振られてこれから
俺は播磨に元カノのことを話していた。
出会いは同じクラスになったことがきっかけだった。
数学部である俺は帰るのがいつも早く、そのタイミングで彼女も同じように帰っていた。帰り道が同じで顔見知りともなれば、自然と話すこともある。
「数学部がよくクラスメイトってだけで話しかけられたわね」
「お互いに知り合いっていう距離感で、むしろ話さない方が気まずかったんだよ」
「すごい納得」
そんな理由で偶然に話すようになった彼女だったが、思いのほか好きなものや趣味が一致していた。
俺は家にいる時は洋画を見ることが多かったが、彼女も女子高生にしては珍しく洋画が好きなタイプだった。
それがきっかけで話が弾むようになり、一緒に映画に行くような仲になった。
「それで映画を観た後にサイ◯リヤに行って、帰り際に慌てて告白したと」
「いや、告白された」
「ヘタレね」
「まあそれに関しては同意だ」
自分に自信がないことに気がつかれたのか、彼女が気を遣ってくれたのかは今でもわからないが、その映画館デートをきっかけに彼女と付き合うようになった。
付き合う必要があるのかということについて俺はそれ以前は疑問に思っていたが、彼女と仲良くなってからはその意味を理解するようになった。
一緒に遊びに行く口実が欲しい、他の男に取られたくない。そんなちっぽけな理由で、人は付き合うのだ。少なくとも俺はそう思ったし、俺もそのちっぽけな理由が欲しくて仕方なかった。
付き合ってからはたくさんのことをした。
3ヶ月という短い期間とは思えないほど濃密な時間を過ごしたと我ながら思う。一緒に映画を観に行ったり、たまに俺の家でソファに並んでテレビを見たり、ご飯を作って一緒に食べたり。
とにかくたくさんの時間を彼女と一緒にいた。
「別れる理由なんてなさそうだけど?」
「……テストの点数が悪くてな。彼女の」
そんなにたくさんの時間を遊びに使っていたからか、彼女のテストの成績は2年生に入って一気に落ちてしまった。
「それで親に一緒に遊んでた時間を勉強に使えって言われたらしくてな。平日は少なくとも遊ばなくなったかな」
「高校生で親に逆らうのはリスクが大きいよね……」
あとは特に何もない。
遊ばなくなって次第に距離が離れていった。休日に遊びに誘っても、今までのように自然にというわけにはいかなかった。
休日だからと無理に誘っているように見られただろうし、実際俺は焦って休日だけでもと思ってしまった。彼女が離れていくのをどんどん感じて焦って、結果として最悪の形にしてしまったわけだ。
「たったそんだけだよ。笑えるだろ? 遊ばなくなっただけで離れていくほど、俺には魅力がなかったってわけだ」
「まあそれについては同意せざるを得ないけど……」
「普通はフォローをするだろ」
てっきりフォローが返ってくるかと思ったが、彼女はそういうタイプではないらしい。
「でも、あれじゃない? 別れたことは今は残念かもしれないけど、良かったんじゃない?」
「……どういう意味だ」
「だって君と付き合ってたら、彼女はもっと成績が落ち込んでどん底まで行ってたかもしれないんでしょ? そんなときに『でも映画見るのは楽しいからいいじゃん』って言えるような人間じゃないでしょ、君?」
「彼女のためには別れた方がよかったってことか?」
「まあそれもあるけどさ。君も罪悪感を抱えずに生きれてよかったって話」
いまいちピンとこない話だった。たしかに彼女の成績が落ちていって不幸になるのは、俺としても悲しかっただろう。彼女の成績を落としてまで遊びたくないと思ったからこそ、俺も彼女の両親の言うことに従った面はある。
だからといって、そんなことが別れてよかったと言える理由になるのかが、俺にはわからなかった。
だがそれを詳しく聞く前に、彼女の車は停まった。
「着いたよ。降りて」
「ここは?」
「ほら、早く降りろ」
「は、はあ……」
来たのは真っ黒な海がすぐそこにある、どこかの海岸だった。
本当にすぐ近くに砂浜があり、100メートルも歩けば海に足が浸される。
「ほら、こっち来なよ。せっかくだからもっと近くで海を見た方がいいよ」
「面倒くせえ……」
そう言いながら彼女の後ろについて海に足を向けた。
一歩、また一歩と海岸線に近づく。
やがて、昼間は海だったであろうところまでやってきた。
「ねえ!」
「なんだよ!」
波の音が思いのほかうるさく、俺たちも声を張って会話をする。
「夜の海って、怖くない?」
「怖い?」
「ほら」
そう言って彼女は俺の視界から消える。
目の前には一面の海だ。真っ黒で、ざっぱーんという音だけが唸る。
途方もなく、ずっと黒。海は人をさらっていくものではなく、人に襲いかかってくるものだとなんとなくそう思った。
「怖いな、たしかに」
「でしょ? 海って得体もしれなくて、本能からぶるっちゃうよね」
「言いたいことはわかる」
でもなぜ俺をこんなところへ連れてきたのか。
それを疑問に思ったところでちょうど、彼女は語り始めた。
「私ね、高校時代に付き合ってた人が不登校になっちゃったの」
「不登校?」
「そう。学校に来なくなっちゃったの」
彼女は声のトーンを落とす。だがなぜか、彼女の声はすっと波の音と共に耳朶に響いた。
「いじめか?」
「ううん。私のせい」
「……どういうことだ? お前がいじめの主犯か?」
「ははは。まあ見方を変えればそうかもね」
彼女はいつものように反論してくるかと思えば、今回は自虐的に笑った。
「私さ、高校時代も優秀だったんだよ。もちろん勉強って意味でね?」
「自慢か?」
「いんや。自慢するつもりは全くなかったよ。人を見下してるつもりもね」
話は今の話ではなく、過去のものにすり替わっている。
「でもさ、言葉の端々に出ちゃってたのかな。彼はあんまり優秀じゃなくて私が勉強を見ることも多かったんだけど、段々と嫌になっちゃったの」
「嫌って学校に来ることがか?」
「そうだね」
これもピンと来ない話だ。彼女が優秀なのと、学校に行きたくなくなる気持ちが一致しない。
「元々は成績なんて気にしてない人だったんだけどね。もしかしたら私と一緒にいて、劣等感が刺激されちゃったのかもしれない」
「成績が悪いと学校に行きたくなくなるのか?」
「進学校はそういうのが多いんだよ。学校にいてもマウント合戦、いつだって勉強できる人間が正義、できない人間が悪ってなっちゃうの」
「じゃあお前の元彼は悪だとされたわけか」
俺の高校も偏差値は高い高校なので、言わんとすることはわかった。
だからといって、それで不登校なんて……。
「そんなんで不登校になるって、心が弱いって思う?」
「……」
「まあ正直に言えばね、私も当時はそう思った」
播磨は自分の行いを悔いているかのように、語気を強めてそう言った。
「でもさ、そういうのが一番良くないって後から気がついた。手遅れになってから。そんなことで学校に来ないのはおかしい。成績が悪くて嫌になるくらいだったら、最初から勉強しろよ。そういった正論がダメなんだよ」
彼女はもしかしたら付き合っていた彼にそういったことを言ってしまったのかもしれない。ひょっとすればそれは善意から。
「だってさ。そういう正論は彼が一番わかってるんだもん。それでも体が動かないから、不登校になっちゃうんだもん」
たしかにそうだ。学校に行かないっていう選択はそれ自体簡単なものではない。学校に行かなければクラスメイトにどう思われるか、親にどうやって言ったらいいのか。色々なことを想像すると、むしろ何も考えずに学校に行った方が楽にすら思える。
「だからさ、高校生の恋愛ってほどほどがちょうどいいんだよ。無理なく付き合う、無理になったら別れる。それくらいでちょうどいいんだよ」
「たしかに……そうなのかもな」
所詮高校生の恋愛だ。その先の人生をドブに捨ててまでやることじゃないっていうのは、高校生の俺でもわかる。
「でもさ、それはお節介だよ。おばさん」
「おば……って、どういうことかしら?」
「青春をそこまで神格化させるのもよくないんだろうけどさ。でも取り返しがつかないのは年齢くらいだ」
俺がそう言い切ると、彼女はちょっと怒ったような顔をして俺に近づいてきた。
「いい話をしていたつもりだったんだけど。もしかして私に年齢マウントですか〜〜?」
「違うって。人生で取り返しのつかないことなんてほとんどないって話だよ。不登校になろうと、その先の人生で楽しいことがなかろうと、付き合ってた頃は絶対に楽しかったはずだろ?」
「何を分かったようなことを……」
「分かるさ。今日フラれた俺が言うんだから間違いない」
今日失意のどん底に陥った俺でも、付き合っていた頃は楽しかったと断言できる。付き合い始めた頃なんて、人生で一番浮かれていた。
「楽しかったんだからさ、不幸なことがあったらまた乗り越えればいいんだよ。それこそ2人でな」
「不幸の原因と一緒に?」
「そもそもそれ、お前が不幸の原因じゃないだろ。成績が悪いのだってそいつが悪いし、不登校になったのもそいつか高校の雰囲気が問題だろ」
「そんな無責任なこと言えるわけ……」
「そう思うんだったら、一緒に2人で不幸を越えればよかったんだよ。一緒に高校まで登校したらいいし、高校でもお前が1位を取って恋人を蔑む奴を一掃すればよかった。そうやって乗り越えればいい話だろ」
「——っ!」
どん底になったところで人生ゲームエンドじゃない。人生山あり谷あり、適当に上向きになればそれでいいんだ。
「ま、お前みたいな軟弱者にはそんなことは無理だったかもな」
「——うっさいわね。今日フラれた人間が何を言ってんだか」
「いつもの調子に戻ってきたな」
「おばさんって言ったこと普通に許してないから。帰りは一人で帰るから、適当に歩いてどうぞ」
「車のナンバーは控えたから警察に通報する。まさか最近発売のポルシェで、同じナンバーのやつがいるとも思えないしなあ?」
「その辺に沈めようかしらこのクソガキ」
でもなんだかんだ、俺も絶望から立ち直っていた。
それはこの女のおかげだ。
「ねえ、橋良くん?」
「なんだよ」
車の中で彼女は俺に言う。
「高校卒業したらうちの会社に来ない? そんなに不良品でもなさそうだから、特別に最低賃金で雇ってあげるわよ?」
「大変残念ですが、貴社のこれからのますますのご健闘を心よりお祈り申し上げております」
なんだかんだ悪くないドライブだったと、そう思った。
お金持ちの女に高級外車で連れ回されるだけの話 横糸圭 @ke1yokoito
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