第2話 私と『あくなの』





「ああ、なんて哀れなのでしょうか、お嬢様。」

リリーが泣いている。

大丈夫だよ、私はリリーの頬をぺちぺちと叩いた。

「あうあう!」

「うぅ、お嬢様……お優しい。」

リリーの部屋のソファーで、リリーは私を抱えたまま涙をこぼしていた。

さっきの絢爛豪華な侯爵(父)の部屋と違って質素だが、木の温かみがある。

前世のおばあちゃんの家を思い出す。

私は頭を整理するのに必死だった。

「くそっ、権力だけの色ボケおやじめ!奥様だけでなくお嬢様まで不憫な思いをさせて……!」

そんなこと言っちゃって大丈夫だろうか?リリーも頷いちゃってるけど……

怒っているのは、リリーの夫、ジュード・ミュレ。

確か、ミュレ家は子爵位を持っていたが、先祖が没落してから代々クルス家に仕えている、という設定だった。

そう、

「お嬢様。あのクソブタ野ろ…ゴホン、旦那様から名付けられる必要はないぞ。」

ジュード、今「クソブタ野郎」って言いかけた?一応お父様は侯爵なんだけど……

「ええ、その通りです。塵と屑だけでつくられた人間失格種(クズ)に、お嬢様に名を付ける権利はありませんでしたね。そうですね。権利を与えてしまった私が馬鹿でした。子供に名前を付ける幸福さえ、知らないとは思いませんでしたがね。ふふ。」

リリーの毒舌がさく裂する。

余りにもひどい言われ様に、ちょっと父に同情してしまった。

「っほんとうに、あれは旦那様にしてはいけない品種ですよ。ただでさえ給料三年分払ってもらえていないのに、まだ女遊びをしてやがる。」

「爵位も無駄にある上に、顔と声が無駄に良いからですよ。無駄に。」

「「ハッ。」」

にこやかに笑う二人。だが目は一ミリとも笑っていない。

思わず身を震わせる。

というか、今、給料三年分払ってもらっていないって聞こえたんだけど。

何をしているんだ父。

「とりあえず、お嬢様の名づけはどうしましょうか……」

「いっそ国王様に……」

「危険に決まっているでしょう!?」

「それもそうか。俺らがつけるわけにもいかないしなぁ……」

「「う~~~ん。」」

息ピッタリの二人の会話。相変わらず仲が良い。

私の名前。

誰がつけたのかはわからないけれど。

「「う~~~ん。」」

二人はまだ考えている。

この間に、私が思い出したことを整理していこう。



まず、私は悪役令嬢ではない。

尊敬する悪役令嬢様は確かに侯爵令嬢だが、クルス侯爵家ではないのだ。

過去の設定に、「他の侯爵家から養子に来た」という設定もない。

だから、私はのクルス家の侯爵令嬢というわけだ。

神様、もしかして間違えましたか?

そして、その間違いが厄介である。

公式の設定でクルス侯爵家の一人娘は、「アモレティーナ・クルス」。

母親譲りの銀髪、そして『漆黒の瞳』を持つ令嬢だ。

髪が白に近い銀色で瞳に光が宿っていないうえに、肌も透き通るように青いから、確かゲーム内では『幽霊令嬢』とよばれていた。

この令嬢は一応、「モブ」である。

ただのモブに転生するならまだいい。シナリオ無視して人生謳歌すればいいから。

だが、アモレティーナにはそれができない。

ファン内での彼女のあだ名は「恋の幽霊w(笑)」。

今更だがひどいと思う。

だけど彼女あるところに運命あり!、が常識だった。

でもアモレティーナは普通に不遇な令嬢なのだ。


アモレティーナが侯爵家に生まれると同時に、アもレティーナの母は命を落とす。

幸か不幸か、アモレティーナは『漆黒の瞳』を持つ令嬢だった。

漆黒の瞳は、名前の通り漆黒色の瞳のこと。魔力を多く持てば持つほど、瞳は濃くなり、黒色に近くなっていく。

完全な黒、漆黒は太古の昔に滅んだといわれる「魔族」の物だけだと思われていた。

だが、混じりけのない完全な黒目の瞳だった彼女は、『不吉』の象徴として嫌悪されるようになってしまう。

元々母に興味がなく、夜遊びと悪政を行っていた父はアモレティーナに興味を向けるどころか、八つ当たりの道具として暴行に及び、それ以外の時は別邸に放置した。

暴行を与えられた後、じくじくと痛む傷はすべて治される。

癒えない心はずっと血を流していた。

母は自分が産まれたせいで亡くなり、たまにやって来る父は暴力を加える。

でもアモレティーナは耐えるほかなかった。

優しい使用人たちがアモレティーナの頼りだったが、彼ら彼女らは、アモレティーナに味方したため父の怒りを買い、殺されたり追放されたりしてしまう。

アモレティーナはいろいろ拗らせたのだ。

彼女は魔力は歴史上で一番という程多くても、魔法の師がいなかったために、操ることができなかった。

たまに癇癪を起こしては、暴発した魔法が周りの使用人にけがを負わせ、父に金だけで雇われた使用人たちは高級品をもって逃げていく。

それに気づこうともしない父は、アモレティーナを罵倒するだけだった。

ついに、使用人もいなくなり、別邸は荒れてしまった……

というのが攻略本に書かれている。

過去が重い。重すぎる。


もう一つの情報。それは、アモレティーナは夢見る少女だったということ。

ある日、母の古いドレスを与えられて出向いた王宮のパーティー。

使用人に磨かれた礼儀作法と美貌は一流だったが、雰囲気に慣れていないせいで、転んでしまう。だが、侯爵に嫌われているアモレティーナは遠巻きにされ、誰も助けてくれはしなかった。

その時、

『美しいご令嬢、大丈夫ですか?』

王太子攻略対象が手を差し伸べる。

『すっ、すみまし、しぇん。』

慌てて立ち上がろうとするアモレティーナ。下をかむ。顔を染める。目は涙が浮かんでいた。

『ふふ。初心ですね。ほら、遠慮せずに。お手をどうぞ。』

すとん。

アモレティーナは、恋に落ちた。

…これが王太子ルートでの始まり。

アモレティーナはあるゆるところであらゆる人に恋に落ち、そのたびに死ぬのである。

例えば王太子ルート。恋をしたアモレティーナは王太子に尽くした。

ヒロイン悪役令嬢は都合よく、そんなアモレティーナを利用した。

『ふふっ!あなたが王太子妃になれば、世は安泰よ?あの侯爵令嬢悪役令嬢に任せてはいけないわ。』

恋に盲目とは、言えたものである。

そして、王妃毒殺未遂の犯人の座を擦り付けられ、死刑となる。

自分を慕っていた者の死に哀しむ王太子。彼に寄り添うヒロイン悪役令嬢。二人を見て恋を自覚する悪役令嬢ヒロイン

実は王太子は真犯人がヒロイン悪役令嬢だと知っていたが、証拠がなかったことで断罪ができず、悔やんでいたという設定がある。

そうしてなんやかんやで悪役令嬢はヒロインを断罪し、ハッピーエンド。

免罪ってわかっているなら、アモレティーナを殺さないでほしい。

私は絶対にそうは簡単に恋には落ちないからな!まず転ばないし初心じゃないし利用もされないから!


攻略対象が王太子ではなくても、アモレティーナは必ずどこかで殺される。

免罪で。


一番ひどいのは隠しキャラルート。

ざまぁ×恋愛系シナリオである『あくなの』が、がっつりと恋愛系になったという続編で、逆ハーレムルートを攻略すると攻略できるようになる。ヒロイン悪役令嬢を親友にした元悪役令嬢が、の攻略対象者達と共に旅に出るという続編だ。旅は続編なのだが、そのルートは一番アモレティーナが殺されるルートだ。裏ボス扱いをされることもあれば、誰かの一言で殺される時もある。


ノーマルルートでさえ、アモレティーナは謎の暗殺者に殺される。するとその犯人を捜すために元悪役令嬢が奮闘するというルートになる。



……ややこしいな。にしても、アモレティーナの人生、壮絶すぎる!

ふぅ。何か疲れた。

「「……」」

リリーとジュードはまだ私の名付けで考え込んでいるようだ。


そういえば、攻略対象の隠しキャラが、アモレティーナの従者でミュレ家の長男だったんだっけ。確か私より2歳ぐらい年下だったはずだ。

攻略途中、アモレティーナは市場に出た悪役令嬢の代わりに幼少期に殺されていたことになるのだ。

それで恨みを持った隠しキャラが、元悪役令嬢たちを騙して殺そうとし、旅に加わるが、元悪役令嬢に攻略され、旅の一人になる。

それが一番攻略が難しいルートらしく、ミスをすれば、全員を殺すルートや心中ルートなどになるらしい。

ちなみに私はクリアがまだできていなくて、必死に攻略を漁っていたところである。

無念!

どちらにしろ、アモレティーナは死ぬ、と公式は発表していた。

とにかく、死ぬのだ。

私が生き残るルートはない!

……自分で言ったはいいけど、ものすごく悲しくなってきた。

はぁ…


「ううん……」

「今考えたが、侯爵家に親しい家はろくなところがない。しかも奥様の生家である公爵家は旦那様クズを見切って絶縁中。」

「侯爵家はあの一件で王家と仲が悪いし、貴族のまともな人の大部分は日和見。私たちも見切ろうかしら。」

「三年分の給料を奪ってからだな。」

「そうね。」

話が大変な方向にそれてきた……

「…とりあえずいつか見切るとして、お嬢様の名前だよな。」

「侯爵令嬢だから私たちがつけるわけにもいかないのよね。」

乳母リリーの名づけはよろしくないみたいである。私は全然ウェルカムなんだけど。というかゲームの「私」はどうなずけられたのだろう。

「「う~~~ん。」」

困った。眠くなってきた。瞼が重い……

幼児の体は不便だ。何時間ぐらい寝ているんだろう……

スヤァ……

「あら、寝てしまったわ。」

「疲れたんだろうな。休ませてやろう。」

ふわりとリリーの暖かさが体を包み込む。

すとん、と周りの音が遠のいた。



 『もしもーし、瑠美さん~!』

 『すやぁ…』

 『瑠美さんってば~っ!』

 誰かが私を呼んでいる……

 『起きてください~』

 『すやぁ……』

 誰だろう。こっちは気持ちよく寝ているというのに……

 『あなたを転生させた神様ですぅ~!』

 パチリ。

 目が覚める。まどろんでいた意識がぶわりと戻ってきた。

 真っ白な部屋。何もない空間に私の体が浮かんでいる。

 赤ちゃんではなく、中学三年生の瑠美の体だ。

 『あ、起きてくれた~よかった~』

 『……』

 目の前で安心したように息をついて浮かんでいるのは、神様だ。

 男性でも女性でもない声と姿、大人のようで子供のような人型の神様。

 相変わらず細い目もすべすべした肌も、身長以上に伸びている長い髪も、柔らかそうな服も、全身が白い。何もない白さとは違ったまぶしい白さ。

 言葉では形容できないオーラがあふれている。

 『瑠美ちゃん久しぶり~、どう?転生。』

 『……』

 『え~もしかして、神様に会えてうれしくて言葉が出ないの?』

 『……ええ、会いたいと思っていましたとも。』

 『そうでしょ、そうでしょ!神様に会えるなんて、そんなこと奇跡だもの。しかもあなたは二回目よ!ふふっ。』

 嬉しそうに笑う神様。私もにこりと口角を上げて聞いた。

 『右と左どっちがいいですか?』

 両手の拳を神様の前に突き出す。

 『あらやだ、お断りするわ。』

 『ど っ ち が い い で す か ?』

 許さない、神様。一発入れてやる。

 『るるる、瑠美ちゃん怖い~。』

 神様は涙目になっている。

 『転生先間違えているじゃないですか。ねぇ、か・み・さ・ま?』

 おどおどする神様に詰め寄った。

 『ひぇぇ……だ、だって、る、瑠美ちゃん興奮して「侯爵令嬢」って言っただけだもん!ま、まさかローズの方になりたかったとは思わなかったし、神様は全く悪くないもん!』

 『そうでした……?』

 『そうです!』

 ならば仕方がない。大変不服だが、興奮しすぎて名前を伝えていなかったかもしれない。

 これは私が悪いかも。

 『普通に考えて、誰が好きで不憫な人になりたいんですか……?』

 『うっ、で、でも……』

 『私、だいぶ前世で苦労させられていたんですよ?今回は死にまくる予定だし、さらにひどくなっているじゃないですか?』

 そうなのだ、前世はある程度自由があったが、今世は貴族だから、自由は少ない。

 『ほら、あの、アモレちゃんの方が、魔力量多いし?』

 『運命は残酷なんですよ。ほぼ常に命を狙われている状況なんて嫌で仕方がないんですけど。』

 『うわーん、』

 『泣きまねはよくないですよ~ね?か・み・さ・ま?』

 泣きまねをする神様を冷たく見下ろす。

 『もう!瑠美ちゃんったら、運命とか言っちゃって。』

 『どうしました?』

 神様は顔を上げた。虹をたたえた白い瞳に見つめられると、心がむずかゆくなる。

 『アモレティーナはその運命を覆せる存在。瑠美ちゃんの転生したアモレティーナは、ゲームの強制力である死から逃れられるわ。』

 『!!』

 『そう、それを伝えに夢の中に来たんだった。』

 『もっと早く言ってくださいよ……』

 『ともかく、瑠美はゲームのアモレティーナのようになる必要はないわ。』

 『じゃあ、普通に過ごしていいんですね?』

 なんだ、そしたら普通のモブとなってスローライフできるじゃないか。

 『そういう事にもいかないかな……』

 『??どういうことですか。』

 『あくまでもアモレティーナは「強制力から逃れる」だけ。強制力は無くならない。アモレティーナの強制力、「死」という強制力は無くならない。』

 『え、』

 『どこかで死ぬんじゃなくて、ずっと命を狙われる状況になるということ。』

 『うそでしょ……』

 神様はゆっくりと瞬きをした。ふさりと長いまつげが瞳に淡い影を作る。

 『でも、大丈夫。前世、ゴキブリとまでにはいかないもの、あの環境で生きていた瑠美ちゃんなら、今回も何とかなります。』

 比較対象がゴギブリって……

 『そろそろ時間ですね。あ、名づけは心配しないでください。じゃ、また遊びに来ますね。』

 『来なくていいです。』

 『え~、一応神様なんだけどな。』

 神様はいつものようにふにゃりと笑った。

 途端に眠気がして、瞼が下がり、すぅーっと意識が遠ざかる。

 『おやすみなさい、瑠美……』

 あ~一発殴りたかったんだけど…

 『暴力はだめですぅ~。』

 白い世界がだんだん闇に包まれるように、暗くなっていく。

 ま、ともかく生きるしかないんだよね……

 瑠美、アモレティーナは暖かい空気と共に、再び眠りに落ちた。

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