第57話 闇雲に……

「あれ、あれれ? 安藤君やーい」


 私は買ってきたクレープを両手に持ち、彼のいた場所へと戻ってきました。しかし、そこに彼の姿はなく……あれほど勝手に動いちゃダメと言ったのに。とはいえ、私の方がいつも安藤君の忠告を破っちゃうので、彼だけを責められませんね。

 しかし、どこへ行ったのでしょう。彼らしくない行為にいささか心配になりますね~なんて思った途端、強い不安感が私の体へと押し寄せてくる感覚。これは……昔、私に付きまとっていた、ドス黒くて、ネチャネチャして、心臓が暴れて、すごく苦しい感覚。


「安藤君、安藤君どこですか? いないならいないって返事してください」


 今朝、彼をバス停で見かけた時からずっと嫌な予感がしていました。彼にもしものことがあれば……。


「そんなの、絶対ダメです」


 私は首を左右に強く振り、嫌な考えを吹き飛ばす。

 あたり一面を警戒深く観察していると、何やら違和感を覚える光景がありました。海の沖へと向かって歩いていく人影……あれは。


「安藤君!?」


♢♢♢


 ボーっと海を眺めていた。空は今にも泣きだしそうな天気。まるで俺の行く先を暗示しているような……そんな鬱蒼とした考えさえ浮かび上がる。


「お先真っ暗かよ……」


 しばらく呆然としていると、浜辺を歩いているおばあさんらしき人と連れの子供が目に入った。孫だろうか?

 不意に突風が吹き、子供の麦わら帽子が海へ飛ばされる。その様子をしばらく見ていたら、子供に泣きつかれ、おばあさんが麦わら帽子を取ろうと海へ入ろうとした。


「ありゃあ……ちょっと危ないよな」


 ご老人に何かあったら大変だ。情に流されたわけではないが、小枝だったらきっと放っておかないのだろうな。俺は立ち上がり、浜辺へと駆け降りていく。


♢♢♢


「本当に申し訳ありませんねぇ」


「いえいえ」


「お兄ちゃんありがとう~」


 靴と靴下を脱ぎ、ズボンをまくり上げ、俺は海へと入る。まだまだ浅瀬に浮かんでいるとはいえ、わずかな時間で沖へと流されてしまうだろう。少し冷たい水の中を、俺はバシャバシャと麦わら帽子めがけ進んでいく。


「あ、安藤君!! な、何やってんですか!?」


「あん?」


 背後から叫び声が聞こえたかと思うと、バシャバシャと誰かが迫ってくる。


「お、おい! お前、何してんだ」


入水にゅうすい自殺なんてやめてください! 思いとどまってください!」


入水にゅうすいじゃなくてね、入水じゅすいな」


 って、のんきに訂正なんかしてる場合じゃなくて……。

 小枝は体が水にかるのも気にせず、俺の右足へと必死にしがみつく。


「お、おい馬鹿! 離せ!」


「いいえ、離しません! 何があろうと、私はこの右足を離しません!」


「誤解だっつーの」


 小枝にしがみつかれ、身動きの取れない俺。その間に、麦わら帽子はどんどんと沖へ流され、もはや取りに行くには難しいところまで行ってしまった。


「びぇぇぇぇん、あたしの麦わら帽子がぁぁぁ」


「ふぇ?」


「だから言ったろ、誤解だって」


 ポカーンとする小枝の腕を持ち上げ、俺は浜辺へと引き返したのであった。

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