第3話   ミーネ

 あたいはアリア様が大好きだ。出会ったのは、アリア様が10歳の時だった。

 聖女の館に餌をもらいに行くのが日課だったあたいは、その日も餌をもらいに教会の敷地に入っていった。

 あたいに餌をくれていたのは、聖女達だった。



「このスープ、美味しくないのよね。パンも硬くて、美味しくないもの」



 上流階級のお嬢様達は、よく食事を残していた。その食べ残しをあたいに与えていたのだ。

 あたいにはスープもスープの中に沈められたパンも美味しかったけれど、聖女達は口に合わないようだった。

 すべてを食べると、頭を撫でられ、抱き上げられた。


 あたいは伯爵家の猫だったが、あたいをお店で買ってくれたお婆さんは、あたいが子猫の時に亡くなってしまった。お婆さんが亡くなってから、家から追い出された。食べ物もなく、住む家もなくなった。元の家に戻ると、石を投げられ、帰ることも許されなかった。

 だから教会に住み着いた。

 可愛がってくれる人がいて、食べ物もくれる。

 ただ住む場所は、自分で確保しなくてはならなかった。

 教会の墓地にある小屋の床下に住み着いた。

 毎日、墓地に来る女の子からは食べ物をもらったこともなく、抱き上げてもらったこともなかったので、近づかなかった。

 女の子は墓地で祈りを捧げると、教会の中に入っていく。

 いつも一人で過ごしている姿は寂しそうで、自分に似ていると思った。

 毎日、その姿を見ていたが、あたいはその子に近づかなかった。

 



 ある朝、餌をもらいに行こうとしたとき、カラスが突然襲ってきた。

 爪を立て、歯をむき出して威嚇もしたが、上空から襲われて、内臓を抉られた。

 たまたま通りかかった墓守が、あたいを見て、「まだ生きてるのか」と言って、通って行った。



「死んだら埋めてやろう」



 なんて残酷なことを言うのだろう。

 まだ生きている。これからも生きていたい。死にたくない。あたいは痛みに喘ぎながら、道に横たわっていた。すると、いつもの女の子があたいの前で足を止めてくれた。



「カラスに襲われたのね」



 そう言うと、お腹に手を翳し、歌を歌ってくれた。

 詩のような歌で、初めて聞く歌だった。あたいはその歌をじっと身を固めるようにして聞いていた。痛みが徐々に消えていき、傷が塞がっていく。前足を動かしてみたら、もうどこも痛くはなかった。

 あたいは思いきって起き上がってみた。



「良かったね」



 女の子は、優しく私に話しかけてくれた。



「もう怪我をしちゃ駄目だよ。そろそろ行きなさい」



 女の子はそう言うと、あたいの頭を撫でて、教会に入っていった。

 いつも避けていた女の子なのに、あたいはその女の子に命を助けてもらった。どうして女の子を避けていたのだろう。自分の卑しさを痛感した。女の子はどの聖女より純粋で優しい。

 命を助けられて、初めて気づけた。なにか恩返しがしたい。そう思っているときに、黒いスーツを着た男性が目の前に立った。



「その願い叶えてやろうか?野良猫よ」



 恩返しをさせてくれるのだろうか?



「あたいに、恩返しをさせてくれべか?」



 あたいはニャーと鳴いたつもりだったのに、人の言葉が話せる猫になっていた。



「あの女の子はアリアという。いずれ私の嫁にする子だ。その気があるなら、アリアの侍女にしてやってもいい。ただし、侍女になるための努力はしてもらうが。どうする、野良猫よ」


「努力はしますだ。どうか恩返しをさせて欲しいだ」


「良かろう、私に付いてくるがいい」


「はいだ」



 返事をした途端に、あたいの身体は人の姿に変わっていた。裸の身体に、一瞬のうちに洋服を身につけられた。とてもとても可愛らしい洋服だ。



「耳も尻尾も髭も隠せるように、努力をしなさい。あと、言葉だ。いいか?」


「はいだ」


「はい、と言え」


「はい」


「よし、連れて行ってやろう」



 黒いスーツの男は、魔界に住む魔王様だった。

 知らない世界に連れて行かれて、あたいは野良猫から猫と呼ばれるようになった。



「名はいつかアリアに付けてもらうといい」



 魔王様はそう言うと、あたいに食事を与えてくれた。

 今まで食べたこともない、人の食べ物を……。

 ナイフやフォークの使い方から覚えて、礼儀作法やいろんな勉強を、先生を付けて指導してくれた。

 そうして、あたいはいつかアリア様の侍女になるために修行を続けた。


 8年後、あたいはミーネという名をもらった。あたいのご主人様に。

 あたいは一生をかけてご主人様に恩返しをしていくつもりだ。

 ご主人様はあたいが髭や尻尾や耳を出しても、訛りの強い言葉で話しても「可愛い」と言って笑ってくれる。優しいご主人様だ。


 魔王様とご主人様が婚礼の儀式をしたときは、あたいは嬉しく、そしてなかなか目を覚まさないご主人様が心配だった。

 目を覚ましたご主人様は幸せそうな顔をしていた。

 ご主人様が幸せなら、あたいも幸せだ。


 ある日、魔王様のご家族が尋ねてきた。屋敷中が慌ただしくなった。

 あたいは耳がいい。

 屋敷の中に、魔王様の家族がご主人様の悪口を言っている。特にお母様とアミーキティアという末娘の声が、うるさく響き渡って罵りは酷い。

 なんて酷いことを言うのだろう。

 ご主人様が心配だった。

 魔王様がご主人様を部屋に連れて来て、一緒にいてくれと言った。

 あたいは嫌な胸騒ぎがした。

 ご主人様には、あたいのような耳はないが、しょんぼりして、耳が垂れているような気配がした。いつも付けている形見のネックレスが壊れていた。直そうとしても部品が足りないようだった。あたいは足りない欠片を探しに行きましょうかと声をかける前に、ご主人様は墓参りに行きたいと言った。お墓では、綺麗な指や爪が土で汚れても気にしないで、手で穴を掘って、深い場所にネックレスを埋めた。

 ご主人様の祈りの姿勢は、とても美しい。長い間祈っていた。

 あたいも真似て祈りを捧げてみた。でも、何を祈ったらいいのか、その時のあたいには分からなかった。

 部屋に戻ったご主人様は、手を洗うと、眠ると言った。

 カウチにブランケットを広げて準備をした。

 眠る邪魔をしてはいけないと、あたいの先生は言った。けれど、部屋から出て行きたくなかった。心配で……。嫌な予感がして……。でも、先生である侍女長の指導は守らなければいけない。

 目を覚ましたら呼んで欲しいとお願いして扉から出た。出たけれど、立ち去ることはできなかった。

 その時……、

 苦しげな声とナイフが落ちて床を滑っていく音を聞いて、あたいはビックリした。

 すぐに魔王様が来てくれた。

 命を救ってくれた心優しいご主人様が、自ら命を絶とうとしている。

 どうして?

 どうにかして助かって欲しい。

 あたいは魔王様の一生懸命な姿を見て、息が止まりそうになっていた。

 たくさんの血が流れ、ご主人様は意識を失った。

 あたいは悲しくて、ずっと泣いていた。猫に戻ったような気持ちになった。


 その夜、魔王様に部屋に戻るように言われた後、ご主人様のお母様のお墓に行って、ご主人様が無事に目覚めますようにと朝まで願った。

 翌朝、ご主人様を部屋で待った。

 ご主人様はあたいに謝罪して、あたいを初めて抱きしめてくれた。どこからこんなに涙が生まれてくるのだろう?泣いても泣いても涙が溢れた。

 こんなに泣いたのは初めてだった。

 喜びも悲しみもすべてご主人様が教えてくれた。

 この先、何があってもあたいは全力でご主人様を守り、笑顔を見せてくれる努力をしようと思った。


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