第14話
『白嵐様っっ!あれは…』
白嵐と天空は北を目指し、広がる広大な平野に降り立った。
『天空…』
『はい…これだけ広い平原に此処にだけ不自然に月季が咲いている…』
『……以前紅露は私を庇い血を流した事がある。その後そこには見事な月季が咲いた…これはそれと同じではないのか?』
紅露が負傷している可能性に白嵐は激しく動揺した。ただ憤るだけではなかった天空は地の底から這い上がり今にも噴出せんとする溶岩のように地面を激しく揺らし始めた。
『いえ、お待ちください白嵐様。これが紅露様の月季とは限りません…まだ分からぬ事で感情的になるのはお勧めしません』
『お前は随分落ち着いておるの…紅が攫われ…全身の血が沸る程の怒りとそしてこの喪失の恐怖がお前には分かる筈もないのだな』
『……申し訳ありません私は白嵐様に仕える者。感情というものがありません。喪失の恐怖も怒りも…どの様なものか…しかし白嵐様も感情というものがいつ芽生えたのですか?やは下界へ転生するからでしょうか?』
『確かにお前たち眷属は自然の力で生まれたるものだ…だが感情がないという事に於いてはそう思い込んでいただけでもしかしたら間違いであったかもしれぬ。炎夏や那珂が下界遊びを色々言うが感情を知るのは心地悪いものではないぞ。』
『月季の仙女…まだお目にかかった事はありませんが、白嵐様から微かに香る芳香に思う事がございます。確かに月季の香りは…負の感情を取り去り不安定な心を立て直します外傷ではなく心の傷をも治癒するのでしょうしかしあまり特別な感情を1人に持つのは感心せぬと言いますか…心配と言いますか』
『……』
『分かっておる…この私もそうだ。知らぬ感情を知り戸惑いもある。だがこの湧き上がる何かには名前がついておるのだ…幾千年生きて初めて知る感情だ…だとすれば我より遥かに歳のいった朱雀や青龍は当然、玄武など一番爺さんだからな色んな感情を知っておるに己以外に【感情】を持つのが愚かだと笑うのだ。特に人間に対しては愚か者の極みだと…』
『……でしたら今紅露様を攫った男にはどんな感情があるのですか?』
『……もしもこの月季花が紅露の流した血液から生まれたものならば容赦はできぬだろう直ぐさま殲滅してくれる』
白嵐は表情もなく言ってのけた
『いえ、白嵐様…それはなりません。神というものは感情に左右されるのは危険なのです。ですから正の感情も負の感情も持つべきではないのです』
『べきではないと言うは簡単だが、勝手に湧き出でる感情に蓋はできぬ。もう遅い』
『……私はその月季の仙女に些か腹立たしさを覚えます。我が主人をかように狂わせてしまった…もしも新手の妖の手ならばとんでもない事ですよ…』
『天空!口が過ぎるぞ』
『はっ申し訳ございません。ん?白嵐様…この外套は…紅露様を攫った男のものでは?胡蝶から同じ香りがしました。それから月季の香りも…やはりこれは紅露様の…』
地面に残された男の外套で手掛かりをつかむ。
『……』
『行くぞ天空。何をしておる…』
『あ、いえ別に…このまま北へ向かって月季の香りが続いております…そう時間が経っておるとは思えませぬ。このまま我々も北へ向かいましょう』
『このまま行けばすぐに追いつく…』
『……』
すぐ傍まで白嵐が近付いている事も知らずに紅露は六合の立髪にしがみついていた。
風が耳元で悲鳴を上げるようにひょうひょうと鳴く。風の如く草原を駆け抜ける六合を紅露は心配する。
『あの…六合様…』
『はい。どうされました?』
『疲れたのではないですか?少し休まれては如何です?私を乗せたまま…しかも水馬に変化したまま陸を走るのですよ?大変な労力ではないですか?』
『貴女が疲れたのであれば休みますよ。ですが私には疲れなどありません…それどころか力が漲るようです。貴女の治癒の能力のお陰でしょう』
『そうですか?だったら良いのですが…』
『馬の背にこうも上手く乗りこなすとは…さてはあまり大人しい仙女ではありませんね?』
『まぁ!確かにあまり大人しくは…』
『そうだ。青龍様の座す池は幾つか水溜りになっておりまして、そこにはいつの頃からか美しい蓮が咲いております…蓮の仙女が住んでおりましたが私が命を受けてから会っておりませぬ…青龍様も勝手に住まわれて怒っておりましたが…今はどうなっておるやら…』
『蓮の…では青龍様の所に静芳様が…』
『ご存知ですか?』
六合は僅かに速度を落とした。
『はい勿論。私には98人の姉弟子がおり、静芳様は百花仙子様に仕える麻姑様のすぐ下の仙女です…優しくていつも…私が母を恋しがって枕を濡らす時、必ず寝所にやってきて背を撫でて寝かせてくれました…姉上の様な…』
『そうでしたか…今花仙女達は皆散り散りに?』
『はい…仙界を追放され、私たちが乗った雲に大穴が空き皆は風の流れのままに飛ばされました…ですから皆バラバラで…時折風達の噂でしか…』
『……貴女のせいではありませんよ』
『え?』
『物事には無意味な事はありません。貴女がきっかけとなったかもしれませんがそれによって百花仙子を含む100人それぞれに学ぶ意味が生まれたのです。ただ貴女には他の仙女達とは違う複雑な学びがあるのでしょう。』
『………』
確かに西王母の娘として、次期西王母を継ぐ者として、より複雑な学びがあるのかも知れぬと六合の言葉に納得した。
『すみません…老婆心…いえ、老馬心かな…そんな風に見えたものですから…差し出がましく物を申しました』
『いえ!とんでもありません…ずっともやもやとした何か棘の様なものが喉の奥に刺さっておりましたが…今は取り払われたみたいに心が晴れやかです…ありがとうございます六合様』
『いえ、私は何も…所で紅露様…我々はあの男をとうに追い越したようです。途中の村へ立ち寄っておるようだ…やはりただの人の足だ…』
『では先回りして街の囚われた子を解放しましょう…』
『はい…では私と貴女は兄妹として入り込むと言うのはどうですか?姉弟でも良いですが…2人とも同じ年頃に見えるでしょう』
『は、はい。大丈夫です…いえ、六合様の方が幼く見えるので姉弟にしましょう?』
『親を亡くした双子にしましょうか』
2人はこれまで見てきた村とは違い大きな街に足を踏み入れた。関所として成り立ち、交通の要所である北の街を【黄街】と人々は呼んだ。
煌びやかな街並みは異国の様だった。
『六合様…私…初めてこんな街を見ました…』
『はは。昔から此処は余り変わっておりませんね大きな河があるでしょう?河港の街ですから色んな地域のものが集まります。川を越えればもう管轄が玄武様の方位になりますね』
『はぁ…では…六合様は東西と北へ旅して参ったのですか?』
『そうなりますね…散歩にしては長い旅路だ…』
あっけらかんとして笑う六合に釣られて笑う紅露である。
『で、これから向かう豪商の屋敷は街の一番奥です…良いですか?最初に言った言葉を覚えていますか?』
『??』
『見た目に騙されないで下さい。そう申しました。貴女は私が御守りしますので』
街の大きさに狼狽える紅露に六合は気負わぬようにと微笑んだ。
『い、いいえとんでもありません。こう見えて私はかなり腕が立つのです。心配には及びません』
『はい。何事もなく事を終えましょう』
紅露は頷いた。
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