第26話 喧嘩

「だーっ!疲れたぁ!もう今日は読めない!」


河合がそう言って床にべたんと倒れこむ。

時刻は午後6時。部屋に差す日光も白からオレンジに切り替わり、遠くでヒグラシが鳴く音がかすかに聞こえた。

かれこれ六時間も本を読んでいたのか、途中からは僕も集中していたから気が付かなかった。本を読むために丸めた背中を伸ばすと、体のきしむ音が臓器に響いた。

隣では香音が、僕や河合と同じく疲れたように伸びをしている。やはり読書家の香音からしてもこの量はかなりきついらしかった。


「それで、お二人とも進捗のほどは?」


香音があくびをしながらそう尋ねる。僕と河合は同時に白旗を上げた。


「はぁ・・・一日潰してこれくらいかー、気が遠くなるなぁ」

香音も観念したように弱音を吐いた。


「河合、お前ちゃんと本読んでるんだろうなー?」

「なんだとぅ?お前こそ、俺たちの手を借りて自分だけサボってたら承知しないからな?」

「こらこら何で二人が喧嘩するの」


疲れからかイライラした僕たちを香音が咎める。女子高生に咎められる大学生二人。うむ、非常にみっともない。


「腹減ったー、だからイライラするんだきっと」

「あーたぶんそうだな、僕は昼ごはんすら食べてないし」

「お腹すいたら機嫌悪くなるって赤ちゃんかっての」


ため息交じりにそう呟いた香音は立ち上がり、柔軟体操を始めだした。


「ゆったん、この辺りにスーパーとかってある?」

「え?ああ、歩いて五分くらいのところにあるよ。何で?」

「なんか適当に作ってあげるよ、あとかわいっちの分もね」


体を一通り伸ばしきった香音はそう一言言った。その途端河合が騒ぎ出す。


「えっ!?まじで!女の子の手料理とかいつぶりだろ!」

「河合、お前いま最大瞬間風速で香音の評価が下がってるのが分かるぞ」

「はいはい、んじゃ後でお金はゆったんに請求するから。行ってきまーす」


香音はそう言って部屋を飛び出していった。後にはおっさん二人が部屋に取り残される。


「なんか楽しいなー、去年を思い出すっていうか。覚えてるか?去年もよく春野っちと俺とお前で集まったの」

「覚えてるよ・・・忘れるもんか。あれも大切な思い出だ」


世奈さんと河合と三人で過ごした最後の夏。去年の事なのに、なぜか遠い昔の事に感じられてしまう。

あの頃は、幸せだった。なにも気にすることなく只々自由に遊びまわって。世奈さんの病気も苦しみも何もかも知らなかった僕は、只々楽しんでいた。


「夜通し花火も楽しかったし、ホラー映画観賞会もよかったよなー。ほんと、あの頃はよかった。お前と春野っちがイチャイチャしてたことを除けばな!」

「はいはい、悪かったよ」


河合の言葉に僕は適当に返事をする。河合は不服そうに鼻を鳴らした。


「全く、いま思い出しても春野っちはいい人だったぜ。お前にはもったいないくらいな。だからって俺にももったいないしな。どうしろってんだよ!」

「ひがみ嫉み乙」

「なんだとこの陰キャ童貞!」

「ああん、やんのかこらぁ!?」


僕と河合のいつものような口喧嘩が始まる。最近は僕が弱っていることもあってか河合も口喧嘩を控えている傾向にあったが、今日はやけに噛みついてくる。いや普段はこんな感じでよくケンカしていた。僕が忘れていただけで。


「ったくよ、なんだか知らない間に他の女の子と仲良くなりやがって!浮気野郎!」

「浮気じゃねぇし!香音とはそんなんじゃねぇし!お前こそ、そろそろ彼女作ったらどうなんだ!」

「お前が落ち込んでるときにそんな気持ちになれるわけねぇだろ、このあほ!」

「あほっていう奴があほなんだよ!そんな言い訳して結局モテないだけだろ!」

「ああん、なんだとチェリーボーイ!」

「お前もだろうが、名産地山形に送り返すぞこらぁ!」


口喧嘩は止まらない。といっても僕も、きっと河合も憎しみのような感情は一切ない。これは僕と河合のコミュニケーション方法の一つだった。どちらかが悩んでいるときは、その片方がその愚痴の相手をする。もちろん聞くだけじゃなくて喧嘩という形で。

こうすることで、互いの気がまぎれるのだ。


「俺が手伝ってやってんだ、ぜってぇ春野っちにもう一回会えよ!そんでお前の気持ちを伝えてみろ!男ならな!お前が男ならな!」

「うるせぇ!そんなこと言われなくても分かってるよ!お前と鈴木さんと香音にここまで支えられてきたんだ、もうちょっと気張ってやるよ!」

「おう、よく言った!男見せろよ、ヒョロガリ!」

「うるせえ理想体型!」


そこまで言ったところで両者共倒れ。僕も河合も息を切らし、お互いにお互いをにらみ合っていた。


「やれよ、絶対に」

「当たり前だ」


河合の言葉に僕はそう返す。それを聞いた河合は納得したようにうなずいた。


「腹減ったぁ」


そして河合はそう言って笑った。僕もそれにつられて笑いだす。二人の男の笑い声が部屋中に響き渡った。

その声が部屋を飛び出し、天まで届くくらいに僕は大声で笑う。『彼女』に届くように。『彼女』が気づいてくれるように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る