第2話   素直になれない(2)

「アリア、今夜は寝室を別にしよう。私が別の部屋を使おう。アリアはいつものベッドで眠りなさい」



 俯いていたアリアは顔を上げて、しばらくしてから頷いた。

 目に涙を溜めるほど辛いのなら、寝室を別にして欲しいなどと言わなければいいのに、アリアは素直になれない。



「ミーネ、アリアをお風呂に入れて、髪を乾かしてくれ」


「分かりましただ」


「きちんと布団に入るまで、近くに居てくれ」


「はいだ」


「私は別の部屋にいよう。おやすみ、アリア」



 アリアはおやすみという言葉が出てこない。

 立ち上がり、深く頭を下げた。



「朝食の時間に迎えに来る」



 そう言うと、姿を消した。

 アリアは力が抜けたように、カウチに座った。



「奥様、喉が痛むだか?」


「違うの、声が出なくなってしまうの」


「どうしてだ?」



 アリアは首を左右に振る。



「お風呂に入るべか?それともお茶にすべか?」


「お風呂に入るわ」


「背中を流しますだ」


「今日は一人にしてくれる?考え事をしたいの」


「そうだか?」



 アリアはふらりとお風呂場に向かう。

 お風呂の景色はアネモネの花畑だった。

 アリアは身体を洗うと、アネモネの花畑の景色が見える温泉に入った。



(あなたを愛していますか……わたしはランス様を愛しているのかな?)



 自信がない。


 愛される資格はあるのだろうか?愛する資格もあるのだろうか?


 あんなに反対されて、心臓を貫いたら、一緒に居ることを認めてくれた。


 どうして認めてくれたのだろう?


 死のうとしたから?


 それともランス様が説得してくれたから?


 たまたま命が助かったから?


 アミーキティア様は最近まで反対していた。


 急に優しくしてくれて、アミーキティア様の事を信じ始めていた。


 それなのに、わたしを人間界にやって、わたしは酷い体罰を受けた。あの時の痛みは心の痛みとして残っている。身体が癒えても心は簡単に癒えない。


 食事をもらえなかった空腹感も忘れられない。


 失望感や喪失感も、心の中でずっと燻り続けている。


 これ以上、危害を与えられないと言われても、素直に信じられない。


 怖い。恐怖で身体が震えるほど怖い。


 一人で居ることが怖いのに、ランス様を避けている。


 矛盾している。


 一人で寝ることも怖い。


 自分で言い出したのに、怖くて身体が震える。


 手を繋いで歩きたい。


 抱きしめられたい。


 それなのに、心が反発している。


 素直になれない。


 どこにも行かないで……。一人にしないで……。


 心では叫べても、声が出なくなくなってしまう。


 心の病にかかってしまったのだろうか?



「奥様、そろそろ出ないとのぼせてしまうだ」



 脱衣室からミーネの声がした。

 アリアはお風呂から上がった。

 脱衣所に出ると、ミーネが大きなタオルで包んでくれる。



「大丈夫だか?」


「うん」


「では、ネグリジェですだ」


「ありがとう」



 可愛いデザインのネグリジェを着ると、室内履きを履いて、私室に行く。



「お茶を冷ましておいただ」


「ありがとう」



 髪を拭いて、梳かしてくれる。

 アリアの髪はかなり長い。最後に切ったのは5歳の時だ。それから伸ばしている。エクセレント公爵が長い髪が好きだった事と、聖女は長い髪でなくてはならなかったからだ。

 上流階級のお嬢様達は、皆、髪は長かったので、アリアも長くて良かったが、アリアの髪が一番、長かったような気がした。



「髪、長すぎるわね。乾かすのが大変でしょう?短く切りましょうか?」


「切ったら駄目だ。あたいは、奥様のこの長い髪が大好きだ」


「……ミーネ」


「あたいの髪は、魔王様に人の姿にしてもらってから、少しも長くならないだ」


「ミーネはその髪型がとても似合っているわ。色も素敵だわ」


「照れるべな」



 ミーネの頬が赤くなる。



「ミーネの尻尾も耳も髭も可愛い。わたしにもあったらいいのに」


「猫になりたいだか?」


「そうね。猫になったら素直になれるかしら?わたし、野良猫みたいでしょ?」


「どこがだ?」


「ランス様に拾われた猫よ」


「人間だべ」



 ミーネの目がまん丸になる。



「ミーネは寂しくなったりするの?」


「するだ。奥様が病気の時や元気のない時は、とても寂しいし心配ですだ」


「優しいのね」


「寂しいだか?」


「うん」



 ミーネは髪を梳かす手を止めると、櫛を置いて、椅子越しに背後から抱きしめてきた。



「あたいは、いつも奥様の味方だべ」


「ミーネは温かいわね」


「奥様の為なら、なんでもできますだ」


「ありがとう」



 ミーネは鏡越しに微笑むと、また櫛を持ち、髪を梳かし始めた。



「さらさらだべ」


「ありがとう。もういいいわ。後は寝るだけよ」


「お茶を飲んでくださいだ。湯上がりはお茶を飲むだ」


「はい」



 ドレッサーの上のカップを掴むと、飲み頃に冷めた紅茶だった。



「話をするだか?それとも寝るだか?」


「カウチに横になってもいいかしら?」


「それならベッドで休んだ方が身体にいいだ」


「今日はカウチで眠りたいの」


「そうだべか?」


「我が儘を言ってごめんなさい」


「あたいには我が儘を言ってくださっていいだべ」



 ミーネは寝る支度をしてくれる。



「寒くはないと思うだが、念のために、もう一枚ブランケットを出しておきますだ」


「ありがとう」


「どうぞ、甘えてください。奥様の我が儘は、少しも我が儘のうちに入りませんだ」


「眠るまで、側に居てくれる?」


「勿論ですだ」


「ありがとう」



 ミーネはドレッサーの椅子をカウチの横に置くと、灯りを消した。

 アリアはミーネの手を握ると、目を閉じた。

 しばらくすると、アリアは眠った。ミーネはアリアの握った手を外せずにいた。



「なんて幸せなんだろうか」



 大好きなアリア様に手を繋がれ、アリア様は安心して眠られた。

 信頼されている証拠だ。

 アリアの手が離れるまで、ミーネはアリアと手を繋いでいた。

 ミーネはその晩、アリアの横で眠った。

 

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