第2話
『炎夏様…これは一体…これは紅なのですか?』
『おやおやこれは…随分と立派な月季花だ…たった一輪でこれだけの茎を伸ばすとは…奥に蠢くのは我が友白嵐であるな…』
洞窟の最深部にある窟に頑丈な茎や枝葉が絡み合った扉を形成し、何人も奥に進めぬように拒絶していた。
『南を守護するこの焔朱炎夏には造作もない…』
掌を開くとそこに火炎が生まれる。
『ま、、待って下さい!』
『炎夏様っっ』
絡み合いながら隙間なく瀕死の白虎とを隔てる月季の茎はさしずめ猛獣の檻の様でもあった。
玉寿と翠香は慌てて炎夏を制止した。
『花のお嬢さん方…幾らなんでもこの月季花はもう生きてはおらん…心苦しいだろうが仕方ない。こうしている間も中の白嵐が力尽きてしまう。この月季の茎や蔦を燃やすのが一番早いのだ』
『紅露!!紅月季!!』
『紅露!!』
2人の仙女の叫びが洞窟内に木霊する。
『ほう、なんとこの月季花は紅月季の仙女なのか?・・・・とすると噂では西王母の?』
『西王母様?青鳥の飼い主の・・・天界の女帝と呼ばれる御方が紅と何か関係があると言うのですか?』
翠香はすぐさま炎夏に問う。
『あ、いや。確かではない事を口にすることは許されぬ。四神の私が無闇に罪を作るわけにはいかぬ故・・』
翠香の質問に炎夏は即座に口を噤んだ。
『そなたたちも天上に戻る為にこの下界で悪を挫き善行をせねばならぬのであろう?』
『はい。ですが・・・』
『憶測で話はすまい・・・それよりもこの瘴気から早く白を救い出さねば・・・』
『それでも炎夏様のその炎で焼くのだけは・・・貴方様の火は普通のものでありません。四神朱雀の業火で燃やされればもう二度と紅露は生き返ることもできなくなる・・・人間が使うただの火であれば仙子様に頼めば何かその手立てがあるやもしれませんが・・・』
『・・・・火加減はする。時は一刻を争うぞ、あの瘴気を浴びているお前たちもそう長くはその姿のままでおられまい』
『お待ちください…御南様』
姿はなく声だけが微かに耳に届く
『誰だ?』
『お久しぶりで御座います…炎夏様。西方の守護白嵐様の眷属太陰でございます…。
申し訳御座いません…白嵐様の力が弱まり我ら眷属やその他の遣いのもの達も皆消えてしまい…私と天空だけは辛うじて声が残りました…』
『太陰!?太陰か?…何が起きたのだこれは…この瘴気は一体…』
『…………』
『声も弱まっているな…私の【騰蛇】が嫉妬するが仕方ない』
炎夏は右手を上げ振り上げた。
『炎夏様の眷属騰蛇は本当に嫉妬深いのよ…少し暑いかも知れないから気をつけて』
翠香は何が起きているか分からず驚嘆する玉寿に耳打ちをする。
轟轟と音を上げながら熱風が洞窟内を駆け巡った。余りの熱に玉寿と翠香は天衣の裾で思わず顔を覆い、駆け抜ける熱風の後ようやく目を開いた時、目の前に犬を連れた老婆が立っていた。
『翠香、他の者に力を与えた事は内密にしてくれ…騰蛇が臍を曲げると面倒だからな』
『はいそれは承知しております…あの…しかし炎夏様こちらは…』
『ああ、白嵐の眷属太陰と天空だ…』
『御南様の翠香様と菊の仙女玉寿様ですね…月季の姫様よりお話は伺っております…』
『月季の姫とは紅露の事?太陰さん、紅露はどうしたのですか?これは一体…』
玉寿は矢継ぎ早に太陰に詰め寄る。
『はい…紅露様は今…仙力だけでこの世に残っております…』
『どう言う意味で?何があったの?』
『紅露様の力がなくなるというのはあの白様の眠る窟を塞ぐ月季花の蔦の戸が消える。姫様の命が尽きる時です。そして中にいる白嵐様は崩壊の暴走を始めてしまうかもしれぬと…』
『かもしれぬ?確かではないのか?』
『未だそのような前歴がございません・・ただ、まだ意識があった頃の白嵐様は暴走する力を抑えることができるかは分からぬと・・もしもの時は四神の誰かに助けを求めよと・・・しかし余りに突然の事で私どもも力を削がれた為にこの窟から出ることもできませんでした・・』
『何故?外部からの侵入者があったのではないのか?人間の噂では西の魔物が現れたと…いや、それにしても別の存在は感じられない。もしやこの瘴気は…』
『はい。白嵐様自身の瘴気でございます・・・お分かりになるでしょう、一輪だけ咲くあの花弁から紅露様の仙力が白嵐様に流れております。それで何とか仮死に近い状態で眠っております。時折紅露様の力が弱まる事がありその時には白様は地の底、地獄の底からの雄叫びを上げ地を揺らし人々を恐怖に貶めているのです…』
『仙女の仙力だけで四神に力を与えるとは…ただの仙女とは到底思えぬな…』
炎夏の言葉に翠香は答えた
『紅露の仙力…確かにあの子の力はもともと私たちの中でも著しく強いものでした。紅露は隠しておりましたが…溢れる力は抑え込んでも意味はありません。身体から芳香となって溢れ出してしまうのですから』
『確かに翠香、そなたの香りも芳しく実に甘美…』
近付こうとする炎夏を避けながら翠香は不機嫌になる。
『炎夏様。今はふざけている場合ではありません紅露の力は強力な治癒です・・・それからこの様子を見ると、治癒だけにとどまらず神の生命維持までもと言うことですか?』
『な、生命維持?白嵐様への力の流れはそういう事なの?…』
玉寿の呟きに老婆は頷く
『これが白自身の瘴気というのか?何があったらこうなるんだ・・・ではあの月季花は白を生かしながら外部からの侵入を防ぎ白の暴走もくい止めているのか?』
『左様でございます』
『ではあの月季花をうかつに燃やすこともできぬ・・どうすることもできぬのか・・・どの程度の暴走になるか…近くの町や村にも何かしら起きるやも知れぬ…』
『こうしている間に紅露の花弁がまた1枚散っていってしまう…どうする事も出来ないのですか?』
翠香は不安に胸が潰れそうになる。
繊細な魂は友を失う恐怖に直面し、震えながら茉莉花の香りを撒き散らす。
『しかし何かきっかけがあった筈だが…そういえば昔はこの辺りにもう一つ村があったな?廃たれたのか?』
『…はい…ある出来事から人が住まなくなり、大半の人々は隣の町へと移り住みました…』
『ある出来事?』
『人間からの信心を失いました。炎夏様はご存知かと思いますが、神は人間の信心がなければ廃れてしまいます。月の仙女が白様を気に入り・・・なかなか振り向かぬ事に怒り・・白様の大事にしていた人間を利用して…彼らの心を惑わせついには神に対する不信までが現れました』
『人間の信心を失ったのか・・・月の仙女とは・・・もしや嫦娥仙女か?・・・』
翠香と玉寿は聞き覚えのある名前に目を見合わせた。
『嫦娥仙女!?』
そもそも自分たちが天上より下界へ来たのも元はその嫦娥仙女の起因によるものであった。
『はい。まさしくその名でございます』
『で、でもどうして紅が?・・・』
『月季の姫は・・・白様の大切な御方ですので』
『それはどういう・・・』
『つまりは私にとってのそなたと言うことだ・・・翠香』
『紅が白嵐様の情人なのですか?』
『さようでございます』
『太陰、もう白嵐は誰の言葉も理解できぬのか?』
『・・・・分かりませぬ』
太陰は首を振る
『しかしこのままにしてはおけぬ・・・』
『人間の信心が少しでもあれば本来の白嵐様の意識が戻るかと思いましたが…一度拗れたものはなかなか…』
太陰は落胆し絶望の表情を浮かべた
一同は何か策はないか思案する。その間に太陰の傍にいた犬の姿をした眷属天空が何かを察知したように耳をぴくぴくと動かした。
『この窟へ侵入した者がおるな?妖魔か?』
『はい。しかし侵入者は人の子の様です』
天空の言葉に皆は驚く
『いや、幾らなんでもこの瘴気の中人間がここまで辿り着くなど無理であろう?』
『いえ…確かに人の子がこの窟に…ここまで辿り着く事は無いでしょうが…』
『しかし案外人がいればどうでしょう?』
『案内人?誰かが人の子を連れて参ったと?』
『…………この気は…』
玉寿は深く溜息をついた
『成る程、案内人とは我を呼びだしたそなたの弟の様だな。窟の前で番をするように命じたが…』
『申し訳ありません…元々弟は天真爛漫な子で…悪気はないんですが…少しばかり短慮で…』
『まあ、良かろう。花から天真爛漫を取ったら魅力は半減してしまうからな。面白みがなくなる。姉弟愛も美しい事だ』
『炎夏様…そんな悠長な事を言ってる場合では…』
怪訝な表情をしている翠香に炎夏は笑った
『焦った所で解決する訳では無い。こうなったら手立てが見つかるまでは何か楽しみがなくては…ふむ…丁度花の仙女が2人も揃っておる。月季の慰めの為にも1つ舞などを舞ってはどうか?』
『そんな気分になりませぬ…こうしている間も紅露の力は弱まっていくのですよ?』
炎夏の提案に益々不機嫌になる翠香
『差し出がましいようですが…』
『太陰さん何か?』
『はい。仙女の舞は浄化の金粉を振り撒くと聞きます。美しければ美しいほど、悲しければ悲しいほど…妖しければ妖しい程空気が震え澱みが弱まり紅露様の力となるという御南様の提案ではないでしょうか…』
『流石太陰。その姿は伊達では無いな』
『姿?老婆に見えますが歳はまだ四神様に比べると若輩でございます。』
『いや、そんなつもりでは…怒らせてしまったか?』
『式に感情はございませぬ故、何とも…ただ面白くはありません』
『やはりぬしらは他の眷属とは一線を画しておるな…主が弱っても尚意識はしっかりしておる』
炎夏は感心する。
『さて、仙女達よ…舞ってくれるか?』
『そう言う事なら…気分などと言っている場合ではありません。勿論、紅露の為にも舞いましょう…』
翠香は玉寿に合図を送り、その場で美しい舞を見せた。
天衣を翻しその裾が僅かに揺れる度に芳しい香りが匂い立ち禍々しい空気が清められていく。
2人の舞う足元には次々に互いの花が芽吹き茎を伸ばし花弁が開き始める。
『美しいの太陰、天空』
目を細める炎夏の傍で太陰は枯れ果てた月季の茎が根元から青青としている事に気づく。
『紅露様!!』
天空は茎でできた結界の様に張り巡らされた月季に駆け寄り遠吠えを上げた。それは主を探す咆哮に聞こえる。
『白嵐の天空は月季の仙女を好いておったのか?』
『天空は…白様の命で紅露様の傍にずっとついておりましたから…紅露様の献身、健気さや豪胆さにいつも心配しておりました…』
『白嵐の命で仙女の守護を?よくこの気性の荒い天空がその命を聞いたの』
『いえ、初めはこの天空、弱々しい花の仙女の守護などしたくないと言っておりましたが…白様の留守を狙った妖魔に襲われた時、紅露様は迷わずあの様に茎を伸ばし盾になりただの遣いでしかない私達を守ろうとなさり大怪我を負いました。
あの様に鋭い棘で外敵を寄せ付けぬ様にしておるのです。妖魔が去った後、何度も受けた攻撃により弱り果てた紅露様は少し眠れば傷は癒えると気にしない様に言いました。しかし…妖魔の傷は深くなかなか完治しなかったにも関わらず白嵐様に私どもが叱られない様に計らいました。その深い情、気高い姿勢を見せられ私も天空も消えてしまった他の眷属達も皆姫を守る事を誓いました…皆…紅露様を好いておりました』
天空は月季の傍で悲痛な声を上げた。
悲しき呼び声に呼応する様に枯れ茎は色を取り戻していく。
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