第12話
仰向けのまま馬の背に揺られている。
星々は瞬き揺れているように見える。
雲一つもなく、月は何も言わずただ横たわる紅露を見つめ返すばかりだった。
男が目隠しの為に被せた外套の隙間から周囲の様子までは把握できなかったが星の位置からは北に向かっている事だけは理解できた。
『……!?』
突然馬の足が止まる。
勢いで投げ出される紅露は後ろ手に捕縛され手も付けぬまま草むらに転がった。
見れば草原が広がる。
男の叫び声と馬の嘶きに振り返った。
『こら!こいつ…動けっ』
馬は鞭を振るう男に打たれながらも意に介さず悠然とした様子を見せながら動く様子はなかった。
男は怒りながら更に鞭を振り上げる。
紅露は思わず飛び出すと馬の前に立ちはだかった。
鈍い鞭打ちの音が響くと紅露の頬からは血が滲む。
『おやおや、お嬢さん又余計なことを…』
男に対峙する。
『美しい顔が台無しだ…だがその様に強気で睨み付ける仕草が好みの男はいる。』
紅露に近付くと手を伸ばし細い顎に触れた。
『威勢は良いが両手が塞がれ説得力もない…可哀想にな…私の趣味ではないが、今から連れて行く大店では傷だらけの弱った女子が好きだと言う者もおる。さぞいたぶられるだろうがどれだけ持つかな』
『……』
『だがこの老馬めが此処まで来たのに急に足が止まって動かぬ…夜の間に街に近付きたかったが…こやつめが…役立たずの老馬めせっかく拾ってやったのに』
苛立つように鞭を振り上げる。
『危ないっ…』
そうして男の鞭は紅露の右の肩へと振り下ろされた。
『辞めなさい…動物に乱暴を働くのは…長い距離に疲れたのでしょう…見たところ老馬ではない。美しい馬ではないですか…商人とは名ばかりか?目利きもできぬ節穴の目だ…』
『なにぃ??小賢しい……たかだか力もない妖風情が馬を庇うなど…そんなに鞭打たれたいか?なら希望通りに打ってやる』
そう言い男は苛立ちを発散させるように紅露を散々鞭打った。
月の位置が移動する。腕や足、腹や胸に迄その鞭打ちの痕が赤々しく腫れ上がり痛々しく見えた。
執拗な攻撃と余りの激痛に紅露は意識を失った。
『おいっ…なんだ?これは…』
紅露の流した血が月光に照らされると月季の茎が地中から生え出しそしてみるみるうちに花を付ける。
ふわりと香ると蕾が緩み花開いていく。
『な、なんだ…』
男はその有様に恐怖する。
『羅刹姫様と同じ種族か?ま、まさか…』
『……』
『これはまずい…もしも羅刹姫の仲間を傷付けたと知られたら…こんなもの連れ帰る訳にはいかん…』
男は慌てて草むらに穴を掘り意識の失った月季を隠した。
『……それにしてもこの月季花の見事な美しさ…不思議な香り…羅刹姫に見つからぬ様に別の街で花売りでも良いな…まぁ、何はともあれ先ずは一度戻ってからだ…月季の女…もしも私がもう一度戻る迄に息を吹き返しておれば私が養うてやるぞ。その前に鷲に喰われておらねばな』
馬の手綱を引き進もうとするが馬はやはり微動だにしなかった。
『ちっ…』
仕方なくまだ闇にありながら馬の背につけた荷台から必要な荷物を取り担ぐと紅露と馬を置き去りに男は去って行った。
月季の茎が伸び地中に埋まった紅露を引き出す。そして取り囲む様に花弁を撒き散らす。
花弁が触れ傷を治し瀕死の紅露に力を与えた。
『ああ…お前達…有り難う』
紅露は起き上がると立ち上がる。
警戒しながらも心配げに見つめる馬の頭を撫でた
『ごめんね…怖かったでしょう…痩せてるわね…でも落雷でも逃げ出さなかった勇気のある子だわ…あら…蹄に花紋。もしかして水馬?普段は水の中に住む水馬じゃないの?』
馬は紅露の言葉に驚き大きな鳴き声を上げた
『わっ…耳が…ほらやっぱり…聞いた事がある水馬の声は大声で耳が潰れると…』
言いながら笑い出す紅露
馬の体中がキラキラと輝き出し水蒸気を纏う。
『わっ…ビックリした…』
『花の…仙女様ですか…』
現れたのは美しい青年だった。青年というにはまだ年端のいかぬ出立ちに見える
『あ、貴方は…』
『お察しの通りに水馬です…水から上がっておったのをあの男に捕まり旅に付き合わされておりました…』
『まぁ…』
『で…その傷は…先程の男にやられたものでは…』
『あ、ああ。大丈夫。あの子達の力を吸い取ったら枯れてしまうでしょう?私は動ければ良いから…』
『私の代わりに鞭打たれその慈悲深さは命取りにならないかと心配してましたが…此処までとは…』
青年は腕を伸ばし紅露の額に手を当てた。
『大丈夫よ…貴方の傷を治して…』
『私は傷などありません』
『足…怪我をしているでしょう?』
『!?』
青年は驚く。そういう紅露の足を見遣ると己の傷より遥かに深く痛手を負っている。
にも関わらず反対に額に伸ばした腕から逆流した温かい気が流れ込み足の痛みは消えてなくなった。
『あ、いや…私が治療を…しかし逆に力を頂いてしまって…申し訳ありません』
『良いのよ…あの…私を北の街に送っていただけませんか?』
『え?せっかくあの男から解放されたのに…』
『ええ…でもあの男は北の街の大店には沢山の幼い子供を連れて行ってると言っていたから』
『ああ、そうです私も何度も運ばされました…もっとも途中で道に迷うたフリをして子を逃してきましたがそれもやはり限界があり…逃げ遅れ連れて行かれた子達の事は案じておりました』
『……耳にした以上見過ごすわけには行かないし…途中迄でも良いから…あ、水馬さんは水の中でないと自由に動けなかったわよね』
青年は観念する。
『……はぁぁ…仕方ありません私の本当の名は【六合】と申します…水馬に化けており…普段は東の青龍様を補佐しております。しかしここ暫く気の流れが不穏という事で水馬に化けて探っておりました…こちらはもう青龍様の管轄ではないのですが。よもやこんな所で花の仙女に遭遇するとは思いませんで…』
『そうですか…では無理を言ってはいけませんね。私に構わず任務を続けて下さい…』
紅露は一礼すると北に向かって歩き始めた。
『あ、いえ!そうではありません。水馬ではないので水中でなくても大丈夫です。むしろ足を治癒していただいたので貴方を背に乗せて走る事もできます』
『先程の雷で驚いて足を木にぶつけたんでしょう…大変でしたね』
『いえ…』
『あ、申し遅れました私は紅露と言います。月季の仙女です』
『あ…では噂に聞く百花仙子の…』
『はい、地上に落とされた99番目の弟子です』
『??あの…さっきから…震えて…』
『ああ、霜が少し…寒さに弱くて…』
『ではここへ…』
『え?』
六合が腕を伸ばし紅露を引き寄せた
『少しは温かいでしょう?』
『あ、いえそれは…大丈夫です』
『……貴方からは不思議な香りが…』
青年は腕をすり抜けようとする紅露から月季とは異なる微かな芳香に違和感を覚えた
『……白嵐様?』
『え!?白嵐様をご存知ですか?』
『ご存知も何も…私も四神の眷属ですので…会談の時は幾度かお目に掛かってますし』
『そうなんですか…白嵐様も最近は魔を払うのが忙しく…何か良くない事が起きているかもしれません…』
『………とにかく私もご一緒します。貴方は非常に心配だ』
『え?心配って…どちらかと言えば貴方の方が若そうですけど…青年というよりもまだ少年みたいに見えますよ』
『ははは見た目はそうです。ですが本当は白嵐様より歳かもしれませんよ』
『え!?』
『ははは』
目を丸くする紅露を尻目に六合なる青年はカラカラと乾いた笑い声を上げた。
この見知らぬ土地で白嵐を知る者との出会いに心は救われた。
その頃、白嵐はこれまで経験した事のない紅露が誘拐された事実に猛烈な焦りと怒りの感情の渦中にいた。
天空の提案で村へ戻る。
『ま、待ってください白嵐さま!』
『なんだ!?天空』
『いえ、その姿…李順は白嵐様を知らぬのではありませんか?でしたら琥珀の姿に戻るが良いかと…』
『あぁ、しかし…一刻も早く紅を救い出さねば…』
『ですから尚の事落ち着いて行動するのですよ…正直私は仙女などどうでも良いのですが…貴方様に仕える者として存在しておるのですから…』
『……ならどうすれば良いのだ!』
『琥珀に戻り私の腕へ…』
天空は渋々琥珀に戻った白嵐を抱き、紅露の家の戸を叩いた。
『だ、誰だっ』
『……あー、天空と申す者だが…えー…あ、そうだ。琥珀というのはこの家の猫かの?』
『え?あ、はい…』
『えーと、この村に紅露を訪ねたが…村の入り口で猫を拾った…他の家に聞いて回ったが紅の猫だというので連れてきたが…紅露はおるか?』
戸が僅かに開く
琥珀の姿を確認すると勢いよく戸が開き李順が飛び出してきた。
『琥珀!』
『李順と言ったかい?紅露と胡蝶は?』
『!?お兄さん…紅様を知ってるの?』
『ああ、知っておるとも…この豪雨で心配になって見にきたのだが…』
『先ずは中に入って!』
李順は衣を掴むと天空を引き入れた。
暗がりの奥に胡蝶は怯えた様子でしゃがみ込んでいる
『君が胡蝶かい?大丈夫だよ…私は紅の従兄弟だ』
『紅様の従兄弟?だったら私達の事知ってる?』
『ああ、聞いているとも…だが今は紅は…』
家を見回してみる。食べかけの月餅が土間に落ちていた。
『……』
拾い上げると李順は答えた
『旅の商人が…胡蝶を連れ去ろうとして…紅様が代わりに…胡蝶1人で帰ってきて…僕は寝ていたんだ…守らなくてはならないのに…』
『ふん…この月餅には何やら眠薬が仕込まれておるようだ…眠るのも仕方ないお前のせいではないぞ李順』
『……ご、ごめ…なさい…』
天空は李順の頭を撫でた
『よし、では今から紅露を探しに行くとしよう。お前達は我らの祖母に来てもらうからな』
『祖母?』
『ああ…留守にする間来てもらうからな安心して待っているんだ。それから琥珀は連れて行っても良いかな?鼻が利くから役に立つやもしれぬ』
『紅様のおばあちゃんなの?分かった。琥珀…良いよ連れて行って。そのかわり必ず紅様を連れて帰ってきてくれる?』
李順は天空を見上げた
『ああ、勿論だ…太陰のばあちゃんの言う事をよく聞くんだよ』
『分かった!』
もう1人の眷属太陰を呼ぶと留守を頼み白嵐と天空はすぐさま北へ向かった。
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