか、クレフの指は薄いページをめくっていく。


「教会の書庫には病気の本と、薬の本がほとんどでした。

でも、僕にはまだ難しすぎて…

そんな中に、数冊だけ神話の本があって、あと、冒険物も。

そんなのを読んでいました」


 書庫も無残にも荒らされていた。

書庫どころか、あの集落自体、もうないのだ。

それを思い出し、ニコラスは自分の心が少し重くなった気がした。


「月の女神を詳しく知らなかったとこをみると、本当に子供向けの本だったようですね」


子供という言葉に、ニコラスは反応した。


「えっと…

 この世界を造った最高神である善神から、創造男神・創造女神が生まれ、その二人から神々が誕生したんですよね。

で、神々はこの世界で『一番の存在』として君臨していた。

 けれど、そんな神々を殺す神様が生まれて、創造女神の手で世界の中心・聖樹の根元に封印されたんですよね。

 その封印された神様をめぐって、色々な神様達が戦争を始めて、その戦火は人界にも降りそそいで、多くの神族・人間が命を落としてしまって…結局、封印された神様は、今も聖樹の根元で解放されるのを待っているんですよね」


「独学で、良く勉強しましたね。

神々の名は?世界構成は分かりますか?」


 変わらず、クレフの視線は本の細かい活字を追いかけ、細く白い指はページをめくっていく。


「えっと…創造神の住んでいる世界が第一層、太陽神や月の女神が治めているのが第二層、僕たちの住んでいる世界・人間界が第三層で、第二層と第三層の間には、東西南北に柱が立っていて、天を支えているんですよね。

 で、僕たちが地下の世界と呼んでいるのが第四層、その下に聖樹の根がある、第五層があって、聖樹は第五層から第一層までの中心に御木を伸ばしているんですよね」


「神々の名前が抜けていますが、世界構成は良く出来ました。」


 パタンと本が閉じられ、クレフの視線も上がった。


「では、この町でもう少し勉強しましょう」


 タイミングよく馬車が停り、ドアが開くと、そこには大きな女神像が町を見下ろしていた。




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