第3話

「いつも思うけど、このマンションってすごく警備厳重よね」


 エレベーターの中、無表情に立つ警備員を尻目に先輩は言った。彼の腰にはリボルバー式拳銃と、銀メッキが施された短刀が下がっている。


「私、喧嘩する気なんか無いのに」

「仕方ないですよ。吸血鬼の保護のためですし、民間人を安心させる目的もありますから」


 自室を出た後の先輩は、いつものだらけた雰囲気を脱ぎ捨てて凛と背筋を伸ばしている。武器を持った他人が目の前にいるからか、表情も硬い。この人はプライベートな空間を出ると、途端に才色兼備なクールビューティーに様変わりするのだ。


「それなら、街の周りをわざわざ防壁で囲む必要は無いと思うんだけど」


 長い黒髪を揺らし、先輩は言う。昨日は同じシャンプーを使った筈なのに、なぜか凄くいい匂いがする。


「逃げられたら困るからじゃないですか?」


 僕が答えると、先輩はきゅっと制服の袖を摘んできて言った。


「逃げないし。ていうか、瑞樹が居ないと死ぬ」

「それは食糧的な意味ですか? それとも生活的な?」

「どっちも」

「ですよねー」


 その時、ベルの鳴る音と共にドアが開いた。警備員の脇をすり抜けて外に出ると、そこは広大なエントランスホール。植えられた桜の間に春風が吹き込み、青い匂いが鼻腔を刺激する。


「行きましょうか」


 先輩を促して歩き出す。丘の上のこの場所は見晴らしが良く、街の外周部を区切る高さ三十メートルの壁がはっきり見える。先輩が文句を言っていた防護壁だ。壁の外には青々とした水をたたえる太平洋があった。




「通行証を拝見します」


 敷地から外に出る門まで歩いた時、迷彩服を着て武装した警備員が頭を下げてきた。一人ずつ鞄から通行証を出して渡すと、一瞥のちに返還される。


「ご協力感謝します」

「いえ。ご苦労様です」

「お疲れ様」


 門を通り外に出ると、綺麗に整えられた森林が広がっていた。突き抜けるように、アスファルトで舗装された道が伸びている。この先は人の居住地で、吸血鬼の居住地とは厳重に分けられている。吸血鬼の人口は割合に換算すると5%ほどなので、保護や人数の把握のために政府は法律まで作った。吸血鬼の居住家に許可なく人間が入れば、それだけで罰金、禁固刑が課されるのだ。


「さあ瑞樹、行きましょ」


 ぐいと先輩が袖を引っ張ってくるので、その手を掴んで言った。


「待ってくだい。駅まで行くタクシーが来ますから」

「えー……」

「えーじゃないです。街の人に吸血鬼だってバレたくないんでしょ?」

「そうだけど」


 その時、会話の隙を埋めるようにスッと黒のハイヤーが止まった。無音でドアが開き、僕たちは話を止めてそれに乗り込む。運転手は女性だった。


「駅までお願いします」

「承知しました」


 短い会話のあと、黒塗りの車はじわりと加速し、人の街に向かっていく。珍しいなと運転手の横顔を眺めていると、先輩に軽くふとももをはたかれた。

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