第15話
「そのナイフ、もう使い物にならないみたいだね。刃がボロボロだ」
「……えっ、あ、あっ、は、い……」
アスカさんは澪田の身体を足蹴にするようにトイレの中にずかずかと入り込んで、俺の手からナイフを奪い取る。
「ま、無抵抗の人間を刺し殺すくらいはできるだろう」
アスカさんは手のひらでナイフの刃をぺちぺちと叩いてから、また俺にナイフを手渡した。
そして笑顔のままで、澪田の身体を足で軽く蹴る。
「この魔人、実はまだぎりぎり息があるんだ。だから成宮くんの手で殺してくれないかな?」
「えっ? え、ええ……はい」
「成宮くんがとどめを刺してくれたら、真姫ちゃんには全部成宮くんの手柄だったってことにして報告しておいてあげるからさ。それでいいだろう? 魂の捕獲は僕がやっとくから、よろしくね」
言って、アスカさんはサングラスを耳にかけて、拳銃を取り出した。
俺は足元の澪田の首筋を見下ろす。
天井の光を反射するナイフと、澪田の白い首筋に、交互に目を移す。
頭からだらだらと冷えた汗が流れ出て、頬を伝う。
片目を抑えつけて、なぜか意思に反して漏れ出てくる笑みを零しながら、俺はしゃがみこんだ。
「はは、……、ははは……はは」
両手で強く、手が白むほど強くナイフの柄を握る。
ナイフを思いっきり振り下ろして、澪田のうなじにナイフを刺し込む。
不気味な肉の抵抗感が手に伝わる。
ナイフを引き抜くと、まるで噴水のように、鮮烈な赤い血潮が溢れ出てくる。
ざくざくざくざくと、俺はたかが外れたように,一心不乱に澪田にナイフを突き立て続けた。
俺の服は澪田の血液によって赤黒く汚れた。血液を含んだ服の生地が肌に張り付いて不快だった。
「もういいよ。仕事は終わりだ」
アスカさんに肩を叩かれて、俺は目が覚めるように正気を取り戻す。そして、ずたずたに切り裂かれた真下の澪田を認めて、俺は咄嗟にその身体から飛び退いた。
「成宮くん、早く仕事に慣れてくれよ。こんな簡単に死んでくれる魔人ばかりではないし、僕や真姫ちゃんがいちいち仕事に同行できるわけじゃないんだから」
「…………」
アスカさんが、壁際でへたり込んで歯をがたがた震わせている俺に向かって、笑顔で手を差し伸べてくる。
俺はまだ、澪田の死体から目を離せずにいた。
「あのな、キミはただ、仕事を全うしただけだ。何も悪いことはしていない。ただ、人類にとっての脅威を排除しただけなんだよ」
「……は、はっ……」
忘れていた呼吸を再開しようとしたら、喉がきつく締まってうまく空気が通らなかった。
「……はぁーあ。どうしてよりにもよってキミみたいな奴が亜魔人になっちゃったんだろうな。最初見たときはそんな腑抜けには見えなかったのに」
アスカさんは呆れたようなため息を零しつつ、俺の腕を強く引っ張って無理矢理立たせた。すると、トイレの入り口のほうからひょっこりと真姫の姿が現れた。
「成宮くん、ちゃんと仕事できた~?」
笑顔の真姫が、その柔らかい髪を揺らめかせて、俺の今のテンションとは真逆に振り切った声音で呟いた。
「おう、成宮くん、今日はちゃんと魔人を処理できたみたいだよ」
「な?」と言って、アスカさんは俺の背中を軽く叩く。しかし俺は、今も血だまりの範囲を広げている澪田の死体を呆然と見下ろしていた。
どくどくと、心臓の鼓動が頭蓋を震わせる。
「……ねぇ、成宮くん、どうしたの?」
真姫が心配そうな顔で俺を覗き込んで、少し冷えた手で俺の頬を撫でた。俺の歯の震えが真姫の手に伝わる。
「……なんで震えてるの、この人」
「初めて人を殺したからじゃないのか」
「初めて人を殺したら、人間は震えるものなの?」
「知らないよ。僕が初めて殺しをしたときは震えなかった。ただタスクを消化した感覚だけがあったな」
「わたしも特に震えたりはしなかったな。夏だったし」
真姫は不思議そうな顔で俺の顔を見つめていた。
真姫は澪田の死体に関して、何の感慨もない様子だった。
澪田は殺されて然るべきなのだと、澪田は殺されるために生まれてきたのだと、言外にそう主張しているような態度に見えてしまう。
「成宮くん、顔が青白いよ?」
俺は堪えきれずに、ついに嘔吐した。
真姫の顔面に俺の吐瀉物が降りかかってしまった。
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