第4話

「ごめんなさいってば。先輩」

「……」

「そろそろ機嫌直してくださいよ」


 早足で歩く先輩に追いすがる。かれこれ十分はこのやり取りを繰り返しているのに、先輩はつんとした態度を崩さない。僕はひたすら謝り続けた。


「まさか、運転手さんが吸血鬼だったなんて思わなかったんです。吸血対象パートナーとして、先輩に不快な思いをさせてしまった事は謝りますから」

「……」

「僕には先輩のような鋭い嗅覚は備わってないんですよ。吸血鬼だと分かっていたら、あんなことしなかったです」

「……」

「先輩、話聞いてます?」

「……」

「はぁ……」


 お手上げだ。というか、聞く気が一切ないらしい。いくら吸血鬼が自らの獲物に独占欲を抱くといっても、これは行き過ぎている気がする。毎日家事の世話をしてたから愛着が湧いたのだろうか。


 ……いや、ハイヤーの運転手さんは確かに吸血鬼で、自分にも吸血対象がいると言っていた。先輩もその事は聞いていたし、ここまで拗ねる理由なんて他になかったと思うんだが。……まさか、ただのやきもちか?


 そう思った時、先輩が突然足を止めた。僕も慌てて止まるがバランスを崩し、転びそうになったところを掴まれる。細い腕で軽々と持ち上げられた。


「痛いです」

「我慢」

「脱臼しそう」

「……分かった」


 不安そうに瞬きし、先輩はゆっくり地面に僕を立たせる。身長はほぼ同じなので、人形になって引きずり上げられるような感覚だった。リカちゃんはおままごとの度にこんな経験をしていたのか、と思っているとまた腕を引かれる。


「こっちに来て」


 先輩は脇の裏路地に入っていく。後ろを振り返ると、僕達と同じ制服を着た学生がちらほら見受けられた。


「どこ行くんですか?」

「すぐそこ」


 ずんずん路地を曲がり、ビルの陰になっている所で先輩は止まった。まだ手は放してくれない。


「先輩、手を……」

「あ、ごめん」


 言いつつも、握る力を緩めただけだった。


「手を離してくださいって意味だったんですけど」

「そう? なら嫌」

「そうですか……」


 諦めて先輩の好きにさせる事にした。非は僕にあるし、今すぐ吸血させろと言われても従うつもりだ。滅茶苦茶疲れるからやりたくは無いけど。

 先輩はじっとこちらを見つめていたが、ふと何かに気が付いたように手を伸ばしてくる。


「な、なんですか」

「じっとしてて」


 そのまま僕の頬に手を滑らせ、すっと首筋から肩まで撫でられる。快感にも似たこそばゆさがぞわぞわと駆けた。

 ……これ、ヤバい。生殺与奪の権限を握られてる感じがする。

 そう思っていると、背中から何か摘まみあげられた。


「……これね」

「なんですか? それ」

「瑞希に纏わりついてた匂いの元凶」


 細い指に摘ままれていたのは、光にかざさないと見えないほど細い茶色の毛だった。


「髪の毛、ですか?」

「そうよ。たぶん、あの運転手の毛が偶然ついたみたい。女の匂いがして凄く臭かったわ」

「吸血鬼じゃなくて、女なんだ……」

「私の瑞希に手を出すとはいい度胸ね」


 無視された。せっかく突っ込んだのにもったいない。


「そんな愚か者には……こうよ」


 文句だけでは満足しなかったようで、先輩は髪を宙に放り投げた。ふわりと落ち葉のように落ち、地面と接触した瞬間に先輩は呟く。


「影よ。喰らい尽くせ」


 ばくんっ ! と凄まじい勢いで黒い何かが地面から飛び出し、髪の毛を喰った。先輩の特殊能力、「影」の異能だが、こんな所で使うものじゃない。危なすぎる。


「先輩、だめですよ。こんな所で異能使ったら」

「私のものに手を出した方が悪い」

「……」


 まあ、あまりとやかく言うのも止めておこう。たぶん僕を守ろうとしてくれたのだろうし。少々オーバーキル気味ではあるが。

 ……って、ちょっと待て!


「先輩! もう八時半です! 遅刻します!」

「そう? じゃあ急ごっか」

「のんきに歩いてる暇じゃ無いですよ!」

「……異能使ったから疲れた」

「ああもう!」


 先輩の手を引き、走って路地裏から抜け出す。先輩は他人が居る場所では完璧超人を演じるから、絶対に遅刻は許されないのだ。ていうか、なんで外面だけは良いのか。


「先輩、もっと早く走ってください!」

「いいの?」

「いいに決まって……うわっ⁉」


 吸血鬼の怪力。人の数十倍はある馬鹿力を発揮し、先輩は僕を抱えて街を疾駆する。道行く人々の驚愕の視線を感じながら、正体がバレたらどうするんだと心の中でため息を吐いた。


 因みに、学校にはギリギリ間に合った。

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