第19話 再確認
海水に浸ってしまって動かなくなったスマホの電源ボタンを、未練がましく連打した。長押ししても一向に電源が付く様子はない。水没、というやつだ。
僕は自分でも驚くくらいに盛大な舌打ちをした。機嫌が悪いわけではない。ただただ自分の愚かさに反吐が出ているだけだった。
僕は来た道を戻って駅に向かった。駅の明かりはとっくに消えていて、もちろん電車の影も形もない。ただ、駅のそばにひっそりと置かれた公衆電話のボックスと自動販売機が寂しげに、切れかけの蛍光灯を光らせているだけだった。
僕は財布の中身を見る。財布も海水に浸からせてしまったため、紙幣の方はぐっちょりと濡れてしまっていた。
硬貨の方を確認するとほとんど入っておらず、僕は二度目の舌打ちをこれまた盛大にかました。
僕は自動販売機の方に向かう。濡れた千円札を取り出し、挿入口に突っ込んだ。だが機械は反応しない。
「頼むよ・・・」
疲れたように僕はそう呟いた。そう、僕は疲れた。これ以上イライラさせないでくれ。
4回ほど挑戦したところでやっと機械が反応。千円札はそのまま自動販売機に吸い込まれていく。入れた金額が表示される部分に1000の表示。どうやら何とかなったらしい。
僕は自動販売機の数ある中からコーラを選び、そのボタンを押した。ガシャン、と聞きなれた音。そして、つり銭がじゃらじゃらと落ちてくる音が続いた。
僕はとりあえずコーラを一口飲み、喉の渇きを潤した。やけに喉が渇く。僕はコーラをそのまま飲み続け、半分を過ぎたあたりでようやくその手を止めた。
つり銭を持って公衆電話に向かう。電話ボックスに入り、つり銭から出てきた十円玉と百円玉を適当に公衆電話に吸わせ、見慣れた電話番号を入力する。
電話はツーコール目にかかった。
「はい、もしもし・・・」
電話の向こうから、不機嫌で眠そうな男の声が聞こえる。
「悪いなこんな時間に」
「その声は裕斗か・・・まったくだよ今1時だぞ、寝てたっつーの」
河合は相変わらず、不機嫌そうに答えた。それでも電話にすぐ出てくれる辺り人の好さがにじみ出ている。
「んで、何の用だ。イタ電ならぶっ飛ばすぞ」
「帰れなくなった」
「・・・は?今どこ?」
「えっと、○○駅の前」
「・・・ちょっと待て聞いたことないぞそんな駅。・・・っておい、お前そこ電車で5時間以上かかるとこじゃん!?何してんのそんなところで」
「そんな遠くまで来てたのか」
「どうせ春野っちと真夜中デートでもしてんだろ?楽しんどけって、お前みたいな根暗陰キャ一生チャンスないぞ」
「・・・うるさい」
「・・・なんかあったのか?」
「・・・世奈さんが消えた」
「はあ!?そりゃあまた何で?」
「・・・分からないけど、消えた」
「・・・はぁー分かんないことだらけだな―おい。とりあえずその駅まで迎えに行くわ」
「・・・えっ?電車で5時間以上かかるんだろ?今からだといつ着くのか・・・」
「電話かけてきた張本人が何言ってんだよ。車で最短ルート行けば、3時間で着くと思う。じゃ、今から行くから。どっか行くなよ」
ぶつん、と音がして電話はそこで切れた。
僕は疲れたように、ふうっとため息をついてから、公衆電話の横にひっそりと置かれたベンチに座った。
まだ、先ほどまでの事が頭で理解できていない。まるで夢を見ていたようなそんな感覚だった。
ふと、『彼女』の名前を呟こうとする。
「・・・世」
『私を・・・もうその名前で呼ばないで・・・』
「・・・っ」
言えない、口にできない。『彼女』の名前を、証を。僕は最後の最後に、ずっと求められ続けた彼女に拒絶されたのだ。みじめったらしく口籠る、男らしさのかけらもない僕を、彼女は優しく拒絶したのだ。
愛していた人に拒絶される。耐えがたい事のはずなのに、なぜか僕は他人事のように、どうでもいいことにさえ思えた。もしかすると、すべて夢だったのかもしれない。すべて春野世奈に会いたいという僕の妄想が見せた長い、長い夢だったのかもしれない。もしそうならば、そうであってくれたなら、僕はどれほど救われただろう。この僕の首を緩やかに締め続ける現実がふとブラックアウトして、次に目が覚めた時はいつものように空気の淀んだ部屋のベッドの上ならば。
僕は、また以前のように暗い現実に戻ることができるのに。
「夢なら覚めてくれ・・・『彼女』との思い出も全部夢の中の出来事にしてくれ。喜びも悲しみも感動も全部・・・全部さぁ・・・」
そうすれば否定できる。『彼女』の存在を。『彼女』との思い出を。『彼女』との日常を。『彼女』の言葉を。『彼女』の笑顔も。『彼女』の苦しみも。そして『彼女』への・・・
「・・・ちがう」
そうじゃない。僕が望んでいるのは『そういうこと』じゃない。本当に望んでいることはそうじゃない。これではダメだ。
僕はまた逃げるのか。都合のいいように考えを変えて、気持ちのいいように環境を変えて、どうでもいいように現実を変えるのか。
「・・・『彼女』から教わったのは、そうじゃないだろ・・・!」
僕は握りこぶしを、血が出るくらいに精一杯握った。自分の、数秒前までの愚かな考えを戒めるために強く。
本当に血が出たのか、手のひらに生温かい温度を感じる。僕はそれを確認せずに、ただひたすらに思考の海に沈む。
「そのために僕ができることはなんだ」
僕は、いま『手の中』に残っているものを数え始めた。蛍光灯の明かりが、ひと際眩しく点灯した。
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