真夜中のお嬢様は悪いことが好き

神凪

お嬢様の悪いこと

 俺の家の近所には、豪邸がある。その豪邸には雪見詩奈ゆきみしいなというお嬢様が住んでいて、彼女はそんな守られるばかりの生活に飽き飽きしていた。

 なぜ俺がそんなことを知っているのかと言うと、俺と彼女にはちょっとした秘密があったからだ。

 夜風に吹かれながら歩く。一際大きな家の三階の一室に、ほんの少しだけ明かりが見える。


「あ、智大ちひろさーん!」

「ちょっ、詩奈……声落とせって……」


 無邪気な笑みで、今日はなにかを企んでいるらしい。

 これが俺と詩奈の秘密だった。それなりに優秀な進学校であるうちの学校にたまたま通うことになった詩奈と、ひょんなことから仲良くなった。それから俺は、こうしてこっそり夜に詩奈に会いに来ている。

 三階まで壁を登る。フィクションならお姫様を連れ出すシーンかもしれないが、実際はただの不審者。バレてしまえばもう詩奈と夜に会うことはできないだろう。それどころか、学校でも会えないかもしれない。


「こんばんは、智大さん」

「あんまり大きな声出すなって」

「えへへ、ごめんなさい。それで、今日はちょっとしたお願いがありまして」

「はいはい、明日持ってくるよ。何?」

「いえ。今日、今から。実は今日はお父様がいませんので、使用人も少ないのです」

「へぇ。それで、何」

「智大さんの家に連れて行ってください」


 一瞬だけ、耳を疑った。

 それはリスクが高すぎる。バレてしまえば言い訳ができない。俺が怒られるだけならいいが、きっと詩奈も怒られる。会えなくなるどころか、もっと厳しい監視をつけられるかもしれない。


「ゲームをしてみたいです。ポテチとコーラの悪魔の組み合わせなるものも知りたいです。それに、もっと智大さんのことを知りたいのです」

「そう言われると、なぁ……」


 断ろうにも断れない。それに、俺だって詩奈のことはもっと知りたい。


「わかった。でも、どうやってここから降りる? 俺は降りれるけど、詩奈が降りるのは危なくないか?」

「見てください。カーテンを繋げてみました。降りるのはこれでできます」

「でも、外にカーテンが残る」

「こっちの紐をドアにひっかけて引っ張るとカーテンが戻って紐が回収できるはずです。この前智大さんに貸してもらった漫画に似たようなのがありました」

「ああ、あれか……まあ、やってみるだけやってみよう」


 詩奈が掛けた紐を持って、カーテンを使って降りる。それから紐を引っ張ると、確かにカーテンは部屋に戻った。


「あ、どうやって戻りましょうか」

「やっべ忘れてた」

「……まあ、後で考えましょう!」


 せっせと歩いていく詩奈。でも俺の家の方向がわからずに立ち止まってしまい、俺に手を伸ばす。俺はその手を握って、自宅に向かって歩くことにした。

 俺は一人暮らしをしている。だからというわけではないが、少しだけ散らかってしまっていた。


「えへへ、これが智大さんのお部屋……」

「ごめんな、散らかってて」

「いえいえ。生活感があって好きですよ。あ、これは!」


 興奮気味に詩奈が手に取ったのは、人気の家庭用ゲーム機。余裕があるわけではないからそれほど多くのソフトがあるわけではないが、詩奈にとっては物珍しいものだったらしい。

 お菓子とジュース、それとウェットティッシュを準備。ソフトを遊べるようにして、コントローラーを詩奈に渡す。


「い、いいのですか……?」

「もちろん。今日は遊ぼう」

「やった……!」


 かたかたとコントローラーを弄り始める。テレビにはたどたどしい動きのキャラクターが動き回っている。

 お菓子も食べたいようだが手を離せないようで、ちらちらをお菓子も見ていた。


「あー」

「えっ? あー……んぐっ」

「食べさせてやるから。まあ、いつも食べてるものの方が美味しいと思うけどな」

「……美味しいです! 智大さんが食べさせてくれるなら、なお!」


 苦笑しながら詩奈にお菓子を食べさせる。にこにこと楽しげな笑顔は、とてもお嬢様には見えない。


「智大さん?」

「ん?」

「好きです」

「……うん、知ってる」


 知っていても、俺が気持ちを伝えるわけにはいかない。雪見詩奈を受け入れるだけの力は俺にはないから。それを、詩奈自身もわかっているから押し付けようとしない。ただ、伝えただけ。

 しばらくしてゲームを終えた詩奈は、ウェットティッシュで手を拭いて洗面所に向かった。


「あ、歯ブラシがありません」

「予備あるから使っていいよ。磨ける?」

「磨けますよ、さすがに」


 何事もなく終わった。これなら、また連れ出してみるのも悪くないかもしれない。昼間に連れ出せたら一番なのだが。


「ほら、高嶺たかねって人に怒られるから、帰るぞ」

「えっ」


 高嶺は詩奈のことをずっと見てきた使用人らしい。まだ三十路にもなってらしいがずっと詩奈の面倒を見ているその人を、俺は少しだけ尊敬している。


「なに驚いてるんだ。それに夜更かししすぎると肌に悪いぞ」

「……わざわざ部屋に来たのに、何もなしで帰ってしまうのですか?」


 詩奈きゅっと自分の服の裾を掴んで、潤んだ瞳で俺を見上げた。


「しま、せんか……?」

「……駄目だ」

「……そですか」


 がっかり、というよりはどこかわかっていたような返答。だから、詩奈の唇にそっと自分の唇を重ねた。


「……今は、これだけ」

「今は、ですか」

「保証はない。でも、俺は。詩奈を幸せにしたいと、そう思ってる」

「……その言葉が聞けただけでよかったです。帰りましょうか。バレてしまったらどうなるかわかりませんし」


 守ってもらうのが嫌だと言っていた。きっと詩奈は、今まで何者からも守られてきた。

 だからこれは、詩奈にとってとんでもない大罪なのだろう。どこか怯えているように見える。


「もし、もしもだぞ。高嶺って人にバレたら全部俺のせいにしろ」

「えっ?」

「どうにか言い訳は考えとくから」


 何かを言おうとしていた詩奈の言葉を遮って部屋から出て、詩奈の家に向かう。

 ほとんどの家が真っ暗で、かなり遅い時間だということが実感できた。

 一際大きな家。詩奈の家に着いた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「……えっ?」


 冷たい声。その人が誰かは、詩奈の話からすぐにわかった。


「ご、ごめんなしい……雪見。こんな時間に付き合ってもらって!」

「ほう。貴方がお嬢様を連れ出した、と」

「そうだよ。悪いとは思ったんだけどさ」

「では、お嬢様には一切の非はないと」

「そうだって……」

「……違い、ます」


 震えた声で、詩奈はそう言った。

 握っていた手が震えている。怖いのだろう。高嶺に怒られたくない、そんな気持ちが手から伝わってきた。


「私が、頼んだんです。智大さんはなにも悪くありません。私が悪いんです!」

「お嬢様……」

「ちょっ、詩奈!」

「だいたいあなたもあなたです、智大さん! 私はあなたにまで守られたくありませんでした!」

「それ、は……」


 守ったつもりはなかった。この程度では、詩奈を守れているとは思えなかった。

 だけど、だからこそ。詩奈はこの小さな反抗をする必要があることに気づけなかった。


「事実ですか?」

「えっ? あ、ああ……」

「……そう、ですか。お嬢様が夜にこっそり……」


 なにやらショックを受けている様子の高嶺の前に詩奈は俺を庇うように立つ。


「……ふふっ、成長いたしましたね、お嬢様」

「えっ?」

「父君には内密にしておくとしましょう」

「えっ? えっ?」

「……あと、智大、でしたか? もう二度と窓から入ってくるような真似はやめなさい。怪しすぎます」

「いやでも……えっ? バレてる?」

「気づいていないわけがないでしょう。見て見ぬふりをしてきたわたくしを褒めてほしいくらいです」

「え、偉いです、高嶺!」

「いえ、お嬢様ではなくこの男に……はぁ、有難く受け取っておきますが」


 笑う詩奈はどこか吹っ切れた様子で、俺も少しだけ連れ出したことを良かったと思えた。






 そして、数日が経った。窓から入ってくるなと言われてから詩奈の家には行っていない。

 だが、たまたま夜に散歩がしたくなったので行ってみることにした。


「……おや、ようやく来たのですか」

「高嶺さん!?」


 屋敷の外で、退屈そうに空を見上げていた高嶺が俺に気づいて声をかけてきた。


「窓から入るなという言葉を履き違えたのかと。ついてきなさい」

「えっ? はぁ……」


 高嶺について屋敷の中へ。今まで一度も通ったことがなかったが、改めてこの家の規格を思い知らされた気がした。

 階段を上る。三階へ。その角の部屋へと案内された。


「智大さん!」

「詩奈……久しぶり」

「もう来ないのかと思いました……」


 少しだけ泣きそうな詩奈を宥めるために撫でると、にっこりと笑顔に変わる。


「結局、私はまだ守ってもらってばかりです。今回だって、高嶺でなければお父様にまで話が渡ってしまうところでした」

「そうだな。高嶺さんには感謝しないと」

「ですから、私が本当に一人で頑張れるようになったとき。そのときに、あなたの気持ちを教えてくださいませんか?」

「……もちろん」

「ありがとう。それなら私、頑張れます」


 また笑顔を咲かせる詩奈。

 もう詩奈を守る必要なんてない。それでも、この笑顔だけは守りたいと心から思った。

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