第11話
『ハルトくん』
ヨゾラの声が聞こえる。これは夢に違いなかった。昨日知り合ったばかりなのにもう夢に出てくるなんて、僕はどうやらこの島に来てから彼女の事しか考えていないようだ。
自分がこんなに単純だなんて──いや、これは開放的な島の雰囲気がそうさせるのだ。だって、今、僕の世界には彼女しかいないのだから。
『ハルトくん? 元気?』
夢の中のヨゾラの声はふてぶてしくもなく、儚げで、ささやくように僕の中に入り込んでくる。多分こんな風に女性に優しくされたいと言う僕の願望なのだろう。
『ねえ……』
少し自信なさげな彼女の声に耳を傾けていると突然、パチッと頬に電流が走った。
何が起こったのかと慌てて飛び起きると、ヨゾラが僕の顔をのぞき込んでいる。ぼんやりとした妄想ではなく、実体を持った本人そのものだ。
「わーーーーっ!?」
自分の喉から飛び出したのが信じられないような情けない声の後に、今度は目の前に火花が飛んだ。発作的に叫んだ瞬間に後ろに倒れてしまい、木の幹に思いっきり頭をぶつけたのだった。
状況を理解すると、今度はあまりの自分のみっともなさにへなへなと体中の力が抜けていき、僕はそのまま砂浜に仰向けに倒れ込んだ。
「え、なんか、ごめん……」
ヨゾラは両手を挙げ、いわゆる「降伏」のポーズをした。
「いや、びっくりした……」
木陰からはみ出た部分からじりじりと体が焦げていく感触がして、あわてて立ち上がる。腕をめくると、ほんのり赤くなり始めていた。
「……もう日焼けするなんて」
「こんなとこで何してんの? 行き倒れかと思ったよ!」
「ええと……瞑想」
ヨゾラは一瞬だけ呆れたような顔をして、すぐに真顔に戻った。
「そうね。よくあるね。海岸ヨガみたいなの……でも、日中は止めた方がいいよ。特に今の季節はまだ」
うん、と頷くとヨゾラは飲み物はまだあるか、と尋ねた。中身の減ったペットボトルを見せると、車の中から巨大な水筒を持ってきて、継ぎ足しをしてくれる。 彼女は親切だ。面倒見がよい。家庭的……と言うか、その姿は若干、何と言うか……。
「おばちゃんだと思ってるでしょ」
多分、僕は考えている事が結構顔に出るタイプなのだろう。
「素直に、ホスピタリティがすごいとしみじみしていた」
「ふーーん?」
「そ、それより。よく、ここに居るのを見つけたね……」
「徒歩で行ける範囲なんて限られてるから」
それもそうか、と僕はヨゾラがまったく何も手がかりがない状態から僕を見つけてくれたのだとうぬぼれていたようで、恥ずかしくなった。
ヨゾラはスーパーに買い出しに行こうと思い、そのついでに僕が何をしているか見てやろう、と考えたらしい。そこで木にもたれかかりぐったりしている僕を見て、あわてて近寄って意識があるか確認するために頬を軽く叩いたらしい。
「だって、ここで寝るとは思わないじゃん?」
呼びかけに答えなかったのは、彼女の夢を見ていたいと思ったからだとは、とても言えなかった。
「あたしは買い物に行くけど……一緒に来る?」
ヨゾラは立ち上がり、足についた砂を払い落とした。
「食料品?」
「そう」
日帰りでレンタカーを借りるお客さんがやってくるとのことで、おじさんは買い物についてこられないのだそうだ。車はあるけれど持ち運びには人数が多い方がいい──僕としても断る理由は何もなく、スーパーの位置を知りたかったのもあり、ヨゾラに着いていくことにした。
初日と同じ白いワゴン車の助手席に乗り込むと、先ほどは居なかったはずの大型の船が泊まっていた。自分が乗ってきた船とは明らかに違っている。
「旅客船?」
「定期便。食料品とか、通販とか、郵便とか」
考えてみれば当たり前の事なのだが、本州ではトラックが担っている輸送を離島では船が一手に引き受けている。
「台風とか事故があったらどうなるの」
「そりゃ遅れるよ。……もちろん、人間だって移動できなくなる」
タイミングが悪いと島から出る事ができなくなるんだよ──とヨゾラは忠告のように続けた。
車は右折する。山の方めがけて進んで行く道がこの島の中心部へ続く道のようだった。彼女はぼそぼそと、今船があそこにいると言うことは、スーパーにまだ食料品が並びきっていないかもしれない──と言った。
やがて、数分もしないうちにJAの看板──農業協同組合の看板が見えてきた。僕にとっても馴染みがなくはない。
島に一軒しかないスーパー。日用品と食料品のすべてをここで調達するのだと言う。
「ここに売っていない物は船に乗って那覇まで買いに行くの。それか通販。今は随分便利になったって、大人は言うけどね」
店内にはインスタント食品、菓子、飲料──見覚えのある商品が沢山並んでいた。そうしていると、ここは都会の喧噪から離れた離島だと言うのを忘れ、なんだ、なんでもあるじゃないかと言う気持ちになってくる。
「今日は、魚かなー。明日も魚だけどね」
ヨゾラはそんな事を言いながらも別にスーパーで魚を買うつもりはないらしく、牛乳や練り物などの一般的な食品をカゴに入れている。
彼女から少し離れて鮮魚コーナーを覗くと、一際目を引く魚が売られていた。
何せ、真っ青だ。かっこつけて言うと、ターコイズブルーとでも言おうか。
見るからに熱帯の魚。水族館ではなく、鮮魚コーナーに陳列されているのだから、食用なのだろう。しかしその鮮やかな青は僕の中の「食用の魚」とはかけ離れていた。
「これ……食べられるの?」
「もちろん。でも、わざわざ買うことはあまり無いかな。パパが釣ってくるし」
あっさりしていて脂も少ない白身魚だ。と彼女は短く説明した。僕はそれから目を離せない。なんともどぎつい色だ。明るい海に飛び込んだ時にこいつが目の前に現れたとしたら、平静でいられる自信がない。
もし僕がこれを食べたいとリクエストしたならば、彼女はそれを了承してくれるのだろうか。言うか言わないか迷う──。
「こんにちはっ」
いきなり聞こえたヨゾラの明るい声に何事かと視線を向けると、彼女は島民らしき女性と談笑していた。
──逆じゃないか?
元々の知り合いのはずなのに、島民と会話をするヨゾラはよそゆきの顔をしていた──少なくとも僕に対するよりは。
会話に耳を傾けると、彼女は食堂なのか喫茶店なのか、少なくとも何かのサービス業に従事しているらしい。今の時間は買い出しのピークタイムと言う訳だ。
ヨゾラが大量に購入した生鮮食品の詰まったビニール袋を持ち、僕は缶ビールの箱を持って後ろを着いていく。
「この島、結構若い人多いよね?」
人口数百人の島と聞けばなんとなく超高齢化の限界集落のようなイメージを持ってしまうのだが、店を見た限りは皆ぴんしゃんとしている。もちろん、局所的にそう見えている可能性も否定できないが。
「働いている人は那覇から来ている人も多いからなあ。移住者はけっこういるし」
「みんなすぐ帰るけどね」
ヨゾラはすぱっと言葉を付け足した。
「それは……その……排他的とか、そう言う意味で?」
「きみ、喧嘩売ってんの?」
「ごめんなさい」
「島出身の人はなんだかんだ離れないから」
だから新陳代謝が活発で、そこまで高齢化の波を感じないのか、と僕は一人納得する。
ヨゾラは大雑把な方角を指さし、向こうが郵便局、診療所、役場……と簡単な説明をした。
彼女はこうして、一度になんでもかんでも説明するのではなく、その時その時の気まぐれで気がついた事を僕に説明しているのだった。
「遊ぶところはないの?」
「ないよ」
……観光地だと言うのなら、アクティビティが充実していてもよさそうなものだけれど。彼女はエンタメ的なものがないのか問われたと思ったらしい。
「……普段、友達と何して遊んでるの?」
「友達いないよ」
「なんで?」
発作的に問いかけてから、あまり突っ込んで聞いてはいけない様な話題だったと思い至る。
だってさっき、島から離れる人はそんなにいないと自分で言ったばかりだ。この島で生まれ育って、今もここで過ごしているヨゾラの発言は変じゃないか?
「喧嘩売ってる?」
「いや……ごめん」
やっぱり僕はとんでもないバカなのだと、胃がぎゅっと縮まった。
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