第10話 アルバイト活動

「うーん・・・」


スマホの画面をにらみながら小さく唸る。スマホの画面にはバイト先の候補が映し出されていた。


「どれにすればいいかわからない・・・」


今までバイトをしたことのない身の僕にとっては、まさに一寸先は闇。何が起こるか分からないから簡単に決められない・・・そんな状況だ。


「お風呂先にいただきましたーってあれ裕くん、もしかしてバイト先探してるの?」


後ろからふわりとシャンプーの匂いが漂い、僕の鼻孔をくすぐる。お風呂上がりの世奈さんが僕の後ろにぴったりとくっついてきたのだ。


「せ、世奈さん!?」


じんわりと火照った体。少し湿った髪の毛。背中に感じるやわらかい感触。

すべてが僕の理性をそぎ落としていく。


「ち、近い・・・って」

「んー、そうかなぁ」


世奈さんの顔が、鼻の先が触れそうなほど近くにあって思わず声が漏れる。


「は、はなれて・・・」


何とか理性を保ち、世奈さんに話しかける。


「ああ、ごめんごめん」


世奈さんは僕の背中からぱっと体を離し、隣に座った。それでもシャンプーの匂いは僕の鼻に余裕で届いてくる。というか本当に僕と同じシャンプー使ったのだろうか、あまりにも良い匂いがすぎる。絶対他のシャンプー隠し持ってるだろ。


「ふーん、いろいろあるんだねー」


世奈さんがスマホの画面を見て言った。スマホの画面をスクロールしては「ふーん」「へー」と声を漏らしている。時には「ええっ!?」って声も。いや、何見て驚いてるのめっちゃ気になるわ。


「決めあぐねててさ、世奈さんは何がいいと思う?」

「んー、そうだねー。裕くんはなんでもできそうなイメージだけど」


世奈さんの中での僕のイメージはどうなっているのだろうか。とりあえず他人から「何でもできそう」と言われたことなど一度もなかった。


「塾の講師とかは?裕くん、子供にも優しくできそうだし」

「塾の講師かぁ・・・時給は良さそうだけど学力がなぁ」


世奈さんはさらにスマホをスクロールする。


「あ、カフェの店員だって!おしゃれでいいんじゃない?」

「なんかいかにも陽キャのバイトって感じで苦手だなぁ」


なんか、コーヒー豆の代わりに自分が焙煎されそう(偏見)


「わがままだなぁ」

「だって初めてだから・・・慎重にもなるよ」

「スマホ貸して」


世奈さんは僕のスマホを大事そうに抱えて、まじまじと見ている。

僕はそんな彼女を、頬杖をつきながら何となく見ていた。


「裕くん、これは!?」


世奈さんがいきなり大きな声を上げる。僕は思わず体をびくつかせた。


「な、なに?」

「これこれ!」


世奈さんはスマホの画面を指差して、僕に見せてくれた。


::::::::::::::::::::::::::


街の一角にひっそりと佇む古本屋。おそらく誰かに教えてもらわなければ気付けないような、まるでそこだけ違う空間のような雰囲気の店。

僕はその店を前にして、立ちすくんでいた。


「なんかめちゃくちゃ緊張する・・・」


初めてのアルバイト面接。私服かスーツどちらで行くか盛大に迷い、結局世奈さんの「私服で行っても大丈夫だと思うよー」の一言で私服できた僕。一応派手ではない、質素な服を選んだつもりだが、如何せん店長がどんな人か分からない。門前払いを食らってしまうのではないかとヒヤヒヤしながらそれでも足を踏みだせないでいる、そんな状況だった。


「ま、まあもしだめなら他を探せばいいか、よしっ!・・・いやでも心の準備ってのもあるし・・・そうだ、コインを投げて表なら入ろう!裏なら帰ろう!よーし・・・な、なにーぃ!コインが立っただとーっ!これじゃあどうすればいいんだ・・・」

「いつまでそうしてるのかね?あと、ぶつぶつ何か唱えるのやめんか。お客が逃げる」

「ひゃあああ!?」


突然話しかけられ思わず素っ頓狂な声を上げた。

気付くと店の戸は開かれ、中から人のよさそうなおじいちゃんが顔を出していた。


「あ、あのすみません怪しいものじゃないです!」

「怪しいものも何も、バイト希望の子じゃろ?ええから中にお入りなさい」


おじいちゃんは優しい声でそう言って店の中に消えていく。僕もそのおじいちゃんに続いて恐る恐る古本屋に入ってみる。

木造の小さな店だった。天井は吹き抜けで木組みが見えている。本棚が五列並べられていて本棚同士の間隔はギリギリ人が通ることのできる程度。

しかし、不思議と圧迫感はなく居心地のいい店だった。


「いらっしゃい」

「どわ!?」


いきなり横から話しかけられ、思わず悲鳴を上げてしまった。先程のしゃがれた老人の声とはまた違う、高めの凛とした声。その声の主の方に僕は視線を向けた。


「・・・なに、お化けに背中からコンニャクいれられたみたいな声出して」

「表現が独特ですね・・・」


僕より少し年下だろうか、高校生くらいの女の子がカウンターに座っている。茶色の髪をショートカットで可愛くまとめたその女の子は、まさしく「女子高生」と言った感じで可愛らしさと美しさを共存させているようなそんなイメージだった。

・・・なんだか変態っぽいぞ僕。


「あー、あんたがお爺の言ってたバイト候補か」

「あ、はい!そうです、よろしくお願いします!」


相手がたとえ女子高生に見えても、もしかするとこのお店の重要人物かもしれない。そう思った僕はとりあえず大声で挨拶をする。


「・・・なに、いきなり大声出さないでくれる?ちょっと引く・・・」


彼女はそう言うと、手に持っていた文庫本に目を落とした。

引かれたらしい・・・やっぱり帰ろうかな。


「ま、あんたの相手は私じゃないから。ほら、お爺が呼んでるよ」


そう言って女の子が指差した方向を見ると、先ほどのおじいちゃんが店の奥で手招きしていた。


「あ!今行きます!」


僕は本棚の間を縫って出てそのおじいちゃんのいる店の奥に向かう。本棚と服が擦れる音が、店にかすかに響いているのが聞こえる。それくらい静かな店だった。

店の奥に入ると、そこには質素だが綺麗に整った小さな休憩スペースが備わっていた。

椅子が6つと大きな机が一つ。扇風機が奥から冷たい風を送ってきており、とても居心地の良さそうな空間だった。

ここで本を読んだら一日中居られそうだな、と思いながら立っていると


「お座り」


と、おじいちゃんが椅子を差し出して勧めてくれた。僕は犬じゃないんだけど・・・


「あ、ありがとうございます」


僕は恐る恐る椅子に腰かける。おじいちゃんもゆっくりと腰かけた。


「今時の子は古本になど興味はないと思っていたが、ああゆう『あぷり』に頼ってみるのも悪くないのかもしれん・・・ところでうちの孫となに話しておったんじゃ?」

「いや・・・とくには何も・・・引かれましたけど」

「まあ、あの子も思春期じゃからの。多めに見てやってくれ」


そういってお爺ちゃんはフウっと息を吐いた。

このおじいちゃんほど「アプリ」を日本語っぽく言う人も珍しいが、この人がバイトアプリを駆使してバイトを募集したのだろうか。いやこの人じゃなくてきっとカウンターの子がやったんだろう。今の女子高生ってスマホを自分の手足みたいに扱えそうだし。


「なーに考え事しとるんじゃ?」

「えっ!?あ、えっと古本には興味はあります。本はよく読むので」

「話を露骨に逸らしたの。まあ、それならええんじゃ。その方が本たちも喜ぶ」

「本が・・・喜ぶ?」

「そうじゃよ、本は意思を持っておるからの。本だけじゃない、この世のすべてには魂が宿っとるんじゃよ・・・っと儂も関係ない話をしてしまった、さてさて」


おじいちゃんは僕を値踏みするようにまじまじと見てきた。

僕は思わず少したじろぐ。なんだか心のうちまで見透かされそうな気がする。嘗め回すように送られてくる視線に、思わず体を強張らせる。


「そんなにビビらんでもええじゃろう。ま、優しそうな見た目をしておるしええかのぉ。採用、じゃ。これからよろしくの」


おじいちゃんの適当な採用認定。そして一瞬の静寂。何を言われたのか自分の中で何度も繰り返し理解しようとする僕。

さいよう、サイヨウ、採用と言ったのか。


「・・・あ、ありがとうございます!」


ワンテンポ遅れて大きく返事をする。

僕の人生初バイトの勤務先が、その時決まったのだった。

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