深い睡眠のあと

奏羽

第1話

 引っ越しをしてから、睡眠の質が落ちた気がする。


 そう感じるようになったのは、一人暮らしを始めてから一ヶ月が経った頃だった。


 慣れない一人暮らし、そして何より学生を終え、社会人としての生活に不安や焦り、恐れなどがあるためなのだろうか。


 ネットで「ストレス 睡眠の質 低下」や「五月病 不眠症」などと、検索をしてみると多くの記事がヒットした。


 これはまずいと、解決方法を検索していくと色々胡散臭い記事ばかりが目に付く。今住んでいるアパートの家賃よりも高い枕や、睡眠導入CDなど、正直信じるのも馬鹿馬鹿しい。


 そんななか、目に付いた匿名掲示板のスレッドに「アイマスク着けるとめっちゃ眠れるwww」という書き込みを見つけた。


 アイマスクなんて、そう高いものでもない。もうしばらくしたら、休日だから、試しにアイマスクで寝てみるか。そう考え、アイマスクをネットで購入した。





 そして、休日の前夜、早速届いたアイマスクを着けて眠ることにした。


 体も心も、既に疲れ切っており、ぐっすりと眠りたい。今はその一心であった。


 眠ろうとベッドに潜り込んだ時、ベッドの横の壁から笑い声が聞こえてきた。


 安いアパートだ。壁の薄さから、生活音や話声は、静かな夜だと遠くの部屋にも聞こえてしまう。


 もしかしたら、こういう些細な物音も睡眠の質の低下に繋がっているのではないかと考えると、聞こえてくる笑い声にも苛々してしまう。


 アイマスクの次は耳栓も買ってみようかと考えつつ、ベッドの横に置いてある置時計を見る。


 時刻は22:36。寝るには少し早い時間にも思えないが、明日は休日、のんびりと過ごせるのだから、早めに寝て損はない。


 アイマスクを装着すると、心地の良い暗闇が訪れた。なるほど、案外いいかもしれない。


 アイマスクを着けることで、無駄にスマホをいじる時間もなくなり、時計を横目で見て、寝れない焦燥感に駆られることもない。


 一気に外界からシャットアウトされた感覚に陥り、そして段々と思考が薄れて…。






 アハハ、と子供の笑い声が聞こえて目が覚める。


 目が覚めるといっても、アイマスクによって、目の前は真っ暗であった。


 どのくらい寝たのだろうかと、アイマスクを外そうと思ったが、多少の眠気が残っているのを感じ、そのまま着けておくことにした。


 どうせ今日は休みだ。どうせなら、もう少しだけ、寝ていたい。


 しかし、普段は気にしていなかったが、アイマスクで視界を遮っているためなのか、色々な音が聞こえてくる。


 ドタバタと小さな足音が走る音、アハハと笑っている子供の笑い声。ギュウギュウと何かが揺れる音。色々な音が絶え間なく、聞こえてくる。


 子供が遊んでいる声が聞こえるということは、正午くらいなのだろうか。


 そういえば、この近くに寂れた公園があったな。といっても公園なんて名ばかりで、汚い錆びたブランコが置いてあるだけだった。


 引っ越してきてから、通勤の時、そして帰ってくる時には誰もいない公園しか見ていなかったから、なんとも思わなかったが、意外にも遊ぶ子供もいるんだな。


 偏見では、今どきの小学生はスマホばっかりで、遊びといってもゲームしかやらない。そんな風に思っていたが、やはり子供はいつの日も外で遊ぶんだなと少しだけ感動してしまった。


 それにしても何がそんなに面白いのかわからないほどに笑っているので、思わずニヤけてしまう。


 アハハ、ヒヒヒと笑い声が複数聞こえてくるあたり、よっぽど面白いことがあったのだろうか。もう少し早めに目を覚ませば、その笑いのタネを聞けたのではないかと考えると、少し悔しかった。


 子供たちの笑い声に耳を澄ましていると、今度はアパートの上の階でドタバタと音が聞こえた。


 正直、こっちは少し煩わしいが、安いアパートを選んだ時から少しだけ覚悟はしていた。


 子連れの家庭が住んでいるのだろうか、それとも配慮の足りていない大人なのだろうか。音だけでは、何も想像がつかなかった。


「はい、はい、申し訳ございません」


 突然、横から声が聞こえ、体がビクッとした。


 どうやら、隣の住人が電話をしているらしい。「申し訳ございません。申し訳ございません」と平謝りしているのが聞こえてくる。


 昨日の夜はあんなに笑っていたのに、恐らく休日であろう今日に誰かに怒られているのは少々可哀想だった。


 よっぽどのミスなのだろうか、ただ謝るだけの隣人に、一体何をしたらそんなに謝るはめになるのだろうかと考えてしまったが、他人の事情を盗み聞きするのはよくない気付き、壁から体を離す。


 相変わらずの子供たちの遊んでいる声やドタバタと暴れている音に流石に目が完全に覚めてしまった。


 しかし、ぐっすり眠れたことには変わりがないので、仕方なく起きることにした。


 身体を起こし、アイマスクを外す。


 目に入った置時計には02:47と表示されていた。


 今は真夜中。音は何も聞こえない。

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深い睡眠のあと 奏羽 @soubane

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