僕を知る君を、僕はまだ知らない~生き返った彼女が別人のようだった~
ハンズ
第一話 出逢い
真夏の暮れの夕日が鳥居の影を東に伸ばし、遠くでツクツクボウシが規則的に鳴いている神社の境内。
額に汗を滲ませながら、僕はその場に立っていた。
目がひどく腫れているのが自分でも分かる。きっと昨日もいつものようにひとしきり泣いたからだろう。
眠ろうと目を瞑っても、瞼の奥に彼女が映るから。
「・・・っ」
また思い出しそうになり、誤魔化すように時計を見る。時刻は午後6時を過ぎたところ。境内に差していた夕日も目に見えて陰っていくのが分かった。もうすぐ日が暮れる。
「・・・よし」
僕は境内の奥、拝殿に歩を進める。
参道に散らばった砂利が、靴の裏でじゃりじゃりと鳴った。
厳かに佇む拝殿へ続く階段を一歩一歩踏みしめ、登る。
彼女に渡すはずだった「アレ」がポケットの中にあるのを今一度確かめる。
そして拝殿の前で両手を合わせ僕は強く、深く願った。
集中するためにぎゅっと目を瞑ると、境内に響くツクツクボウシの鳴き声が聴覚に集中した僕の神経を嬲る。
『ああ、邪魔しないでくれ。僕は今、必死なんだ』
僕は誰でもない虚空にそう訴えかける。
分かってるんだ、こんなことは無駄だってことぐらい。けど諦められないんだよ、だって好きなんだから。藁にすがる権利は、僕にだってあるはずだ。
奇跡なんてものは無い。人が「奇跡」と呼ぶモノは、因果律に則った事象に過ぎない。
人間はそこに夢や希望を見出したいから、その事象を「奇跡」と名付ける。
そんな捻くれた考えを持っている時点で僕に奇跡なんて起こらないことなど、僕が一番知っている。
けれどもし叶うのなら、もしこの世に「奇跡」があるのなら。
この僕にそれが許されるのなら。
「もう一度、彼女に逢いたい」
僕は強く強く願った。
目に痛みが感じるまで強く瞑り、両手を擦り切れさせるように合わせ、僕はできる限りの力をもって願った。
祈り続けて、願い続けて、抗い続けた。
何分経っただろう。ツクツクボウシの鳴き声はさらに小さくなり、代わりにコオロギのような虫の声が大きくなっていくのが分かった。
僕は、ゆっくり目を開ける。目の前にもしかすると彼女がいるかもしれないという一抹の期待を抱いて。
しかしそこにあるのは拝殿と賽銭箱のみ。
一気に腹の奥に鉛が落ちたような気がした。
「・・・だよな」
知っていた。こういう結末だと、初めから僕は知っていた。知っていた上で抗い続けたのだ。
そもそもマンガじゃあるまいし、叶うはずないじゃないか。これでやっと諦めもつくというものだ。
なのに、なのに、どうして泣いてるんだよ僕は。
目の前が霞んで風景がぼやけていく。
なんで涙が止まらないんだ、どうしてこんなに悲しいんだ。
分かっていたのに、分かっていたのに、いい加減あきらめろよこの馬鹿。
お前が泣いても、そこに彼女はいないだろ。
けれども涙は止まらない。溢れ落ちた涙は足元の石畳を黒く湿らせた。
「・・・うう・・うあ・・・う」
僕はその場にうずくまる。
世界中の悲しみが一気に僕に押し寄せてきたような、そんな気分だ。
もう何も聞きたくない、彼女の声以外、何も。
もう、何も聞こえない。冷酷な静寂が僕を包んだ。
「裕くん」
静寂の闇に一筋の光が差す。僕は思わず、塞いでいた顔を上げた。
いよいよ幻聴まで聞こえ始めたのか、そう思いながらも期待を抱き立ち上がる。
「裕くん」
しかしその声は消えない。僕の心をとらえて離さない。
僕は思わず、声を漏らした。
「・・・世奈さん」
彼女の名前を呟く。噛みしめるように、確かめるように。
「裕くん」
声のするほうに僕は振り向いた。
人影が見える。しかし涙で霞んで見え辛くて僕は目を乱暴に擦った。止まらない涙をどうにか押しとどめる。
ああ、くそ。まだ涙は止まらない。もういい、どんな泣き顔を見られたところで構うものか。そこに彼女がいてくれるなら。
そして僕は、強い願いと共に前を向いた。
「裕くん」
確かにそこに彼女は、春野世奈は立っていた。
僕の目の前に立ち現れた光景はまるで世界中の「奇跡」をそこに集めたように綺麗で、神秘的で、そして愛おしかった。
彼女は溢れんばかりの笑顔で、確かに「彼女」であるはずのその顔に見覚えのない、屈託のない眩い笑顔を浮かべて
「久しぶり」
と一言、言ったのだった。
:::::::::::::::::::::::::::
僕、浜松裕斗に彼女が初めてできたのは去年の秋だった。
大学一年目、新生活に慣れ始めた時、彼女いない歴=年齢だった僕は彼女に恋をした。
件の彼女、春野世奈との馴れ初めを話すと十人中九人はきっと驚くだろう。
なにせ彼女と初めて出会ったのは、合コンでもSNSでもなく病院だったのだから。
「・・・夏前に風邪ひいて炎天下をウォーキングとか・・・運悪すぎだろ」
夏休み前に夏風邪をこじらせた僕は、一人で病院に向かっていた。
照りつける太陽にさらされ、アスファルトから反射する熱が僕を熱する。
まるで、オーブントースターで焼かれているようだった。
・・・まあ、オーブントースターに焼かれた経験はないけれども。
耳鼻科のクリニックよりも大きい病院が下宿先のアパートから近かったのと、夏風邪の状態でバスなどの乗り物に乗るのは弱りきった三半規管を必要以上に虐げる恐れがあると考え、重たい手足をどうにか動かして徒歩でその大きな病院へ向かった。
しかしその選択が、人生の中で最善の選択だったと僕は常々思う。
そこで僕は、『彼女』と出会ったのだから。
病院は、平日の昼間の割に多くの人で混雑していた。やはり大きい病院に来るべきではなかったと後悔しながら診察を予約し、備え付けられえた椅子に座る。
病院の院内に響くアナウンス音、キャスターを引くカラカラという音、音、音、音。
体調を崩し弱りきっていた僕には、その音がやけに煩わしかった。
「のど、乾いたな」
外を見ると、真夏の太陽がぎらぎらと照り付けていて、よくもまあこんな地獄をこの状態で歩いてきたものだと自分でも感心するくらいだった。きっと診察の時に医者にこのことを言ったら怒られるだろう。
・・・よし、バスで来たって言おう。あ、でもそれだと他の人に移すかもしれないからまずいのか。うーん、それだと正直に徒歩で来たって言う方がいいのか・・・。
やけに重く感じる体をどうにか持ち上げ、そんな下らないことを考えながら、喉の渇きを癒すことのできるオアシスを探索しに行く。
待ち時間を過ごすための暇つぶしがてら、ついでに病院を見て回る。やはり大きな病院なだけあって冒険のやり甲斐がありそうだった。
と僕の少年心がくすぐられていたその時、オアシスと成りうる人類の利器である自動販売機を発見する。
「・・・ちょっと残念な気がするけど、喉の渇きには代えられん・・・ん?」
普通の自動販売機を見つけた時は、もちろんこんな疑問の声は出さない。つまりはその自動販売機が他とどこか違う点があるわけで
「うーん、もうちょ・・・っと」
自動販売機の前で唸っている彼女が、その原因だったわけで。
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