第21話 墓参り
蝉が、その短い生涯を悔やむように、もしくは残された生涯を全力で生きるために鳴いている。蝉は約一週間しか生きることができない。僕たち人間からすると、それは短すぎると悔やんでしまうようなその短さも蝉からすれば「すべて」であり、与えられた時間を生きるしかないのだ。それが「当たり前」である以上、それから逃れる術はない。そんな一生を、文字通り「一生懸命」に生きる蝉はきっと、僕よりも遥かに輝いている。
そんな風に達観したようなことを思いながら石畳の道を踏みしめ歩く。僕は街から少し離れたところにある、いわゆる墓所に来ていた。夏の日差しに照らされ、墓石がキラキラと光るさまは夏さながらの風景と言った感じで、僕の心をどこか懐かしい気持ちにさせた。
墓石に刻まれた名前をひとつずつ確認しながら墓所を進む。今は墓参りシーズンである盆も終わり、人は全くと言っていいほど見当たらなかった。
墓石のそばには花やお菓子などが供えられていて、ここにある墓一つ一つに大切に思う人がいることを感じる。そして、僕もその一人でありたかった。
「にしても・・・暑いな、寝不足の今日に来るべきじゃなかったか・・・」
河合の車で運ばれ、家に着いたのが朝の8時前。一旦ベッドに横たわり仮眠を取り、昼を少し過ぎたところでこの墓所に向かったのだった。眠気はあるが、それでも「自分のすべきこと」を思いついたからにはすぐに実行に移そうと息巻いて外に出たのだが・・・
「干からびそう・・・」
文字通り照り焼きにされている状態だった。夏の暑さに恨み言を呟いたところで、僕はふと前方に人影がいることに気づく。
白い帽子をかぶった女性だった。遠目からでも分かるその美しさに僕は思わず息をのんだ。そしてなぜか懐かしさも同時に感じる。
その懐かしさに心の中で疑問符を抱きながら、僕はその人が手を合わせている墓石に向かう。その墓石は他のものと比べてやけに綺麗で、新しいものだということは一目でわかった。
そしてそこに刻まれた名前を見る。
「春野世奈」
その名前を確認した瞬間に、なぜか心臓をきゅっと掴まれたような感覚を覚える。やっと来ることができた。来ようとは思っていた。何度も足をそこに運ぼうとした。しかし、
その度に恐怖で足がすくんだ。体を強張らせた。息を詰まらせた。
その場所へ、僕は今来ることができた。これも全部
「『彼女』のおかげだ」
僕がふと口に出したその言葉に反応したように、その女性はこちらに振り向いた。そしてその顔を見た瞬間に僕は確信した、その女性が誰なのかを。
「あなたは?」
その女性は、特に不審がる様子もなく立ち上がりながら僕に訊ねた。その仕草もどこか世奈さんと・・・そして『彼女』に似ている。
「浜松裕斗と言います。失礼ですが、もしかして世奈さんの?」
僕の名前を聞いて、かすかにその女性は反応を示した。そして
「はい、私は春野悠奈。世奈の母です」
と答え、深くお辞儀をしたのだった。
線香に火をつけ立てる。線香の匂いが心地よい。僕は墓石の前で手を合わせ、深く目を瞑る。長い間会えなかった分長く、深く祈る。
「何か、世奈は返事をしましたか?」
その女性、悠奈さんは後ろから僕にそう訊ねた。
「はい、久しぶりって」
「それは、良かった」
悠奈さんは満足そうに笑った。その笑顔も世奈さんと『彼女』にそっくりだった。
「裕斗さん、世奈を大事にしてくれてありがとうございます」
悠奈さんは、また深くお辞儀をした。それを受けて僕は申し訳なくなり慌てふためく。
「顔を上げてください!僕よりも悠奈さんの方が世奈さんを・・・」
「それはありません」
悠奈さんはぴしゃりと言い切った。
「すこしお時間ありますか?話したいことがあります」
「は、はい」
悠奈さんの真剣さに気圧され、僕はそう答える他なかった。
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「あの子は、生まれつき体が弱かった。体が成長してもそれが改善されることはありませんでした。私は毎日あの子に謝りました。強い体に産んであげられなくてごめんねって。そう言うといつも世奈は笑って言いました」
『お母さんのせいじゃないよ』
木陰のベンチに座る僕の隣で、悠奈さんは昔のアルバムをめくるような顔で語り始めた。僕は静かに聞いた。
「そして高校に入学して直後、裕斗さんも知るあの病気を患いました。お医者様は、いつ病気がひどくなって死んでしまうかも分からないと言いました」
悠奈さんの声が悲しみで震え始める。しかし悠奈さんはそれでも続けた。
「徐々に手足が動かなくなり、いつ呼吸ができなくなるかも分からない世奈に私は声をかけることができなかった。いざ世奈の横に座ると、なんと声をかけてよいのか分からなかった。そして、私はそのまま世奈を逝かせてしまった。きっと、世奈は私を今も憎んでいる。あの子がどれだけ優しくても、きっと私を許してはくれない。罪滅ぼしにこうして墓参りに来ても、一向にその罪悪感から逃れることはできない」
悠奈さんは耐えきれずに涙を流し始めた。僕は静かに、悠奈さんの言葉を聞く。
「もう一度、世奈に会えたなら私は何と言えば・・・私の言葉など聞いてくれないかもしれませんが・・・それでも私はあの子に謝りたかった・・・あの時に言葉をかけることができずに申し訳なかったと、親としてできることをしなかった私を許してくれと・・・きっと世奈は私の言葉など聞いてはくれないと思いますが・・・」
「そんなことは、無いと思います」
僕はそこで悠奈さんの言葉を初めて遮った。
「きっと世奈さんは恨んでなんかいないとおもいます。感謝はしていてもきっと悠奈さんを恨んでなんか・・・もし恨んでいたとしても、悠奈さんの言葉を聞かずにいるなんて絶対にしないと思います。きっとちゃんと話を聞いてくれます!僕なんかが言えることじゃないと思いますけど・・・」
きっと、悠奈さんは僕と一緒だ。世奈さんがいなくなることで、大きなものを失ってしまった一人なのだろう。悠奈さんの言葉を聞いて、まるで彼女の抱いている感情が僕の抱いている感情と似通っているように感じられた。
僕がしどろもどろに紡いだ言葉に、悠奈さんはハッと目を見開いた。何かに気づいたかのようなそんな顔だった。
「・・・さすが、世奈が好きになった男の子は違いますね。私もまだまだです」
「えっ!?いきなりそんな・・・勝手なことを言ってすみません、やっぱりおこがましいですよね」
「いいえ、あなたは強い人だ。きっとそういうところに世奈も惹かれたのでしょうね」
違う、僕は強くなんかない。たとえ強かったとしてもその強さは悠奈さん、あなたの娘の世奈さんからもらった力なんだ。だから僕は決して誇れるような人間じゃない。
「・・・あなたに渡したいものがあります」
悠奈さんはふとそう言うと、小さなバッグからピンク色の手帳を取り出した。やけに使い込まれているようで所々しなびたり破けていたりしている。しかしその手帳からは持ち主の温かさを感じることができた。そしてその手帳の持ち主が世奈さんであることも一目で分かった。
「これは、世奈の部屋にあったものです。おそらくは日記なのでしょうが・・・」
「おそらく?」
「私も中を見てはいないので何とも言えません。何を書いているのか、何を世奈は遺したかったのか。私が見るのは何故か違うような気がしてずっと開かずにいました。しかし裕斗さん、あなたにならこの日記を託すことができる。あなたならきっと世奈の遺したかったものが何なのかを受け止めることが出来るはずです」
悠奈さんが差し出す手帳に僕は思わず戸惑う。果たしてこれは僕なんかが受け取っていいものなのだろうか。少なくとも「今の」僕に受け取る資格と覚悟はあるのだろうか。そう考えると、目の前の手帳を受け取ることができない。手を前に出そうとしてみても、どうにも動かなかった。
「もし不安なら、持っていてくれるだけでも構いません。私が持っていてもきっとこの日記を開く勇気は湧いては来ませんでしょうから。あなたならその勇気をきっと手に入れることができる。私にはわかります」
「分かりませんよ・・・僕は弱い人間ですから」
「女の勘です、信じてください」
そう言ってまっすぐ見つめてくる悠奈さんに僕は既視感を覚える。そっくりだった。すこしムキになっている表情や目が世奈さん、そして『彼女』に、とてもそっくりだった。
「・・・分かりました・・・」
僕の負けだった。僕は悠奈さんから手帳を受け取った。見た目よりもわずかに重いように感じるその手帳を受け取った僕を見て、悠奈さんは満足そうに微笑んだ。
「無理にとは言いません、もしその時が来れば・・・お願いしますね」
そう言うと悠奈さんは立ち上がり、白い帽子をかぶった。木漏れ日に薄く照らされ、夏風に長い髪を遊ばせる悠奈さんは、僕から見ても美しかった。
「では、私はもう行きますね。あなたに会えて本当に良かった」
「僕も、悠奈さんに会うことができて本当に良かったと思います」
僕と同じ気持ちの人がいる。その事実は僕を少なからず救ってくれた。それはきっと悠奈さんも同じだろう。
そして悠奈さんは前を向くと決めたのだ、僕も前を向こう。そして『彼女』に伝えるのだ。
「 」と。
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