第6話 王妃の条件(6)
朝、目覚めるとエスペランスは指の先をもう片方の手の指先で傷つけて、血だまりを浮き上がらせた。魔術で血を固め親指の先ほどの大きさに固めた。
その様子をアリアは不思議そうに見ていた。
「アリアへのお守りを作っている」
「わたしのお守りですか?」
「魔王の血は万能薬だ。万が一の時にはこれを飲み込みなさい」
まるで赤い宝石のような形をしている。綺麗な輝きもあり、どう見ても血からできているとは思えない。その宝石にネックレスを通すと、それをアリアの首にかけた。
「どこに行く時も身につけていなさい」
「水で溶けたりしないのですか?」
「これは、アリアの体内のみで溶解するように魔術をかけてある。他人が飲んでも、なんの役には立たない。他人に与えても無駄だ。わかったね?」
「はい、ランス様」
エスペランスの指は、もう傷跡は消えている。
「新しいお守りですね」
アリアは嬉しそうに掌に載せて、赤い宝石を見ている。
「他人には、赤い宝石にしか見えないだろう」
「わたしにも赤い宝石にしか見えませんわ」
「さあ、ゆっくり着替えておいで。着替えたら食事に行こう」
「はい」
アリアを部屋まで運ぶと、ミーネがアリアの顔を見て、急に泣き出した。
「こら、ミーネ。仕事だ。アリアに着替えを頼む」
「はい」
涙をゴシゴシ手で擦り、頭を下げた。
「ミーネ、昨日は心配かけてごめんなさい。もう、あんなことしないから」
「本当だか?」
「しません」
顔を上げたミーネは、また涙を流した。
「悲しませて、ごめんなさい」
アリアはミーネを抱きしめた。
「心配で、眠れなかっただ」
ミーネの瞳は確かに充血していた。
ひょっとしたら、一晩中、泣いていたのかもしれない。
「もう心配しないで」
「胸は大丈夫だか?」
ミーネはエスペランスの方を見て尋ねた。
「大量出血と心臓の形成をしたから、しばらく安静が必要だが、普通に歩く分には大丈夫のはずだ」
「そうだか」
「洋服を着せたら、私が迎えに来るまで、この部屋で待っていてくれるか?紅茶に蜂蜜をたっぷり入れて飲ませていてくれ」
「わかりましただ」
ミーネは、深く頭を下げた。
「奥様、お着替えをいたしましょう」
ミーネは自分で涙を拭うと、アリアを誘って衣装部屋に案内していく。
その姿を見てから、エスペランスは寝室へ戻り扉を閉じた。
+
エスペランスは瞬間移動で、サロンに向かった。
そろそろ家族が食事を終えて、サロンに戻っている頃だろう。
サロンの惨たる様子を見て、頭に血が上った。
壁は一部欠落し、外の景色が見える。家具は燃え上がったのだろう。床ごと炭化している。
シャンデリアは床に落ちていて、割れている。
ピアノは木の破片に成り果てて、その姿はなくなっていた。
「父上、この惨状を説明していただけますか?」
「アミーキティアとリベルターが魔術で戦い、怒った上皇后が雷を落として燃やしてしまったのだ。すまないな。宮殿を壊してしまって」
「すまないではすみません。母上、もっと二人を宥める方法はあったはずですが?」
上皇后はプイッと顔を背けた。
「あの二人の喧嘩を治める方法は、これしかありませんわ」
「そもそも何故喧嘩を始めたのですか?」
エスペランスは第二王子のリベルターを睨んだ。
「アミーキティアが攻撃してきたんだ。俺に無駄死にしろと兄上は言うのか?」
「アミーキティア、どうしてリベルターに攻撃したのだ?」
「八つ当たりですわ」
「八つ当たりで、部屋の中で戦いを始めるのか、この馬鹿者」
「お兄様、馬鹿者だなんて、酷すぎます。昔はアミーキティアの事を愛して止まないなんておっしゃっていたではありませんか?」
アミーキティアがエスペランスに縋り付いてきた。
エスペランスはすぐに、アミーキティアを引き剥がし突き飛ばした。
「何百年前の話をしているのだ?200歳以上のいい大人が、八つ当たりで喧嘩を仕掛けるな。いつまで経っても嫁に行けないぞ」
「お兄様、わたくしを嫁にしてくださいな」
「寝言は寝てから言え、馬鹿者。アミーキティアを嫁にしたいなどと思ったことなど、アミーキティアが生まれてから一度もないぞ。何か大きな勘違いをしているのではないか?」
「……エスペランスお兄様」
「喧しい。さっさと宮殿から出て行ってくれ。ダンスパーティーは開かぬ。これ以上、宮殿を壊されてはかなわん」
エスペランスは怒りながら、屋敷の修復にかかった。吹き抜けた壁を元通りに復元し、炭化した床と落ちたゴミ同然の家具だった物を消し去り、新しい床を張り替え、家具を置いていく。無残に燃えたカーテンも壁紙も美しい物に替えて、ピアノも美しい白いグランドピアノを置いた。
「さすが兄上、素晴らしい」
「兄様、凄まじい魔力」
次男と三男が、美しく変貌していく部屋を見て感動している。
「ルモール、そろそろ帰りなさい。嫁がいつまでも家を開けてはならん。イーリス殿に迷惑をかける。子供を預けて、わざわざ馬鹿者の面倒を見に来なくてもいい」
「お兄様、分かりましたわ。私はお先に失礼いたします」
ルモールの姿が、一瞬にして消えた。
「ルモールお姉様……」
アミーキティアがルモールに縋るようにしたが、先にその姿が消えた。
「兄上、俺も失礼します。屋敷をめちゃくちゃにしてすみません。どうかお幸せに」
「兄様、俺も失礼します。どうかお幸せに」
リベルターとドケーシスの姿も消えた。
「父上と母上は許してはくれないのですか?」
「わしは許しておるが、フローバがな……」
上皇陛下は困った顔をしている。
「母上は許してはくれないのですか?」
「……もう、好きにしなさい」
「母上、ありがとうございます」
エスペランスは深くお辞儀をした。
「わたくしは許さないわ」
アミーキティアが叫んだ。
「父上、この馬鹿者を連れて帰ってください。一刻も早く結婚させなければ、200歳を超えた娘など、誰も嫁にもらってはくれないでしょう」
「そうは言ってもな。アミーキティアにその気がない上に、この我が儘娘を嫁にもらってくれる物好きはなかなかおらんのだ」
「とにかく連れて帰ってください」
「嫌よ。わたくしはお兄様の嫁になりますわ」
「アミーキティア、それは駄目だと言ったではありませんか」
「嫌よ、絶対に諦めないわ。あの小娘を殺してやるわ」
「アミーキティア、アリアに手出しをしたら、アミーキティアであっても殺すぞ」
「なんですって?お兄様、小娘に洗脳されたのね?今すぐに助けるわ」
「喧しい!この場で心臓を貫いてやろうか?」
声を低めたエスペランスはすっと腕を上げると、鋭く尖った
怒りがひしひしと肌を焼く。
眼差し一つで人を焼き殺しそうな勢いを見たアミーキティアは恐怖を覚えた。
「お兄様!」
上皇后は仕方なく、悲鳴を上げたアミーキティアを抱えて消えた。
エスペランスは剣を消した。ただの幻を見せただけだ。
「邪魔をしてすまなかった」
「しばらく来ないでください」
「ああ、分かったよ」
上皇陛下が消えた。
「まったく、厄介な妹だ」
既に魔界を任されているエスペランスが、この世界で一番尊い存在。
父や母が反対しようが、関係はない。
魔力は既に父を超えている。
この世界では力がある者が上に立つ。
部屋を見渡し、汚れや傷がないか確かめて、エスペランスはアリアの部屋の前に飛んだ。
扉をノックすると、ミーネが返事をした。
「私だ」
「今、開けますだ」
ミーネが扉を開けると、可愛らしい笑顔をしたアリアが待っていた。
ああ、癒やされる。
エスペランスは部屋に入ると、アリアを抱きしめた。
「ランス様、お腹が空きました。お母様にご挨拶してから、ダイニングに連れて行ってください」
「ああ、すぐに行こう」
エスペランスは瞬間移動でベルの墓の前に飛んだ。手にはいつの間にか赤いアネモネの花を持っていた。
「さあ、供えなさい」
「ありがとうございます」
花を受け取ると、アリアは墓前に供え、祈りを捧げている。
祈りを終えると、見上げてくる。
「もういいのか?」
「はい」
「では、ダイニングに行こう」
アリアを抱きしめて、ダイニングに飛んだ。
「おはようございます」
姿が見えた瞬間に、ダイニングにいるすべての者が挨拶した。
「おはようございます」
アリアは丁寧にお辞儀をした。
「奥様、どうぞお席に」
執事が椅子を引き、アリアを座らせた。
エスペランスもアリアの隣の席に座った。
「奥様、オレンジジュースをどうぞ」
「ありがとうございます」
「いいえ」
グラスにオレンジジュースが注がれていく。
エスペランスは満足げな顔をして、使用人達の顔を見渡し、幸せそうな顔をしているアリアを見つめた。
理想的な使用人に変わった屋敷の者を見て、さすが私が妃と決めた娘だとアリアを見て改めて思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます