第8話

「……どうして……」


 これ以上嘘をつくことは出来なかった。彼女の言葉は確信めいていた。お酒を飲まなかったことが、そんなにも不審だったのだろうか。


 はりつめた空気の中、ヨゾラはふっとため息をついた。


「どうしても、何も。予約を入れていたタナカハルトさんは、京都の人だからね」


 さすがに関西人と関東人のイントネーションの区別くらいはつく──それがヨゾラの言い分だった。


「そ、それだけ?」

「まあ全体的に。不穏と言うか、海目的の観光か、それこそワケありかどうかの区別って見ればだいたい分かるから」


 へなへなと、手すりを伝って床に座り込む。やはり慣れない事はするものではなかった。


「嘘をついたのは、申し訳ない。思いつきでここまで来て、最終便だから、帰るあてもなくて……」


 とにかく野宿は避けたい。ここはもう正直に言うしかないと腹をくくり、せめて追い出さないでくれと頼み込む。


 ヨゾラは静かに僕の話に耳を傾け、ふっと息を吐いた。


「まあ……別に、いいんだけどさ。部屋は余ってるし、ドタキャンされても一円にもならないし。パパも気がついてはいると思う。ああいう人だから、さ。ワケありには優しいんだよね。多分心配だから声をかけたんじゃないかな──タナカさんの予約が入っていたのは本当だけど」

「そっか」


 彼は明らかな嘘をついている僕をどんな目で見ていたのだろうと考えると、寒くもないのに身体がぶるりと震え、あわてて二の腕をこする。


「心配しなくても、君はお客さんだから。追い出したりはしない。好きなだけ連泊して構わない」

「しばらく居ても良いの?」


 うわずった変な声が出た。多分今、とてつもなくみっともない顔をしているだろう。ばれてしまった以上、明日には強制送還されてしまうに違いないと思っていたのだ。


「お客さんとしてなら、いつまででも。うちは仕事がある限り、年中無休。ただし、連休や繁忙期は料金が上がるからね」

「……本当にいいの?」


 ヨゾラの言葉に、ひとまずはほっとする。ヨゾラはまるでくどいでも言いたげに、右の耳にかかった髪の毛を払った。


「こういうのを求めてここまで来たんじゃないの?」


 逆光でヨゾラの顔なんてほとんど見えていないのに、彼女の瞳は正確に、鋭く僕をとらえている。


 こういうの、とは『どういうの』なのか。僕は一体、何を求めているのだろう。破滅したいような、救いが欲しいような、とにもかくにも僕は家出と言うより、今、迷子なのだった。


「うん……まあ、そう言うことで、よろしく……」


「んで、君は一体誰なの?」


 ヨゾラの疑問はごもっともだった。


 僕たちは二階の部屋へ戻り、財布から学生証を引き抜き、身分証としてヨゾラに手渡す。


「ふーん。沢田……沢田晴人。うん、普通の名前だね……なるほど、ハルトはハルトなのね」


 平安名ヨゾラ、に比べたら何だって普通の名前の範疇に入るとは思うが、そこは言葉にしないでおく。


 茶色い畳の上であぐらをかき、唇を尖らせながら学生証を弄ぶヨゾラは、まったくもって非現実的なビジュアルで、自分がまるで物語の登場人物になったような感覚にとらわれる。


「高校生かあ……」


 家の手伝いをしている学生、というのは人慣れしていて、大人びているものだと経験則で知っている。なので、彼女の事を何の疑問もなく同じ歳だと思っていたのだったが、今日は平日だ。冷静に考えると彼女は社会人で、年上なのだった。


「学校はどうしたの。9月ならもう新学期でしょう」

「サボった」


 ヨゾラはエプロンのポケットからスマートフォンを取り出し、何かを検索した。


「へぇ。進学校じゃん。親の敷いたレールから外れたエリート、かあ」


 どうやら学校名を検索されてしまったようで、所属先が分かっただけで僕の属性が当てられてしまうのは、ありきたりな展開だと遠回しに言われているようで恥ずかしい。


「や、やめて……」

「いや、見かけによらず不良なのかなと思って。でもまあ、見たとおりだったね」


 ヨゾラは立ち上がり、仕事は終わりとばかりに伸びをした。


「まあ、この島で未成年がどうのこうの言ってもしかたがない。さっきも言ったけど、気が済むまで居ていいよ。むしろ逃走された方が怖いから、勝手に帰るとかナシね」

「う、うん、ありがとう……」

「親には連絡しなよ」

「わかった」


「……せっかくここまで来たなら、何かが見つかるといいね」


 僕の返事を待たずにヨゾラは部屋を出て行った。学生証は返して貰えなかった。


 何かを見つける。


 すでに何かを見つけた兆しは確かにある。しかし、僕はまだここに居たいと思っている。


 ──将来のことを考えるなら、明日の朝の飛行機で戻るべきだ。


 しかし、僕はまだ、彼女の話を聞いていたいと思った。


 思ってしまったので、親には連絡せずに、この島にとどまる事にした。

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