第13話

紅露が目を覚ましたのはまだ夜も明け切らぬ黎明の刻。

目覚めて最初に目に入ったのは啓明(明けの明星)の明滅である。


『ん…あれは…』


『目覚めましたか?…ん?ああ、太白の光ですよ啓明とも言いますが…月のすぐそばに付き従う。私達眷属や式みたいなものですかね』


六合の声は心地よく耳に触れる。


『啓明という事は朝ですか?眠ってしまって…』


何か柔らかいものを枕にしていると起き上がるとそれは水馬の姿をして横たわる六合だった。


『わっ…ごめ…ごめんなさい…』


『もう少しこのままでも大丈夫ですよ…朝方は冷え込みます…私にとっても助かりました』


『そ、そうですか…しかし四神にお仕えする方を枕にするなど大変失礼を致しました…』


『いえ…此方も心地よかったですよ…仄かな香りも見事だし』


『……』


六合の発言に当惑しながら紅露は幾らか乱れた髪を整えた。


視界に広がる地平線からは日が徐々に上り出し、そこ此処から靄が湧き出しているのが見て取れる。どうりで冷え込む筈だと腕を摩る。


『寒いですか?』


『ああ、ええ…少し…どれくらい眠ってしまったのかしら…』


『そうですね…ニ刻程でしょうか…余程疲れたのでしょうね…眠ってしまうなど仙界や天界の者は滅多にありませんから…』


『…姉弟子や師を仙界から追放するきっかけを作ってしまって……失意しこのまま枯れようと思った事があり、それからいくらかは回復したのですがどうもこういった傷を負うと眠ってしまうようです』


『人間も神も仙人も気力というものが核になる…と我が主人の青龍那珂様が申しておりました…』


『よくわかります』


『ではもう少し休みましょうか…私も実は途方に暮れていたのをあの男に捕まってしまったので…気力で生きる力を無くすという事には理解があります…実際少しばかり自棄になりかけましたし』


『まあ、本当ですか?六合様はそんな風に見えません』


『意外とそんな所もあります』


この理知的で思慮深い六合の瞳は恐らく紅露を気遣った事であると物語っている。


横たわる馬の六合は温かかった。紅露は安心して体を預けた。

白々と明ける夜明けの微かな音が耳に届く。


『地上の夜明けというのは不思議な世界ですね…美しい。地上に来るまで知りませんでした…』


『はい…あ、そうだ六合さんの途方に暮れた理由は何なのですか?もし何か手伝える事があればお手伝いしますよ』


『え?』


『暖を取らせて頂いて礼もせぬのは心苦しいし』


紅露の発言に驚く。頭を上げて紅露を覗き込むが至って大真面目な表情である。


『あ、まずい…すみません』


六合が一言呟いたかと思うと蒸気に包まれあっという間にその馬の姿が人型に変化した。


馬の腹を枕としていた紅は六合の腕の中で仰天する。


『なっ…どうしたんですか?』


『はぁ…やはりアレがないと…』


『アレ?』


『実は…私あまり変化が得意ではなく…調査の為にやってるだけなので感情の起伏によって解けてしまうのです。それで那珂様が特別に鱗を貸して下さいました…』


『鱗…ですか?』


『はい…那珂様の81枚の鱗の中に1枚だけ逆さについた鱗があります。それが嬰鱗というもので非常に強い力が蓄積されております…大変美しく日に透かすと虹色で…それがあれば私の変化も安定するのです。那珂様との連絡にも使えるものなので無くしてから私の変化力も不安定でおまけに那珂様との連絡手段も失って途方に暮れておりました。そうでなければあんな人間などに捕まる筈ありません。

一時的な借り物なのに失くしては怒りに触れてしまいます…那珂様は普段はお優しいですが怒ると大変なんです…』


『感情で変化が解けるとは…ん?では今何かあったのですか?』


『それは余りに貴方がいじらしく見えて…』


『い、いじらしく?礼をするのがですか?』


『そう思いませんか?私の為に体を盾にし傷だらけになった貴女に礼をするのは本来私の方なのに…』


『あ…本当ですね…』


『そんな貴女ですから放っておく気になれませんでした』


『………』


紅露は六合の言葉に答えようもなく更に困惑しながら俯いた。

俯きながら六合に身体を預けたままだった事に気付き急ぎ身体を離した。


『す、すみません…』


『いいえ。また寒ければ言って下さい』


少年の様にも精悍な青年の様にも見える六合は微笑んだ。


『男に捕らえられあの村の付近で急な豪雨に見舞われたが…全くの不幸でも無かったか』


そう呟いた言葉に李順と胡蝶を思い出す。


『……胡蝶は無事だったかしら…そうだ!』


紅露は立ち上がると大きく息を吸い込む。

風に衣が翻りその美しい光景に六合が目を細めている事すら気に留める事はなかった。

片手を天に向け、もう片方を地に向ける。目を閉じ何やら念じるとそこら中の草に付いた朝露を集めた。


キラキラと陽を弾きながら朝露は手桶程の水溜りとなり浮遊しながら紅露の前で止まった。


六合は不思議に思い覗き込むと小さな子供達が見える。


『胡蝶!李順…良かった2人とも無事だったんだわ』


胡蝶と李順の姿が映り込んだのを思わず声を上げて喜ぶ紅露


『これは…水鏡ですか?』


『はい。のようなもの…と申しますか…以前水溜りでも出来たので朝露を集めたらできるかと…あ、これは…誰かしら』


2人と共に見た事もない老婆が映る


『ふむ…白嵐様の太陰ではないですか…』


『白嵐様の?』


『四神の会議ではいつも天空と太陰を連れてきていますよ』


『…白嵐様…』


『ん?月季の香りが?』


白嵐の名で月季の香りが強く漂う。


『でも、良かった。白嵐様はこの子達を大事にしているから…』


『ああ、確かに那珂様も炎夏様もいつも笑っておられますよ…人間など可愛がっても仕方ないと…』


『白嵐様は情深い方です…ですから私も白嵐様の大切なものを守りたいと思いました…私も愚か者なんですきっと』


『……』


『さて、ではそろそろ男を追いましょう。その集めた朝露を私に振りかけて頂けますか?恐らく気力が安定すると思われます』


『あ、はい…こんなかき集めた朝露でも良いのですか?』


そう言いながら朝露を六合へ向ける。

六合は頭上に移動した朝露に今度は自分で念じると頭から水飛沫を被った。


『ぬ、濡れて…』


『構いません。すぐ乾きますよ、では行きましょう北の街にて先回りしても良い。とにかく私の背に乗って下さい。』

六合は青鹿毛の馬の姿に変化した。

朝露に洗われた水馬は美しい立髪を風に靡かせている。


『は、はい…では…あの…でも私…』


『私は少年に見えるかも知れませんが貴方など軽々と持ち上げる事ができます…見た目に騙されないで下さい』


心配事を言い当てられ紅露は目を丸くした


『では…お邪魔します』


そういうと紅露は飛び上がり六合の背に跨った。

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