第12話 初出勤と久しぶり
「これで・・・終わりだぁ・・・」
「はいお疲れ様」
セミの鳴き声が煩わしい古本屋で、僕は一人息を切らしていた。
古本屋「轍(わだち)」は建物の影に隠れ、燃え盛る太陽から逃れてはいるもののやはり真夏とは恐ろしいもので、力仕事をし終えたあとの僕の額からは汗が流れ落ちていた。
「これって・・・全部で何冊あるんですか?」
「さあー、多分五百冊くらいはあるんじゃない?私もそんなに詳しくは分かんないけど」
それを今まで運送業者に運ばせていたのか・・・あのおじいちゃん、見た目によらず結構な重労働を強いていたんだな、ローマの圧制者もびっくり。
そんなことを思いながら息を切らす僕の頬に突如冷たい物体が触れる感触。
「どわっ!?」
「なに?まるで初めて掃除機見た猫みたいなリアクションして」
「例えが独特なんだよ・・・えっと名前、まだ聞いてなかった」
「は?なんか変なことに私の名前使う気でしょ」
「使わねぇよ!僕をなんだと思ってるんだ!」
そう声を荒げる僕に対し、耳を塞ぐ仕草をする彼女。
「はいはい、わたしは香音(かのね)。あんたの方が年上だし、特別に呼び捨てでいいよ」
「香音か、よろしくな。僕は浜松裕斗」
「知ってる。バイトの個人情報管理してるの私だし」
「あ、そうですか・・・ふう」
香音からもらったペットボトルのお茶を一口のんで、一息つく。
僕はなんとなく店を見回してみる。やはり居心地のいい店だ。
「この店っていつから始めたんですか?」
落ち着いてから僕は、カウンターで新聞を読んでいる鈴木さんに尋ねた。
「だいたい六十年くらいかの、儂の父から受け継いだ店じゃから」
「六十年!?・・・でもそれにしては何というか・・・」
僕は改めて店の中を見る。確かに外観こそ年季を感じさせる風貌だったが、内装は本棚同士の感覚が狭い事以外は整理されている。床は石畳だがひび割れはほとんどないし、壁も穴一つ見当たらない。
「綺麗ですね、ほんとに。古民家カフェみたいです」
「ほっほっほ、それはうれしいことを言ってくれる」
鈴木さんは受付のためのカウンターを指でなぞった。
「こんな話は知っておるかい?」
「はい?」
鈴木さんはカウンターの横の丸椅子に座って話を続ける。
「大事にしたものには魂が宿る、と言われていての。家であれ棚であれ本であれ何にでも魂が宿るのじゃ。その魂が何なのか、それは諸説あるけども、妖怪だの神様だの色々言われておる」
「でたー。おじいちゃんの昔話」
香音は興味がない様子で、どこからか取り出した文庫本を読んでいる。
「それはなんていうか、日本特有の解釈ですね」
「君もそう思うかい?まあね、こんな小さい島国だからこそ、小さいものまで大事にしようと思う文化が根付いたんじゃろうな」
鈴木さんはカウンターに置かれた湯飲みをあおってから、一息ついた。
「だから君も、何でも大事にするんじゃよ。そうすればいいことが起こるかもしれん。もしかするともう起こってるかもしれんが」
「まさか、そんなオカルトチックな・・・」
死んだはずの彼女と暮らしている人間のいう言葉ではないけれど・・・
「さて、あと十分ほど休憩したら作業再開じゃ。それまで休んでおきなさい」
鈴木さんはそういうと、「よっこらせ」という掛け声とともに立ち上がり、店の奥に消えてしまった。
「大事にしたものには魂が宿る、か」
「なーにぶつぶつ言っての、ゆったん」
「え、ゆったん??」
後ろから聞こえた不可解な呼び声に反応する僕。
「そ、裕斗だからゆったん。可愛いでしょ?」
「はぁ、そうですか・・・」
気を取り直して、先ほどの言葉を頭の中で反芻する。何か引っかかっているような気がしてならない。何か忘れているような気がしてならない。
「・・・気のせい、だよな」
僕はペットボトルのお茶を一気に飲み干す。そのままペットボトルを握りつぶしゴミ箱に捨てた。
今はそんなこと考えている暇はない。世奈さんとの思い出を増やす方が大事だ。
そう自分に言い聞かせて、違和感を幸福感で塗りつぶす。
「さて、頑張りますか!」
僕は大きく伸びをして、鈴木さんからもらった休憩を少し早く切り上げた。
「ゆったん、うるさい。発情した犬か」
「女子高生が発情とか言ってはいけません!」
:::::::::::::::::::
「ただいまー、いやー初・・・」
「裕くん、おかえりっ」
「ふぐっ!?」
玄関で待ち構えていたのかと錯覚するほどの超スピードで、僕の胸に飛び込んでくる世奈さん。そのまま後ろに倒れこみそうになるのを背筋と背骨で何とか踏んばり、世奈さんを両の手で包み込む。
柔らかいお日様のような香りに包まれ、一気に疲れが吹き飛んでいくような気がした。
「ハグってストレスに一番効果的って聞くけど、それって本当なんだなぁ」
「裕くんから本屋さんの匂いがする」
「まあ、本屋にずっといたから」
世奈さんから静かに体を離す。世奈さんは少し物寂しそうな顔をして、頬を膨らませる。そんなに本屋の匂いが染みついたのだろうか。僕が自分の服の匂いを嗅いでいる様子を見て、世奈さんは微笑んで、そしていつものように
「ご飯にしよっか」
と、僕に眩しく笑いかけたのだった。
生前の世奈さんは決して見せることのなかった満面の笑み。
そう、生前の世奈さんがこんなに笑うことは滅多になかった。いつも儚げに、静かに、森に響く鳥のさえずりのような声で笑うのがほとんどだった。
僕は、その世奈さんの笑い方が嫌いではなかったしむしろ好きだったけれど、なんだか一緒に思いきり笑えないことにもどかしさを感じることがあった。
それと比べて、今の世奈さんはよく笑う。むしろ笑っていないところを、再会してから一度も見ていないような気がする。
「・・・どうしたの裕くん、ぼーっとして」
「・・・えっ」
僕はふと我に返った。また考え事をしていたらしい。
「ううん、なにもない。何か手伝えることはある?」
「うーんとね、じゃあ皮むきをお願いしようかな」
「分かった」
僕は世奈さんの横を通って、先にリビングに向かう。その時ふと視線を感じ世奈さんの方を見る。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもないっ。ほら早く早く」
世奈さんが僕の背中を押した。
「それで、初出勤はどうだったの?」
「うーん、まずまずって感じかな。でも重たいもの持ったのは久しぶりだから明日ぐらいに筋肉痛になりそうで怖い」
「それは裕くんの運動不足が原因でしょ、あとでマッサージしたげるね」
時刻は午後7時を過ぎたあたり。僕と世奈さんは肉じゃががメインの夕食を食べながら、今日のバイトについて話していた。
「いいよ、恥ずかしいし」
「えー、お礼だと思ってさ。他に何か面白い話とかなかった?」
「他かー。あ、鈴木さんが面白い話を聞かせてくれた」
「えーなになに」
世奈さんが身を乗り出して聞いてくる。
「大事にしてるものに神様とか魂が宿るって話。なんか都市伝説っぽいけど日本らしさがあって僕は好きだなーって思った・・・って世奈さん?」
気付くと世奈さんがなぜか険しそうな顔をしていた。僕は心配して思わず声をかける。
「・・・っえ!?・・・ああ、どうかした裕くん」
「どうかしたって、こっちのセリフだよ。なんか険しい顔してたから」
「・・・気のせいだよ、それよりご飯食べようよ。冷めちゃう」
世奈さんは、大きく切ったジャガイモを頬張ってハフハフいった。
「・・・そうだね」
僕も箸を持ち直して味噌汁を啜った。
世奈さんの笑い方が、何かを誤魔化す時の笑い方にそっくりであることに気づきながら。
・・・世奈さんはきっと何かを隠している。
僕の中でその考えが、ほぼ確信に変わりかけていた。しかしその『隠し事』を訊くことが、今この現状を壊しかねない気がしてその一歩が踏み出せない。
今のこの状況にずっと浸っていたい。その甘えた考えが、どうしても抜けきれないのだ。死んだはずの世奈さんとこれからずっと暮らしていくことがどれほど辛く険しい道なのか、幸福に慣れ始めた今なら考えることができる。これから暮らしていくのなら、世奈さんが抱える問題は僕の問題でもある。
なら、訊かなくてはならない。
「世奈さ・・・」
僕がその一歩を踏み出そうとしたその瞬間、家のインターホンが鳴った。
僕は出しかけた言葉を、驚きと共にひっこめる。世奈さんは僕の方を窺うように見てきた。
「どうかした?裕くん」
「・・・いやなんでもない、ちょっと出てくるね」
僕はテーブルから立ち玄関に向かう。この時間に誰か来ることは滅多にない事だ。実家からの宅急便だろうか。
そんなことを考えながらドアノブに手をかけ、開ける。
「はい、どちらさ・・・まっ!?」
「おう、久しぶり」
そこにいたのは僕の唯一無二の親友、河合 修一だった。
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