第2話 初デート

初めて出会った彼女は車椅子に乗っていた。

僕は話しかけるか三秒ほど迷ってから、彼女に声をかけた。


「け・・・手伝いますよ」


噛んだ。そういうとこだぞ、僕。

そういった僕の声は風邪のせいでひどくしゃがれていて、声の小ささも相まって、自分でもほとんど何を言っているのか分からないくらいだった。


「えっ?」


話しかけられた彼女は、体を少しだけびくつかせると、こちらに振り向いてくれた。

その時初めて彼女の顔を見た時の感動は今でも覚えている。

その大きい瞳も長いまつげも、綺麗なセミロングの黒髪も、そして『この人いまなんて言ったんだろう』と言いたげな可愛い顔も、すべて僕の目に焼き付いている。

いわゆる、一目惚れだった。


「あ・・・えっと、その一番上のお茶押してもらえますか?」


その少し戸惑いを含んだ声も、小さな鈴を鳴らしたような上品で可愛らしかったのを覚えている。つまりは僕が生涯出会ってきた女性の中で、その子が一番可愛かったということだった。

僕は言われた通りに、自販機のボタンを押した。あ、この子は○鷹派なんだ。僕は爽○美茶派、あの麦茶っぽい感じが好き。


ガシャンと聞きなれた音が響き渡る。


「ありがとうございます」


彼女はそう言ってほほ笑んだ。その時僕に見せてくれた笑顔は、外で照っている太陽よりも眩しくて、僕は思わず顔をそむける。完全に女の子に慣れていない陰キャムーブ。大学生にもなって彼女も作れていない男の末路。


「どうしました?」

「う、うわあ!?」


彼女が下から僕の顔を覗き込んでくるので、僕は思わず声を上げた。

院内に僕の声がかすかに響いて、思わず下を向く。


「あ、すいません!驚かせましたか?」


驚いたに決まっている、こんなかわいい子に顔を覗き込まれるなんて。

今の驚きと先ほど声をかけた時の緊張が相まって、さっきから心臓が鳴りやまない。


「ぼ、僕も飲み物買いに来たんですよ!」


僕は小銭をそそくさと自販機に入れ、本当は水が欲しかったのにも関わらず、勢いでコーラを購入してしまう。

聞きなれた音がもう一度響き渡る。しまった、どうしようこれ。


「そ、それじゃ・・」

「あ、待ってください」


買うつもりのなかった、キンキンに冷えてやがるコーラを手に持ち、そそくさと立ち去ろうとした僕を、彼女はなぜか引き留めた。


「えっと、どうしました・・・?」


僕は恐る恐る彼女に尋ねる。何か気に障ったのだろうか、受け答えに公序良俗に反するものは無かったはずだが。


「私、この病院に入院中でとっても退屈なんです。お話、しませんか。見た感じ、私と同じくらいの歳みたいだから」


彼女はそう言って、先ほど見せてくれた笑顔とはまた違った、儚げな微笑みを見せてくれた。うん、この顔も可愛い。


「えっと、いいですけど・・・」


そんな顔を見せられては断ることなど、女の子耐性0の僕にはできなかった。そんな僕の答えに彼女は、ぱあっと顔を明るくし、


「ありがとうございます!じゃあ、こっち」


と方向を指差したのだった。


車いすを頑張って手で回す彼女に導かれ自動ドアをくぐると、そこにあったのは病院の中にある庭園だった。様々な色、種類の花が咲き誇るさまは圧巻の一言で、普通にお金を払って見に来るレベルだなぁと夏風邪でぼんやりした頭で思った。


「あそこにしましょう」


そう言って、彼女が指差す先にあったのは何本ものアーチを組み合わせてできたような、ドーム状の休憩スペースだった。ガゼボ・・・って言ったかな?

辛そうにしている彼女に声をかけ、後ろから車いすを押してドームに向かう。

ドームは日陰になっていて、夏の暑さから身を守ってくれていた。


「じゃあ、何から話しましょうか」


そして彼女は備え付けられたテーブルに手をついて、そう切り出したのだった。


思い返すとそれが、彼女との最初のデートだった。

そこから僕は一週間、彼女とその病院の庭にあるドームで、毎日コーラを片手に様々なことを話した。

彼女の名前が春野世奈であること、彼女の病気が治りかけていて、退院間近であること、彼女が自分と同い年の十九歳であることなど、彼女との会話を通して色々知ることができた。

特に彼女は本が好きで、読んだ本の話をとても楽しそうに話してくれた。


そして一週間後、僕の最初の転機が訪れた。


「春野さんは大学生なんですか?」

「はい、一応は。けど入院しちゃったので、今期の単位は怪しいですけど・・」


彼女はバツが悪そうに笑いながらそう言った。


「どこの大学ですか?」


僕はふと気になって、彼女に尋ねた。


「○○大学です、推薦で一応入学できて・・・」


返ってきた返事に僕は驚く。


「え!?僕と一緒じゃ・・・じゃないですか」


思わず友達と話す口調で言葉を発しそうになり、寸でのところでそれを飲み込む。


「ふふ、無理して敬語で話さなくても大丈夫だよ、学年、一緒だし」


「あ、じゃあ普通に・・・じゃあ退院した後も会えるかも」

「そうだね・・・」


世奈さんがそう言い終えた途端、僕と彼女の間を静寂が流れた。そう、僕と彼女のこの日課は、彼女が入院していたからこそ成立していたようなものなのだ。

このままでは、世奈さんが退院すればまた干渉し合わない他人同士になってしまう。

僕にはそれが、ひどく受け入れがたい現実のように思えた。

・・・だから僕は、考えるよりも先に口に出してしまった。


「せ、世奈さんが退院しても・・・またこうして一緒に話したい・・です」


再び静寂が訪れる。世奈さんからの返事はない。

僕は顔を伏せてしまい、世奈さんの顔が見えない。

世奈さんが今どんな表情をしているか分からない分、不安が一気に押し寄せる。


「・・・ふふ」


鈴の音を鳴らしたような笑い声が鼓膜を震わせた。

僕は思わず顔を上げる。


「ふふ、いやまた敬語になってるから・・」

「い、いやそれは緊張して・・・ってそうじゃなくて!」


自分でも何を言っているのかわからない。ああ失敗したかも。

いつもそうだ、大事なところで僕はヘマをしてしまう。

ほら、今だって彼女は嬉しそうに笑って・・・ん?


「いいよ、私は。裕斗君と話すとなんだか、落ち着くし」


 しかし彼女の次の言葉は、それだった。

青天の霹靂とはまさにこのことだった。広辞苑に載せたいくらいだった。

僕は自然と上がり始める口角を何とか押しとどめて、席を立った。


「じ、じゃあ今日はこの辺で・・また明日」

「うん、また明日ね裕斗君」


その言葉さえも、神からの贈り物のように僕は感じられた。

その日がこれまでの人生のなかで二番目にうれしい日だったと僕は記憶している。一番目は、他にある。絶対にそれは外せない。

そしてこれは余談だが、その帰り道スキップをしながら鼻歌を歌っていると警察に職務質問された。人生で最もビビった瞬間だった。

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