第3話 素直になれない(3)
私はアリアをミーネに預けて、アリアを観察していた。
言葉が出なくなるほどのストレスを抱えているのか?
お風呂の中でも、沈んだ顔をしていた。お風呂に入った瞬間はアネモネの景色を見たが、それ以来、目を伏せて、景色は見なかった。
愛情を疑われているのか?それとも私への愛情がなくなったのか?
アリアはミーネには話ができるようだ。
自分事を野良猫と言った。私に拾われた猫だと……。やはり自信をなくしているのか?
寂しいとミーネに言った。
寂しがらせることをしたのだろうか?
まさか、今更だが結婚したことを悔やんでいるのか?悔やんでいるのなら寂しいとは言わないだろうか?愛し方が足りないのか?
普段のアリアは素直に甘えてくるが、パーティーの話をしてから手も繋がない。
目も合わせないし、言葉も話さなくなった。
パーティーの話などするのではなかった。
アリアが私の家族を恐れていることは知っていたが、これほどの拒絶を示すとは……。
アミーキティアが最後に行った裏切りで、アリアは酷い怪我をして、心にも深い傷を負ったことは、見ていた自分が知っている。
人間を恐れるように、アミーキティアを恐れている事も予想が付くが……。
時期が悪かったのか?
まだ身体の傷も癒えていない時期に話すことではなかったかもしれない。
アリアの寂しさを、どうしたら埋められるのだろうか?
二人で眠っていたベッドではなく、自分の部屋にあるカウチで眠るほど、私を避けているのだろうか?
寂しいのなら、寂しくないように、ずっと一緒にいてやれるのだが……。
そんなに、何を苦しんでいるのだろうか?
「……ランス様、行かないで」
か細い寝言を呟いて、アリアの頬に涙が流れた。
エスペランスは、ハッと目を開けて、アリアの部屋に飛んだ。
ミーネはアリアのカウチにうつ伏せで寝ている。
狭いカウチで眠るアリアの顔は、涙で濡れていた。
ミーネを起こさないように、アリアを抱き上げて、寝室に飛んだ。
抱きしめたまま横になると、アリアが抱きついてくる。
無意識の反応だろう。
その身体を抱きしめ返すと、安心したように眠りが深くなった。
エスペランスはやっと思い出した。
アリアは愛された事のない子だった。孤児院でも不実の子として扱われ、養子にもらわれた先で、最愛の父だと思っていたエクセラン公爵に命を狙われ、エクセラン公爵死後は、継母や義理の兄妹達に辛く当たられ、1日中掃除をさせられ、食事ももらえず、たった1コのパンにも毒を入れられ、殺されそうになっていた。最終的に10歳で聖女見習いとして教会に預けられて、すぐに聖女になったが、仲間には入れてももらえず、食事もろくに食べさせてもらえないほど辛い生活を送ってきた。愛されることを知らない子だった。やっと愛されたと思った矢先に、エスペランスの家族に反対され、アミーキティアに死ぬように言われて、胸を貫いて死のうとした子だった。命を狙っていたアミーキティアが毎日に尋ねてきて、心を許し始めていたのだろう。また裏切られて、誰も信じられなくなってもおかしくはない。
人間界では見知ったシスター達に棒で叩かれ続け、体中に酷い怪我を負った。
アリアの人生は、愛されることより裏切られたことの方が多い人生だった。
エスペランスの家族は怖いというイメージを植え付けられて、それを簡単に信じろと言ってもアリアの心は不安になるばかりだっただろう。
引き離されると思ったのかもしれない。
どんな言葉で伝えたら伝わるのかも分からなくなり、言葉も出なくなってしまったのだろう。
愛された事がないから、愛することも怖いのだろう。いつか裏切られる日がくると思って……。
エスペランスは、アリアを迎えたときに不安を抱いたことが、今起きていることに気づけた。信頼されるまで、アリアの側に居続けることが正解だろう。
「……怖い」
夢の中でも怯えているアリアを守ってやりたい。
笑顔を失ってしまったのなら、また信頼関係から築けばいいことだ。
「……助けて、……痛い、ううう……」
夢の中でも、叩かれているのだろう。
涙を流し、身体を震わせている。
そっと額に掌をあてて、悪夢を消し去ると、アリアは静かに眠り始めた。
心の傷は、思ったよりも深いのだろう。
涙を拭って、抱き寄せて眠る。
美しい容姿に純粋な心を持つ、アリアを守ってやりたい。
+
「大変だ、奥様がいなくなったべ」
隣の部屋でミーネが大声で騒ぎ出した。
「魔王様にお知らせしなくては!」
ミーネの大声で、アリアの瞳が開いた。
「……ランス様、どうして?」
「おはよう、アリア」
「おはようございます」
「名前は呼んでくれないのか?」
「……ごめんなさい」
「今はいい。ミーネが大騒ぎをしておる」
エスペランスはアリアを抱きしめたまま、ミーネの前に飛んだ。
「ああ、魔王様。奥様とご一緒だったべか。良かったですだ。奥様がどこかへ行ってしまったのかと思ったですだ」
ミーネはペタンと床に座った。
相当、焦っていたのだろう。耳も髭も尻尾も出ている。
「ミーネ、昨夜は助かった」
「何がですだ?」
「お風呂に入って食事に行ってきなさい」
「はいですだ」
ミーネは立ち上がると、流れた涙を手でゴシゴシ拭いて、頭を下げて部屋から出て行った。
「アリア、着替えは一人でできるね?着替えたらベルの墓参りに行ってからダイニングに行こう」
「……はい」
「私も顔を洗ってこよう」
アリアを部屋に残して、エスペランスは身支度を調えていく。
+
「お母様のお墓参りに行って、ご飯に行くのね」
アリアは衣装部屋でどの服を着ようか迷う。どの洋服も上流階級のお嬢様のようなワンピースだ。
この世界に四季はないようで、いつも春の陽気で過ごしやすい。
アリアは薄いピンクのワンピースにした。スカートのフリルが可愛い。赤いネックレスにも似合いそうだ。
顔を洗い歯を磨くと、ドレッサーの前で肌のお手入れをして、着替えると髪を梳かす。
扉をノックされて、扉が開いた。
「準備できたかな?」
「……はい」
「たまには歩いて行こうか?」
手を出されて、アリアは迷った。
「何も不安な事はない」
迷っているアリアの手を繋ぐと、エスペランスは珍しく歩いて行く。廊下を歩き、階段を降りていく。1階まで降りるとエントランスから出て、騎士に「おはよう」と声をかけて、温室に向かってゆっくり歩いて行く。
アリアが声を出せなくておろおろしていると代わりに挨拶をしてくれる。
「どうした?」
「……皆さん、驚いています」
エスペランスは微笑んだ。
「言葉を忘れたアリアの代わりだ」
「……言葉を忘れたわたしの代わりに?」
「私の名前も忘れたか?エスペランス、ランスだ」
「……ランス様」
「ただのランスでもいいぞ。もう結婚しておる。夫婦であろう」
「でも、生意気だって言われるわ」
「誰が言うのだ?」
「……ランス様のご家族やこの世界の人たちが」
「私の命令に逆らう者はいない。許しておるのはアリアだけだ」
「……私にだけ逆らうことを許しているのですか?」
アリアは困惑した顔をした。
「命令をしたことは、一度たりともないぞ」
アリアは頷く。
確かに命令されたことは一度もない。
「私の隣を歩くことを許しているのはアリアだけだ」
「……私だけ?」
「何も恐れることはない。怖いことがあれば、すべて遠ざける。危険があれば守る。他にして欲しいいことがあれば、言ってみろ」
「……永遠にわたしだけを愛してください。……途中でわたしを捨てないでください。……捨てるときは必ず殺してください」
「その願い、必ず叶えよう。私からもお願いがある」
「……はい」
「私から離れていこうとするな。生涯私だけを愛してくれ」
温室に入ると、エスペランスは赤いアネモネの花をアリアにわたした。
「これはベルに贈る花ではないぞ」
「……私にくださるのですか?」
「ベルは既にこの世に存在しない。アリアが寂しがるだろうと思って、この世界に連れてきた」
「……私のために?」
「アネモネの花はいつもアリアに渡していたであろう?」
「……はい」
「ベルには変わらない誓いを贈ろう」
エスペランスは紫色のスターチスを1本摘んだ
「……変わらない誓い?」
「分からぬか?アリアを一生愛するという誓いだ。ベルが最後まで願っていた想いだ。ベルが安心するように誓おう」
紫色の花が乾燥したように見える花だ。その花もアリアに渡す。
「供える花を間違えるな」
「……はい」
「さあ、墓参りに行くのだろう」
「……はい」
エスペランスはアリアと手を繋いで、温室を出て母の墓地がある景色の美しい高台に向かって行く。
「こうして、私と手を繋ぐ事を許しているのも、アリアだけだ。きちんと覚えておけ」
「……はい」
ゆっくり歩いて、母の墓地に行くと、エスペランスはただ隣に立っているだけだった。
アリアはいつも祈りに必死でエスペランスの姿を見ていなかった。エスペランスは祈ってはいない。祈っているのかもしれないが、アリアのように祈りの姿勢はしていない。アリアが祈りを終えるのを待っているだけだった。
アリアは静かに立ち上がると、隣にいるエスペランスを見上げる。
「もういいのか?」
母の墓地には紫色のスターチスを供えて、アネモネの花はエスペランスが預かっていてくれた。
「はい。ランス様と約束しましたと報告をしました」
「そうか」
エスペランスは微笑んで、アネモネの花をアリアに渡した。
「お部屋に飾ってもいいですか?」
「勿論、いいとも」
「ありがとうございます」
アリアは花を大切に胸に抱いた。
「一度、部屋に戻るか?」
「はい。お花が枯れてしまいます」
アリアはエスペランスを見上げて、久しぶりに微笑んだ。
愛らしい笑顔を見て、エスペランスはアリアに口づけをした。
アリアの顔が赤く色づく。
「可愛らしい笑顔だ。いつも笑っていなさい」
「……わたし、怖かったんです。アミーキティア様はわたしに優しくしてくださいました。酷いことを言ってごめんなさいと謝ってくださったのです。毎日、尋ねてきて、美味しいお菓子やケーキを持ってきて、作り方も教えてくださったのです。簡単だから、一緒に作ってみようと誘ってくださったのです。姉ができたようで、とても嬉しかったのです。わたしはいつの間にか、アミーキティア様に心を許していました。魔窟でアミーキティア様がアメーバを平気で踏みつける姿を見て、だんだん怖くなってきたのです。魔術で火を放ちゴブリンを襲いゴブリン達の大切な花を奪って、魔窟を燃やし、わたしを置き去りにして、消えてしまった事がショックでした。わたしは人を信じずに生きてきました。心を許したのは、ランス様とミーネとアミーキティア様だったのです。見知らぬ土地で簡単に見捨てられて、人間に捕まって、わたしはどうしたら、ランス様のところに戻れるのか、必死に考えました。でも、ランス様もアミーキティア様みたいに、わたしを捨ててしまうのではないかと思うようになっていたのです。やっとこの世界に戻って来られたのに、パーティーを開けば、ランス様のご家族がお見えになる。そうしたら、また別れろと責め立てられて、わたしの居場所がなくなってしまいます。わたしはどこにも行く場所がありません。わたしはまた胸を貫くつもりでした。パーティーをするなら、わたしは死のうと思っていました。捨てられる未来を、もう見たくはなかったのです。ランス様を信じられなくなって……」
「アリア、死ぬことを考えるな。離れていくことを考えるな」
「ランス様」
「頼むから、胸を貫かないでくれ。助かったのは奇跡だ。二度目に救える自信はない。アリアまで亡くしたくはないのだ。愛する者を失う悲しさは一度で十分だ。アリアを一生幸せにすると決めている」
「……ランス様」
「最初にも言ったが、アリアを愛する者が私とミーネだけでは足りぬか?」
「いいえ、二人もいれば、わたしは幸せです」
「私はアリアを裏切らない。血の契約は私の伴侶になる約束だ。この先、ずっと一緒に暮らしていくのだ。いずれ子供が生まれても、私達は子供より長生きをするだろう。この世界を見守る責任がある。その責任を一緒に請け負って欲しい」
「この世を守る責任ですか?」
「一人では重すぎる。アリアの力が必要なのだ」
「わたしでお役に立てるのですか?」
エスペランスはアリアを抱きしめる。
気付かなければ、失うところだった。
「他の誰かでは務まらない。アリアしか私の力にはなれないのだ」
「一生、お側に置いてくださるのですね」
「結婚の儀式で誓い合ったではないか」
「はい」
「自分の力に自信を持て、アリア以外に務まる者はいない」
「……わかりました」
エスペランスに強く抱きしめられて、アリアは心から喜びを感じていた。
「ずっと付いていきます」
「約束だぞ」
「約束します」
エスペランスが微笑むとアリアも微笑んだ。
きっともう大丈夫だ。
「では、部屋に戻ろうか?」
「はい」
アリアはエスペランスの手を握り、手を繋いで歩いた。
「ランス様が守ってくださるなら、パーティーを開いてください」
「いいのか?」
「不安ですけれど、ランス様を信じています」
「アミーキティアは、もう私に手出しはしない。勿論、アリアに手出しもしない。安心していい」
アリアはじっとエスペランスを見つめる。
「ランス様を信じます」
「では、パーティーを開こう」
「はい」
エスペランスはアリアの唇に何度もキスをする。
アリアは甘えるように身体を委ねてきた。
エスペランスは、やっと安心できた。
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