第3話

仙女達の美しき舞は白嵐から溢れ出た瘴気による澱んだ空気を震わせ清めて行った。

洞窟内にあるありとあらゆるもの1つ残らず小石の側面に付着した不純物をも清浄化する。


それに呼応するべく窟の最深部を塞ぐように茎を這わせた月季花も枯れた枝葉に瑞々しさが徐々に広がる。


『紅!』


傷む花弁も本来の真紅に染まり皆は期待した


『紅露!!』


しかして2人の仙女の呼び掛けも力及ばず真紅に染まりながら又萎れていく。神の力の凄まじさをまざまざと知らされる。


『…炎夏様…何故ですか?』


『落ち込む事は要らぬ…其方達の力不足という事ではない…ただ、この月季が淀みなく白嵐に力を分け注いでおる。分ける力を抑えれば白嵐はたちまち暴走を始めるのであろう?そう簡単には元に戻れぬか…』


手立てをなくした炎夏は首を振った


『紅露様っっ』


張り巡らされた月季花に駆け寄る影に一同は驚いた。


『誰じゃ?』


『な…こんな所まで人の子か?』


『姉上!』




『寿扇!貴方こんな所までやってきて。しかも先程共に捜索に加わった者ではないか。人の子まで連れて…』


紅露の名を呼び駆け寄ったのは先程行方知れずの子供達の捜索の参加を許可した男だった。

瘴気に当てられ道中倒れた筈である。


『人の子とは失礼ですよ。私達からすれば年端もいかぬものですが、人間としてはもう大人。家では立派な父親ですよ?』


『ほお、ここに辿り着くとは…侮れぬ人の子だの太陰よ』


太陰は頷き、犬の姿をしている傍の天空は僅かに尾を振り始めた。


『天空…覚えているか…私だ…李順だよ』


尾を振りながらも警戒の姿勢を見せる天空に李順と名乗る男は解かれぬ警戒に肩を落とした。


『知り合いか?』


『突然申し訳ありません…余りにも月季の香りが強くて…』


『人の子がこの微量の香りが分かるのですか?白嵐様の瘴気で香りなどわからない筈では…』


『翠香、この流れで言えば月季の仙女の事も天空を知っておると言う事は当然主の白嵐の事も知っておるのだろう…つまり普通の人の子ではない。という事ではないか?』


『しかし、何故ここまで?この者は…先程立ち寄った町人でしょう?瘴気の森で意識を失ったのに。それに…紅露を知っている。先程町で会った時も私を紅と間違ったのではないですか?』 


『……』


『…あ…姉上…私も驚きました。先程炎夏様に言われて窟の前で番をしていた私の前に人間が現れた。さっきまで一緒にいたこの男でした。あの瘴気の中を天衣もなしにですよ?しかしよく見てみれば身体を覆う光…これは我々の住む世界のもの…天界の者と関わった事があるのではないかと話を聞きました。』


『紅露様…ごめん…ごめんなさい…』


男は仙女の舞のおかげで刹那瑞々しく蘇りながらも端から枯れ行く月季花の絡み合う茎を摩り、膝をつき涙を流している。


『何か知っておるのか?人の子よ』


男は問いかける炎夏におそれながら話しかけた。


『……もしかして貴方様は南の神でいらっしゃるのではないですか?私が紅露様と見間違ったのはどちらかの仙女様では?』


『?!』


『何故仙界や天界の事を人の子が知っておる?』


『は…私は李順と申します町に住んではおりますがそれより以前は…この森の入り口にあった今は無き西の村の出身です…』


『ほう…』


『幼少の頃に紅露様と白様に可愛がって頂きました…』


『成る程、それで今もって守られておるのか』


『守り?守られてなどとんでもございません。私にはそんな資格がある筈がないのです』


『人の子には見えぬ様だがなお前たち人間の中には数名には守護されておるようだ。その身体を覆う光でこの洞窟、森一帯を覆う瘴気を払っておるようだぞ』


『守護…?私がですか?』


『お前、身体が輝いておるが見えぬのか?』


寿扇は問いかける


『ああ、全く分からない。行方の分からなくなった町の子を探しに来ましたが森に入った途端に周りの者が皆バタバタと倒れ目覚めませぬ。当然私も初めは眩暈がし卒倒してもすぐに覚醒して…あれは確か瘴気に懐かしい香りがして…動けるのは私と他は西の村の出身の者達です…まさか…まさかそんな…』


『白嵐の守りであろうその白金の光は。それからうっすらと紅が重なっておるな。月季の仙女はかような力を持つのか?』


『ああっっ…も、もうし…申し訳がたちません。紅露様…白嵐様っっ…裏切った我々を今も守って下さるとは…』


『…裏切ったと言うのはどの様な経緯があるのだ?我々の生きる糧、存在する力にはお前達人間からの信心が重要だ。信心と言う名の鎧があってこそ人を、土地を守護する力が発揮される。だが白嵐のそれが著しく低下しておる様だ…あやつの大切にしていた筈の村が廃れた事も理由があるのではないか?』


『は、はい…。私がまだ子供の頃です…30年以上前になります。あの頃はまだ村人も沢山おりました。人々は白虎の座す森として畏れながらも崇め感謝しておりました…何しろ武神である白嵐様の砂嵐で西の魔物はこの一帯には侵入出来ない。鉄壁の防御で我々を守って下さっているのだと村の長老達の話を聞かされて育ったものです。

私は母を生まれてすぐに亡くしました。父は私のせいで母を亡くしたと荒れており、他の子供達の輪に入る事もできずいつも1人でいました。子供である私には秋祭りの時期に現れた子猫だけが私を癒してくれました。降り積もったばかりの雪の様な毛並み、中秋の月の如く金色に輝く瞳の美しさに琥珀と名付けました。琥珀と私は片時も離れずといつも一緒でした。』


『…あやつは寂しがりやだからな…人を好いておる…』


炎夏の呟きに寿扇は首を傾げた


『村の子供達は私の異変にいち早く気付きました。……小さな村でも良くある差別です。それは仕方のない事だと今では分かります。身なりは粗末で清潔さもなくろくに食事も与えられずに頭にはウジがわき…物乞いのような生活でした。父親の所業、子供達からの虐めに耐えきれずに逃げ出しました。母を死なせた私は重罪であっても琥珀には罪はない。誰かに可愛がって貰えば良いと村に置いて出るのに、必ず私の後ろについてくる。』


思い出し涙を浮かべる男


『……』


『私は…とても嬉しかった。誰も私を愛さぬのに、琥珀だけは私を慕ってくれる。村を出て歩き回り、日も暮れた頃この森の外れに小さな湖を見つけました。

村の者も知らぬまま一生を終える事もある程人知れぬ湖です。

普段は森に守られ、更には始終深い霧に覆われ人も動物も近寄れぬ場所です。私はそこで命を落としても構わぬと思っていました。月季花の硬い茎や鋭い棘で身体が傷つこうともそれでも私は誰にも知られずに死にたいと足を踏み入れました。

月季花が湖を取り囲み、風が吹く度にその花弁が舞い散る。神々しささえ感じる光景に私はただ立ち尽くしました。

それから風が運ぶ芳しい香りが私を出迎えた様に思い無我夢中で琥珀が怪我をせぬ様に胸に抱き前へ進みました。すると突如一陣の強い風が霧を晴らしたのです。初めて見た湖の水は何処までも澄みきっていました。湖面には少しばかり残った夕の空と、輝き始めた月が映り対岸には又鬱蒼とした森が広がる…』


『……』


『美しい幻想に天上と見紛うたのか心が絆され私は思わず母上と大声で呼び泣いてしまいました…何度呼んでも、湖面が小さな波紋を作るだけで何も応えてはくれません。

その内、対岸に何やら七色に光る珠がある事に気付き目を凝らすとどうやら風が吹く度に揺れて見えました。

遥か遠くの国で月に住む天女の息子が母を訪ねて年に一度秋の月夜に会いに行くのだと、村に立ち寄った旅人の話を聞いていたので、私の母は月ではなく湖の中に住んでいるのではないかと錯覚し迷わず水の中に入りました。』


『母を想う心か…夜の湖はさぞ冷たい水であっただろうに』


『はい…水は冷たく、されど記憶にもない母に抱かれたような温かな感覚を覚え母を呼びながらそのまま意識を失いました。

次に私が目覚めた時、誰かの腕に抱かれていました…味わった事のない安心感。肌の柔らかさ…優しい息遣い…甘い香り。違和感に驚くよりも前に思い描いていた母上に会えたという幸福感でいっぱいでした…』


『人間界の男と子を儲けた月の仙女の話は聞いた事がありますね姉上…あれは確か…』


『寿扇、黙って最後まで聞きなさい…』


姉に咎められ寿扇は肩を竦めた。


『私を水の中から救い出し抱いて温めてくれたのは美しい女人でした。月夜に白く輝いて見えるその女人は名を紅露だと言い、安心するように言いました。でも私は少しも怖くはなかった…焦がれた母に会えたと思っていたのですから。

ふと気付くとそこはあの風に揺れながら光る珠のあった対岸でした。そして傷付いた私への慰めにと紅露と名乗る女人は舞を見せてくれ、あの七色に光る珠に見えたのはこの紅露という女の人が舞を舞っていたのだと知りました。』


『七色に光る…もしやその紅露なる仙女は七仙女の1人ではないか?そうであろう?翠香』


『……私もはっきりとは聞き及んではいません。ただ紅露は類稀な治癒の力を持ち、明るく人々を和ませる。崑崙山に住む花の仙女たちは皆彼女を好いております。情が深く悪戯好きで何やら行き過ぎてしまっても紅露の笑顔が目に触れると師である百花仙子様もついお許しになると零しておりました…誰かの為に涙を流し誰かの為に強きものにも立ち向かう無謀さもあります』


『やはりな…』


炎夏はただならぬ力の持ち主の素性に妙に納得する。


『ちょっ、ちょっと待って下さい。紅露が七仙女の1人?違いますよね?姉上…だったら…だったら私はとんだ身分違いです…天界を統べる女神の西王母様の娘など…とても私など…』


『…寿扇、落ち着いて…』


『落ち着けませんよ。しかしそれならば西王母様の青鳥がすんなり私の願いを聞き炎夏様に連絡がとれた事に合点がいきます…しかし紅露が西王母様の娘であったとは…』


落胆する寿扇の肩に姉はそっと触れた。



『紅露様は寿命で死ぬのではなく自ら死を選ぶ事を許してくれませんでした。肩の力を抜き李順らしくあれと。どうしても辛い時はこの湖に来れば良いと光る珠を2つに分け私にくれました。その珠があればこの湖の霧が晴れ対岸に渡る橋が掛かる呼べば舞を見せると約束してくれました。そして、魂の半身である最愛の妻を失い生きる力を無くした父を許し、父を助け、いつか出会う愛する者を探せと。お前は1人ではない、お前をいつも案じている者が此処にいる事を忘れるなと言って私を村へ帰しました。』


『……魂の救済か…いつか何処かで聞いた話があるが……究極の善行ではあるが愚かな人の子からすれば苦行への誘いともなり得るな』


『……村に戻った私は紅露様の言葉の通り、父の支えになろうとしました。しかし傷付いた父の心にはそれが疎ましかったかもしれません…。父には拒絶され続け、絶望すれば月夜に湖にて紅露様に慰めて貰いました。

村の子供達もぼろの衣服を纏った人間が美しい猫を連れている事に嫉妬し琥珀を連れ去ろうとしたり、傷つけようとしました。ある年の中秋の祭りで村の子供達から遊びの誘いに喜んで出向き、隠れ潜んでいた者達から一斉に石を投げられた時、私の前に琥珀が立ちはだかりました。もう駄目だと諦めた瞬間に突如として私達の前に月季花の茎が伸び壁となり強く投げつけられた石を防いでくれました。

あの月夜に美しかった紅露様が直ぐに駆けつけ子供達を叱り飛ばし私を仲間に入れるように口添えしてくれたのです…よく見ると紅露様の体は投げつけられた石で傷付き真っ赤な血が流れていました。その傷を見ると胸が痛み情けない事に泣きだしてしまいました。子供の中にも心優しき者がおり、その紅露さまの傷口に共に塗り薬を塗り治療しながらいつしか私はすんなりと迎え入れられ友を得ました…今もその者達とは仲間であり同志であります』


『紅露らしい…本当はとても活発で月夜に美しき舞だなんて…なかなか見られない。どちらかと言えば子供を叱り飛ばす姿の方が想像つきます』


『そこが紅の好ましい所だ。ですよね?姉上』


『貴方が得意げにする所ではないわよ寿扇。』


話をしながら李順が溢す涙が月季花の根元に落ち、それを吸収するとたちまち瑞々しさが枝葉に行き渡り再び蘇る。真紅に色付いた花弁は端から枯れ行く事はなかった。


『…信心の成せる癒しか…お前達人間から愛され慕われる事でどうやら月季の姫に力が戻りつつある…』


花弁が七色の光に包まれる。


『そうか今宵は満月であったな。仙女の力が強まるのだろう…私の神力を足せばなんとか一時的にでも戻るやも知れぬ…とにかく白嵐の事をどうにかせねば…』


炎夏は両手を結び内側から力を呼び覚ます。徐々に湧き上がる熱を指先一点に集中させると月季花の花弁に向け霧雨を降らせた。


小さな光の粒は月から花に集まり次第に強さを増し、やがてそれは人の姿に変化した。


薄い紅色の衣に艶めく黒髪を揺らす 


『紅露!!』


『紅露様っ』


芳しき香りと共に輝く仙女が現れた。

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