月季姫と白金の嵐
@himakyon3tuki
第1話
『姉上!紅露は元気でやっているでしょうか』
『佳寿扇。紅露は元気でいると思うわ。それよりも、貴方がこんな所まで私に付いてきたのは紅露に逢いたいと言うんじゃないでしょうね?』
『ち、違います。姉上の旅路を心配してです。何があるとも分かりません。天上界も下界の人間達も世界はあまり変わらない…何故姉上達が地上に放たれたかも理解できません』
『貴方はまだまだ分からないでしょう。百花仙子様が留守の間に起きた事件ですもの…あの嫦娥の罠にかかって全員が花を咲かせてしまったのだもの。春夏秋冬構わず一斉に花を…それは摂理を侵す事。追放されても仕方のない事。私達はとにかく努めて善行を行って天上に戻れるようにしなければ…』
『…はあ。しかし姉上は百花の王仙子様の弟子なのに何故間違いが起きたのです?』
『……そんな昔の事はもう忘れたわ。それよりも早く道を急がねば』
類稀な容姿の姉弟は夜道を急いだ。
『こんな野道など一飛びで行けば良いではありませんか』
『寿扇。煩いわね…道道に困った人がいれば助ける事ができる。一飛びに飛べば見過ごしてしまうでしょう?それに、人間達に飛行する者などいないのよ?たちまち怪しまれてしまい人々が恐怖するでしょう。世間に恐怖を齎すなんて罪が重なるだけ。下界では絶対に仙力、功力を使ってはなりません』
『…えー…そんな…歩くなどめんどくさいです』
『ならお帰りなさい?貴方は別に下界に来なくても良いんだから…紅露には会えないけど』
わざとらしく帰るように促す姉に弟はすぐさま首を振る。
『いや、行きます!行きますよ…紅露に会えるなら何処へでも』
『とは言っても紅露がいるのはこの辺りだと聞いたけど…なんせあれからバラバラになってしまって…誰とも連絡が取れないわ…水鏡になるような澄んだ水溜りもないし…あの子の作る薬がいるのに』
『あー、姉上が面倒を見ている潦の?』
『面倒だなんて…私達が世話になってるんでしょう?』
『なんだよ…潦なんてただの菊作りが趣味の男じゃないか。姉上には相応しくない』
『だからこそ十分だと思うけど?』
『ふんっ……って、もう日も落ちてこんなに暗くなってきた。どこか洞でも探さねば…夜は身動き取れなくなる…摘まれでもしたら大変だぞ。姉上はそれでなくともこんなに美しいのに』
『はは。ありがとう…しかし潦に世話になってから月が出ても根が生えぬ。人の姿のままで大丈夫なんだ…不思議なもの』
『それは潦の…男の愛というものですか?【情】の深さがそのまま力になるとはよくよく考えると恐ろしい。愛なら良いが憎しみならどうなるでしょう?姉上の様に元の姿で自由に動き回る事もできるが逆もあるという事だ。』
『逆…確かにそうかも…枯れて消えた仲間もいるし…』
『しかし姉上、だったら尚更人間とは情を深めてはなりませんよ。仙子様のお弟子は皆一様に類稀な容姿だが…人に騙され絶望し消えてしまうなどあってはならない事だ。
それを思えば紅露が心配です。誰も彼もを信じ過ぎ正義感の塊で更には冒険心の強い気性だ…よからぬ事に首を突っ込んでいないか…あの可愛いかった紅露は変わらずにいて欲しい…』
『あの子は人一倍…いえ仙女一倍元気で明るい。変わってはおらぬ気がする…』
『そうか!楽しみだな…あんなに可愛いのに香りは艶やかで…好きだな』
率直な弟を姉は微笑ましくも幼くも思った。
『では、日もすっかり落ちたし何処かで人らしく宿でもさがしましょうかせっかく此処まできたのですから』
『珍しいですね。姉上が宿を使うなど…普段は花に戻って一夜を過ごす事が多いのに。』
『それはお前と並んで咲いていた時に村人に切られそうになったから。あの時に潦が助けてくれなければ私達は大変な事になっていたでしょう』
『ひっ、そんな恐ろしい記憶は捨ててください。あれは怖いどころではありませんでしたからね。しかし紅の情報は欲しい。確かこの山の一帯に小さな村か町があった筈だが…』
月の光が足元を明るくしている。
怪しげな月光を見上げ姉弟は言い知れない不安を覚えた。
『何か胸騒ぎが…野草達が騒いでいる』
草が足に絡みつき何やら訴えているようだった。
『姉上…何やら灯りが…あれだ町がありますよ!』
明かりを見つけるなり走り出す弟に姉は思わず大声で叫んだ
『寿扇!待ちなさい!危険やも知れません。誰もが潦の様に気の優しい人間ばかりではないのですよ』
『分かってるよ!…でもなんだか様子がおかしい…姉上、人間はこんな夜でも出歩くものですか?城下でもないただの小さな村ですよ?』
『本当だわ…もう月も出ているのに人が出て騒いでいる…何かあったのかしら。もしかしたら何か手助けできるかも知れないわね』
『よし!ちょっと行ってくる』
『あ、寿扇!』
美しい姉を置いて弟寿扇は走り出した。
『私の警護と言うのはやはり口実という事ね…全く』
周りに気を配りながら町へ入ると人々に話を聞いた弟がやってくる。
『姉上、どうやら子供が何人も帰らぬと…行方不明らしい…何年も前にも同じ様に子供がいなくなった村があったそうだ』
『子供が?大変ねそれは一緒に探しに行かねば…道々の草達が何か知っているかも知れないわ…私達も行きましょう』
松明を持ち男達が捜索を開始しようとしていた。
『なんだ、さっきの…今こんな時期だから宿は見つからぬかも知れぬぞ。宿屋の息子も行方不明でな。この所西の山向こうからおかしな妖怪が現れたと旅人から聞いたばかりだ…女将さんが倒れちまってそれどころじゃないんだ。他を当たってくれ』
『いや、それだったら俺たちも捜索を手伝うよ…村の人間じゃない方が返ってピンと勘が働くかもしれないし…あ、これは私の姉です』
寿扇の後ろに立つ姉玉寿を目にするや驚く男。
『!!紅…いや…違った…。そんな筈ないか…すまない。ある人に似ていてな…これはこれは美しい姉君だな…女子もいるならばやはりゆっくりと休みたいだろう…うちで休んで貰って構わぬよ。』
『あ、いえ、私も一緒に子供を探します…』
『え!こんな夜に女子に険しい野山を歩かせるなんて危険だ。やめた方が良い』
男はとんでもないと制止する
『いえ、私も昔神隠しに遭った事があると母が申していました。母は気が狂わんばかりだったと…他人事ではないし、私は無事に母の元へ戻れました。護符の意味でも連れて行ってください』
『神隠しに遭って無事であったのか?そうか確かに人手はあった方が良いな…』
『姉上には私がついておる故、心配はいらぬよ』
寿扇の言葉に男は頷いた。
『私も古い友人を探していて…時間はいくらでもありますので』
『有り難い…』
町人達と合流した姉弟
深い森に足を踏み入れていく。草木は無造作に生え、朽ちた大木は横倒しになりそこから又新しい芽が生まれている。
『森は荒れているけど…死してはないわね…と言うよりも凄まじい気を感じる…良いものか悪いものか分からないけど』
男は草木を分入りながら何処かこの姉弟に違和感を感じていた。
『へぇ、お嬢さんは勘が鋭いのか?』
『勘というものではない!姉上はそれはそれは大層素晴らしい能力が…』
『い、いたっ…何をするんです?』
寿扇は尻を摩った
『余計な話はしないの!』
『???』
男は訝しんでいる
『あ、ああ。いや、何もない。ちょっと足元の茅で傷を作ったようだ。しかし今勘が強いのか?と問うたという事は此処には何かいわくが?』
『ああ、ここは白嵐様がおわす森だからな…』
『!!!』
『白嵐?!四神の内の?』
寿扇は思わず叫んだ。
『ばっ!様を付けろ様を!この山の更に西から来る魔から守って下さっているんだ!』
『しかし……それにしては…』
『…気が弱まっている…』
姉弟が揃って口にした瞬間、あたり一面にどす黒い靄がかかる。木々の間や地面から這い出す様に不穏な靄が広がり始めた
『な、なんだ?ここは…凄い瘴気だ…姉上…あ、おい!皆…どうしたんだ』
捜索の為に山に足を踏み入れた男達は皆瘴気を帯びて意識を失っている。
『寿扇、天衣を…』
『あ、はい…』
寿扇は姉に言われると天に向け右手を突き出すと雲の隙間から薄い羽衣が現れた。衣は忽ち2人の着る纏衣となった。
『あら、右手だけで天衣を呼べるようになったのね?』
『そ、そんな。これくらいは朝飯前ですよ。馬鹿にしないで下さい。しかし、禍々しい。こんな瘴気はあり得ない…』
『……』
『もしや四神になにかあったのでは?』
『それはいくらなんでもあり得ないわ。西を守る四神は白虎。とても強い武神なのに…でも…あ、そうだ…あなた確か青鳥と友達だったでしょう?直ぐに連絡をとって、雅翠香に伝言を…』
『雅翠香さんて…茉莉花の?なぜ?』
『翠香は昔四神南の朱雀様の傍にいたから…もしかしたら今も…』
『いやぁ…青鳥は友達だけどさー、、西王母様に怒られないかな…あいつは西王母様の使いだからさぁ』
『良いからはやく!』
『分かったよ…で、姉上は?まさか行かないよね此処で待っててよ!』
『前に進むしかないでしょう?こんな所で何もしないで待っているだけなんて選択があるかしら?
それに気付いてる?微かに紅露の香りがしている…この森にあの子の手掛かりになるものがありそうだわ。きっとあの道々の草達は紅の危険を知らせていたんだわ…』
独り言の様に呟き姉玉寿は瘴気の森に消えていった。
『ちょ!待って姉上…直ぐいくから!ったく…何だかんだ紅程でなくとも姉上も無鉄砲な所あるじゃないか。
でも何で紅露が白虎の山に?何か嫌な感じだな。武神と言えども噂では粗暴で粗野な荒くれの山になんて…』
溜息を吐きながら高台に登り青鳥へ念を飛ばした。昔傷ついた小鳥を見つけ看病した鳥がまさか最も偉大な西王母の使い候補だとは知らなかった。
西王母の使いとして任に就いた青鳥はいつか恩返しの為だと寿扇に呼び出しの道具を渡した。その草笛を懐から取り出し寿扇は息を吹きかけた。
西王母の使いの者を呼び出すには一介の仙人には勇気がいる事だったがあの瘴気の森は異常事態である。
『異常事態だし西王母様だって許してくれるだろう。姉上…大丈夫かな…無茶をさせたって潦に怒られるかな』
心配している弟の念を感じながら歩を進め、辿り着いたのは断崖絶壁であろう崖下である。上を仰げばその頂は見えず。
大きな横穴が口を開けている。
瘴気はそこから流れてきていた。
足元の草は玉寿の足に絡み付いた。それはまるで足を踏み入れる事を阻止せんとしている様だった。
『分かっているわ…この先に…紅露がいるのね…一体何があったの…』
寿扇と別れた玉寿は勇気を振り絞り洞に一歩足を進める。
『う…先に進めない程…禍々しい…こんな所に紅が……あ、だめ…足から根が…』
玉寿は足が取られるように動きが鈍くなる。
見ると足元から根が生えだしていた。
『身動きがとれぬ…ここ…までか…紅露…』
諦めた玉寿は無念の想いで洞窟の奥を見つめた。
『佳玉寿よ、お前は此処までにしておけ。友を想う気持ちはしかと聞き届けたぞ』
『!?』
背後からの声にも振り返る事はできない。
身体は花の姿に戻ろうとしている
『ふむ…美しき菊の姉弟か…弟には洞の外で番をさせているぞ。この私が来たからには安心するが良い』
『貴方は…朱雀の…炎…夏様…』
最後の一言の後完全に美しい菊の姿に変わる。
『やはり美しい菊の花だの…お前の仲間は皆余りにも美しいな』
『炎夏様…お願い。玉寿を元に戻して下さい』
甘い芳香を身に纏う美しき仙女が姿を表す。
『……仕方あるまい…しかし青鳥も恐れを成し入れぬ洞にたった1人で入るとはこの菊の玉寿と言い、昔私の棲まう断崖の谷に1人やってきた翠香お前と言い仙女と言うのは気の強く恐れ知らずな女子ばかりか?師匠の百花仙子に似た気性ばかりかな』
そういうと指先を輝く菊の花弁に付けた。菊の周りはゆらゆらとした陽炎の様に靄がかかり見る間に又人の姿に戻る。
『翠香!』
『玉寿!』
久方ぶりの再会に花の仙女達は抱き合った
『白き茉莉花と黄色の菊が抱き合っておる。美しい姿だな…』
炎夏は目を細めた
『炎夏様!そんな事よりも早く!』
『分かったわかった…暫く会っていなかった友が何たる事だ…自分の棲家で瘴気にまみれるとは…何があったのだ白嵐よ…』
合流した3人は充満する瘴気とまるで体内に入り込んだ異物を排除するかの様な拒絶の圧力に押されながら足を進める。
『…侵入者を許さぬか…この瘴気とは別に何者も寄せ付けぬ圧がある。一体何が起きたんだ…』
『え、炎夏様っあれは!』
翠香が何かに気付き指を指す
『な、、これは…』
指先に見えるは朽ちた野茨の太い枝が盾になり、その奥に傷付き息も絶え絶えの白い虎神が横たわっていた。
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