第17話

 二人分の影法師を夕日の中に落としながら、雛数さんと分かれ道まで喋った。彼女は穏やかな見た目に反して悪戯好きだったが、どうやらそれは内輪でしか出さない顔らしい。僕が既に輪の中に入っている事にも驚いたが、雛数さんはさも当然のこととして受け止めていた。


「あのガードの堅い夜が目を付けてるんだもの。それなら、私の個人的な後輩も同然じゃない?」

「個人的な後輩ってなんですか。学年的に僕はあなたの後輩です」


 基本このようにちょっかいを掛けてくる雛数さんだが、だらしない先輩とは対照に大人びた雰囲気も併せ持っている。ふとした仕草とか、こちらの話を最後まで聞いてくれる所、時々遠くを見つめるような表情など、数えだしたら枚挙に暇がない。

 こんどは少しおどけたように笑い、雛数さんは僕に問うた。


「でも、ちょっと気になるかも。天谷君と一緒にいる時の夜って、どんな感じ?」

「どんなって言われても……ご想像にお任せするとしか」


 脱いだ服は散らかすし、口うるさく言わないとお風呂にも入らない、だらしないだけの吸血鬼です、なんて言えるわけない。会話から察するに、先輩も雛数さんに本当の事を話してはいないみたいだから。


「えー、教えてくれないの?」

「知りたいなら本人に聞けばいいじゃないですか」

「聞いたよ? でも、夜はあんまり自分のこと話したがらないから。はぐらかされちゃう」

「先輩らしいですね……」


 誤魔化す方向の僕とは違い、そもそも話さない事で秘密を守っているらしい。一番確実な方法だけど、かなり難易度の高い選択だ。たぶんクール系美女という外面を隠れ蓑に、自分はそういう人間だと周りに刷り込んでいるのだろう。

 その仮面を本人と信じているであろう雛数さんは、浮かんだ表情を隠すように微笑む。


「私、そこまで信用されていないのかなって。ちょっと寂しいんだよね」

「そんな事……」


 ないです、とは言えなかった。


「雛数さんは先輩ととても仲良さそうでしたし、気にすることないですよ」

「そう? ……まあ、いつも夜が自慢してる天谷君に言われたら、そうなのかもね」


 雛数さんは頷き、こちらを向いた。


「知ってた? 実は夜、天谷君のことばかり私に話すの。自分のことは話さないで。マンションの部屋、隣同士なんでしょう?」

「それは喋ったんだ……」

「それは?」

「あ、いえ、なんでも。……というか、先輩が僕のことを自慢してるって本当ですか?」

「うん。それはもう長々と。昨日は夕ご飯を御馳走してもらった、とか、一緒に映画を見た、とか。……因みに二人って、付き合ってるのよね?」

「え……っと……」

「え、違うの?」

「いえ、そういう関係じゃないというか……」


 吸血鬼とその食糧です、とは言えないし。元々利害関係から始まった契約なんだから、そこに恋愛感情が発生する余地はない。ましてや人と吸血鬼という、つい最近まで殺し合っていた異種族同士だ。


「どちらかというと、雇い主と労働者的な……?」

「なにその関係。辛口すぎるでしょ」

「じゃあ、主人と使用人?」

「もっと酷くなった」

「それなら……」


 新しく言葉を継ごうとしたところで、雛数さんに「ストップ」と止められる。


「天谷君。たぶん君の認識と夜の認識には、結構な差があると思うよ?」

「そんなことないと思いますが……」

「絶対あるから。たぶん夜、そんなビジネスライクに捕えてないよ」

「いえ、それは分かるんですけど」


 吸血対象としては大事にされているみたいだし、それはそれで安心して血を吸わせてあげられるから、嬉しいと言えばうれしい。


「天谷君……」

「ど、どうしてそんな憐れむような顔するんですか?」

「……ううん。なんでもない」

「そ、そうですか……」


 子供を見守る母のような表情になってる……これがかの「聖母」と言われている所以なのか……?

 そう思った時、いつも鳥羽さんと待ち合わせしているコンビニへの分かれ道が見えた。そちらを指さして、雛数さんに言う。


「雛数さん、僕はこっちなので。送ってくださってありがとうございます」

「ああ、そうなの。気を付けてね」

「はい。それじゃあ」


 お辞儀して雛数さんと別れる。手を振ってきたので振りかえし、踵を返して待ち合わせ場所まで急いだ。

 夕日が落ちそうになったコンビニには、ハイヤーの側でスマートフォンを片手に立つ鳥羽さんの姿があった。

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