第16話

 あれから俺は、澪田を合わせて五人の魔人を殺した。


 剛腕の魔人、炎の魔人、巨大の魔人、ロケットの魔人、狼の魔人、の合わせて五人。


 その戦いは熾烈を極めた、わけではなかった。むしろあまりにあっさりと、あっけなく、その戦いは終わっていった。


というのも、俺はその五人の魔人の能力を目の当たりにすることはなかったのだ。魔人が能力を発現させる前に、俺が先手を打って一撃で殺した。だから俺は、あの世界一有名な赤い帽子のおっさんのように、人間が掌から炎を繰り出すその場面を見ていないし、人間が自分の指を噛んで巨大化して、他の人間を虫けらのように摘まんで食う場面も見ていないし、ロケットの魔人、に関しては想像がつかないので割愛するが、人狼についてもまだゲームの世界でしか見たことがない。


 俺がなぜ、その五人の魔人を一撃で殺すことができたのか。


 澪田以外の四人の魔人との戦闘において、俺は自分の血液の能力を存分に利用した。しかし、澪田を殺した当初の俺が血液の能力を戦闘でまともに使うためには、苛烈を極める特訓が必要とされた。あの日から、澪田を殺してからの数日間、真姫は俺につきっきりで血液の能力の強化特訓を始めた。あの地下空間の一室で、真姫は俺の身体をナイフでひたすら傷つけて、俺はひたすら傷口から血液を出し続けつつ、痛みに耐えながら血液を上手く具現化する、ということを数日間に渡って継続した。始めた当初は、俺にゲロをぶっかけられた恨みがあったのか何なのか、真姫はどこか嬉々とした様子で俺を切りつけていた。真姫がつけた傷口から飛び出す俺の血液は、地面に着地することなく、ふわふわと空中に浮いて俺の意志に従い渦を巻く。傍から見れば奇天烈というか奇怪というか異様な光景だろう。そんな特訓を繰り返している内に、次第に自分の血液を目にしたときの本能的な恐怖感や不安感が麻痺していった。自分の鮮血を見ても何も感じなくなった。その境地にまで到達しても、俺の能力はなかなか完成には至らなかった。


 それでも俺たちは特訓を続けた。真姫は虚ろな目で、時折ため息を零しながら俺の身体を切り続け、痛覚に慣れ切った俺は冷静に瞑目して意識を集中させる。そんな時間を積み重ね続けた。


 その結果として、俺は最終的に、自分の身長よりも刀身が長い日本刀を作り出すことに成功した。もちろん今回は、空き缶ひとつ真っ二つにできないような残念な切れ味ではない。人間の肉体であれば、軽い力で簡単にすぱっと切り刻むことができる。刀の扱いに関して完全素人の俺が軽く一振りするだけで、人ひとりの命を摘み取ることができる。


 相手が能力を発現させる前に、その圧倒的超リーチで以て、即座に魔人を真っ二つにしてしまう。


「もううちの戦闘員は成宮くんだけでいいんじゃないかな」


 と真姫がぽつりと呟くほど、俺の能力は強すぎた。


 誰の目から見ても明らかにオーバーパワー。


 そんじょそこらの魔人であれば絶対に負けない自信がある。


「でも、仕事が終わった後にいちいち体調不良になっちゃうのはどういうことなのかな~?」


 しかし、俺は未だに、刀で魔人を切ったときの、かまぼこを切るような独特の不快な感触に慣れることができずにいた。


 真姫やアリスに比べて戦闘経験の乏しい俺は、凶悪な魔人を相手に一度距離を詰められこちらのリーチが活かせない状況、お互いに対等な状況になってしまえば、途端に魔人に負けてしまう可能性がぐんと高くなる。だから、先手必勝、たった一振りで魔人の命を消し去ってしまわねばならない。


 魔人を前にしたときは、余計なことを考えている暇も余裕もない。


 魔人は人間の頃の記憶を保持していること。


 澪田のように、精神が完全には魔人に乗っ取られていない場合もあること。

 魔人と人間の差異は、実はそれほど大きくないこと。


 つまり、魔人を殺すのも人間を殺すのも、ほとんど同じであること。


 だが俺は、そんなことには全く構わずに、しっかりと狙いを定めて大太刀を振るい、魔人の命を破壊しなければならない。


 しかし、魔人を処理した後になって、脳内で土砂崩れが起きるようにそれらのことが思考になだれ込んできて、鉛のように重苦しい罪悪感と呵責の念に俺の心は押しつぶされそうになる。


 どうして自分は、人を何人も殺しているのにも関わらずいけしゃあしゃあと暢気な顔で生き続けているのだろう。人間を殺した魔人と、魔人を殺した亜魔人である俺の違いは、いったいどこにあるのだろう。


「真姫さんって、やたら成宮さんのことを気に入ってると思いませんか?」


「……そう、かなぁ」


 あれから、俺が亜魔人になってから、俺の登校する頻度は極端に減った。なぜなら、俺の進路は既にどうしようもなく凝り固まってしまっていて、その進路に進むためには特に高校を卒業する必要はないからだ。アリスも高校に進学する気はないらしく、中学校も不登校気味らしい。アスカさんは中卒の二十歳で、今も律儀に高校に通っているのは真姫だけだった。


 平日の真昼間に、俺は地下空間の三畳ほどの部屋のベッドの上で横になっていた。そこでうとうと眠りこけていたところ、いつの間にかアリスがベッドの脇に座っていた。


「どうして真姫さんは、成宮さんを贔屓するんでしょうね?」


「…………ん、ああ」


「真姫さんは成宮さんのことが好きなんですかね」


「……んー、さあ」


「さっきから何ですか、その生返事は」


「眠いんだよ……」


 ベッドの中で身をよじって、首元の毛布を引き上げて頭まですっぽりと覆う。

 すると、アリスがわざとらしく肩を上下させて、大きなため息を吐いた。


「また体調不良ですか。本当に情けないですね」


 アリスは毛布の上から俺のふくらはぎを掴んだ。ぐにぐにと、俺のふくらはぎをちぎる勢いで強く揉む。


「ちょ、いた、痛いって」


 俺がもぞもぞと毛布の中で蠢いて、自分の膝を両手で抱えるような体勢になると、アリスはもう一度大きく息を吐いた。


 そして、握りこぶしで俺の身体をぽかぽか叩く。


「わたしも亜魔人になればいいんですかねー……」


「え……」


 その意外な言葉に、さすがの俺も毛布から顔を出して、アリスの顔を見上げた。ベッドの脇に座るアリスの瞳は、物憂げに細められていた。


「……亜魔人になってまで、真姫に好かれたいのか」


「なんだ、自分が亜魔人だから好かれてるって自覚はあったんですね」


「当たり前だろ。あんな美人が特に理由もなく俺みたいな男を好きになるはずがない」


「……えらく卑屈ですね。亜魔人らしくもない」


「俺の心は今も人間のままなんだよ。ていうか、亜魔人って普通はもっと傲慢なもんなのか?」


「そうですね、少なくともわたしが知っている亜魔人は、ものすごく傲慢です」


「まともな亜魔人はいないのか?」


「まともじゃないから亜魔人になったりするんですよ」


 アリスは嘆息交じりに、力ない声で言う。


「成宮さんもあれくらい傲慢だったら、真姫さんに好かれることもなかったんですかね……」


「アリスは、真姫のことが好きなのか?」


「好きですよ、そりゃあ。ものすごく」


 アリスはさも当然と言わんばかりに、頷くような調子で言った。


「……その好きは、同僚として、ではない好きか?」


「もちろん、恋愛的な好き、ですよ」


 さすがに初耳だった。


「アスカさんも、異性として真姫さんを好いています」


 これもまた初耳だった。


「え、い、いいのかそれ。真姫は未成年だろ」


「成宮さんって亜魔人のくせに意外とそういう下らないこと気にしますよねー」


「いや、だって、真姫とアスカさんはちゃんと人間だし……えぇ……」


「わたしたちに普通の実社会の常識なんか通用しませんよ。こと恋愛においては尚更」


「な、なんでそんな平気でいられるんだよ」


「まあ、真姫さんは誰から見ても魅力的ですし素敵ですし、別に不思議でもないかなぁと。ていうかそういう成宮さんも真姫さんのこと好きですよね?」


「えっ? いや、まあ、うん、好きじゃないことはないけど……」


「成宮さんは亜魔人になっても思春期卒業できてないんですか。気色悪いですねー」


 嘲るような調子で言いながら、アリスはひょいとベッドから降りた。そして、横になったままの俺の額を、その細い人差し指で小突く。


「成宮さん、今夜に任務についての指令があるらしいので、あと数時間後には起きてくださいよ」


「……わかったよ」


「今回の任務にはわたしもついていくんで、わたしが死なないために成宮さんも頑張ってくださいね」


 なんか死亡フラグみたいな台詞だな、と思いつつも口には出さず、俺はもう一度適当な返事をして、ベッドの中で目を閉じた。けれど、あまりよく眠れなかった。


 アリスとアスカさんは明確に真姫に好意を寄せているらしい。その事実に俺はひどく動揺していた。同性同士とか女子高生と成人男性とか、そういう要素に動揺していたのではない。


 この組織は人間関係がどろっどろだ。


 お互いが何を考えているか分からない。お互いが何を考えていてもおかしくない。


 俺はこの組織でこれから死ぬまでやっていけるのだろうか、と不安に胸を痛めた。


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