第8話


「瑞希、そりゃ嫉妬だ」

「嫉妬?」


 四時限目の体育の授業。

 バスケットボールをひたすらゴールに放る退屈な作業をしていた僕は、秋の答えに困惑した。ダン、ダン、と激しい音を立て、軌道から外れたボールが落ちてくる。

 秋はそれを拾い、片手で床につきながら言った。


「誰かは知らんが、その先輩とやらが他人と一緒にいたのが気に喰わなかったんだろ? だとしたら、それは紛れもない嫉妬だ」

「いや、まさか。僕はそんな事……」

「違うってんなら、独占欲の表れだって言えば分かるか?」

「独占欲……?」


 それは恋人や、吸血鬼だったら獲物に対して抱くような感情じゃないのか。むしろ僕は食糧として独占欲を抱かれる側のような気がする。なのにどうして………


 秋は綺麗なフォームで球を投げ、するりとゴールをくぐったそれを片手でキャッチする。こちらを向いて不思議そうに言った。


「……なあ、そんなに気に病む事か? 仲のいいダチに対して、自分以外とは仲良くして欲しくない、なんて気持ちになるとか、別に普通だと思うけどな」

「……気にしなくてもいいなら、僕はそれで良いんだけど」


 そもそもこういう事を考えた経験が無いので、放っておけばいいのならそれはそれで気が楽だ。その旨を話すと、秋はやれやれと首を振った。


「お前、人付き合い苦手だろ……」

「うっさい」


 少し強めにパスを投げるが、秋は簡単に捕えてひょいと返してくる。受け取ると衝撃で手のひらがじんじん痛んだ。そのままスリーポイントを狙うバスケ部員を視界の端に捉えつつ、もう十年も前になる事を思い出しながらボールを投げる。


「人と関わる機会が無かったんだから、苦手なのは仕方ないだろ」


 秋は苦笑いして受け取った。


「ああ、そういやお前も戦争孤児だったな。俺もだよ」

「なら、僕の言い分も納得できるだろ?」

「知らねえよ。俺はおれ。お前はお前だ。価値観は一人ひとり違う」

「……そうか」


 僕は言って、戦争が終結したあの頃の混乱状態を思い出した。



 戦争孤児。それは名前の通り、戦争で肉親を失った子供たちの総称だ。十年前に終結した人類と吸血鬼最後の戦争、北海道五稜郭防衛戦において、人類側の軍は吸血鬼軍に全滅寸前まで追い込まれた。戦争終結時の死者数は、人間側だけでも五万を超えると言われている。


 僕の父——天谷宗助もそこで命を落とした。吸血鬼に血を吸いつくされたのだと言う。その後すぐに父を追うように母も病死し、頼れる親戚も居なかった僕は戦争孤児となった。先輩の吸血対象となってからは、国から稼ぎも貰え、比較的自由な生活を送れているものの、孤児院にいた頃は酷いものだった。あの頃はどこも物資不足だったのだろう。


 そこまで思って秋の方を見ると、僕と同じ苦々しい表情をこぼしていた。唇を真一文字に結び、パスにも力が籠っている。

 ふと疑問に思った。


「……なあ、聞いてもいいか」

「何を?」


 秋はハッとしたように表情を緩め、ボールを床について言う。僕は片手で合図を寄越し、秋からパスを受け取った。センシティブな話題なので、流石の僕も聞くかどうか迷う。しかし秋はそれもお見通しのようで、山なりにボールを放ってきて言った。


「……戦争の事か。いいぜ、もう随分昔の事だしな」

「……なんで分かった?」

「その情けねぇ顔見りゃ一発だよ」

「そんな顔してない」

「いや。してた」

「……」


 一瞬だけ秋を睨み、僕は固い感触のバスケットボールに目を落とす。同じ境遇の仲間にこういう事を尋ねるのは初めてだ。かさついた唇を舌で潤し、言葉を選んで話を切り出す。


「秋は……その、憎いって思ったことがあるか?」

「憎いって、吸血鬼を?」


 無言で頷くと、秋は厳しい表情で首をひねった。


「さあな……少なくとも、兄貴を殺した吸血鬼は憎い。だけどあいつら全体が憎いっていうのは、なんか違うな」

「……そっか」

「瑞希はどうなんだ?」


 聞かれた僕は首を横に振る。


「分からない。……でも、父さんを殺した吸血鬼は嫌いだ」


 嫌いで憎いけど、どうしてもそう思いたくない自分がいる。なぜなら、僕は先輩という吸血鬼を既に知ってしまっているから。肌で感じ、寝食を共にし、月神夜という存在を心の中で受け入れてしまっているから。過ごした日はまだ浅いけれど、彼女は僕の日常となっている。先輩を否定するような事はしたくないと、この事を考えるたびに僕は思ってしまう。


 秋は「そうか」と言ってパスを寄越した。すぐに返す。


「……まあ、戦争は和睦で終わったんだから、いまさら過去を掘り返して復讐なんて、意味のない事はしたくないよな」

「復讐か。思い付きもしなかった」

「吸血鬼に家族を殺された奴は多い。そいつらが反吸血鬼のテロリストになって、復讐と言って罪の無い吸血鬼を殺す……最近じゃ少なくなってきてるらしいけどな」

「……生きるために殺している訳じゃないって、吸血鬼よりよっぽど残忍だ」

「その残忍性のお陰で、俺たち人間は今まで生き残ってこられたんだがな。吸血鬼よりよっぽど邪悪な悪魔だよ。俺たちは」

「……」

「……」


 湿っぽい空気になったのを察して、秋はさりげなく話題を逸らした。


「吸血鬼って言えば、最近は吸血対象パートナーに志願する奴が増えてるらしいな。血を吸わせて金を貰う仕事」

「あー……」


 気が回るなと思ったらこれだ。まあ、隠している僕の方が悪いんだけど。

 微妙な表情をしていたからか、秋がこちらを見て首を傾げる。


「んだよ、その反応。嫌いなのか?」

「いや、別に。献血と似たようなものだろ」

「献血と違って、直接血を吸われるけどな。正直体中の血が吸いつくされそうで怖い」

「……まあ、それは分かる」


 結構多めに吸われたりすることもあるし。一応サービスで済ませてあげてるけど。


「あ、でも稼ぎはかなり良いらしいぜ? 一日三回の吸血で何万だったっけ……」

「三万くらいじゃないのか?」

「ああ、そのぐらいだな。となると、年収は……」


 秋が真面目な顔をしてぶつぶつ計算しだした。僕はそこから目を逸らして考える。


 ……正直、経験者からすると、一回の吸血で一万円というのは結構少ない。命を売るという行為、そして実質的な吸血鬼の所有物になるという事も含めると、倍の値段でもまだ足りないように思える。お金の問題じゃないかもしれないけど。

 その時秋が顔を上げ、何かに気が付いたように言った。


「……でもよ、一度吸血対象として登録されたら、死ぬまでその吸血鬼と一緒なんだろ? それってなんか……あ、でも逆に考えれば、一生血を提供するだけで暮らしていけるってことか」

「お金が無い人にはまたとない働き場所だよな」

「俺やお前みたいにな。……まあ、一生側にいたい相手だったなら、それも良いかもしれんが」

「……」


 もし秋が、僕が月神夜の吸血対象パートナーになったと知ったなら、僕を向こう見ずな奴だと軽蔑するかもしれない。恋人でもない相手に、一生分の安定した生活と引き換えで命と時間を売るのだから。


「秋はなってみたいと思うか? 吸血対象に」


 そういった思いを込めて聞いてみると、秋はドリブルしながら言った。


「……普通に進学して就職っていう人生も悪くないが、つまんないからな。なってみる価値はあるかもしれん」

「そうか」


 美しい放物線を描き、ボールがネットに吸い込まれるように入っていく。見事なスリーポイント。


 床に落ちて飛び跳ねる球を拾い、秋はこちらを向く。鋭い直線的なパスが飛んできた。


「お前はどうなんだ」

「僕は……」


 手に持ったボールを見下ろし、何を言うべきか迷う。僕は先輩を信頼しているし、彼女もたぶん同じだろう。だけど、本当になりたくて先輩の吸血対象パートナーになったのかと問われると、答えに窮した。


 ゆるりと肩を回し、山なりのふわりとしたパスを秋に返す。


「今はまだ分からないけど……そのうち、決まるんじゃないかな」

「なんだそりゃ」


 秋は飛んできたボールをしっかり受けとめて言った。


「もうちょっと自分のこと、知っておいたほうが良いと思うぜ。瑞希は」

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