第4話 お別れ
世奈さんが彼女になってからの日々は、それまでとは比べ物にならないほど鮮やかで愛おしいそんな毎日だった。
世奈さんもこれが初めての交際らしく、二人で分からないなりに頑張ったのを覚えている。
大学の授業が無い日は、二人で以前のように公園やカフェで会話や読書を楽しんだ。
付き合ってから変わったことといえば、寝る前に三十分だけ電話をするようになったということだけ。けれどその三十分がいつも僕を幸せにしてくれた。
世奈さんは時々、僕に申し訳なさそうに尋ねた。
「いつも同じで退屈じゃないかな・・・?」
確かに世奈さんはあまり遠くに行こうとはしなかった。普段は15分電車に乗って隣町のショッピングモールに行くのが、一番遠出のデートだった。
たった一度だけ、クリスマスに特別に遠出したことはあったが、それ以前もそれ以降も遠くに外出することはなかった。
けれど、僕はそんな彼女との交際を退屈に感じたことなど一度としてなかった。
僕だって、別段旅行や遠出が好きというタイプではなかったし、そもそも世奈さんの笑顔を見れば退屈の二文字なんてどこかへ飛んで行ってしまう。
だから僕は、いつもその質問に
「世奈さんがいれば退屈なんてしないよ」
と言ってから、恥ずかしくなって赤くなるという、いかにもなバカップルぶりを発揮していた。
ある時不意に彼女の方を見ると、彼女もそっぽを向いてしまっていて
その耳は、夕焼けのように真っ赤になっていた。
そんな世奈さんとの生活が続いて秋が過ぎ、冬が明けて、春が来た。
これからもこの幸せな生活が続いていくとそう思っていた。
だけど、彼女と共に夏を迎えることはなかった。
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「そういえば」
それはいつものようにカフェで談笑していた時だった。
「世奈さんの誕生日っていつだっけ?」
僕はコーヒーを啜りながらさりげなく彼女にそう聞いた。ティータイム中の小話がてらにふと知りたくなったからだった。
しかし待ってみても答えは返ってこない。僕は不思議に思い、世奈さんにもう一度聞いてみる。
「世奈さん?誕生日って・・・」
「裕くん」
世奈さんは珍しく低い声で僕の名前を呼んだ。低いというかドスの聞いた声というか・・・
これは間違いなくパターン青。完全に怒っている。世奈さんの怒ったところをあまり見たことのない僕は、思わず姿勢を正した。
「彼女の誕生日を覚えてない彼氏って・・どうなのかな?」
世奈さんは微笑みながらそう言って・・あ、目が笑っていない。
「あ、はいえっとですね・・」
「どうなのかな?」
「ダメだと思います、許してください」
だめだ、世奈さんやっぱり怒ってる。完全に僕が悪いけども。
そんな風に小さくなっている僕を見かねたのか、世奈さんはため息をついた。
「教えてほしい?」
「まあ・・・差し支えなければ・・・この愚弟にも教授していただきたく存じます・・・」
世奈さんがこんなにもSっ気を出してくるのも珍しい。というか出会ってから初めてかもしれない。こんなに長く付き合っているのに、また新しい一面を見られたことに喜びを感じつつ僕は容赦を求めた。
「五月二十四日です」
「え、それって・・・」
ちょうど一週間後だった。うん、これは怒りますわ。
「えっと・・・」
「誕生日プレゼント、期待していいってことだよね?」
世奈さんは静かに笑ってそう言・・あ、まだ目が笑っていない。
「ほんっとにごめん!」
僕は両手をすり合わせ、世奈さんに恩赦を求める。
「まあ・・いいけどね。私もこれから謝らなくちゃいけないこと、あったし」
世奈さんはどこか遠いような、悲しい目でそう言った。なんだろう、胸のあたりが妙にざわつく。
「世奈さんが謝ること?」
「えと、誕生日まで。つまりこれから一週間会えないんだ」
世奈さんは俯きながらそう答えた。確かに一週間も会えないのは残念だけど、そこまで落ち込むようなことだろうか。
「それは、どうして?あ、けど電話はできるんだよね?」
「電話もできない。理由は答えられない・・・」
世奈さんの声が震え始めたのが分かった。世奈さんは滅多に自分の感情を公の場で出すことはない。だからこそ、ただ事ではないということが分かった。
そんな世奈さんに、これ以上問い詰めるような真似は僕にはできなかった。
「分かったよ、世奈さんを信じる」
だから、笑顔で送り出すことにした。それが最善だと思った。
「その代わり、誕生日は盛大に祝うから。誕生日プレゼント、期待を上回るの用意しておくから。いってらっしゃい」
世奈さんはその言葉に目を潤ませたようにみえた。けど、それをどうにか押しとどめるように一度ぎゅっと目を瞑った。
そしてゆっくりと目を開け
「ありがとう、行ってきます」
と言った。
そしてそれから六日後、世奈さんが亡くなったという報せを受けたのだった。
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