第5話レイ・シャノンの過去と心配事と決意(1)


「俺じゃない! そ、そうだ……レイがやったんだ」


 あれは僕とエリカが修学舎に通い始めた7歳の冬だった。

 僕はクラスメイトのジャックが唐突に少し変わった僕の髪と瞳の色を理由に作り上げ始めた僕の罪状に驚いて自分の潔白を訴えることができないでいた。


 僕たちは僕たちが住むグレンフォルド王国と隣国リヴレーガ帝国との国境に近い大きな町ミューリアで暮らしている。

 ミューリアで3年に一度行われる大祭で使用される等身大の人形を製作するのは修学舎に通う子供たちというのが慣例となっていた。


 ただし、その製作は先生方と上級生が中心で僕たち下級生はほんの少し手伝う以外は邪魔にならないようにこっそり見ている状態だった。

 数少ない僕らの出番である刺繍を施したマントを先生が取り付ける予定の日。僕たちは昼食後に人形が設置されている作業部屋に入った。


 興味本意でいじられないようにこの期間は人形の周囲に簡易的な柵が設置されている。

 しかしその人形が身に付けている剣を今にも抜こうと構えた手にヒビが入ってしまっていることが発覚した。


 以前休憩時間にジャックは神話の登場人物であるメイナード・アクスワース様がモデルの人形が装備している剣に興味を示し、弄ろうとしているところを上級生に咎められた。

 それをクラスメイトに引き合いに出されて「まさかおまえが?!」とからかわれたジャックは視線を彷徨わせていたが、僕と目が合うと僕を指差して僕の仕業だと主張し始めたのだ。


 僕は頭の中では沢山の反論が思い浮かぶのに、自分の言い分を捲し立てる相手に言い返すことができないでいた。


「レイ。ジャックは何を言っているの」


 エリカはジャックが意味不明の言語を発したかのようにポカンとした様子で言った。

 それに煽られるようにジャックは慌てて言い分を追加してくる。


「レイは西方のテイルノバートの末裔なんじゃないかってジャンのお父さん言ってたぞ! アクスワース様のしゅ、宿敵じゃないか」


 僕の髪と瞳の色はこの国に珍しい色であってもテイルノバートと関係あるかは別だし神話レベルの話の因縁を引き合いに出すなんて馬鹿げている。

 そんな苦し紛れみたいな主張をするのは自分の疑いを深めるだけだ。

 だけど周囲を見るとクラスメイトの中にはジャックの意見に一理あるとなっている人もいるように見える。


 その中でエリカの声がポツリと響く。


「目や髪の色で何か変わるの?」


「う、うるせー! お前は黙ってろよ。お昼休憩にレイとずっと一緒にいたわけじゃないだろ」

「お花に水あげに行ったからそうだけど。でもレイじゃないと思う。だって」

「エリカも一人だったってこと?」


 他の生徒も混ざってエリカにまで疑いを向けようとし始めた。

 それぞれが喋り始めてエリカの声がかき消される。

 この状態を何とかしてもらえないかと担任のラムゼイ先生に目を向けようとしたけれど止めた。


 その場に見ていた人が誰もいなかった場合、無実の証明は難しい。

 いくつかの事実を積み重ねて、それでも分かってもらえないかもしれない。

 けれどそれはできるだけ早い方が良い。なぜなら時間と犯人は罪の形を消し去ろうとするから。


 僕は人形に装備された剣をじっと見る。

 大祭用の人形の携える剣は当然はりぼてだ。表側は装飾が施されているけれど、裏側は滑らかな状態だ。


 ジャックの目的が剣だった場合、一つの事実を示せるかもしれない。

 先程までのジャックの様子からするとジャックが犯人である可能性は高いと思うけれども、剣の塚や鞘を握ったかどうかまでは分からない。

 他の方向性を考えるべきか……。


 僕が黙ったまま思考を巡らせていることを察したらしいエリカも剣を見る。


「レイ、あの剣必要?」


 エリカもジャックが触れる前にと思ったのか、担任であるラムゼイ先生に基本的に触ることを禁止されている人形を調べる許可を得ようとする。


「ラムゼイ先生、あの剣を確認させてください」

「お、俺が取ってやるよ!」

「だめ! 先生にお願いしているの!」


 ジャックは慌てて剣に駆け寄ろうとするが、エリカはジャックには触れさせまいと立ち塞がる。


「どけよ!」

「ひゃ」


 あろうことかジャックはエリカを突き飛ばした。

 エリカは踏み止まろうとしたがバランスを崩して倒れ込みそうになる。

 僕がエリカを支えているうちにジャックは剣に向かう。


 かまうものか。そんなものが無くても状況証拠ならいくつか提示できる。

 重要なことは、幸いなことにジャックより話の通らない人間はこのクラスにはいないということ。

 めちゃくちゃな話をする人間と筋が通った状況証拠を複数示す人間。どちらの方が信じてもらえるか。


 けれど、ジャックの手が剣に触れる前にラムゼイ先生の声が作業部屋に響いた。


「もう良い。ジャック。今の姿はここにいるみんなが見ているが、続けるかね」


 ジャックは思いの外冷たく響いた先生の言葉に身を竦ませてその場で固まった。


「ジャックの言い分はひとまず聞いた。レイ。君から何か説明することはあるかね」


 エリカの僕を見上げる透き通るようなピンク色の瞳が昼間の明るさのなかで爛々と輝く。

 ちゃんと話せるかな。


「はい」


 ジャックが犯人だと断定した話し方をして違った場合、たとえ僕が犯人じゃなくても僕はより疑われる立場になる。

 それに、僕自信が真実を見ていない以上むやみに多くを掘り起こさない方が良いかもしれない。誰を敵に回すかわからないのだから。


「まず、僕は誰が犯人か断定はできません。僕じゃない可能性をいくつか示させてください」

「ああ。みんなもそこに座って静かに聞きなさい」

「はーい」


 ジャック以外の生徒はその場に座ったので、僕は説明を始めた。


「まず上級生とその先生方が作業部屋を出て以降、僕が一人だった時間は昼食休憩時間だけです。その間僕は修学舎の時計塔にいました」

「あ」


 エリカが何か察したのか声を出してしまい、慌てて口に手を当てた。


「からくり時計の構造が気になって見ていたのですが、すぐそばの窓からみんながいる教室が良く見えました。エリカが水やりを終えて戻って来るか何度か確認して戻ってきたら時計塔から声をかけてすぐ一緒にここへ来ました」

「なるほど、作業部屋からは我々のクラスは見えないからその時の様子を知っているということは」

「はい。それは時計塔から作業部屋に何かすることもできないということでもあります」

「お、おお」

「ん?」


 クラスメイトの反応は様々だったけれど、今はざっくり伝われば良いので話を進める。


「ジェスが換気のためか窓を開けて、そこに……」


 僕が窓から見えたいくつかの出来事を伝えると、みんなで作業部屋に向かうまでの時間の関係上僕を疑うのは現実的では無いと思い始めたらしく、その場に「じゃぁ、誰が」という空気が漂い始めた。


「ほ、他になんもないのかよ!」


 ジャックからすると、それしかないと言いたいのか促されたので続ける。


「これは曖昧なことですが、僕自身興味があるので確認させてもらいたいことがあります」

「その剣のことだね」

「はい。憶測ですが、剣を触ろうと、もしくは抜こうとして人形の手にヒビが入ったのではないかと」


 僕はエリカに実演してもらい、他者が剣を抜こうとするとちょうどヒビが入った場所に当たることと、そうするには剣を持たなくてはいけないことを示す。


「この人形は大祭用に大変きれいに扱われています。壊さないように先生に言われた通りほとんどの人がむやみに触れません」

「だからなんだよ」

「以前上級生が大祭用の食器をきれいに磨いて置いた後、その食器を見ていたら触った人の指の跡が残ることに気付いたのです。金属など表面が滑らかで他に汚れが無かった場合など、条件が整った状態でも強い日差しの元でくらいしか見えにくいようですが」

「剣の裏側に指の跡があるかどうか確認したいということかね」

「それもそうですが。もし跡が残っていた場合、良く見ると僕たちの指の腹はそれぞれ違いますからそれも見ておいてください」


 僕からはわざわざ言わないけれど、上手く跡が残っているとは限らないし、犯人が自覚していた場合拭いて消すことはできるわけで。

 ジャックがそれを指摘したとしても、少なくとも指の跡が合う人の方が怪しいことは変わらない。

 なにより僕自身が確認してみたい。


「ほ、本当だ! みんな違うよ」


 クラスメイトはお互いの指の腹を確認し合っている。


「確認しよう! 先生、その窓の所で剣の縁をそーっと持ってください!」


 勝手に人形に触れてはいないであろうクラスメイトたちが勢い良く立ち上がる。




「う、うるさぁぁぁい!」


 突如としてジャックの叫び声が響き渡った。


「なんだよ、ちょっとチャンバラしたらちゃんと返そうとしていただけなのに!」

「レイのせいにしようとしていたのかよ」

「ひどい」


 クラスメイトから責められて顔を赤くしたジャックはさらに逆上してこちらに向かってきた。


「なんだよ! こんなの首からぶら下げて。この辺の男はこんな物、持たねーよ!」


 ジャックは僕が首から下げていた祖父からもらったお守りをむしり取ると壁に叩きつけようと振りかぶった。


 危ない!

 ジャックが振りかぶったその軌道上にはエリカがいる。

 僕は咄嗟にジャックの腕を掴み止めようとしたが強引に腕を動かされ、間に合わない。

 パキッという音がしてすぐお守りは壁に当たって落ちた。

 幸いなことにエリカの目をかすめそうになりながらも思ったよりも軌道が左に逸れたらしい。


「ジャック! なんてことをするの」


 エリカが頬を膨らませて僕のお守りを取りに行く。

 僕はお守りのことよりも、ジャックの度重なるエリカへの加害行動に自分でも驚くほどの怒りを感じていた。


 僕がこの町であまり目立った行動をしない方が良いと僕自身思っている。

 いきなり僕が怒鳴ったらきっとエリカが驚く。


 僕は同じことを繰り返されないように、落ち着いてジャックに釘をさそうとした。

 僕はみんなに背を向けて感情を抑えてゆっくりとジャックに近づき、ゆっくりジャックの肩に手を置いて言った。


「ジャック。もう、こんなことをするなよ」


「ご ごごごごごめん」


 ジャック、どうしてそんなに脅えた雛鳥みたいな様子になる?

 ジャックの声はかすれてエリカには聞こえていないだろうほどに小さかった。

 僕はジャックの表情がエリカに見えないように少し横に移動してから周囲に聞こえないようにささやいた。


「そんな表情するなよ」


 あんなに威勢が良かったのに。


「ひ」


 ジャックはブンブンと首を振って頷くとぎこちなく口角を上げた。

 ジャックは良くわからない。もうしないと言質は取れたので後はラムゼイ先生に任せよう。


「先生。僕たちはもう帰っても良いですか」

「ああ。本来はもう帰る時間だ。みんなも解散だ。ジャック。君は残りなさい。いいね」

「はい!すみませんでした」




「エリカ、もう帰ろう」


 エリカは僕のお守りを持ったままじっと動かない。


「割れちゃってる……」

「ごめんなさいごめんなさい」


 ジャックがエリカの言葉に被さるように謝ってくる。なぜそんな感じになった。


「とりあえずもう帰ろう。エリカ」


 武骨な作りで割りと丈夫な感じだったのであの程度で割れたことには驚いたけれど、無くなったわけではないのでよしとする。


「……あ、そうだ! レイ、私の荷物を持って玄関で待っていてくれる?」

「いいけれど。どうしたの」

「ちょっと行ってくるね~」


 エリカは明るい表情で僕のお守りを両手で握りしめたまま作業部屋を飛び出して行った。




「遅い」


 ちょっとと言う割りには遅い。

 僕は玄関から見えそうな範囲で移動しながら修学舎の中のどこかにいるであろうエリカを探した。

 エリカが一人の時に逆恨みでジャックが仕返しでもしたらと思い当たり、心配になってきた。

 玄関に書き置きするとエリカがいそうなところを探すことにする。




 エリカは校舎の裏にいた。

 まさかそんなところにいるとは思わなかったので、窓から少し声が聞こえて来なければ気付かなかったと思う。


 そんなところで話しているということは、内緒話かもしれない。

 女の子同士の内緒話なら邪魔しない方が良いけれど、ジャックから呼び出されていたら困るのでサッと確認しよう。


 学舎の角から覗き込むと先程までエリカが喋っていた相手は見当たらず、そこには見たことがない蝶々が舞っていた。

 その蝶々ははっきりと何色と言いがたい美しい色をしている。

 あえて言うとエリカが持つピンクや黄金の色合いや、紫が日の光の当たり方の加減で入れ変わっているように見える。

 まるで自身が淡く発光しているような幻想的な様子だ。


 しばらくするとまるで蝶々がエリカに教えたようにエリカが振り返り僕に気付いて表情を綻ばせると駆け寄ってきた。


「レイ! 待たせてごめんなさい」

「いや。大丈夫。少し遅いなと思って探してみただけ」

「レイ、もしかして蝶々苦手?」

「いや。そんなことないけれど」

「じゃあ、何か嫌なことあった? クラスの子に何か言われたの」


 僕とは違う意味でエリカもまた周囲とは少し違うところがある。

 これらのことをどう捉えれば良いだろうか。

 エリカは以前からこうやって一人の時に小動物に話しかけていることがあった。

 単純に一人遊びなら良いけれど、見たこともない生物が相手だとすると心配だ。

 だけど、エリカはこのような変わった生物との交流のことを周囲に吹聴するわけではない。

 僕にも隠しているのかもしれない。下手にこの話題に触れない方がいいのかもしれない。


「なんでもないけれど……もう帰ろうよ」

「うん。でもその前に」


「これ、ヘインズ先生に借りた接着剤でくっ付けてみたんだけど」


 エリカは僕が祖父からもらったお守りを直すために、手先が器用な隣のクラスの担任に接着剤を借りに行ってくれたらしい。


「ありがとう。……あれ」


 僕よりおおらかなエリカらしい直し方でそれに不満はない。

 それよりも、何か……何かが違うような。


「ご、ごめん勝手に。思い付いたらレイが喜ぶと思って勢いづいて張り付けちゃったの。レイがやった方が絶対綺麗にできるのに」 

「ううん……ありがとう」


「ところでさ、くっ付ける以外にこのお守りに何かした?」

「え゛」

「……」

「……」


 エリカはそれきり目線をさ迷わせたまま答えてくれない。


「……えーと……」


 ぐうぅぅぅぅ。


 自分のお腹の音が僕にも聞こえていると察したらしく、エリカの顔が赤くなった。


「……まぁいいや。早く帰ろう」


 今日は誤魔化されてあげよう。

 僕はエリカに手を差し出す。


「腕に捕まっても良いよ。足、帰り道で痛くなったらおぶってあげるよ」

「え、レイ。気付いていたの? ほんの少しなのに」

「さっきこっちに来た時にね。ジャックに突き飛ばされた時に足をひねったんだろ」

「たぶん。でも少し痛いくらいで、大丈夫だから」

「いいから」


 もう一度手を差し出す。正直に言うと、少し恥ずかしい。

 エリカは今度は断らずに僕の手に手を重ねて僕のエスコートを受けることにしたらしい。

 エリカの足に負担が掛からないようにいつもよりゆっくり歩く。


「えへへ。私お姫様になったみたい」


 エリカのその表情は大好きなクッキーを食べたときよりも嬉しそうに見えた。

 エリカの家に到着するまで、ずっとそうして歩いた。






 いいよ。エリカが嬉しいのなら、ちょっとくらいクラスメイトや近所の人たちにからかわれたってかまわない。

 ずっとそばにいられるのなら、それでいいよ。






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